舐めてるとか聞く奴ほど人を舐めてる
つい先日の出来事だ。
業務中にとある客に言われたことだ。
「こっちは話を詰めに来たんだ。それをなんだ、これから具体的に話を詰めていきましょうだ? こっちは詰めに来てんのにてめえはなめてんのか? お前幾つだ? いいたかねえけど俺は60歳だ、目上を舐めてんのか?」
正直に言えば舐めてるとか舐めてないとか思ってすらいなかった。
そもそも客はほぼ初対面だ。そんな労力を払うこと事態が面倒である。
機械的、と言えば聞こえは悪いが全員に80%程度の対応をするのが一番楽だ。
丁寧な言葉遣いを心掛ける。分かりにくいだろうことは分かりやすく話す。
成る程、ある意味では舐めているのかもしれない。初対面の相手の知識量はわからない為に誰でもわかるよう一定のラインを定めて此方が引いているのだから。
「手前らは客の考えを察しないよな、どんな教育を学校で受けてきたんだ? 腹わたが煮えくり返ってるよ、ほんと舐めてんのか?しかも、てめえは相槌にあーだのふんふんだのはいだの本当に人を舐めた態度だな」
ここで私は何かを言うのをやめた。謝罪もだ。
一言で言えば、相手を舐め始めたのだ。
相手の言っていることに対して説得力も何も見出せなくなった。
初対面の人間に対するタメ口。
常に上から目線の態度。
年功序列による敬意の強要。
相手の意図を察せず、自分の考えを察せと申す。
また、名前を覚えたなどの脅しのような発言。
無駄に寛容さを主張する。
50〜60歳くらいの人には申し訳ないが、そのくらいの世代には己が奉仕されることを当然、自分は〇〇だからされて当然という浅ましい考えを持っている人間が『特に』多いと思う。
そして、そういう考えの人は誰もが店員などを自分より下、つまり舐めてかかってるのだ。
相手の社会的地位を盾にして脅迫紛いな態度をしてくる。
適切な対応とは何か、こちらはその情報を初対面の人間の0から集めないと行けないのだ。
コミュニケーション力を問われるものだが、それはお互いに求められているものだ。相槌の仕方が悪かったとしても、話の流れで不自然なものではない。そもそも今までの人生で「あなたは話をよく聞いてくれる」とは言われたことはあるが、相槌が人を舐めてるとは始めて言われた。なんだ相槌が人を舐めてるって。
客も店員も、会話することで相手を知る。
相手のことを知らない場合は、舐めるもクソもなく適正を探る会話になって然るべきだ。
私たちは友達で知り合いでもないのだ。見知らぬ他人に、前情報もなく何かを決定することこそ無理だ。
ヒントも何も無しにやる問題ほどクソなものはない。それを答えられないとすると相手を馬鹿だと罵る手合いほどクソな人間であり、そういう人間ほどなにやらマナーやらにうるさい。
そして、そういうタイプのマナーにうるさい奴ほどマナーがないことが多いのだ。
「今年一番の不快な出来事だった。二度とくるか」
「ありがとうございました」
その客はそう捨て台詞を吐いて帰った。
心を込めない表面だけの感謝の言葉を吐き出した。
「あの人、なんか変な人でしたね。店員さんはこういうことがあるから大変ですよね」
近くで聞いていたお客様がそう言ってくれた。こちらの出来る限りのおもてなしの気持ちを込めて応対させていただいた。
「お兄さん、仕事頑張ってね。また来ます」
「ありがとうございます、またご来店ください」
心からの感謝と、心を込めた再会の言葉を渡した。
これだから接客業はやめられないのだ。