勇者ディーノの末路
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次にディーノが目覚めた時、彼は蝋燭のみを光源とした薄暗い石造りの広い建物の中……もっと詳しく言えば、そんな建物の中にある人間用の檻籠の中に居た。
「こ、ここは……?」
「あら、お目覚め?」
聞き覚えのある鈴を転がすような可憐な声に勢いよく振り向き、臨戦態勢を取ろうとするディーノだったが、身近に剣が無い事と、スキルや魔術が使えないことに、気絶する前の出来事は夢などではなかったと確認させられ、屈辱に顔を歪める。
「にゃははははは♪ どうしたの? そんな怖い顔しなくてもいいにゃん」
「お、お前はあの時の……!」
カラン、コロンと下駄と石畳でリズムを奏でながら、暗がりがら姿を現したのはカグヤだった。
一体何が楽しいのか、彼女は指先まで届く袖で口元を隠しながらコロコロと笑っている。その姿だけでも男なら目が釘付けになりそうなほど妖美だが、アイゼンという勇者にとっての弱者に叩き伏せられた屈辱のせいで、火に油を注ぎ込まれたかのように怒りが膨れ上がる。
「ようこそ私たちの本拠へ。気分はどう?」
「……良い訳ねえだろうが」
檻の中にさえいなければ、ディーノはカグヤに襲い掛かっていただろう。蹴り上げられた箇所には重い鈍痛が残っているし、魔力を放出できないせいで脱出も出来ない。これで気分が良いという人間はまず存在しない。
(それに……体が痺れて上手く動けねぇ)
気絶している間に麻痺毒でも仕込まれたのか、全身に痺れたような感覚が走り、手足に力が入らない。辛うじて歩くことは出来るが、剣を握ることはまず出来はしないだろう。
「それは良かったにゃん。でなきゃ苛め甲斐が無いし」
「くっ……! 俺様をどうするつもりだ!?」
こと国外において、勇者は敵が多い。他国への生きた侵略兵器でもあるし、己の欲望のままに生きている輩が多いものだから、他者との折り合いも悪い。
「俺様が何をしたってんだ!? こんな目に遭う謂れはないぞ!! 今すぐ俺様を解放して、その償いをしやがれ!!」
しかし当の本人たちにその自覚はないのだろう。自分の思い通りになるのが当たり前であり、他者を踏み躙ることに罪悪感などない。それがこの時代の勇者という存在の在り方なのだ。
「大体、お前らの事なんて見覚えも無い! お前らは一体何が目的な無実の俺様をこんな酷い目に遭わせるんだ!?」
「……見覚えが無い、ねぇ……」
カグヤがディーノの言葉にスッと目を細めるが、すぐに元の朗らかな表情を浮かべる。
「目的も理由も要らないわよ。私たちはただ楽しみたいだけにゃん♪」
「その通りだ」
何がおかしいのか、長い袖で口元を隠しながらクスクスと笑うカグヤの背後の暗がりから、アイゼンが重く静かな声とともに現れた。
「アイゼン、連中を連れてきてくれた?」
大きな傷が刻まれた鉄面皮を確認すや否や、カグヤは頬を淡く染めながらアイゼンの首に両腕を回し、その豊満な乳房を彼の厚い胸板に押し付けながら、まるで恋人にするかのような抱擁で迎える。
「あぁ。全員連れてきた。……だがカグヤ、最初からここに置いておけば早かっただろう」
「アイゼンったら分かってないにゃん。登場にも演出を入れてこそ楽しめるものよ?」
「そういうものか?」
「そういうものにゃ」
「そうか」
カグヤはそのまま馴れた動きで甘えるようにアイゼンの左腕に腕を絡め、胸で挟み込む。穏やかな会話の口調も相まって、まるで長年連れ添った男女のようにも見えるが、アイゼンの右腕に握られた大きく太い鎖が、ディーノに不気味な予感を味合わせた。
