アイゼンの雑魚スキル
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アルガート要塞から最も近い街、歓楽街アストレア。かつては貴族や軍の将校、政府の高官たちをもてなす為のカジノや風俗店が建ち並び、夜になれば煌びやかな明かりで満たされていた、ある意味活気のある街だった。
しかしそれも四年前までの話。今では勇者、もしくは巨大な権力を取り戻した貴族専用の慰安所としての側面が非常に強まり、この街に住む娼婦やディーラー、店の支配人たちはいつ彼らの八つ当たりや気まぐれで害されるかも分からない、不安で押し潰されそうな気持で逃げることの出来ない毎日を過ごしていた。
「――――――――っ!?」
そんな絶望と享楽に満ちた街の裏路地を進んだ先。一見すると何の変哲もない寂れた酒場に見える建物の奥で、薄汚れたフードで身を隠した少女は複雑怪奇な魔法陣が刻まれた台座の上に拘束され、悲鳴にならない悲鳴を上げていた。
その周囲には十名ほどの勇者候補生が取り囲み、両手のひらを少女に向けて、青白く光る靄を送り込んでいる。
これはスキルでもなければ、攻撃魔術でもない。何の力も加えられていない、体外に放出されただけの純然な魔力なのだ。視覚化された魔力は少女の全身へと吸い込まれ、その度に苦悶に満ちた表情で自らを拘束する鎖を激しく鳴らす。
「クハハハハ……とんでもねぇな。あれだけの魔力を……それも他人の魔力を取り込めるとは」
本来魔力というのは血液と同じで、個人によって質が違う。自らの波長に合わない魔力を無理矢理流し込まれれば、凄まじい拒絶反応を示して最悪の場合には死に至る。現に少女が質がバラバラの魔力を十人分流し込まれて、途方もない激痛を味わっているのだから。
それでも少女は死なない。なぜなら彼女のスキルはそういう事が可能なスキルだからだ。そしてそれを知っているが故に、勇者候補生たちは止めないし、その様子をどこか楽しそうに眺めているルキウスの部下、《浄炎》の異名を皇帝から与えられた勇者、ジュライは止めもしない。
たとえ年端もいかない少女が、自らの体が折れそうなくらいに悶え苦しもうとも、荒れ狂う魔力が皮膚を破こうともだ。
「しかし面倒だな……わざわざこんな事をするのに俺自らアストレアまであんなガキの搬送をしなきゃならないとは」
今目の前で起こる光景は、ジュライがルキウスから命じられて、定期的に少女をアストレアまで連れて行われていることだ。
普通、自分の魔力を他人に流し込むなど、そういうことが出来るスキルの持ち主でもいない限り不可能。しかも波長の合わない魔力を無理矢理流し込めば相手は死ぬという欠点は、帝国から使えないスキルという烙印を押されることとなる。帝国軍に徴兵されるまでもなく、奴隷扱いだ。
データのない有象無象から人材を探すのは手間がかかる。なのでルキウスたちが他人の魔力を効率より一人の体に流し込もうとすれば、この建物の地下、地面を削って作り出された、台座の上の生物へ周囲の生物が強引に魔力を供給することが出来るアーティファクトを頼るのが一番効率が良い。
大昔の強引な魔力回復手段として用いられていたであろう、地面に固定されたアーティファクトを壊して移動させるわけにもいかず、ジュライはわざわざ少女をアストレアまで連れて行く羽目になったのだ。
流石に自らよりも遥かに強い勇者に逆らうことを、自己中心的だが保身的な勇者はしない。だが、それとこれとは話が別なのである。
