南部民族の少女
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まず目に入ったのは、少女の褐色肌に反した、ところどころ汚れが目立つボサボサの白い髪と、長い前髪の隙間から見え隠れする、不安に濡れる碧眼だった。
(アイゼン……?)
その姿に一瞬だけ、オルガはアイゼンを連想する。しかしそんな訳がないし、常に毅然としているアイゼンと、目の前で小動物のようにオロオロとしている少女は似ても似つかない。
似た色彩の二人だからそう思っただけなのだろう……と、そこまで思い至ったオルガは昔、本で読んで父母に教えて貰ったことを思い出す。
(南部民族……?)
少女の特徴を目にしたオルガは、彼女が大陸南部を生活圏としていた遊牧民族、もしくはその血を引いている人物であると直感した。
人の肌や髪は強い太陽の光を浴びると色が濃くなるという。それは遺伝子として刻まれ、生まれ持って肌と髪が黒くなる人種がいるほどだ。
大陸南部の遊牧民族は、褐色の肌に反した白や銀、灰といった色素の薄い髪をしているという、矛盾した特徴を持っていることや、かつてその地に魔族の盟主が居を構えていたことから、古くは魔族の生き残りとして疎まれてきたという。
勿論そんな根拠はどこにもなく、時代の流れと共に僅かながらも交易していったらしいが。
(てことは……アイゼンも南部民族の血を引いてるって事か?)
色素の薄い灰色の髪をした褐色肌の男を思い返す。もっとも、オルガからすれば生まれなど些末事に過ぎないが。
……それはさておき。
「……とりあえずどけって。何時まで乗っかってるんだよ?」
「っ!?」
倒れたオルガの胴体に乗っかっていた少女は、青い顔をして慌てて飛び退く。しかし腰が抜けたのか、尻餅をついてそのまま壁際まで後退り、震えながら自分の頭を抱えた。
「おい? どうしたんだよ」
「……っ!!」
見るからに怯えた様子だ。そんな態度を取られると、オルガまで困り果ててしまう。
「だーっ! 別にもう怒ってねーよ! 何そんなにオドオドしてんだよ!?」
「っ!?」
むしろその姿にかえって苛立ちすら覚えて怒鳴り散らしてしまう。しかしそんな事をすれば当然の如く逆効果……少女はより身を小さくして恐怖に震える。
困惑から怒り、呆れに感情が転じて途方に暮れてしまうオルガ。そこで彼はようやく、少女の手足に目が向いた。
「お前……その怪我どうしたんだ?」
痩せ細った褐色の手足は、皮膚が裂けたような赤い生々しい傷が幾つも刻まれていたのだ。その上裸足で出歩いていたのか、足裏からは血が流れている。
そんな姿に加えて全てに怯えているような様子。そこまで見て少女がどのような境遇に晒されていたのか、それを察せられないほどオルガは鈍くはない。
「お前もしかして……勇者の――――」
「~~~~っ!?」
勇者という単語を口にした瞬間、それが引き金になったかのように少女は先ほどよりも更に激しく恐怖に震える。
オルガはディーノの下で奴隷をしていた時、少女と同じような者を幾人も見てきた。徹底的に心と体を痛めつけられた彼らは一様に希望を失い、ただ勇者に怯えながら従い、勇者ですらない人間……同じ奴隷と接することすら恐怖を感じていた。
この少女も同じなのだ。勇者によって魂まで完膚なきまでに傷付けられた、恐怖を恐れて従うしかできなかった敗北者。同じ弱者であっても反逆を目指したオルガとはある意味対極に位置する者。
そんな少女を前にして、オルガの心に浮かんだ感情は、哀れみでも同情でもなく……怒りだった。
「テメェ……! ふざけんじゃねーぞ!」
「っ!? っ!?」
オルガは少女の両肩を掴み、無理矢理視線を合わせる。目を白黒させて頭が真っ白になる少女に、オルガは力強く叫んだ。