「という訳でスペシャルゲストの登場にゃーん♪」
アイゼンが鎖を引く。ゴロゴロと車輪が石畳を進む音と共に暗がりから現れたのは、大きな荷車に乗せられたディーノのハーレムメンバー……四人の勇者候補生たちだった。
「ディ、ディーノ様……!」
「お、お前たち……! そんな、お前たちまで負けたのか……!?」
彼女たちは四人で力を合わせればディーノとも互角に戦えるほどの逸材だった。そんな彼女たちはカグヤを相手にして今この有様……つまり、この二人はそれぞれ勇者を圧倒する実力があるという事である。
「な、何してるんだよ!? ス、スキルを使えスキルを! こいつらをぶっ殺せ!! 俺様を助けろ!!」
「で、出来ないんです……! 魔力が放出しなくて……! 体も痺れてて……!」
つまりは今のディーノと同じ状態……いや、指先一つ動かせなさそうな様子から察するに、痺れ具合は候補生たちの方が酷いのだろう。
「さーて、何がしたいかって聞いてたわよね? 簡単に言えば、私たちの質問に正確に、正直に答えてほしいだけ」
「お、俺たちを尋問するってのか!?」
それは勇者であるディーノたちが拷問付きで行ってきたこと。今まで笑う側であった彼らは、今度は痛めつけられる側に回ったことで口々に不満を叫ぶが、そんな声など聞きたくないとばかりに頭の猫耳を抑えるカグヤは、煩わしそうに告げた。
「あー、もーうるさいにゃん。今から聞く質問の十個中、六個以上ちゃんと答えられればアンタの命は助かるんだから」
「……何だと?」
「生きてこの拠点から出し、帝国へ放り出すと言った」
引き継ぐようにアイゼンが告げる。
「魔力を封じている仕掛けを解除し、生きて帝国の街へと放り出す。その後は復讐でも報告でも好きにしろ」
「その話……本当だろうな?」
「勿論。私たち、勇者と違って約束は守るタイプだし」
しばしの逡巡の後、ディーノは決断した。国への忠誠などありはしない。ディーノは自分さえ助かり、アイゼンたちに復讐する機会さえあればそれでいいのだ。
「……いいだろう。その質問とやらに答えてやる。後で後悔するんじゃねぇぞ」
「にゃはははははは! それじゃあ、早速始めるにゃん♪」
カグヤが提示したルールは極めて単純。回答者はディーノ一人で、質問の数は十。その内の六を正確に答えられれば、ディーノの命は助かる。
ただし、答えの知らない質問であっても、答えられないのであればカウントしない。ディーノは思いの外難しい状況に冷や汗を流す。
「それじゃあ一つ目……アンタたちがいた地方に駐在している勇者の数は?」
「……確か……百十二人だ」
聞かれた質問は、勇者なら誰もが知っている伝達事項だった。
「次。その百十二人の内の勇者が使うスキルは? 覚えている範囲で良いけど」
「……火炎を発生させる勇者と共闘したことがある。あとは地面を操るスキル持ってる奴と……それ以外は知らねぇ。興味なかったんだっ!」
「……ふぅん? まぁいいにゃん。それじゃあ次は……西部の砦の事なんだけど」
拍子抜けも良い所だと、ディーノはほくそ笑んだ。聞かれる質問は知っている者か、そうでなければ適当に嘘をついて誤魔化すことだってできる。
実にバカで愚かしい。そもそも尋問だというのに拷問もしないなど甘い連中だ。しかも解放の条件も極めて簡単……これなら無事に危機から脱して、この二人に思う存分復讐が出来る。無事に五問まで答えたディーノは目前に迫った希望の光に口角を厭らしく釣り上げた。
「じゃあ残り質問は五つ……良かったわねー、後一個だけでもちゃんと答えられたら解放にゃん。でも、ここから先は嘘や無言、分からないは通じないわよ?」
