8話
『虫人族謎の助っ人 対 攻城戦の英雄ベラ』
『オッズ 7対3で現在のところ虫人族謎の助っ人が優位』
『あなたがどちらに賭けたかは胴元と二人きりの秘密だ』
『人間だからってモンスターに賭けちゃいけない法はない』
『モンスターだからって人間の勝ちを信じちゃいけない決まりはない』
『勝利を予想し財産を築こう!』
命が賭けられていた。
それもまったくコソコソせず、派手に。
一騎打ちのために砂塵舞う平原に設けられた『場』である。
彼と対戦相手の周囲には木の杭が打たれていた。
杭は彼らを四角く囲むように等間隔で立っており、杭と杭は太い丈夫そうな縄でつながれていた。
縄で囲まれた空間には人間も虫人族も関係なく、人々ががっぷり寄って一騎打ちする二人を品定めしている。
中には――中には人間と情報交換して賭ける先を変える虫人族や、その逆もいる。
酒を呑んで肩を組みながら歌っている異種族同士も存在した。
仲良しすぎる。
「……そうか、姉ちゃんはおかしくないのか……おかしいのはこの世界なのか……」
彼はようやく理解した。
全体的に生命が軽い。
ここの人間やモンスターどもに『明日は我が身』という言葉は通じないのだろう――明日が我が身だからなんだ。死んでも甦るしかまへんかまへん、という感じだった。
どうやらこの世界でまともなのは自分だけらしい――
いや、まとも、ではないのだ。
この世界の『まとも』があちらで。
この世界の『異常』がこちら。
『まとも』とは多数派であり、『異常』とは少数派である。
つまり周囲にたかる連中のように、人の殺し合いで金を賭け、先ほどまで敵対していた相手と肩を組みながら歌い、一族の代表よりも勝てそうな方に金を賭けて個人の私腹を肥やすのがこの世界における『まとも』なのである。
滅びろ異世界。
「――ああ、わかったぞ。俺のやるべきことが」
彼は使命感のようなものを感じる。
それは天啓のように彼の脳裏によぎった一筋の光だった。
「俺はきっと――姉ちゃんの教育に悪いこの世界を変えるために来たんだ」
こちらが異常ならば、こちらをまともと思うような環境に変えればいい。
命を大事に――当たり前だ。
だけれど、この概念はこの世界の住民、少なくとも最前線で敵と肩を組んで歌い合うような連中にとっては、当たり前ではないのだ。
よろしい。
ならば、命の大事さを思い知れ。
二度と人の命で賭けができない体にしてやる――
「――違う、そうじゃない」
なにか闇属性の波動みたいなものに心が囚われかけて、彼は首を振る。
この肉体本当に大丈夫なのか不安になってきたが――とにかく、『この世界が姉の教育に悪い』あたりまでは正しい考えのような気がする。
だが、具体的な方法はまだよくわからない。
このままじゃヤバイ、このままこの世界に染まってはいけないという焦燥感と危機感だけが彼の心を焦がし続けていた。
そもそも――現在状況が異様で、浮き足立っているのだ。
一騎打ち。
彼は対戦相手を見る。
そこにいるのはまだ幼ささえ残る少女であった。
褐色肌に赤い髪の毛。
露出度の多い毛皮の衣装を身にまとった弓兵。
彼は周囲を見回す。
一騎打ちは杭と縄でできた急造の囲いの中で行われる。
広さはテニスコート二面分はあるだろうか――広い。だが、それでも、その程度だ。
弓って。
この空間で弓というのは、なかなか自殺行為である。絶対に剣とかの方が強い。
ひょっとしたら目の前の子は騙されてこの場に立たされているんじゃないか――そんなふうに彼は想像してしまう。
現在は開始のゴング(的なもの)を待っている状況だった。
この一騎打ち自体にも細々としたルールがあって、対戦者二人はいつ鳴るかわからないゴングを待ち、それまで相手に手を出してはならないという話だった。
できるのは会話ぐらい。
あとは、自分の有利な距離のキープぐらいだろうか――単純な話だ。ゴングが鳴った際に自分の間合いを確保できているかどうかは、生死に直結する。
ちなみに『見応えがある』とされるのは、インファイター同士の殴り合いなんだとか。
やっぱりなにもかもおかしい。
場をセッティングして『殺し合え』とか。
その殺し合いで金を賭けるとか。
百歩ゆずって、この殺し合い自体に『領地の獲得』という意味があって、それに人命を賭けるのはわからないでもないにせよ、『見応え』を求めるのは不謹慎だろうと彼には思えた。
野蛮だ。
もっと文化的な態度をとるべきだと彼は考えた。
そうだ、野蛮なのも人の性なのは認めよう。だが多様性があったっていいはずだ。
殺し合いが当たり前、みたいな空気がいけない。
一人ぐらい疑問を呈す者がいれば、あとに続く者だってきっと現れる。
大事なのは異なる考え方があると知ることなのだ。
だから彼は、まず『話し合い』をしようと考えた。
彼はのそのそ歩いて対戦相手に近付いていく。
対戦相手は彼が近付いたぶんだけ距離をとる。