「オレがお前を悪戯に痛めつけると思ってんのか!? 舐めんじゃねぇ……オレを勇者みてーなクズ野郎と一緒にするな!」
長い前髪に隠れた碧眼から涙が零れる。しかし一度動揺して頭から恐怖が抜けたのか、少女の眼に正気が戻ったのが分かった。
「……一個だけ聞かせろ。お前、勇者から逃げたいのか?」
「……」
少女は戸惑いながらも頷くと、オルガは力強く少女を立ち上がらせる。
「だったら付いてこい。頼る当てがあるから、どうにかしてやる」
あんまり使いたくない手だけどな……と、心の中で呟いてから、オルガは少女の手を握って歩き出した。
ジュライは心地良いほろ酔い気分で街の路地裏を歩いていた。
勇者としての特権として、帝国領土と化したアースグリット大陸のどこの施設でも無料で買い物、遊びが出来るジュライは、昔から女遊びと酒を好んでおり、勇者となった今では連日連夜金銭を気にすることなくクラブに入り浸る。
高い酒を浴びるように飲めるようになったのは勿論、以前はご法度だったボディタッチどころか、嫌がる女を無理矢理寝室に連れ込んだり、無礼を働いた女をその場の気分で殺すことも許される。むしろそのように振舞って当然の立場だ。
そんな彼は元々、ブリタリアが侵略してくるまではアルガート要塞を領地内に収める西国の地方領主の息子だった。
しかし鉄壁要塞があっても兵糧攻めでブリタリアの侵略が止められないと直感で悟るや否や、最後まで対抗しようとする王族や家族を暗殺、時にブリタリア側に売ることで財産と命の保証を求めた経歴を持つ。
後に皇帝にスキルを認められて勇者となり、十四聖の補佐という役職に就くことが出来た。
まさに彼にとってのこの世の春、到来というべきだろう。それでどれだけの悲劇が生まれるかなど、ジュライには関係が無い。
昨晩も夜遅くまで酒を飲んで気に入らない女や支配人を計五人焼殺し、気に入った女は有無を言わせず自らの獣欲を満たすための玩具とした。
もはや自分の思い通りにならない事など無い……いつしかジュライはそのような意識を持つようになる。自分こそが搾取する側であり、その地位が揺らぐことはないと信じて疑わなかった。
「ジュライ君の、ちょっと良いとこ見て見たーい♪ そーれ、一気♪ 一気♪ 一気♪ 一気♪」
「がばっ!? ごぼぼぼぼぼっ!?」
しかし、自らを害するものというのは、ある日突然訪れるもの。それは事故だろうが災害だろうが人災だろうが変わらない。
気分よく朝まで飲み明かし、昼頃に起床した彼は集合場所に向かおうとした道中、アイゼンとカグヤに人目の付かない路地裏へと連れ込まれたのだ。
すぐさま自らの力の象徴である、猛火を操るスキルで不躾な襲撃者たちを焼き殺そうとしたが、それは背中に押し込まれたアイゼンの人差し指によって不発に終わる。
護法一刀流、魔導止指。
魂を起源とする魔力だが、それを体全体に張り巡らされる血管や神経に似た気管、魔力路と呼ばれる気管が存在する。スキルや魔術とはその魔力路から魔力を放出することで発動することが出来るのだが、その放出点……針治療ではツボの一つとされる経穴という……を指圧し、堰き止める技だ。
ディーノの魔力を封じた技もこれ。個体によって魔力の放出点が違うので、見極める必要があるため、格下か身動きが取れなくなった状態でなければ早々使える技ではないものの、対スキル武術として相応しい絶技と言えるだろう。
「ほーら、まだまだあるにゃん。浴びるほど飲むのが好きみたいだし、遠慮せずにどんどん飲んでね」
「あがぼぼぼっ!? ごくっ! ごきゅっ!」
そして魔力を封じられ、アイゼンの片手で両手を後ろに拘束され、もう一本の腕で髪を掴んで強引に顔を上を向かされたジュライは、カグヤが生成した液体を大量に飲まされていく。
初めは怒りと屈辱で暴れ回り、力が出せないと分かると怯え、抜け出せないと悟るや否や媚びて許しを請おうとしたジュライだが、いつの間にかその表情は悦に浸ったものへと変わり、今では咽返りながらも喜んで液体を飲み干そうとしている。
