知らぬ恋に祟りなし
コメント、評価頂けると嬉しいです
高校に入学して一年が経ち、二年生になると環境に慣れて余裕が出てきたためか、誰と誰が付き合っているだとか、そんな話がよく囁かれるようになった。
僕も恋愛に興味がなかった訳ではない。ただ、同性に対する好意と異性に向ける好意の違いが僕にはよくわからなかった。
食べ物や動物に向ける好意とは違うのは流石に理解できるのだが、人間に向ける好意の違いはどうにも理解が出来ない。
勉強はそれなりに出来るのだが、そういうものに僕はどうも疎い自覚があった。
しかし逆に言えば、僕は異性に対しても臆することなく接することが出来たので、男女ともに友達がそれなりにいた。
その友達の一人である本田夏実という女子に最近どうも僕は好意を寄せられているように思えるのだ。
彼女は「健太くんは好きな人いないの?」と僕にしきりに尋ねてくる。
理解が出来ない以上、僕に恋愛の話を振ってもさほど面白い反応が出来ないことは周知の事実である。実際に僕にそういう話をするのは彼女くらいなものだった。
恋愛感情が理解できないというだけで、僕は別に鈍いという訳ではない。それでいて、明るく交友の広い彼女が僕に話しかけてくる頻度が明らかに多いとなれば意識されているのではないか、と勘繰るには十分だった。
しかし「男子はすぐに勘違いをする」とは世間一般でよく言われることでもあるので、僕から何かアクションを起こそうとは思わないし、そもそも恋愛感情がわからない僕にはその必要は感じられなかった。あくまでこのまま仲の良い友達の一人、それ以上を僕は望んではいないのだ。
しかし、もちろんそのままということにはならなかった。僕が彼女の好意に気付き始めてからおよそ一ヶ月が経つか経たないかといったある日の朝、僕は机の中に手紙が入っていることに気が付いた。
内容は今日の放課後に校舎の裏に一人で来て欲しいと本田夏実の名前と共に書かれていた。
ここまでテンプレートな展開であれば、何をされるかは予想に難くない。一人で人気の無い場所に来いという手紙の内容的には告白かいたずらかいじめといったところだが、ここ一ヶ月の彼女の様子を考えれば十中八九、僕は告白されるのだろう。
放課後になり、僕は校舎裏に向かう。別に今日の授業に集中出来なかっただとかそういうことはなかった。何故ならばこうなったときにどういう返答をするか悩むことも無く決まっていたからだ。
校舎裏に着くと、彼女は既にそこにいた。落ち着かない様子で手と視線がソワソワと常に動いている。
他に誰もいないことを確認すると僕はとりあえずいじめでもいたずらでもなかったことに安堵した。
僕は彼女の前に立ったが、ここで少し困ることになった。
彼女は俯いたまま、何も言わない。僕は何か言うべきなのだろうか。「何の用?」と聞くのはいかにも白々しい。しかし「告白でしょう?」と聞くのはぶち壊しもいいとこだろう。
結局、僕の方も何も言えずにそこに立ち尽くすことしか出来ない。
互いに沈黙するものだから風で木の葉がサワサワと鳴る音がやけに大きく聞こえる。
「私ね……」
ふいに彼女が絞り出すようにして声を出した。
「健太くんのこと……好き……かも……」
消え入るような声で続けた彼女の言葉の内容はおおよそ僕の予想通りのものであった。
「だからよかったら……私と付き合って下さい」
彼女は意を決したのか、最後の部分はハッキリと言い切る。
「うん、いいよ」
僕は簡素にその告白を了承した。僕に気の効いた言葉なんて言えそうになかったし、クサい台詞なんて恥ずかしくて言いたくもなかったが、別に嫌いな相手でもなければ断る理由もない。何よりも恋愛感情というものがこれで理解できるかもしれないという思いが強かった。
