プロローグ
新たに書籍化目指して書いてみました。
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色んなものを失くしてしまったと、成人を果たしてから一年、当時十六歳の少年だったアイゼンは静かに眼下の土と、泥土に塗れた自身の両手を見下ろしながら思い返す。
戦災孤児、魔物に両親を食われた者、奴隷となった少年少女、虐待を受けた子供など、様々な事情で親を失った少年少女たちが吸い込まれた孤児院の中で、アイゼンは実姉と共に暮らしていた。
しかし両親と死別しているなど、どこにでも転がっている話である。その事を不幸と思えるほど、戦乱が続く世の中は甘くはない。むしろ素晴らしい環境で過ごせたのだとアイゼンは神に感謝を捧げたくらいだ。
『よいかアイゼン。お前にもいつか守るべきものが出来るだろう。それらを守るために、今こそ強くなれ』
孤児院の院長を務めていた老人は本当の祖父のように子供たちに厳しくも深い愛情を持って接しており、アイゼンには剣の振るい方を教えてくれた師匠でもあった。
『また怪我をしたの? ほら、こっちに来なさいアイゼン。お姉ちゃんがおでこに絆創膏貼ってあげる』
孤児院の年長者でもある少し年の離れた姉は、物心つく前から両親がいないアイゼンにとって親代わりの人物だった。特別シスコンになったという訳でもなかったが、世話焼きで暖かな心を持つ姉の事を、アイゼンはこの世に残った唯一の肉親として非常に大切に思っていたのだ。
『おーい、アイゼン! 早くこっちにこいよ! 隣の家の美人なねーちゃんのおっぱい拝みに行こうぜ!』
『このアホは放っておいて、とっとと行くぞアイゼン』
『さぁ、行こうアイゼン。今日も楽しい一日が待っているよ』
孤児院に暮らす同年代の子供たちとの友情にも恵まれ、アイゼンは権力至上主義が目立つ自国にある孤児院を心の無い有力者たちから守るために軍に士官し、成り上がることを決意した。
祖父代わりでもあり、師でもある院長から教わった剣術がその夢を後押しし、十五歳の成人を迎えたのをきっかけに、国軍に補給部隊の一人である少年兵として入ってから僅か二年。補給線を絶とうとした敵部隊の撃退から始まり、史上最年少で一部隊を預かってからは数多くの武勲を上げて、身分の低い大勢の民から期待の星、英雄などと呼ばれるようになった。
『アイゼン兄ちゃん! 僕も兄ちゃんみたいになれるかな!?』
『アンタは俺たち平民の希望だ! どこまでも付いて行くぜ、アイゼン隊長!』
『皇族様貴族様のご機嫌を伺うだけの人生かと思ってたが、お前さんみたいなのがいるんだなぁ……今日は俺の奢りだ! 我らが英雄、アイゼンに乾杯!』
素直な憧れの視線を向ける孤児院の年少組。絶大な信頼を寄せてくれる弟分でもある若い部下たち。日常で触れ合う人々からの暖かな応援。アイゼンは英雄と呼ばれるに相応しい全てがあった。平民が中心とはいえ、国民過半数の支持というのは、身分制度がのさばる自国にあって、皇族でも無暗に手出しできない大きな力でもある。
『アイゼン。お姉ちゃんね、結婚するの』
そうして大切なものを守り続けた結果、唯一の肉親である姉がついに女の幸せを掴もうとしていた。聞けば既に胎の中には相手の男との子供がいるのだとか。それを聞いた時は流石に驚いたが、アイゼンは喜んで祝福した。
『見て! 教会で安産の護符を沢山貰って来たんだ! これだけあれば元気な子があだっ!?』
『何で何もないところで転ぶかなぁ……しかもこれ、全部交通安全のだし』
『あ、あれぇっ!?』
義兄となる男の事はアイゼンもよく知っていたからだ。ドジな癖に慌て者で、いい年して泣き虫で、幽霊が苦手だったり騙されやすかったりと色んな欠点が表立っているような人だったが、誰よりも頑張り屋で誠実で心優しい、気が付けば皆の中心にいるような男だった。
この人なら絶対に姉を幸せにしてくれる。そんな確信を抱いて数ヶ月。腹が丸く膨らんだ姉と義兄の結婚式を控えた前夜、質素ではあるが義兄が汗水流して稼いだ金銭で購入したウェディングドレスを見て、アイゼンは明日という日を心待ちにしていた。
心から愛した男と幸せになりに行く姉。その後に続く平穏な日々。生まれてくる子供に与える名前を一緒に決めようと言われ、頭の中でいくつもの候補を思い浮かべていた。