「……はい、終わり―。これ以上は品切れにゃ」
「げほっ! げほっげほっ! はぁ……はぁ……も、勿体ない……勿体ないぃいいいいいいっ!!」
不意にカグヤは液体の生成を止め、それと同時にアイゼンがジュライの体を解放すると、彼は口から零れ落ち、地面や服に染み込んだ液体を舐めとろうとする。
これまで感じたことのない多幸感だ。どんな美しい女を犯しても、どれほどの美酒を呑んでも、決して味わうことの出来ない、まるで天国に連れて行かれたかのような幸せな気持ちをジュライは噛み締め、地面に落ちた液体を砂利ごと口に含む。
「も、もう無いのか!? た、頼む! もっと……もっとあの水を俺にくれ!! 何でもするから、頼む!!」
「えー。どうしようかなー?」
しかし口に含めるだけの液体が無くなった時、先ほどの多幸感とは打って変わって凄まじい虚無感や喪失感、物足りなさがジュライを襲う。
それに連動するように手足が震え、呼吸は乱れて眩暈を感じる。今の液体を口に出来ないことが苦痛で仕方ないのだ。
もはや今の液体でなければ満足が出来ない。この状況のおかしさも、相手の正体すらも度外視し、肥大しきった勇者としてのプライドすら易々と放り捨てて、ジュライは自らの額を地べたに擦り付けた。
「あの水が無いと、俺はもう駄目なんだ!! あれが無いと生きていけない!! まだ持ってるんだろ!?」
「あるにはあるけどー……タダで渡すほど私もお人好しじゃないにゃん」
「な、何をすればいい!? 金が欲しいなら幾らでもやる!! 欲しい物なら何でもくれてやる!! 何でもするから、頼む!!」
「……何でも?」
カグヤとアイゼンの瞳が妖しく光る。言質を取ったと言わんばかりに、三日月のような笑みを浮かべたカグヤは、完全に正気を失ったように懇願し続けるジュライの耳元で囁いた。
「そ・れ・じゃ・あ~……アルガート要塞、私たちにちょーだい?」
業腹ではあるものの、少女の手を引いて人目に付かぬように歩きだしたオルガが出来ることと言えば、土下座でも何でもしてアイゼンやカグヤに頼る事だった。
まだ幼く、考えが至らぬところがあるとはいえ、オルガは自らの力の無さを自覚している。本来アイゼンたちに少女を助ける義理が無くても、頼み込まざるを得ないほどには無力であるということを、彼は知っているのだ。
(くそっ……カッコわりぃ)
心の中の自分への悪態を、努めて表に出さないようにする。
そこでふと、オルガはようやく思い出したと言わんばかりに少女に問いかけた。
「そういえばお前、名前は? オレはオルガ・ラクウェルってんだけど」
「…………」
コミュニケーションをとる上で最も基本的なことだが、急なことですっかり忘れていたのだ。
しかし、こんな基本的なことすら、少女は答えない。……否、正確には何かを口にしようと口を動かすが、声は発せられることはなく、諦めたように彼女は両手の指で口を塞ぐ。
「お前……もしかして」
「っ!?」
オルガは無遠慮に少女のフードをずらし、首元を白日に晒す。細い小麦色の首には、横一文字に伸びる傷跡が刻まれていた。
「……喋れねーのか?」
「…………」
気落ちした様子で重々しく頷く。
「文字は書けるか?」
「…………」
変わらない様子で首を横に振る少女。
これは勇者が奴隷に対してよく行う仕打ちだ。反抗する気力を失うまで叩きのめし、喉を潰して文字も覚えさせない。逆らいもしなければ、逃げても不利益にならない奴隷の出来上がりという訳だ。
おまけに痛めつけてもうるさくしないから別段煩わしくもない。家畜や動物が喚かないように、勇者共にとってのペットとしては優れているのだろう。
「そー言う事かよ、くそっ」
同情はしなかった。しかし釈然としない怒りが込み上げてくる。