(まぁ良い……これも偉大なる皇帝家の為、ひいては俺たち勇者の為なのだ)
それに何より、アストレアで享楽に耽るのはジュライの趣味と言える。重々しい造りをしたアルガート要塞で暇を潰すより、煌びやかなアストレアで美女や美酒に囲まれながら賭博に興じるのが性に合っているのだ。
時折、仕事の憂さ晴らし、その場の気分で甚振れる人が居るというのが尚良い。
「よし、終わったな。それでは俺はこれから店に繰り出す。お前らもそのガキを馬車に放り込んだら、明日の帰投時間まで好きに過ごしな」
話が分かると、下卑た笑みを浮かべながら候補生たちは少女を鍵付きの馬車の中へと荷物の用に放り込むと、思い思いに夜の街に繰り出す。
「……~~~~っ!!」
鉄格子の窓から差し込む星と月の光だけが光源の馬車の中で、少女は裂けた皮膚や内臓をかき回す他人の魔力の激痛に悶えていた。
横柄で残虐な勇者に逆らえば殺される。これが今のアースグリット大陸の常識だ。少女の場合、他とは少し対応が違うというだけ。
「……っ……っ……。……」
自信を苛む痛みに何度も何度も鼻を啜り、もう数えることを止めた涙がようやく止まった時、少女は格子越しの空に浮かぶ金と銀の月を眺め、かつての安楽の日々に思いを馳せる。
四年前まで、少女はアースグリット大陸南部に広がる大草原を廻る遊牧民族、その中でも民族音楽を司る家系の歌い手の卵だった。
どこまでも広がる青々とした美しい草原と、山風の音に囲まれながら、逞しい父と優しい母を初めとする、穏やかな気性の同族の中で過ごしてきた少女は羊の世話をし、湖畔で戯れ、仔馬を駆り、美しい歌声を口遊みながら平穏な日々を過ごしていた。
都会のような利便性こそなかったものの、それでも彼女たちの民族は平和だったのだ。……勇者が侵略してくるまでは。
草原は焼かれ、山が砕かれ、湖畔は干上がり人が死ぬ。かくも幻想的だった故郷は瞬く間に蹂躙され、南部の民族は討ち滅ぼされることとなった。
「…………っ!」
本来なら、少女も勇者の手によって蹂躙され、殺められるはずだったのだろう。しかし何の因果か、今もこうして生かされ、苦しまされている。
生きているから願ってしまう……故郷に帰りたい、と。この窮屈の箱を抜け出し、あの雄大な平原を一目だけでも見たいのだ。
「っ!?」
そんな願いが突き動かした手が扉に触れると、何の抵抗もなく開いた。何時もなら施錠されているはずの牢屋馬車だが、今日は勇者たちが遊ぶことに頭が一杯で施錠し忘れたのだろう。
「っ!!」
少女は痛む体に鞭を打って馬車から飛び出す。
生きて、確実に故郷へ帰る。もし逃げて見つかった時、どのような目に遭うかなど頭に浮かぶことすらなく、少女は無我夢中で夜の街の中へと消えていった。
「アイゼン、今日こそ俺に剣を――――」
「断る」
「……まだ言い切ってもないのに」
空中迷宮最上層の館。その応接室と思われる、ソファとテーブルが置かれた広い部屋で、掃除を終わらせ、今日こそアイゼンに剣を教えて貰おうとしたオルガは、目的の男がカグヤとエリーを交えて何やら資料を広げているのも目撃した。
そして、特に理由があっての事ではないが、何となくその内の一枚を盗み見ると、オルガは三人の問いかけた。
「十四聖? 何だこれ?」
「オルガ……あんた、字が読めたの?」
現代の識字率はお世辞にも高いとは言い難い。貴族には教育義務があるものの、四年前以前の帝国貴族の子供すら面倒臭がる傾向がある。