これからも皆と共に過ごし、一緒にやりたいことが沢山あったのだ。友人からは今度一緒にお勧めの店に飲みに行こうと誘われていたし、年少組には剣を教えると約束していた。他にも出店に売ってる新作の串焼きとか、本とか、そういうまだ見ぬ些細な幸福が楽しみで仕方なかった。
子供のように胸を高鳴らせながら、アイゼンは閉じた瞼に明日から続く楽しい未来が見えていた。その光景が来るのをずっと待ち続けていたのだ。
ずっと……ずっとずっと待ち続けていたのだ。
なのに…………何度夜が明けても、明日が来ない。
勇者という個人で一個師団を打ち破ると言われる強大な戦力を誇る人材を大勢従え、世界に覇を唱えるアースグリット大陸最大の独裁国家、ブリタリア帝国。強大な力で他国を圧倒していき、大陸制覇に続いて海の向こうにまで勢力を伸ばすブリタリア出身の少年、オルガは帝国貴族が治める地の辺境で暮らしていた。
特権階級絶対主義。皇族を初め、勇者と貴族にはそれ以外の身分の者を自由にする権利がブリタリア帝国には存在し、多くの母や妹が慰み者にされ、多くの父と兄が他国への侵略の為に強制徴兵され、そのまま帰らぬ人となった。
そうした多様な理由で残された少年たちの一人、僅か十歳の少年オルガも勇者の一人の引き取られることになったのだが……その扱いは、劣悪というほかないだろう。
「揺れてんじゃねぇよ! 勇者である俺様を地べたに座らせる気かぁっ!?」
「がぁっ!?」
襤褸に身を包み、首輪を嵌められて四つん這いになる痩せ細ったオルガの背中に乱暴に腰かけた。上等な装飾が施された鎧を身を包み、背中に強度と軽量さを兼ね備えたミスリルの両手剣を背負った二十代半ばの男……ディーノは、重量に耐え切れずに揺れたオルガの手を踏み躙る。
「お前みたいな雑魚スキルしか持たない家畜は、精々雑用か椅子くらいにしか役に立たねぇってのに……これは躾が必要だな」
「はぁーい、ディーノ様ぁ! 私もそう思いまーす!」
「よぉーし! じゃあこの椅子豚君に、ご主人様の気を害したらどうなるのか教えてやれ」
そんな勇者の周りには、彼ほどではないが上等な装備を身に着けた女が四人。オルガの惨めな姿を見て、くすくすと嘲笑を浮かべながら、その内の一人が炎を灯した指先をオルガの腕に押し付けた。
「ぐぁああああああああああっ!?」
「きゃははははは! 見て見て! 腕が壊れた玩具みたいにガクガクしてるぅ!!」
「倒れるんじゃねぇぞ? 倒れたらタダじゃ済まさねぇからな」
焼けた皮と肉の匂いがオルガの鼻腔をくすぐる。全身から脂汗を流しながら必死に耐える弱者の様子を、英雄と同義語とされる勇者と、その候補生四人が隠すことも無く哄笑を上げた。
「大変よねぇ! 私たちみたいな優秀なスキルもない下民だからこんな目に遭っちゃって!」
「そういったら可哀そうよ。スキルは天の恵みもの……選ばれた人間である私たちとじゃ扱いが違うのは仕方のない事だわ」
何故勇者が弱者を喜んで甚振るのか……その原因は、ブリタリア帝国という国の制度にある。
全ての生物には生命力の一種である魔力が宿っており、その魔力を消費して超常現象を引き起こすスキルという力を持っているのだが、そのスキルの強さや種類には個体差個人差が大きく現れるのだ。
かつては皇帝を頂点に、皇室、貴族、兵士、そしてその下にそれ以外の民という順位付けだったが、四年前から貴族と並ぶ形で勇者が、兵士を下に敷く形で勇者候補生が組み込まれた。
広大な大陸を支配する帝国兵は総勢五百万以上に及ぶ。その中の百万が強大なスキルと、それを戦場に活用しうる素質を持つ候補生たち。そして残った四百万の内僅か五千人が、候補生たちの完成形である勇者である。
「お前がせめてちょっとは良いスキルを持っていれば兵士になれたかもなのによぉ! 恨むんなら、お前に雑魚スキルを与えた神様を恨むんだな!」
しかし実戦向き、あるいは実戦のサポートに向いているスキルの持ち主が勇者候補生になるのに対し、湿度を上げる、微風を吹かせる、小物を引き寄せるといったどうあっても戦闘に使い道がないスキルの持ち主が大勢存在するのだ。