それは非道な行いを笑いながら実行する勇者に対してかもしれない。
自らと同じように奴隷に堕ちて、戦う意思すら捨て去ったものへの苛立ちかもしれない。
……あるいは、目の前の女の子一人救うことの出来ない己の弱さのせいかもしれない。
「……この街を出て、十六時になったら迎えが来る場所があるんだ。まずはそこに行こーぜ」
「……っ……」
下手な言葉をかけることはしなかった。しかし、代わりに前へ進むことを促す。
だが少女の脚がふいに止まった。何かと思って振り返ってみると、彼女の足裏から血が滲んでいるのが見える。
「あー……裸足だったもんなぁ。……よし」
オルガは少女に背を向け、その場にしゃがみ込み、両腕を後ろへと向ける。その行動が何を意味するのかいまいち理解できない少女が首を傾げていると、オルガは少し強い声で促した。
「その足じゃもう歩けねーだろ。負ぶってってやる」
「……っ」
オルガの優しさと気遣いに、少女は思わずたじろいだ。
奴隷に堕ちる四年前までなら、彼女は何の疑いもなくその背に身を預けられたかもしれない。しかし、素直に好意に甘えるには、少女の心は傷つきすぎた。
奴隷を甚振る、十歳ほどの貴族の子供もいることを知っているからだ。もしかしたらこの少年は自分にいい夢を見せるだけ見させて、最後に笑いながら叩き潰そうとしているに違いない。
そんなどこまでもネガティブが未来予想が浮かんでは消えないのだ。しかし何時までもこうしている訳にも行かない。それでもどうすればいいのか分からない。選択することの不安に涙すら零す彼女に耳に届いたのは、先ほどとは違う落ち着いた声。
「オレもちょっと前まで、勇者の奴隷だった」
まるで見なくても少女の真理が伝わったかのように、オルガは語り掛ける。
その言葉に少女は少し、驚いたような表情を浮かべた。勇者は自分たち奴隷の心を折るような事ばかりしてきて、自分以外の奴隷もまた闘争心を根元から圧し折られていたのだ。
「その時結構色々あったけどさ、勇者をぶっ殺そうっていうスゲー奴らと会ったんだよ。会って、今ようやく人並みに暮らしていけてる。世界には、あの薄汚え勇者を倒そうとする奴らが大勢いるんだ」
だからなのだろう……こんなに真っ直ぐな目をした少年が、自分と同じような境遇を味わっていたなど少女には見えなかった。
その言葉が嘘か真かを見分ける情報は彼女にはないが、まるで全てその目で見て、体で感じてきたような言葉の重みが真実だと雄弁に語っている。
「だから差し出された手を一々疑う必要なんかねぇ。当たり前の話……皆が皆、勇者みたいな奴じゃねーんだからよ。人に絶望する必要なんて、ねーんだ」
オルガはそれ以上怒鳴ることも、喋ることもなく、ただジッと背中を向けてしゃがんでいる。
信じても良いのだろうか?
少女は恐る恐るといった様子でおるがの肩に手を置き、その疲れ果てた体を少年の背中に預けると、オルガは少女の両脚に両手を回し、気合を入れて立ち上がった。
「オレが自由になれる場所まで背負ってってやる。約束だ」
それは力のない少年の、ただ根性論だけで紡がれたに過ぎない言葉。しかし、どんなに小さく、か細くても、少女が心の底では求めてやまなかった言葉だった。
ふと、この小さな背中越しに父の面影を見た。性格も容姿も、何もかも似ていないのに、不思議と安心感を与えてくれる背中に少女の緊張の糸が切れ、痩せ細った腹から音が響く。
「……~~っ」
「……迎えが来るまで時間かかるし、なんか飯買ったら街の外に行くぞ。外に出ちまえば勇者だって見つけられないだろ」
腹の虫の音を聞かなかったことにしてくれたオルガに心遣いに余計に羞恥心が募り、少女は恥じ入るようにオルガの服を強く握りしめ、体を丸めるように俯くことしかできなかった。
他のざまぁシリーズもよろしければどうぞ