空中迷宮の朝
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年を重ねても悪夢に出る悲劇というものを、アイゼンはその身を以って知っていた。
四年前の彼は他者に対して盲目になり過ぎていたのだ。そしてそれこそが、アイゼン・マクレガーという悪鬼の始まりでもある。
ブリタリア帝国の身分制度は国軍にも及んでいる。貴族出身者ならば無条件で優遇され、出世に有利になるのに対し、平民……それも魔力もスキルも乏しい者となれば、どれだけ有能でも出世できない。
そんな不当がまかり通る帝国軍にあって、アイゼンは結果を示し続けた。持ち前の剣技のみで補給部隊を襲う魔物や兵士といった様々な敵から味方を守り、部隊を預かるようになってからは目覚ましい活躍を繰り広げられた。
その結果得たのが、十六歳にして少尉という地位。これは魔力も乏しい平民としては、例を見ない大躍進と言えるものだ。そしてそれを妬み、煩わしく思う貴族が続出するのは当然のことでもある。
『スキルも雑魚、魔力もカスしかない奴が、なんで俺より階級が上なんだよ』
『たかが平民に追い越されては家名に傷をつけてしまう……何とかして貶めなければ』
アイゼンの活躍は既に民草の間でも広まっており、圧力で彼の出世を妨害し続けられるほど、当時の帝国貴族の力は強くなかった。
アイゼンと同じような立場にある部下からの信頼は厚かったが、それ以外の者から向けられる感情は〝邪魔者〟の一言に尽きるだろう。
軍は職場でありながら、アイゼンには居心地の良い場所とは言えなかったのだ。貴族出身の軍人からのやっかみにも耐えながら、辟易とした感情を引きずって任務を遂行するしかないと腹を括っていた。
『やぁ、君がアイゼンか。君の活躍はよく耳にしているよ』
『貴方の活躍はよく耳にしています。貴方ような強い殿方が味方であること、大変心強く思っていますよ』
『流石ですわね、アイゼン。わたくしも負けていられませんわ』
しかしそんな中でも、アイゼンの出自を気にせず結果と実力を評価してくれる者たちが居たのだ。彼らは一様に身分の高い者たちだったが、その分浴びせられた言葉は、アイゼンのささくれたった心に優しく染み込むほど暖かなもので、当時のアイゼンは彼らが戦場で死なないように剣を振るおう、身分制度に拘らず自分を評価してくれた皇室に勝利を捧げようと、本気でそう思っていた。
『我々が仲間などと、いつから思い違いをしていた? この間抜けが』
しかし、ただ家族のため、仲間の為、友のため、そして祖国や新しい同胞の為にと剣を振るってきたアイゼンを待っていたのは裏切りだった。
……否、正確には裏切りではない。裏切りとは仲間が仲間を騙す事を指す。アイゼンを認めたと思っていた高貴な者たちは、最初からアイゼンのことを認めてなどいなかったのだ。
他の貴族と同じ、まともな魔力もスキルも無いにも拘らず、活躍を繰り広げるアイゼンを煩わしく、忌々しく、それ以上に薄気味悪く思っていた。
――――そんな間抜けな思い込みが生んだ因果が、よりによって姉さんの結婚式の日に返ってくるとはな。
誰もが笑って終わる一日だったはずだった。明日から続く未来を祝い、生まれてくる子供を祝福するための一日の筈だったのだ。
だがそれも愚かだったアイゼンが呼び寄せた災厄が、家も、姉も、義兄も、生まれてくる子供も、師匠も、親友も、部下も、子供たちも、仲間も、何もかもを壊し、犯し、滅ぼし、潰し、砕き、血と無念と苦痛の沼に沈めてしまった。
アイゼンが真に絆を結んだ人たちが全て贄となって、生まれたのが始まりの勇者十四人。アイゼンは共に重傷を負い、その寿命を極端に縮めてしまった師を連れ逃げて、護法一刀流と呼ばれる対スキル用の剣術を、師の命が果てる二年後に皆伝まで極めるに至った。