彼は回りこむように近付いていく。
対戦相手はたくみなフットワークで距離をとる。
彼と対戦相手の少女は見つめ合う。
しばし沈黙。
「……」
「……」
彼はダッシュで対戦相手に近付いていく。
対戦相手の少女もダッシュで逃げる。
彼はたずねた。
「なんで逃げるんですか!?」
「弓使いが距離をとろうとするのは当たり前だろ!?」
当たり前だった。
というか彼だって、彼のような造形の生物が近付いてきたら絶対に逃げる。
「違うんです! 話し合いを! 俺はあなたと語り合いたいだけなんです!」
「あたしは語り合うことなんかないぞ!」
「生命の尊さとか語り合いましょうよ!」
「なにそれ気持ち悪っ!」
普通に『気持ち悪い』って言われて、ショックを受けた彼は思わず足を止める。
対戦相手が気まずそうな顔になった。
「あー……えーっと……気持ち悪いは言い過ぎだった。ごめん」
「……いいんです……まあでも、話は聞いてください」
「あたしは心理戦が弱いから語り合わないぞ」
「心理戦?」
「一騎打ち開始前には、自分の得意な距離を維持したり、言葉で相手を追い詰めたりするフェイズがあるんだ」
「そうなんですか……」
「そうだぞ。お前、新兵か?」
「まあ、新兵……なのかな……」
「覚えておいた方がいいぞ。あんまり負け続けると誰も賭けてくれなくなって、一騎打ちの代表者に選ばれにくくなるからな」
「はあ、細かいところまで親切にどうも……」
「しまった!? 会話するつもりはないんだぞ!」
知能が馬鹿の炎に包まれている。
脳細胞は死滅し、知恵は滅びたかに思われた。
しかし、知恵は滅びていなかった。
「……ええい、だが、もう会話してしまったものはしょうがない。お前があたしに感謝をしているなら、あたしの言うことを聞け」
「交換条件ですか……」
「開始のゴングが鳴ったら自殺しろ」
情報の代わりに命を要求されてしまった。
ひどいレートもあったもんである。
フェアトレードという概念はこの世界に存在しない様子であった。
「あたしはあとがないんだ。英雄扱いされてはみたものの、あたしは英雄の中では最弱……」
「そうなんですか……」
「今日負ければ一騎打ちの代表に選ばれることはもうないだろう。そうしたら……」
「そうしたら?」
「給料が減る」
「……」
「あたしにはたくさん弟と妹がいて、そいつらを養うために英雄でい続ける必要があるんだ。だからお前、あたしに感謝するなら死んでくれ」
「え、やだ……」
「死んでくれよ! お前、未来ある新兵だろ!? あとのないあたしのために死んでくれよ!」
多くの矛盾と世界の抱える問題をはらんだセリフであった。
とりあえず、公衆の面前で堂々と八百長を依頼してるのは『アリ』なのだろうか……
彼は周囲の会話に耳をそばだてる。
胴元が声高に叫んでいた。
「さあ、英雄ベラ得意の『泣き落とし戦法』だ! 相手は新兵! 引っかかるかもしれないよ! 大穴を狙うなら今!」
閉口するしかない。
なにもかもがおかしくてなにから突っこんだらいいか、彼にはわからなかった。
「ばらすなよ!」
ベラとかいうらしい彼女が叫ぶ。
彼はやるせない気持ちを抱えながら笑った。
ベラが残念そうな顔をする。
「くっそう……最初の二回は効いたのになあ、この戦法……」
「…………」
二人も騙されて自殺したのか。
虫人族めっちゃいい人たち……
「でも、あたしにあとがないのも、弟妹がいっぱいいるのも本当なんだよ!」
「わかりました。話し合いましょう。なにか提案できることがあるかもしれません」
「本当か!? 死んで!?」
「命を大事に」
「わかった。お前と話し合おう。命を大事に」
「ええ。そうです。命を大事に。まずはこの世界のおかしさについて――」
ドォン。
試合開始の太鼓が鳴らされた。
「死ねェ! モンスター!」
「話し合いは!? 命を大事に!」
「大事にするさ! あたしの命をだがなあ!」
ベラが矢を放つ。
どうやら彼女は見た目から受けるイメージそのままの野蛮人であった。
「くそう、やっぱり世界が姉ちゃんの教育に悪い……変えなければ、世界を……!」
迫り来る矢を前に彼は誓いを新たにする。
英雄ベラの矢は三矢がほぼ同時に放たれ、迫り来る。
顔を両腕でかばうので精一杯だった。
――いや、そもそも。
普通の人は『精一杯』でさえ、そこまで機敏に反応ができないのだと――
カン、カン、カン。
矢が体表のウロコに当たって弾かれる音を聞きながら、彼は改めて実感した。
「……」
「……」
彼とベラは見つめ合い、沈黙した。
沈黙のあいだ、ベラがサッと矢を放った――完全なる不意打ち。
しかし、放たれた矢は彼の胸あたりに吸い込まれると、カンッ、という音を立てて弾かれた。
ベラがニカッと笑う。
そして――
「よし、話し合おう。議題は、『どうやったらお前が自殺するか』だな!」
彼は、この世に『死』以外の治療法がない病があるということを学んだ。