3ー3
「おはよう。」
その声に、教室にいたほとんどの生徒が反応する。
それら一つ一つに丁寧に返す彼女は、皆から慕われている。
その美貌だけではない。
彼女は、皆に嫌われない穏やかな性格であった。
「おはよう、雨井さん!」
「……うん、おはよう。」
美姫と優香は隣の席になった為、自然に挨拶を交わすことが出来る。
美姫にはそれが堪らなく嬉しかった。
この積み重ねがやがて実を結ぶ。
美姫はそう確信していた。
やがて、友達になれる。
放課後の少しの時間だけではなく、常に甘えていられるはずだ。
そして、いつか二人で遊びに行けるはずだ。
それらは全て美姫の希望的観測であった。
「ぐへへ……。」
にやけてしまう。
「涎垂れてるよ?」
優香がハンカチを差し伸べる。
放課後に比べれば大したことではないが、優香が美姫のことを気遣っている。
「あ、ありがとう。」
「気をつけてね、顔戻ってたよ。」
美姫にだけ聞こえるような小さな声。
「……ご、ごめん。」
美姫が慌てて自身の頬をつねり表情を保とうとする。
それは、前日の放課後のことだった。
美姫が膝まずき、立っている優香の胸元に顔を埋めていた。
そして、埋もれている彼女の頭を優香が撫でる。
もはや、それは日課となっていた。
「……美姫?」
「なぁに?」
「今凄い顔してるけど大丈夫?」
「んぇ?」
パシャりと音がなる。
優香が携帯電話のカメラで、自身の胸元にいる美姫の写真を撮った。
「え、えっと……優香ちゃんどうしたの?」
「ほら、これ。」
差し出された携帯電話の液晶に写る美姫の姿はなんとも腑抜けた姿であった。
普段の彼女からは想像もつかないほどのものだ。
「あ、あはは……凄い顔してるね、私。」
苦笑いする美姫。
写真に写る自分。
客観的な姿を見せられて彼女も冷静になった。
「私は良いよ、美姫が甘えん坊なの知ってるから。」
「あ、甘えん坊じゃないよっ!」
「本当に?」
優香がふふっと不適に笑う。
彼女の視線の先には自身の胸元に顔を埋め、幸せそうな笑みを浮かべている。
その口元は、少し涎が垂れている。
彼女の口を拭く。
甘えん坊ここに極まれり。
「美姫のお友達が今の美姫の姿見たらどう思うかな?」
優香が再度美姫に彼女自身の写真を見せる。
「……嫌われる……?」
上目遣いに、涙目。
それは、優香にとって魔のコンボだった。
自身の内に微かに湧き上がる感情。
それが何か分からなかった。
しかし、確実に言えるのは、あまり良いものではないということであった。
「それは分かんないよ。……でも今までみたいには接してくれないんじゃないかな?」
少し意地悪をしたくなった優香が脅すようなことを言った。
「え?……そ、そうなの?」
真に受ける美姫であった。
目をキョロキョロと動かし明らかに動揺しているのが分かる。
優香はそんな彼女を見て申し訳ない気持ちとともに、黒い感情が渦巻き始めた。
もっと虐めてみたい。
「……うーん、どうかな?今までの大人な雰囲気の美姫が好きで近くにいてくれた子もいるんじゃない?」
止めろ。
もっと見たい。
嫌われるぞ。
泣かせてみたい。
「……うぅ。」
俯き、鼻をすすり始めてしまった。
しまった。
優香は激しく後悔した。
実際に見るのと思い描くのは違う。
優香が、美姫の姿を見て冷静さを取り戻した。
それと同時に胸が締め付けられるような感覚があった。
ドロリと黒い物が自身の中から溢れ出る。
「で、でも大丈夫!わ、私は嫌いにならないからっ!」
今さら言っても仕方ないかもしれない。
しかし、言わずにはいられなかった。
こんな嫌味を言う者など拒絶されても致し方ない。
それでもこんなことで美姫に嫌われるのは嫌だった。
「本当……?」
「え?」
「ほ、本当に優香ちゃん、私のこと嫌わない?」
涙で光る大な宝石のような瞳。
上目遣いで優香に問いかける。
そんな彼女の姿を見て、再び胸が苦しくなる。
しかし、先ほどのドロリとした物ではない。
苦しいが、心地良いものであった。
矛盾した自身の状況に困惑する優香。
「う、うん。大丈夫。嫌わないよ。」
その言葉に安心した様子の美姫。
目を擦り、鼻を一度強くすすった。
「なら頑張る。」
「頑張る?」
「うん、優香ちゃん以外にこんな姿見せない!……そうすれば優香ちゃんは嫌わないでしょ?」
「え?あー、うん。嫌わないよ、嫌わない。」
優香がうんうんと頷き言う。
なぜその結果に辿り着いたのか分からなかった。
しかし、ここで否定すれば美姫の心は完全に折れてしまうだろう。
一旦ここは美姫の言う通りにしておこう。
優香はそう考えた。
「よし!頑張る!」
「お、おー!頑張って!」
こうして、美姫と優香の共通の秘密がふわっと作られた。
次章3ー4
2018年 9月 15日
投稿予定。