彼女は告白が上手くいったことに安心したのか、僕の面白味の無い返答にも関わらず感無量といった様子で笑った。僕はその笑顔を見て、彼女をちゃんと好きになる努力をしようと思った。
それ以降、休日は度々彼女と出掛けた。
彼女はどこに行っても何をしても楽しそうに笑う。映画を観れば、内容が面白くてもつまらなくても嬉々として感想を話すし、動物園や水族館に行けばあちらこちらを指差して僕に笑いかけた。
僕自身そうなるように努めたこともあって、自分が彼女のことを好きになっていくのを日々感じていた。
それと他の友人に抱く好意との性質の違いは以前わからなかったが、単純に感情の強度が違うことだけはわかった。
平日の学校での僕たちは今まで通り。いやむしろ少し疎遠になったかもしれない。
というのも彼女が二人の関係を公にすることを嫌がったからだった。恥ずかしいというのもあるが、周りに気を使われるのが嫌らしい。
僕も言いふらすようなことでもないだろうと隠すことに了承した。僕にとってそれは別段どちらでも構わないことだったから彼女が望むようにしようと思った。
平日は友達として、休日は恋人としての日常を二ヶ月ほど過ごした頃、学校の定期テストが迫ってきた。
この時には僕の彼女に向ける好意は既に大きなものになっていて、綺麗な景色や面白いものを見かければ彼女にも見せたいと思ったし、似た髪型や背格好の女性を見れば彼女ではないかと期待してしまうほどだった。
ある日、彼女はテスト勉強を理由に休日に会うのをテストの二週間ほど前から一度止めようと提案してきた。
僕は休日に一緒にテスト勉強するのはどうかと提案したが、集中出来ないかもしれないからと断られてしまった。
こうして僕らはたった二週間だが、二人で休日に出かけるのを止めることにした。
しかし、テストが終わっても彼女は休日に僕と会うことに消極的な様子だった。何かと理由をつけて断るようになったのだ。
それどころかテスト以降、どうも彼女は学校で高橋啓介という男子クラスメイトに話しかける頻度が高いように思えるのだ。
それは告白する前の僕に対する態度に非常に似ていて、僕らの関係を公にしていないことも相まって僕には不安に思えてならなかった。
その不安を僕は飲み込むことが出来なかった。
ある休日、久々に会ってくれた彼女に僕は尋ねた。
「最近、啓介くんと仲良さそうだけど……好きなの?」
僕が弱々しく聞くと彼女はきょとんとした様子を一瞬浮かべた後、ケラケラと笑いながら答えた。
「啓介くん? ないない、そういう目では見てないよ」
僕はその言葉を聞いても全く安心など出来なかった。彼女が僕との関係を聞かれたときも全く動揺を見せずに誤魔化しているのを知っていたからだった。
「ねぇ、僕らの関係をみんなに正直に話さない? なんか隠しているのって悪いことしているみたいだし、聞かれたときに答える分には構わないんじゃないかな?」
それならば、と僕は啓介の方から離れるように仕向けようと画策をした。僕は高橋啓介というクラスメイトとそれほど仲が良くないので彼のことを詳しくは知らないが、彼氏のいる女子に遠慮する程度の常識は流石に持ち合わせているだろう。
「えー、それは嫌だって前に言ったじゃん。私、周りに気を使われるの嫌だもん」
どうも上手くいかなかった。勝手に吹聴すれば僕は彼女に嫌われるだろうし、だからといってこのまま何もしないというのも、悪い結果に繋がるような気がしてならない。しかし、僕には打つ手がなかった。
その日以降、一ヶ月間彼女が休日に会ってくれることは無かった。そしてある日、唐突に『別れて欲しい』と携帯に彼女からのメッセージが届いた。
僕はそのメッセージを見た時、動悸が苦しくて仕方がなかった。僕はなんて返したら良いのか、小一時間悩んだ末に『なぜ?』とだけ返信した。