全ては自分を欺き、大切な人たちを奪った者たち全員を生き地獄を味わわせるた後に殺すため。愛する人たちの生贄に誕生した、勇者という存在そのものを滅ぼすため。
――――だが……どんなに勇者を斬っても苦しいままだった。
残虐な勇者とその候補生共を甚振り、微塵に切り裂けばその度に胸が空いた。
しかし、どれだけの数の勇者を斬っても斬っても、大切な人たちは戻ってこない。むしろ惨めったらしく命乞いをする勇者を甚振るように殺す度に、自分自身が最も忌み嫌う存在と同じになっていく感じがしたのだ。
それでも、アイゼンは止まれない。
修羅道など生易しい、自らが勇者と大差がない悪鬼羅刹と化していくのを自覚しても、最早引き返せないところまで来てしまったのだ。
……その先に得るものが何もないと分かっていても。
そんな当たり前の事実を毎晩毎夜気付いて、アイゼンは夢を見る。
始まりの勇者である十四人と、その先導者たる皇室によって辱められ、壊される者たちの姿を。
毎朝毎朝見せつけられる悪夢という、実際に起きた過去に心が摩耗し、それを誤魔化すように勇者を殺して、いつか師が授けてくれた流派の思想すら忘れた悪鬼に堕ちるのだろうと、アイゼンはそんな一寸先も分からぬほど暗い結末がぼんやりと遠くに見えていた。
『にゃあ♪』
しかし何時からだっただろうか? 毎日見ていた悪夢の最後に、彼女が現れるようになったのは。
出会いはただの偶然か、あるいは必然か……いつの間にか共にいるようになった女の白い肌が朱に染まり、紫がかった艶やかな紫紺の髪が白いシーツの上に広がる。組み敷いたその女が発する甘い体臭と嬌声が、あけすけな慈悲深い言葉が、背中に回された腕と押し付けられた胸の温もりが、アイゼンに一線を踏み止まらせてくれた。
『これから私たちは一緒に勇者を皆殺しにする運命共同体……アンタが死ぬ時は私が死ぬ時で、私が死ぬ時はアンタが死ぬ時。ぶっちゃけ心中みたいなものにゃん。……だから一人で勝手に死なないで。最後の最後まで一緒に……ね?』
差し出されたその白く細い手と、決意を秘めた金の瞳と笑顔が闇を祓うほどに眩しくて。
アイゼンはその手を握る。全てを失い、初めて手にした純愛。世界でたった一つ残された希望と共に、勇者鏖殺の地獄道を歩む。この一年近く見る悪夢は、そんな光景で締めくくられていた。
他者のスキルを複数組み合わせ、物に付加する。そんなスキルの持ち主が時代の節目節目に現れ、出来上がった神の力の一端の能力を宿した道具や武器を、製作者の死後、再製不可能な作品として後世ではアーティファクトと呼ばれる。
そんなアーティファクトの中には、城や土地そのものという常軌を逸脱したものが存在し、アイゼンとカグヤが拠点とするのもそんな大規模なアーティファクトの内の一つだった。
空に浮かび雲の中を泳ぐ城塞。その正体は移動型空中迷宮だ。
城や土地にスキルを付加したアーティファクトというものの共通点として天空を移動する能力があるが、この空中迷宮は侵入者を中に引き入れ始末する、人食い迷宮であった。
所有者によって自在に移動し、転移のスキルが付加されているおかげで一瞬で出入りし、敵対者を強制的に内部へ引き込むことが可能。更には創造系の複合スキルまでもが付加されており、内部の罠や通路をさながら立体パズルや箱庭のように自由に組み替える事が出来る。
軍隊に知れれば喉から手が出るほど欲しがられるほど戦略性が高い代物だが、とある目的を除き、アイゼンたちの使用は主に移動と住居に限られていた。
「……ふむ」
明朝、空中迷宮を朝日が照らし出す。空に浮かぶ城の最上階は、移動する高さも相まって非常に開放的な庭園となっており、眼下の海を一望できる端には、居住スペースとなる大きな館が建てられている。
底から出来たアイゼンは肩と首を鳴らし、明朝特に冷え込む天空の空気を全身で感じながら、全身の体温と血流に意識を集中させ、魔力も使わず体温を引き上げた。