調子を取り戻してきたディーノを見定め、カグヤは問いかけた。
「……貴方と彼女たち、今まで殺した合計人数は?」
「…………は?」
質問の趣旨がガラリと変わったこともそうだが、その内容自体にも困惑し、ディーノや候補生たちは音も無く口を開ける。
そんなもの答えられるわけがない。勇者やその候補生たちにとって、劣等と見下した弱者など羽虫も同然。人がこれまで殺した蚊の数を覚えていないのと同じく、戦場で戦ってきた彼らは殺した人数をわざわざ数えたりしていないのだ。
「……カウント開始♪ 十、九、八……」
「ま、待て! え、えぇと……ご、五百! 今まで五百人殺した!」
突然始まったカウントダウンに慌てて答えるディーノに呆れた視線を送り、カグヤは嘆息した。
「そんなピッタリな数字なわけないにゃん。どーせ覚えてないから適当に言っただけでしょ?」
「ぐっ!」
悔しげに歯噛みするディーノ。しかしまだたったの一問答えられなかっただけであり、残り四問中一問だけでも性格に答えられれば無事に帰れる。そんな彼の思惑を砕くかのように、猫獣人は心底愉快そうに告げた。
「それでは、嘘ついたから罰ゲームターイム♪」
「はぁっ!? 何だそれ!? 聞いてないぞ!?」
「初めに言ったにゃん。嘘も無言も無知も許さないって。私たちに嘘を吐いた、その罰よ」
なんの悪びれも無く突然ルールを追加するカグヤ。
「不義には罰を……それが世の中ってものにゃん? そんな訳で罰ゲームなんだけど……その前に、私のスキルを特別に教えてあげるわ」
不意に、カグヤの白魚のような指先から水滴が一つ地面に落ちる。一見何の変哲もない水滴だと思っていたが、雫が石畳に触れた途端、煙を立てながら石材に穴を開けたことにディーノたちは目を見開く。
「私のスキルは薬毒を自在に生成し、操ること。少しピリッと程度の毒から一滴で致死に至る猛毒……そして、あらゆるものを腐食し、溶解させる濃硫酸までね」
カグヤを中心に膨大な魔力が渦巻く。その総量は勇者であるディーノすら凌駕している。物理的な圧力すら感じる魔力に慄く五人の前で、濃硫酸の水流が一ヵ所に集まり、三メートルにも及ぶであろう巨大な水球を空中に留めた。
「そして自然界にも化合物にも存在し得ない全く新しい毒を作ることも出来る。この毒玉も私のオリジナル……服や金属類、骨は融かさず、皮と肉だけをボロボロの焦げ肉に変えてこそぎ落とすの。全身に浴びれば綺麗な白骨死体の完成させる熱湯風呂改め、硫酸風呂だにゃん♪」
「ま、まさか……! それを俺様に浴びせようってのか!?」
「にゃははははは。それも良いんだけど、アンタは回答者でしょ? 間違えたのまだ一問目だし、アンタには浴びせないわよ。罰ゲームを受けるのはこっち」
カグヤの黄金の瞳が候補生たちに向けられる。恐怖に全身が引き攣り、股座から汚水を垂れ流す少女たちの内の一人を、アイゼンが十字架に括り付けて梁の上に飛び移り、濃硫酸の大球の上へと移動する。
十字架に拘束され鎖でぶら下げられるその姿は、まるで磔刑に処される罪人のようだ。
「ま、まさか私をこの中に入れるつもり!? や、止めなさいよっ!! こんな事をしてタダで済むと思ってるの!?」
「身動きも取れない、魔術もスキルも使えない状態でよく吠えるにゃん。候補生とはいえ、勇者と一緒になって悪さしてた奴にはお似合いの罰ゲームだと思わない?」
カグヤは何でも知っているぞと言わんばかりに目を細める。
「ちょっと調べただけで出てくるわ出てくるわ悪行の数々。自分よりちょっと綺麗だからって女の顔を焼いたこともあるし、貧乏な家から金品を巻き上げて、その結果赤ちゃんを餓死させたこともあるにゃん? しかもそれを知って大笑いしたとか……。ねぇ、因果応報って言葉、知ってる?」