しかもオルガは六歳の頃から奴隷として教育の権利を剥奪された身。カグヤのみならず、アイゼンやエリーも少し意外そうな顔をしているのは無理もないだろう。
「十歳のくせに意外と真面目……男の子なんて外で遊びたがって、勉強嫌いな生き物だと思ってたのに。オルガなんてその典型みたいな性格してるにゃん」
「いや、そういうのが多いのは否定はしねぇけど」
ケラケラと振袖で口元を隠しながら冗談を言うカグヤに、オルガはゲンナリとした表情を浮かべた。
少し苛烈な割には真面目な性格をしたオルガからすれば、勉強自体は苦ではなかった。むしろ知識を蓄えれば大人に近づけると思い込んでいたから、熱心な方でもある。
「そんな事はどーでも良いんだよっ。この十四聖って、勇者の事だろ?」
「……五千いる勇者の中の頂点に君臨する十四人の事だ」
「アイゼンさんっ。子供に何を……」
「まぁ、適当にはぐらかしてもしつこそうだから、この際ゲロっちゃった方が良いにゃん。有名な連中だし、この資料だって機密事項ってわけでもないし、遅かれ早かれ知ることになるにゃ」
少し咎めるように声を荒げるエリーを、カグヤが窘める。
「一番初めに生まれて、他の勇者とは比べ物にならないくらい強い十四人の事でもあってね、帝国軍はこいつらが仕切ってるにゃん。連合軍側は十四聖を潰せば勝利の確率がグッと高くなるから、積極的に命を狙ってるの」
「逆に言えば、奴らを倒さなければ連合軍に勝ち目はないからな」
「なるほど……つまりそいつらが、悪の元凶ってわけだな!」
「んー……ちょっと違うんだけど、まぁ概ね似たようなもんにゃ」
歯切れの悪いカグヤ。資料を食い入るように見つめるオルガの眼には、怒りと憎しみの炎が渦巻いていた。
「でもよ……なんで勇者共は急にこんなに強くなったんだ? 昔は平民を力づくで押さえつけること何て出来なかっただろ」
「……それは……」
尤もな疑問にエリーは言い淀む。果たしてこの事をオルガに伝えても良いのかと、視線でアイゼンやカグヤに訴えかけると、口を開いたのはカグヤだった。
「……魔晶石って、知ってる?」
「あぁ、生き物が死んだ時に出てくる赤い石の事だろ?」
魔力を有する生物が死亡すると、体内に残されていた魔力が結晶化し、体外に放出される。それを魔晶石だ。
「魔力は肉体を廻ってるから勘違いするのが多いけど、魔力自体を生み出しているのは霊魂でね。死ぬと魂が肉体から抜け出すのと同じ原理で、魔晶石には死んだ生き物の魂が宿ってるにゃん」
「そうなのか? ……いや、でもそれと勇者に何の関係が……?」
「……本来、体外へと放出された魔晶石は長時間形を維持することは出来ません。短時間で霧散して、魔力は大気中に流れてしまうため、魔晶石を技術的に役立てることは不可能とされていました」
「そして宿った魂も輪廻の輪に還る。魔晶石が霧散する現象を、世で成仏したと言われる所以だ」
カグヤの言葉を引き継いだエリー、アイゼンにますます首を傾げるオルガ。その様子にカグヤは溜息をついた。
「まだ分からにゃい? ……簡単に言えば、勇者は他人の魂が宿った魔晶石を取り込んで強くなってんの」
オルガは今度こそ理解した。理解した上で、ゾッとした。
「スキルかアーティファクトによるものかは分からないけど、帝国には魔晶石を内包された魂ごと勇者に相応しいスキルの持ち主に取り込ませてるって事。しかも何の拒絶反応もなく、ね」
不幸にも、帝国には勇者の魔力の糧となる素材がいくらでもある。彼らの価値観を借りてモノを言うのなら、家畜を食らうために屠殺するのに罪に問われる道理はないということだ。