「コー……カハァァァァ……」
独特の呼吸法の音が風に掻き消える。口から漏れるだけではなく、露になった筋肉質でありながら引き締まった、細やかな傷が幾つも刻まれた褐色の上半身から立ち上るする白い蒸気は、何も知らぬ者が見ればスキルによるものであると勘違いすることだろう。
神より給わされた力……スキルに対抗するために、人の身にあって神に通じる力……神通力の領域に至る。流派、護法一刀流は大陸の主流である騎士剣術や傭兵剣術のような単なる棒振りではなく、ヤマトで発祥した身体運用を神秘の域まで突き詰めた古流武術だ。
特殊な訓練によって体を作り替えることで本来生きていく内では意識的に操作できない体の抑制外し、血流の動き、体温の意識的上下、生体電気の増幅などを、特殊な訓練によって魔力無しでそれらを自在に操り、超人的かつ超常的な技をもってして魔術やスキルに対抗する。
過酷な修練の果てに常人外れの肉体強度を持った彼ならば、人間では耐えられるはずのない負荷にも耐えられるだろう。凍えるような寒空の中で体温を低下させずに平温を維持するなど、今のアイゼンからすれば実に容易いこと。
「……」
熱された血潮が全身に廻る。冷えて固まった筋肉や関節が解され、最高の状態を作り出したアイゼンは、背中に挿していた大太刀の柄を握った。
東西南北に限らず、鞘というものは刀身全体を覆い隠すのが普通であるが、刃渡り百五十センチを超えるであろう黒刀を引き抜くには手間がかかる。
それは戦場において致命的であると判断したアイゼンは、刀身の切っ先五センチ程度のみを覆い、残りの部分は露出するように鞘の片側が開いているという、変わった形状の物を作り出していた。
そして柄から鞘に向かって伸びる小さなボタン付きの革帯で刀を固定。必要最低限の短さしか無い革帯だが、それによって鍔のない黒刀ならば柄本を握ったまま片手の指で弾く程度で直ぐに開放される。
「シッ」
結果、長大な刃渡りを持つ大太刀を抜いたとは思えない速さの抜刀斬りが空を裂く。黒い鎬と赤い直刃の刀は朝焼けに照らされてもなお怪しい輝きを放っている。
「……ふぅー」
息を深く吐き、閉じた瞼が映し出す暗闇に、アイゼンは仮想の敵を思い浮かべた。
それはまだ見ぬ勇者であり、己自身でもある。想像の中に居る自分自身と、現時点の自分よりも強い勇者を斬るために試行錯誤を繰り返しながら振るわれる刃は黒い軌跡を無数に描いていた。
武人は一日にしてならず。今の己の限界を超えるため、毎朝の棒振りはアイゼンの習慣の一つとなっている。
大気中の塵すら正確に切り裂く剣舞。それが佳境に入ろうとした矢先、背後から迫りくる気配を感じ、続いて砂を踏む音が聞こえる。振り返ってみると、そこには気の強そうな黒色の瞳と、あちらこちらへと逆立った煉瓦色の髪の子供が太い木の枝片手に佇んでいた。
「今日こそ剣を教えてくれよ!」
《風迅》の勇者を討ち取ってから四日。空中迷宮に転がり込んできた同居人、オルガを横目で見て、アイゼンは無表情を保ちながら内心で嘆息した。
「断る」
空中迷宮の最上階に建つ館の二階。朝日に照らされた大海原という絶景を一望できるテラス付きの寝室で、カグヤは目を覚ました。
「んにぃ~……っ」
布団に包まれていた体を起こし、黄金の瞳を擦った彼女は、美の化身と見紛うばかりの裸身を晒して背筋を伸ばす。
非常に豊かに実った双丘が揺れ、長い髪は身を起こしてもベッドの上で広がる。雪のように白い肌は窓から差し込む朝日を反射するほど艶やかであり、男は勿論女すら見惚れる、実に女性らしくも美しい姿を、カグヤは隠そうともしない。
「むぅ……また居なくなってる。……ま、何時もの事だけど」
そんな彼女の朝は、少し機嫌を悪くするところから始まる。