それはディーノたちが本当にしでかしたことだった。
今までのように高圧的に命令しても私刑の執行は止まらない事を察し、候補生は絶望する。この二人は本気で自分を殺す気だ。それをようやく察した彼女は、頭上で十字架を支えるアイゼンに命乞いを始めた。
「お、お願い! 命だけは、命だけは許して! 何でもするから!!」
「……お前はそういう命乞いを、今まで何人分聞いてきた?」
命だけは助けてほしい。妻は子供は友人は助けてほしいという必至の訴えを、彼女はこれまで笑いながら踏み躙ってきた。弱者は強者たる自分に踏み躙られ、糧となるしか価値がない。その思想の恐ろしさが、自分自身に跳ね返ってきたのだ。
「や、止め……ぎゃあああああああああああああああっ!?!?」
ゴジュウゥゥゥ……! という耳を覆いたくなるような肉が腐食し、焼け爛れる音が反響する。致命傷からは遠い足先からゆっくりと水球に呑み込まれていく勇者候補生は、まさに地獄のような痛みと苦しみで脳を支配されているのだ。
「痛い痛い痛い痛いぃいいっ!? もう許してぇええっ!!」
「ダメにゃーん、お風呂は肩まで浸かって全身を温めないと。という訳でアイゼン、肩までゆ~っくりと沈めてあげてね?」
「承知した」
「ぁああああああああああああああああああああっ!?」
徐々に足先から足首、脛、太腿と濃硫酸の水球に浸けられ、喉が破けんばかりに悲鳴を上げる勇者候補生。腹まで腐食して下半身の骨が剥き出しになった時点で絶命し、それでも首まで浸された彼女は、涙と鼻水と涎に塗れた苦悶の表情を浮かべる、首から下が白骨化した奇妙な死体へと変わり果てた。
「あーあー、問題を間違えたから、アンタのハーレムが一人こんな姿になっちゃったにゃん」
「ひ、ひぃいいいっ!?」
こんな悍ましい事をしてもなお明るい調子を振舞うカグヤに心底恐怖するディーノたち。そんな彼らを満足そうに眺め、アイゼンは相変わらずの無表情で、カグヤは口を三日月状に歪めた。
「ねぇ? こんな姿になりたくなかったら、死に物狂いで脳を動かすにゃん。でなきゃ助からないかもよ?」
薄暗い建物の中に、勇者たちの悲鳴が木霊する。この後に起きた出来事は、ディーノたちにとっては地獄同然であった。
「これまで無理矢理犯した女の反応を全て答えて」
「これまで帝国民から不当に巻き上げた財の詳細は? 勿論、今までしてきた分全部にゃん」
「これまで聞いた命乞いの言葉を五つだけ答えたら良しとしてあげるにゃん。んー、私ったら流石に譲歩しすぎたかしら?」
いずれもディーノの残虐な行いに関する問いかけであり、いずれもディーノ自身が忘れたどころか、耳にすらまともに入っていなかったことが問われる。それに対して勇者は答えることが出来ず、一人、また一人と濃硫酸の大玉の中に浸され、苦悶の顔だけ残った白骨死体が四つも並べられることとなった。
「全然ダメじゃにゃい。あと残り一問なのに、四回も連続で正確に答えられなかったから、こんな事になったのよ?」
ディーノが手籠めにし、ディーノの権威を求めて閨を共にした少女たちは皆、正解を答えられなかった勇者に怨嗟の念を浮かべながら死んでいった。しかし死刑を実行に移したのはあくまでアイゼンとカグヤのみ。
それを楽しげに、本当に些細な罰ゲームか何かのようにディーノのせいにする二人に、勇者は足が震え尿道が緩みそうになるほどの恐怖を感じていた。
