5話
焼けるような日差しのもと、兵隊アリが進軍を開始する。
戦線はどうやら南北に広く広がっており、侵略者――すなわち人間側の軍勢は西から横陣を布いて攻め寄せているようだった。
あたりは蒸し暑い密林地帯であった。
もう少し西には平原が広がっており、主戦場はそこらしい。
虫人族と呼ばれる彼らはややファンシーな見た目をした虫たちだった。
アラクネのように虫版ケンタウロスみたいな者はパッと見回した限りでは見つからず、多くはサイズの大きい、筋骨隆々な手足を持つ、瞳の綺麗な、武器を持った虫たちだった。
「みんなすごく綺麗な目をしてるね……」
彼はそれ以外にコメントできない。
キラキラしてる。
少女漫画みたいだ。
ちなみに彼は人並み程度に虫が苦手ではあったが、キラキラおめめのお陰で、整列し進軍していく虫の大群を見ても、どうにか卒倒せずにこらえられることができた。
目が綺麗ですね。
「カワイイよね!」
姉は元気に言った。
ちなみに彼女はVIP待遇されている。
木製の輿に乗せられ、左右では大きな葉っぱを持った、チョウチョをでっかくしたような感じの生き物に扇がれている。
南国の方の金持ちみたいだなと彼は思った。
そして、姉の乗った輿はどうにも、戦列の最後尾から前線方面に移動中らしい。
彼がよく見れば輿の四つ角には下へ向けて伸びた棒があって、それを抱えて移動させる担当の腕の太い目の綺麗なでっかいアリの姿が見える。
アリは彼と目が合うと会釈をする。
彼も返礼をした。
なんだこの瞳の綺麗なアリ。
彼は輿の横で輿に合わせた速度で歩きながら、姉に問いかける。
「あの、姉ちゃん、いつもこんな感じなの?」
「え? どのへんについて?」
「いやもうなんていうか全体的に……軍団っぽい人……人? たちの最後尾からくっついていったり、なんか南の島でバカンス中の大金持ちみたいな待遇だったり」
「すごいでしょ!」
「うん、まあ、すごいけど……」
すごいけど、異様。
周囲には虫が――虫人族が大勢いるから口に出すのははばかられるが、小学生ぐらいの子が瞳の綺麗な虫に担がれている姿は出来の悪いホラームービー感ある。
「っていうか言葉通じるんだね、俺と彼ら――あと姉ちゃんと彼ら……言語は日本語なの?」
「ううん。もともと違う言葉しゃべってたんだけど、日本語に統一したの」
「誰が?」
「わたしが」
「姉ちゃんが!?」
「うん。モンスターさんたちの言語を統一するのに半年ぐらいかかっちゃった」
「いやいやいや……秦の始皇帝もびっくりの偉業だよ」
「どちらさま?」
「ええと、昔中国大陸を統一した人で、広い大陸の言語の統一を行ったとされる……正確には漢字の統一だったかな?」
「へー! こーちゃん、物知りだね!」
「……まあね」
違う。
こんな半端な知識を自慢したかったわけではない。
彼は話題を戻そうと試みる。
「とにかく――言語統一なんて、よくできたね、そんなこと。姉ちゃんこの世界に来てからまだ一年ぐらいしか経ってないって言ってなかった? そんな人間が半年で言語統一?」
「えっとね、わたしはそもそも、この世界に来た時には言語全部読み書きヒアリング&トークできる能力をもらってたの。だからすべての種族の言葉がわかるし、古代言語で書かれた死霊術の魔導書とか、召喚術の魔導書とかも読めたんだよ。普通はトップレベルの学者さんでもできないことなんだって! そもそも禁忌とされてて誰も読み解こうとしなかったとかいう話だったけど……」
「へー……姉ちゃんすごいね」
「すごいでしょ!」
「古文書読解も、言語統一も、素直に偉業だよ。でも、姉ちゃんが通じるなら、別にがんばって言語の統一する必要なかったんじゃ?」
「だって……こーちゃんがね、来た時、公用語、日本語じゃないと困るかと思って……」
「……」
彼はなぜかだんだん姉の愛が重く感じられてきた。
気のせいだろう。
「……た、助かってるよ。ありがとう」
「うん! こーちゃんに喜んでもらえてよかったよ! 一生懸命やったかいがあるよ!」
「姉ちゃんは一生懸命だったんだね……」
「うん! 一生懸命だったの!」
「そっかあ。一生懸命だったんだもんね……」
「うん!」
一生懸命なら仕方ない。
どんな社会でも、かわいい子が一生懸命なら結果を問わずに賞賛されるものなのだ。
ここで『でも人類に敵対してるじゃん』とか『生命倫理がエコの炎に包まれてるじゃん』とか突っこみを入れようものなら『お前空気読めてねーな』的批判が集まるに違いない。
そして姉はかわいかった。
サラサラの黒髪に、白めの肌。綺麗な黒い瞳を持つ美少女である。
つまりなにをしても一生懸命なら許される。かわいいから。
彼はそう思うことにした。
彼が姉との距離感について戸惑いを覚え始め、次の話題が浮かばなくなり、次第に空気に重みを感じ始めたころ――
進軍が、止まる。
「前線が敵を目視できる範囲に入ったみたいだね」
進軍が止まっただけで、姉の口からそんな言葉が出た。
マジで戦慣れしてるようで、彼は姉との距離感を遠いものに感じた。
彼は前線方向に目をこらす。
兵隊アリの隊列はずっとずっと向こうまで続いている――とにかく数が多い。
だが、彼の目は前線の様子を捉えることができた。
武装した巨大アリと、武装した人類が、砂塵舞う荒野でにらみ合っている。
軍団の規模は、咄嗟に数えることができないほどだった――とにかくこれだけの人(?)が並んで向かい合っている様子を、彼は映画でさえ見たことがないかもしれない。
一万人二万人という程度ではないだろう。
数十万人対数十万人?