先に言っておくと、カグヤは寝る時は全裸にならなければ眠れないなどという、開放的な嗜好の持ち主ではない。
本拠である空中迷宮は四日前から居座り始めた幼い少年を除けばアイゼンとカグヤの二人だけで過ごし、件の少年も夜になれば気を利かせて、大声も届かない端部屋へと移動する。そして……アイゼンとカグヤが使っている寝室は同じ部屋だ。
二十歳になる男女。実に健康的な二人。そして夜も同じ部屋で寝るということはつまり……まぁ、有体に言えば艶事の関係である。
(そりゃあアイゼンのキャラじゃないし、剣術修行もあるんだろうけど、もっとこう……朝起きる時まで一緒に居てくれてもいいにゃん)
夜寝る前までは隣にいたはずの男が朝起きればいなくなる。置いてかれる女側からすれば、実に腹立たしい訳で。
(バーカ。バーカバーカ。アイゼンのバーカ)
朝方まで二人で包まっていた布団を抱きしめながら、紫紺のしなやかな尻尾をブンブン、猫の耳をピコピコ揺らしながら不機嫌を表現するカグヤ。しかも向こうばっかりこっちの寝姿を堪能しているのだと思うと余計に不満が募る。
艶事から目覚めた朝に隣に居てほしいという女心が理解できないのか……そんな事を思い浮かべて、カグヤは一気に冷静になった。
(……うん。やっぱりアイゼンのキャラじゃないにゃ)
カグヤから贔屓目で見ても、アイゼン・マクレガーは性格に難のある男だ。
基本的に無表情で口数が少なく、顔に刻まれた大きな傷跡もあって、初対面ならば堅気の人間であるとは到底思わないだろう。事実、アイゼンもカグヤも堅気であるという自覚はない。
性格は淡々としていてデリカシーも無いし、愛想も目つきも悪いし、嘘はつかないがお世辞も言わない。人付き合いには向かなさそうな男である。
(うん……むしろアイゼンが甘い言葉なんて囁こうものなら病気を疑うわ。頭の)
そんな彼が愛の言葉を甘く囁くなど、想像することが出来ないほど似合わない。もし実現しようものなら頭の病気か、天変地異の前触れを疑う。
アイゼンと出会ってから一年ほど経つが、カグヤはなぜこんな関係をアイゼンと結んでいるのか分からなくなる時がある。
あんな無愛想でデリカシーが無くて顔面ヤクザで口数が少なくて、でもちゃんと真っすぐ人と向き合ってくれて、誠実で根は優しくて、性格は全然違うのにやけに気が合う上に夜は凄くて、良い所も見つけてくると欠点すらも長所に見えてきて……。
「……うにゃぁぁ……」
顔に血が集まり、熱くなるのを自覚する。にへらと、頬が緩んで元に戻らない。
布団に顔をうずめ、残された男の匂いを感じながら、カグヤはベッドの上をゴロリゴロリと転がった。
カグヤとアイゼンは同類だ。彼女の祖国ヤマトがブリタリア帝国に支配されて十年、勇者が現れてからはより困窮に陥り、帝国と勇者の恨みだけを糧に生きてきた、冷たく暗い流氷の下に沈んでいたかのような日々の中で彼女とアイゼンは出会った。
恋する乙女など全くもって柄ではないし、そもそも乙女ですらない。助けられたから好いた惚れたの感情を抱くチョロい女でもなかったつもりだ。なのに気が付けばこの有様である。
あぁ、実に腹立たしい。あんな無愛想な男一人の前では色恋に振り回される只の小娘に成り下がってしまうなんて。
…………だが、誰も見てない時にそんな気分を満喫することくらい良いだろう。カグヤはそう思い込むことにした。
――――ぎゃああああああああっ!?
「……またやってるにゃん」
ここ二日くらいの間、毎朝聞こえてくる少年の悲鳴に猫の耳を揺らす。この悲鳴が聞こえたということは、そろそろ朝食の時間になるわけだが、カグヤはその場から動かなかった。
だって頬が緩んでいるところなんて見られたくないし。うん、飄々としてるほうが自分らしいし。
この日の朝食は、少し遅い時間に作られ始めた。
他のざまぁシリーズもよろしければどうぞ。