「それじゃあこれが《風迅》の勇者、ディーノの命運を賭けた第十の質問! すっごく簡単な事しか聞かないから安心してねん♪ ……貴方が一番最初に殺した人間について可能な限り答えなさい」
「え……えっと……えっとぉ……!」
質問の性質を逆手にとって適当に答えるという手もあった。しかしそれはディーノの顔を静かに見据えるアイゼンが見逃さない。
スキルによるものか否か、七つ目の質問の時にディーノ自身憶えていない質問の答えを、「どうせ相手も知りもしないことだ」と適当な嘘を告げてみれば――――
『た、ただ止めて欲しいって言い続けてたな。ひたすら俺様に許しを乞うて……』
『嘘だな。その女は将来を誓い合った男がいるからと、貴様に懇願したはずだ』
『要するに忘れたか、聞いてなかったって事ね。じゃあもう一人も硫酸風呂行きにゃん』
このように、まるで当時の様子を見て来たかのように全ての嘘をアイゼンに見抜かれ、虚偽申告として扱われるのだ。そしてこの最後の質問、ディーノの命運が懸かったこの場面でそんな事をすれば、すぐさま自分も首から下を骨にされるだろう。
「はーい、後十秒にゃ。九、八、七……」
「ま、待って! 待ってくれぇええっ!! 今思い出す! 思い出すからぁあああっ!!」
そう懇願してもカウントが止まることはなく、ディーノの脳裏には最初に殺めた人物に関する情報は一切思い浮かばない。頭を掻きむしり、懸命に思い出そうとしても結果は変わらず、遂には涙と鼻水を垂れ流しながら鼓膜を震わせるカウントダウンは終焉を迎えた。
「二、一、ゼーロ♪ はい、罰ゲーム決定にゃー♪」
「あ、あぁああああ……!」
絶望が胸中を覆いつくす。免れようのない死の予感についには尻餅をつくディーノの首根っこを、檻籠の中に入ってきたアイゼンが鷲掴みにして外へと引きずり出した。
「や、止めろ! 離せ! い、嫌だ! あんな死に方は……硫酸で死にたくないっ!!」
「あぁ、アンタは硫酸なんかで殺さないわよ?」
カグヤは空中に浮かぶ濃硫酸の塊を霧散させる。
「普通最初の殺人なんて印象的で、何年経っても憶えてるものなのに、相手が男か女かすら覚えてないなんて薄情にゃーん? そんな薄情な勇者様には特別に、私たちの実験台になる義務をあげる」
「じ、実験台……?」
「そ♪ 私もアイゼンも、生きた人間で試したいことが一杯あるのよねぇ。私のスキルは薬も作れるから丁寧に、心も体も治しながら使ってあげる。候補生たちより長生きできそうでよかったわね? ……最後は勿論殺すけど」
それは最後の最後まで苦しみ抜かせてから殺すという、ある意味濃硫酸に体を浸けられるよりもよりも残酷な仕打ち。全身に痺れが回り、遂には指先も動かせなくなってきたディーノは最後の抵抗とばかりに命乞いを始めた。
「ま、待て! 勇者を殺せば帝国が黙っていないし、俺様を生かしたら良い事があるぞ!? 俺の財産もやるし、奴隷もくれてやる!」
「んー……別に欲しくないにゃん。どっちかっていうと、私は新薬を勇者の口から飲ませたらどんな反応をするのか見て見たいし」
「じゃ、じゃあこうしよう! 勇者様である俺様が手下になってやる! お前らが望むことはなんだって叶えてみせるから!!」
「俺たちがお前に望むのは、お前が苦しみながら死ぬことだけだ」
物欲などには全く靡くことなく自分を引きずる二人を見て、ディーノは交渉の材料を無くした。それでも諦めの悪い勇者は、今までしてきたあらゆる行いを棚上げし、良心に訴えかける説得に挑む。
「お、お前ら道徳を習わなかったのかよ!? 命は一人に一個しかない大事なものなんだぞ!? それを奪おうだなんて!」
「それアンタが言う? この前その場の気分で平民を三人斬り殺してたの知ってるから」