「おい……じゃあ、取り込まれた魂はどうなるんだよ?」
「……取り込まれた魂は、勇者の体内で地獄の苦しみを味わい続けてるみたいにゃん。捕らえた勇者を解剖して、最近分かった事だけどね」
今度こそ、オルガは閉口した。生者を嬲り、死者の魂をも辱めるという、自身の想像を遥かに超えた帝国と、それを享受して喜んで力を振りかざす勇者の悍ましさに。
「長く活動する勇者ほど、取り込める魔晶石の数も必然的に多くなります。一番初めの十四人が最も強いというのは当然と言えるでしょう」
「そして囚らえられた魂を解放するには、勇者を殺し、その魔晶石を砕く以外に方法はないという事だ」
話を切り替えるように、アイゼンはパンッと太腿を叩いてから立ち上がり、扉の方へと足を進める。
「エリー、今日はもう遅い」
「え……っと?」
端的な物言いにエリーが困惑するすること数秒。見かねたカグヤが助け舟を出した。
「今晩は泊っていけばって言ってるにゃん。アイゼン、今のも言葉が足りないにゃ」
「そうか?」
「そうなの」
「そうか」
「そういう事でしたら、お言葉に甘えさせていただきます。明日の昼頃にはスパルタクスに戻れればいいので」
「よーし、決まり! という訳で早速私と一緒にお風呂に――――」
「いえ、一人で入りますから」
「な、何でにゃ!?」
「だって前にカグヤさんと入った時、延々と私の体を撫でまわしたり弄ったりしてきたじゃないですか。 同性でもあれはセクハラですからね? ……し、しかも胸をぐいぐい押し付けてくるから、敗北感が……」
「えー。いーじゃにゃーい、別に―。ちょっとしたスキンシップにゃーん」
「お風呂はゆっくり寛ぎたい派なのです。アイゼンさんと入れば良いじゃないですか。どうしてもというのなら、私の半径一メートル以内に近寄らないように」
「アイゼンとは毎日一緒に入ってるようなもんだし。何度も言うけど、小っちゃい女の子は別腹にゃ! ね? 良いでしょ? 先っぽだけ! 先っぽだけだから!」
「何の話ですか!?」
アイゼンに続くようにカグヤとエリーも応接室を後にする。先ほどの重い話から瞬時に切り替え、直ぐに何時もの明るい調子で話し始める彼女たちを、オルガはどういう目で見ればいいのか分からなかった。
勇者に取り込まれた魂は、最早勇者の死でしか解放することは出来ない。思い悩むだけどうしようもないことだから、彼らは悼む様子も見せずに振舞うのだ。
(もしかして……アイゼンが勇者を殺そうとしてるのって……)
アイゼン本人から聞いたわけではない。確証が何もない予想ではあるが、オルガの頭には確信めいた答えが浮かんでいた。
にゃーにゃー、きゃーきゃーと姦しく風呂場へと向かうカグヤとエリーの背中を見送り、アイゼンは窓越しに浮かぶ二つの月を見上げながら、昔日に想いを馳せる。
「十四聖ルキウス……ついに出てくるか」
まだ現実の醜悪さを知らず、曇った盲目をしていた四年前、平民でありながら英雄と呼ばれ、多くの貴族から疎まれていたアイゼンを最初に受け入れたと思っていたのが、ルキウスを含む十四人と皇族だった。
『貴方がアイゼン少尉ですか! 話は聞いていますよ。何でも素晴らしい戦績を上げて将軍の覚えも良いとか!』
まるで何の悪意も感じさせない笑顔で、当時は商会を経営する伯爵家の次男だったルキウスはアイゼンに接触してきたことをまだ覚えている。
自分の戦績に感心した彼は実家のコネを使い、アイゼンがもっと活躍できる場を与える為に、皇帝を含む大勢の有力者たちと引き合わせた。