そしてブリタリア帝国でそういった者たちの末路が奴隷として死ぬことである。弱いスキルを得て生まれ落ちたオルガもまた然り……強者が弱者を食い物にするという構図に、幼い少年が組み込まれる結果となった。
「せめて農民や貴族の子供ならそれなりに暮らせたのに……何の取り得もない家に生まれるなんて、ホント哀れだわぁ。クスクスクス」
「いや、こいつは貴族の出だぜ?」
「えぇ~? どういうことですかぁ~? 貴族様って、勇者様と同じ地位なのにぃ?」
尤もな女候補生の言葉に、ディーノは尻に敷いたオルガを嘲るように見降ろしながら嬉々として話のネタにする。
「こいつの両親が偉大な皇帝陛下に逆らったんだよ。いわば反逆者って奴さ。こいつの目の前で帝国に楯突いたバカ親父は拷問にかけられて、母親を慰み者になって、とっととくたばったんだよ。そんで、残ったこいつを俺が殺さずに奴隷として貰ってやったってわけ。片田舎の貧乏男爵だったからなぁ、殺しても問題ないってよ」
「ディーノ様って優しぃ~! そんなゴミクズから生まれたカスに利用価値を見出してあげるなんてぇ~!」
「だろぉ? 頭足らずのバカな父親に、売女の母親の元に生まれた可哀想な子供に、奴隷としての役割を与えてやったんだからな!」
「「「あははははははははははははっ!!」」」
夜の平原の空に、焚火を囲みながら上がる侮蔑と哀れみが混じった哄笑が響く。その悪辣な笑い声が脳裏に響いた途端、オルガの頭の中で何かが切れ、口から這いずるように低い声が漏れた。
「……るせぇ……」
「あ? なんか言ったか?」
「……うるせぇぇえ!!」
窮鼠は時として猫を噛むという。その故事を体現するように、オルガは衰弱した体に残された力を振り絞り、背中に乗ったディーノを振り下ろすや否や、その股間に文句なしの渾身の拳を叩きこんだ。
ディーノ自身、奴隷であるオルガがそんな事をするとは思わなかったのだろう。それは完全に不意を突いた一撃であり、グリリィ……と、睾丸を抉る感触が骨に伝わる。
幾ら衰弱した子供の一撃であり、超人といっても差し支えのない勇者であっても股間は鍛えようがない。ディーノは一瞬白目を剥き、全身から脂汗を流しながら股間を抑え、悶え倒れた。
「ごっ!? ……ぉおあぁあ……!?」
「はぁ……はぁ……ぐぅっ!? ぎ、ぃいいいい……!」
そんなディーノを見下ろすように立ち上がるオルガの首輪から電流が流れる。それは今は無きスキルによって作り出された古代の遺産、アーティファクトと呼ばれる代物だったが、幼い少年は全身を駆け巡る痛みを無視し、狂犬のような目つきで勇者たちを睨みつける。
「ち、父上も母上も、皇帝の無茶な増税を民に強いることを良しとせず、最後の最後まで力なき者を守ろうと貴族の義務を貫いた……! どんなに痛めつけられ、辱められても、オレを庇うためにその身を盾にした……!」
たとえ奴隷の身に堕とされようと、男としての矜持は捨ててはいない。最後の最後まで息子を案じ、愛してくれた両親を貶められて、未熟な少年がどうして黙っていられるというのか。
オルガは義憤に駆られた瞳に悔し涙を浮かべながら、身に刻まれた痛みや恐怖も捻じ伏せて、両親の名誉の為に吠える。
「二人は最後まで立派に戦い抜いたんだ!! お前らみたいな下種が、勝手に見下すんじゃねぇ!!」
「……言いたいことは、それだけかぁ……!?」
唸り声のような言葉とともに、怒りが痛みを超越したディーノはオルガの首を片手で絞めながら持ち上げる。窒息の苦しさに振りほどこうとするオルガだったが、勇者の膂力に敵うはずもない。
「さっきから聞いてら下らねぇことをゴチャゴチャと……! たかが奴隷がご主人様に歯向かって、生きてられると思うなぁああっ!!」
血走った目で背中の剣を抜き、その切っ先をオルガの顔面に突き刺そうとするディーノ。
所詮この世は弱肉強食。生まれた時から飼われた家畜が人に食われるように、弱き者に権利などありはしない。どんなに屈辱を抱こうとも、どれだけ気高い誇りを抱こうとも、食われる時に食われるのがこの世界だ。
本当ならいつか奴隷の身から逃れ、力を蓄え帝国を打倒すると誓っていた少年の、耐え忍ぶことが出来なかった弱き心が勇者の逆鱗に触れ、苛立ちを解消するという下らない理由の為に殺される。ただ、それだけのこと。
(……クソ……! なんでオレはこんなに弱いんだよ……!)