「た、頼む! 殺さないで! 殺さないでくれぇええっ!! お前らに良心はないのか!? 俺にだって親兄弟がいるんだぞ!? 俺を殺すことで悲しむ人たちだって……! お前らが罪を犯すことで悲しむ人だって!」
「そう命乞いをしてきた者たちの言葉を、お前は一度でも耳を傾けたことがあるのか?」
しかし日頃の行いが悪く、帝国の平民の間でも嘘偽りのない悪評が広まっているディーノの言葉に説得力など宿るはずもない。むしろそうした命乞いを重ねるたびに、カグヤの足取りは早くなり、首根っこを掴むアイゼンの力が強まっていく。
「な、何で……どうしてなんだよぉ……! 俺様は勇者なんだぞ……? 強者である勇者が、何で弱者である低魔力保持者にやられなきゃならないんだ……!」
弱肉強食が世の理であると、ディーノは言った。しかしそれは少し違う。いつの世でも例外というものは存在し、弱者が強者を打ち破る事実を歴史が証明している。
肉となるのが弱者ではなく敗者であり、それを食らうのは強者ではなく勝者。ディーノたちはアイゼンとカグヤに負けたから食われるだけのことだ。
「一体何の恨みがあってこんな事をするんだ!? ふ、復讐か? 一体誰の仇を討とうとしてるのか知らねぇが、そんな事をしても何も生まないぞ!? 復讐なんて無意味なことは止めるんだ!!」
しかしどんな理屈を並べたとしても、死ぬことを受け入れられないのが生物の性。ディーノは最後の瞬間まで希望を捨てることが出来ず、みっともなく説得の言葉を重ねるが、返ってきたのは意外過ぎる返事。
「復讐か……生憎、俺もカグヤも、お前に対する個人的な恨みは一切ない」
「……え?」
では何のためにこんな事をするのだ? 言葉よりも雄弁に語る表情に、アイゼンは淡々とした口調で答える。
「お前に知人を殺された訳でもない。お前の顔など今日初めて見た」
「え? は……? え? じゃ、じゃあ何で……?」
「逆に聞くが、お前はゴキブリを見かけても殺さないのか?」
ゴキブリは有害な菌を媒介する害虫だ。見かければ駆除するのが当然であり、街から民間に対して下水道などに入って駆除を依頼される例があるという。
帝国最高戦力である勇者をゴキブリと一緒にするアイゼンに激怒することも出来ず、ディーノはただ打ち震えながら銀色の瞳を見ることしかできない。
「勇者も害虫も、他者に害をなし得る本質は変わらん。むしろ悪意がある分、勇者の方が断然たちが悪い。強大な魔力を保持しながら、他者を食い物に、他国を侵略する勇者共を生かして置く理由など一つも無い」
「現に、ブリタリア以外の国は勇者や勇者候補生を根絶やしにするよう推奨してるしねー。その為なら、どんな殺し方しても良いって言われてるにゃ」
「ば、馬鹿げてる! 自分たちのしてることが正義なんて思ってるつもりか!? 俺様たち勇者の事をゴミみたいに言ってるが、こんなわざわざ甚振りながら殺すお前らは何なんだ!? 本物の悪魔や鬼みたいじゃないか!!」
それは自分の命欲しさに口から出た、中身のない言葉ではあるが、ある意味真理でもある。
たとえ敵兵が相手であり、最後には殺されるのだとしても、尊重されるべき尊厳はあるはずだ。勇者たちは確かに鬼畜外道の行いをするが、これではアイゼンもカグヤも大差はない。
それも自分たちに何ら関わりのない勇者相手にここまでやるのだ。一体何の大義があるというのか。
しかし、そんな指摘を突きつけられても、二人の瞳は穏やかだった。
「そうね。殺したいから殺す……ぶっちゃけ私たちも勇者と同じ穴の狢、美辞麗句や大義名分並べたって、ただの外道にゃん。もし天国とか地獄とか、そういうのがあるんなら、私たちも間違いなく地獄行きでしょうし」