まさに彼を通じて平民から成り上がる道を進んだと言っても過言ではないし、当時のアイゼンもルキウスの事を信頼に足る人物だと信じて疑わなかったのだ。
アイゼンから見たルキウスは時折人を食ったような言動をするが、四年前以前の帝国から見ても珍しい、臣民の為に理想を追い求める、貴族の中の貴族を体現したような男だった。
冗談好きの性格も愛嬌に変わるほどの好漢……それがアイゼンから見ていたルキウスという男の人物像である。他の十三人も性格や思想に差異はあれど、他の貴族と違って好感の持てる人物だと思っていた。
だがそれらは全て、彼らがアイゼンを騙すために巧妙に用意した、嘘偽りに塗れた姿でしかなかった。
時に金で、時に暴力で脅し、彼らの周囲に居る人間全てに嘘のみで構成された評判を作り出させ、決められた台本通りの言動をする役者に仕立ててアイゼンを欺いたのだ。
それを知った時、あの十四人と皇帝家は今すぐ名優になれると思ったものである。
『覚えておけ、アイゼン。敗者は勝者に全てを奪われる……それがこの世の真理だ。故に護法一刀流の剣士は決して負けてはならん。お前の敗北が、護るべき者の死に直結すると思え』
師の言葉は真実だった。ものの見事に騙されたアイゼンは為す術もなく敗北し、一度全てを失って、今この場所に立っている。誰が悪いのかと言われれば、負けたアイゼンが悪いのだ。
しかし、それだけならアイゼンもここまで怒りと妄執に囚われる事も無かったのかもしれない。結局、他者の痛みは他者のもの……アイゼンがどれだけ怒り狂っても意味が無いのだ。
だが、彼に宿った〝他人が受けた痛苦の全てを追体験する〟という、戦闘ではまるで役に立たない雑魚スキル。これこそがアイゼンにとって大きな不幸の一つだった。
このスキルの本領は、アイゼンの脆弱すぎる魔力でも発動し、人や土地にこびり付いた残留思念からでも効果を発揮するということ。そして痛苦とは、記憶と強く結びついているのだ。
ディーノの嘘を見破ったカラクリがまさにコレ……ディーノ本人にこびり付いた残留思念から被害者たちの記憶の欠片と痛苦を追体験したから。
そしてアイゼンは四年前、姉の結婚式場だった場所で、このスキルを暴発させた。
――――痛い! 苦しい! 助けて、アイゼン!
こんなスキルさえなければここまで苦しまずに済んだだろう。しかし現実は変わらない。姉や義兄は勿論、その当時に結婚式に参加していた全員の痛苦を追体験し、知ってしまったのだ。
彼らがどのように絶望したのか。どのように死んでいったのか。最後の最後に何を思ったのか、その全てを彼らが受けた痛みと共に。
『アイゼン兄ちゃん! 僕も兄ちゃんみたいになれるかな!?』
その中には今のオルガよりも年下の、弟同然の子供まで居た。
大人しい性格だが、思いやりのあり、こんな自分を尊敬してくれていた家族だった。何時かアイゼンと同じように護法一刀流を習得し、魔物や悪漢から皆を守れる強い男になりたいのだと、いつも目を輝かせて語っていた。
だが、そんなありきたりな夢を見ていただけの少年を、事もあろうにルキウスは心も体も蹂躙し尽くしたのだ。
四肢を杭で貫かれる痛みを感じ、この世の悪意を凝縮したような暴言暴論で心を砕かれる苦しみを感じ、全身を銃で撃ち抜かれる痛みを感じ、もう殺してくれと言いたくなるほど苦しみを感じ、幼気な少年の絶望と痛みに塗り固められた末期の痛苦を感じた。
――――お前らみたいな悪党……アイゼン兄ちゃんが……絶対に、やっつけてくれるもん……!