彼女からの返答はすぐに来た。
『ときめかなくなったから……?』
僕は激しい動悸の中、悲しみと同じくらいに怒りを感じた。
僕は恋愛経験が無いなりに努力をしたつもりだった。喧嘩するようなことも無く、優しく接した自信もあるし、彼女の望んだことは時間やお金を工面して極力叶えた。僕には何が悪かったのか一つも思い当たるものが無かった。
そして彼女は明確に別れる理由を明かすことなく、真摯に付き合った僕に文面だけで別れを告げようと言うのだ。それは誠実さに欠けるというものだろう。
僕はそこに産まれてから一番とも言えるような怒りを覚えた。
僕が彼女のことをどんなに好きでも別れたくなくてもここで嫌だと返すことは出来なかった。それはあまりにもみっともない事だからだ。
僕は自分の感情がわからなくなった。僕は彼女のことが好きで好きで好きで悲しくて悲しくて悲しくてそして憎いのだ。
こんな気が狂ってしまいそうな激情を僕は知らない。
その日の夜は抑えようのない激情が僕を寝かせてはくれなかった。
翌日、学校にいくと彼女はまるで何もなかったかのように普段通り、啓介と親しげに話していた。
ずっと僕に向けていた笑顔を今は彼に向けていた。
悔しくて悲しくて仕方がなかった。告白してきたのは彼女なのに、どうして僕がこんなに辛い思いをして、彼女は簡単に別の恋へ向かえるのだろう。
彼女も僕と同じ思いをすればいい。啓介に振られてしまえばいいと僕は彼女の不幸を祈った。
「どうした? そんな本田さんのことを見て」
僕は声をかけられてようやくこの教室には僕と彼女、そして啓介以外のクラスメイトがいることを思い出した。
「いや……最近、本田さん啓介くんと仲が良いなと思ってさ」
僕は咄嗟に自分の感情がバレないように当たり障りのない返答をする。
「あー、ちょっと前までは健太に良く話しかけてきてたもんな……もしかして、告白とかされた?」
心臓が跳ねた。僕はその動揺を必死に表に出さないように「いや」と短い言葉で否定した。
「そうだよな、健太はそういうの興味無さそうだもんな」
そう言って笑う友人に内心冷や汗をかきながら僕も笑って合わせる。
だが、突然友人は僕にズイと近寄ると声を潜めて言った。
「だけどよここだけの話、本田さんって去年だけで三人の男子と付き合ったり離れたりしてたらしいぜ」
僕は意表を突かれた。なぜなら彼女は押しも押されぬ人気者で悪い噂など聞いたことがなかった。
確かにあまりに彼女は次へといくのが早い。しかしそれでも同じようなことを繰り返しているとは微塵も考えなかった。つまり彼女は気を使われるのが嫌だからでもなんでもなく、次の人にすぐにいけなくなるから内緒にすることを僕に強要し続けたのだ。僕は激しい怒りと共に少しだけ安堵する自分に気づいた。ずっと自分の何が悪かったのか、どうすれば良かったのか悩み続けていた。しかし、原因は自分には無かった。相手が悪く、自分は悪く無かった。そんな最低な安堵だった。
ここで全てバラして人気者の彼女の評価を下げてしまいたいという考えが脳裏をよぎったが、そういった行動は同時に自分の評価も下げるだろう。そして何より僕は未だに彼女に嫌われることが怖かった。
それから毎日、僕は学校で彼女を見かける度に沸き上がる怒りや憎しみに耐え、夜に布団に入れば彼女を失った悲しみに耐える日々を送った。
時間が経つにつれて、僕の激情は少しずつ薄れていった。しかし、薄れていくと同時に今度は一人であることが寂しくなってくるのだ。
僕は近いうちに別の誰かと付き合うかもしれない。誰かに愛され、そして愛す幸せを一度知ってしまったら一生この寂しさからは逃れることは出来ないのだろう。まるで呪いだ。
こんなことならば、僕は恋愛感情なんて知らないままでいたかった。