「言われずとも自覚している。人の道徳に従うのなら、そこにどんな大義や欲望があろうとも、尊重もなく殺すのは紛れもない醜悪だ。それが混迷の世であろうともな。……だが、お前を見逃す気はないぞ」
ここにきて、ディーノはようやく理解した。命が助かるなどと言っておきながら、アイゼンもカグヤも自分を見逃すつもりなど毛頭なかったということに。
本来敵に明かすことをタブーとするスキルの詳細をカグヤが懇切丁寧に説明したのは、自分たちに恐怖を与える為であり、最初から生かして返すつもりなど無かったということに。
希望を与えて、最後の最後に絶望を叩きつけることが目的だったのだ。勇者殺しの義務と感情、そして愉悦を同居させた殺意。彼は二人の精神のタガが外れてしまっていることにいち早く気付き、ひたすら逃げるための算段を立てるべきだった。
「良いわよ……私たち、その顔が見たかったにゃん」
「夜明けまで先は長い。存分に楽しませてもらおう」
つい数刻前まで傲岸に振舞っていた勇者が今、タガの外れた絶対強者二人を前にして恐怖に固まり、股座から汚水を垂れ流している。
そしてとある一室へと入り、重たい木製の扉が音を立てて閉まった後、《風迅》と恐れられた勇者の悲鳴と絶叫が夜明けまで響き続けた。
魔物も悪漢も蔓延り、幼子ですら他者を斬らなければ生きていけぬ残酷な醜い世界で、勇者が英雄と同義であったのは四年前までの話だ。
ブリタリア帝国が常識外れの魔力保持者を大量に輩出し、それらに勇者と名乗らせ侵略行動を開始して僅か半年で、アースグリット大陸を征服してからというもの、勇者は悪逆卑劣な魔物であるゴブリンやオークと同義であるという認識が、世界中に瞬く間に広まっていった。
個人個人が生ける災害である勇者を前に民衆が絶望する中、かの卑劣漢とそれを生み出したブリタリア帝国を打ち倒さんと世界中の国々から抵抗勢力が誕生。
そんな勢力たちの内の一つが、今世界中で話題を集めている。
「見ろよ。噂通り勇者が死んでるぞ」
「いい気味だ。ざまぁみやがれ」
帝国のとある街。見せしめのように晒された五つの死体を、勇者たちに搾取され続けた民草は回収してきた帝国軍に聞こえないように嘲る。
逆さ吊りにされた五つの死体の内、四つは首のない白骨死体だった。しかし装着されている鎧などから、勇者候補生であるということが理解できる。
そして最後の一つ、勇者に支給されるミスリルの剣で腹部を貫かれた死体もまた首が無い。しかし他の白骨と違い、この勇者だけは全身に肉が残っているが、全身が何度も切り刻まれ、削ぎ落とされた痕があり、ハエと蛆虫が集るグズグズに崩れた腐肉となっていた。
そんな見ただけで吐き気を催しそうな勇者の死体で、唯一綺麗な肌色を維持している背中には、刃物で無残に晒された勇者や候補生たちの身元とこれまでの悪行を記した文字が、こんな言葉と共に刻まれていた。
『勇者の首、これで九十七』
一人一人が万夫不当と恐れられる勇者が、二年前から数えて九十人以上、同一犯と思われる人物に残虐な手口で殺害されており、特にこの一年の殺害方法は残酷の一途を辿っている。
ブリタニア帝国が支配していた東の島国、ヤマトを手放すこととなった原因ともいわれる謎の人物。帝国側はスキルや実力の詳細も掴めず、目撃者もいなければ生存者も存在しない怪人。
そんな彼らを含む、ブリタリア帝国に仇なす強者たちを、古来より伝説に名を刻んできたある者の称号を引き継ぎ、こう呼ばれる。
勇者と対を為す敵対者。最強の英雄殺し。すなわちは――――。
他のざまぁシリーズもよろしければどうぞ。