父の敵を討つことも出来ず、母の無念を晴らすことも出来ずに死ぬ。かつて寝物語に語られ、憧れた英雄とは正反対の、何の力もない自分の弱さが何よりも悔しかった。
グッと目を瞑り、暗闇の中で死を待つしかできないオルガ。……しかし、訪れるはずの痛みは何時まで経っても訪れない。むしろ首を絞める手の感触から解放され、ゲホゲホと咳き込んでいると、自分の体が大きく逞しい腕の中に居ることを自覚した。
「な……!? い、いつの間に……!」
呆然としたディーノの声を聴きながら、そっと地面に下ろされたオルガはようやく辺りを見渡す。するとこの場には、新しい人物が二人増えていた。
「にゃん♪」
一人は金糸で蝶の刺繍が施された、黒くてオルガには全く馴染みのない見たことのない服装を着た美女。その服装にはディーノたちには覚えがあった。
東の海を跨いだ先にある、つい一年前に帝国が支配権を手放すこととなったヤマトという国の着物と呼ばれる伝統衣装だ。その着物を妖美に着崩し、非常に豊かな白い乳房の谷間が露になっている。
膝まで届く長い髪は夜闇の中でも映える紫紺色であり、その双眸は空に輝く月のような金色。そして人間と違って頭から生える猫の耳と臀部の真上辺りから生えるしなやかな尻尾が、彼女が猫の獣人であることを示していた。
「……ごくっ……」
この事態にあって、ディーノは猫獣人の美女を見て思わず生唾を呑み込む。今の帝国では人間以外の種族は下等種族……スキルに関係なく奴隷として扱われる。 その中でも容姿が非常に整ったエルフや猫獣人といった種族は、その数の少なさもあって勇者の中でも限られた者にしか奴隷にすることが出来ない。
まさに人間とは種族からして違うとも言うべきか。極東の民族衣装に身を包む猫獣人は、異国情緒も相まって男を吸い寄せる魅力に溢れていた。
「《風迅》の勇者、ディーノだな?」
そんな彼女に傍若無人な勇者が手を伸ばすことも出来なかったのは、先ほどまでオルガを抱えていた青年の存在に起因している。
隣に立つ女性としては平均的な身長を持つ猫獣人の頭の先と肩の高さが同じくらいの長身痩躯。灰色のざんばら髪と褐色肌が特徴的で、袖から伸びた無駄なく筋肉が絞り込まれた腕には細かな傷が刻まれている。
一見するだけでも戦士であることが理解させられる。そんな彼の外見で最も印象的なのは、まるで猛禽か刃を連想させる銀色に輝く鋭い眼光と、それをより威圧的にする額から右目を跨いで頬まで刻まれた、抉るような大きな刃傷だ。
「なに俺様を呼び捨てにしてやがる……様を付けろよ様を。何なんですかぁ? お前は」
「……護法一刀流皆伝、アイゼン・マクレガー」
褐色肌の青年……アイゼンは肩に担いでいた長大な得物を振るい、鞘を弾き飛ばす。剣身だけでも長身のアイゼンの胸まで届き、それに合わせた長い柄を含めれば持ち主の身長に近しい長さを誇るその剣は、漆黒の鎬と血のように赤い刃を持つ流麗な曲剣。
それは隣の猫獣人の服と同じく、ヤマトで生み出された刀と呼ばれる武具。その中でも最も長い大太刀と呼ばれる得物の切っ先を、アイゼンはディーノの視線に合わせるように突き付けた。
「勇者の首級、貰い受けに来た」
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