そんな少年の最後の言葉が、コレだった。結局助けることが出来なかったアイゼンを責めもせず、死ぬその時まで信じていたのだ。
平民の星。孤児院のヒーローであるアイゼンが、必ずや自分たちを助けに来てくれると。
『愚か! 実に愚かですねぇ! 流石はあの男が弟と呼ぶだけのことはあります! そのような事ある訳が無いでしょう? 今頃あの男は渓流で冷たくなっていますよ! 貴方が頼りにするお兄さんは現れることはありません、残念でしたねぇ!?』
そしてその切なる望みすら、ルキウスが笑いながら踏み躙った事をアイゼンは残留思念から知ることになる。
許せぬ理由など……奴らを殺す動機など……そう複雑なものではないのだ。
(負けた俺が悪いのは理解できる。だが師よ……俺は……)
きっと死んでも忘れことの無い全員分の痛苦を思い返しながら、アイゼンはカグヤとエリーが風呂から上がるまで双つの月を眺めていた。
それから二日後の昼前、空中迷宮は付与されたスキルの一つ、光の屈折率を操って姿を消す力を用いて、帝国西部にある街、アストレア近郊の上空まで進んでいた。
誰にも気付かれることなく上空で静止し、その真下に転移で現れる三つの影。アイゼンとカグヤ、そしてオルガの三人だ。
「さて、と。それじゃあ私とアイゼンは用事を済ませてくるけど……あんた、マジで付いて来る気にゃ? ぶっちゃけ、勇者が居なくても治安悪い街よ?」
「なんだよ……別にそっちの用事にまで付き纏うつもりはねぇし、掃除だって済ませたんだからいいだろ?」
夜の街も昼になれば眠りにつく。人も少なく、カジノやクラブも閉まるので、必然的に勇者も寄り付かなくなるというのは情報局で既に調べが付いている。
だが、中には泊まって昼まで眠っている勇者も居り、今まさにそういう手合いがこの街に居るのだ。その勇者こそがアイゼンとカグヤの狙いなのだが、オルガが空中迷宮から降り立つのは非常に危険であると言わざるを得ない。
「今まで貰った掃除の給料もあるから暇潰しも出来る。それに何より、俺がこの目で勇者の悪行を見極めてやるんだっ」
「また無駄に意識の高いことを言ってるにゃ。……まぁそこまで言うなら止めないけど、ぶっちゃけ何が起こっても自己責任よ? 私らだってそこまで余裕がある訳じゃないしね」
なぜアイゼンが弟子として受けれいないのか、その答えを知るべく見聞を広めようという、並の十歳らしくない考えに至ったオルガをカグヤは冷たく突き放しつつも心の底では心配していた。
しかし言っても聞かないのは目に見えているし、転移を含めた空中迷宮の幾つかの機能は魔力が無くても機能する。つまり天空に浮かぶ拠点に置いて行っても無駄なのだ。
「まぁ精々人目に付かないようにすることにゃん。特に勇者を見かけたら隠れる事」
「……それからこれを渡しておく」
アイゼンはオルガに懐中時計を投げ渡した。
「十六時には空中迷宮の真下に戻っておけ。遅れ過ぎればそのまま置いて行く」
「……わかった」
カグヤとアイゼンに出来ることと言えば、しっかり釘を刺しておくくらいしかできない。
そうこうしている内にアストレアの入り口まで辿り着いたオルガは、アイゼンとカグヤの二人と別れて行動を開始する。
「建物は立派なのに……何か、物寂しい街だな」
建ち並ぶ建物は勇者の慰安所であるカジノや風俗店が殆どだ。接待するための建物は豪華なものが多い。
しかし立派な建物に反して待ち行く人々の活気は少ない。昼に眠る者が多いといっても、誰も声を発さずに、皆が暗鬱とした表情を浮かべていればそう感じるのも無理はないだろう。
いきなり勇者の影響を目の当たりにしたような気がしたオルガはますます怒りを強める。やはり勇者などこの世から消し去るべきであり、自分もそれが出来るだけの力を手に入れたいと。
コソコソと、忍ぶように大通りの端を歩きながらそんな事を考えていたその時、路地裏からオルガとほぼ同じ大きさの人影が勢いよく飛び出る。
「――――っ!?」
「うがっ!? ……ってぇ~……! おい、危ねぇだろ!?」
おそらく人影は走っていたのだろう。衝突の勢いで押し倒されることとなった。前方不注意な人影に文句の一つでも行ってやろうと、未だ自らの体を押し倒している人影を睨むオルガ。
そこにはボロボロのフードが外れ、首から上が明らかにする少女が涙目を浮かべていた。
他のざまぁシリーズもよろしければどうぞ。