武装のレベルは中世ぐらいだろうか?
フルプレイトメイルとか、馬に鎧を着せていたりとかする。
メインの武器は槍や剣で、相手側のずっと後ろの方に弓兵らしき人々の姿が見えた。
携行の銃らしき物は見当たらないが、大砲のような物は見えた。
しかし台数は少ない。見える範囲には二台しかない。軍団の規模を思えば、趨勢を決するほどの戦力にはなりえないように思える。
よくわからない。
現実に脳がまだ追いついていないのだ。
色々ありすぎた。
「ネクロマンサー様」
だんだん彼が居心地の悪さを覚え始めていると、そんな声が響く。
シャカシャカと六本足を操りながら、兵隊たちの頭上をまたぐように、青黒のクモ女――アラクネが現れる。
「アラクネさん!」
「もうすぐ戦端が開かれるでしょう。兵たちの士気をあげるために『いつもの』をお願いしたいのですが……」
「もー! 虫人族なんだからアラクネさんがやったらいいのに!」
「私はその……あなたほどかわいくないので……」
もじもじと人間のような腕をすりあわせるアラクネさんであった。
クールな美人という感じの彼女がもじもじしている姿は充分にかわいいなと彼は思う――新しい扉が開かれそうな気配。
「じゃあ訓示しちゃいますか!」
「お願いします!」
アラクネがわくわくした顔で拍手をする。
すっげーかわいいなあのクモ、と彼は思った。
目が綺麗なアリたちも興奮した様子で姉の乗った輿を見ている。
なにが始まるのだろう。
恐怖半分、不安半分、心配をもう半分。ネガティブな感情で限界を超えて十五割支配された心のまま、彼も姉の乗った輿に視線を向ける。
その上で、姉が立ち上がった。
瞬間、雲一つない青空に、姉が半透明の拡大画像で映し出される。
映像効果でキラキラしたものが空に舞っており、普段の五割増しでかわいかった。
『みんなー!』
目の前の姉の姿は、どうやらリアルタイムで空に映し出されているらしい。
声は拡大され、兵たち全員に聞こえる音量となっているようだ。
シン、と場が静まりかえっている。
その沈黙は突然空に現れた女児の映像に『え、なにコレ?』と困惑している――という感じではまったくなかった。
期待。
虫人族たちの沈黙を満たしているのは、そういうポジティブな感情のように、彼からは感じ取れた。
『今日も命を惜しまずがんばろー!』
――瞬間、世界が沸騰した。
もちろん錯覚だ。ただし大地はリアルに揺れた。
音声。
野太かったり甲高かったりする虫人族たちの歓声が響き渡り、あたりはライブ会場のような熱気に包まれ、そして姉は真っ黒いマントをひるがえしてくるりと一回転した。
姉の一挙手一投足に悲鳴にも近い歓声があがる。
周囲で虫人族たちが「俺、今日輿の守り役でよかった……生きててよかった……」とか「ばっかお前、前の戦争で死んだろうが!」とかネクロトークをしている。怖い。
姉が笑顔で言葉を続ける。
完全にベテランアイドルの風格があった。
『じゃあ、今日も、明るく楽しくアットホームな、死のない戦の最前線勤務、始めるよー!』
ウォォォォォォ!
もはや人の声には聞こえない、熱気だけをこめた音の波が彼の全身を叩く。
まさしく熱狂のるつぼだった。
虫の体を持つ知的生命体たちが、泣いたり叫んだり地面を踏みならしたりしながら興奮をあらわにしている。
その中で状況についていけない化け物が一人いた。
彼はつぶやく。
「なんだコレ」
マジでなんだコレ。