34話
――肉体の掌握が完了しました。
――コントロールをセミオートに移行します。
頭の中にそんな音声が響いて、彼の見る光景は一変した。
落ちた太陽。
伐採された広葉樹たち。
死体の山。
そして――
眼前に敵。
振りかぶられる巨大な刃が見えた。
彼の体は勝手に対応する。
死角から迫る切れ味鋭いナイフ。
彼の体は勝手に対応する。
頭上から降りてくる槍の一撃は見えない。
けれど彼の体は勝手に対応する。
一瞬のうちに幾度も迫り来る殺意のこもった一撃。どれもこれもが死の恐怖。まったく冗談じゃない、この殺意はたった一人に向けるには過剰すぎる。
主な敵は三人。
大剣をかついだ大男と――
低い位置で素早く動き回る少女と――
槍を持った性別不詳のフルプレイトメイル。
あたりにちらばる死体は、虫人と人間が3:7ぐらいだった。
たぶんこの惨劇の原因は自分の体なんだろうと彼は思う。
うすうす勘付いていたが――
この世界において戦いは『数』より『質』だ。
だから姉は二つのバランスブレイクをしたことになる。
一つはネクロマンサーとして、モンスターの『集団』を強化してしまったこと――何度も何度も復活するモンスターの集団など、人間にとっては悪夢でしかない。
そしてもう一つは――
――王。
本来であれば『協調性のない』モンスターたち十三種族の王を、力だけ一つの体にまとめてしまったこと。
RPG七不思議。
『なぜ魔王軍は幹部同士足並みをそろえて一気に勇者へかかっていかないのか』。
そこには立場とか思想とか役割とかそういう理由があったのだろう。
けれど姉はこれを解決してしまった。
今の彼の肉体は、それぞれのモンスターたちの王の力だけが詰まっており――
――その『力』は今、彼一人の意思で、仲間割れなどありようはずもなく動かすことが可能となっている。
「――――――!」
肉体が咆える。
それだけで全身に力がみなぎるのがわかった。
咆哮。
魔獣族が持つこの能力は、本来、数多の仲間と咆哮を重ね合わせることで何重にも重ねがけが可能な全体バフだ。
そのぶん一人で咆えたところで効果は薄いはずだが、『王』の咆哮ともなればその効果はただの魔獣の比ではない。
突き込まれる槍。
振り抜かれる大剣。
急所を狙うナイフ。
英雄たちの攻撃を前に――
彼は応対せず、ただ体で受けた。
そうだ、動いてはならない。
動かなければ石人族のパッシブスキルが発動する。
全身硬化――関節さえ固めてしまうので動作中に発動することは不可能だが、動かないでいるならば、その硬度は英雄の剣さえ通じない。
『動かない方が硬い』という仕掛けをわかっていない敵対者たちには衝撃的なはずの光景。
事実、英雄たちは一瞬、動きを止めた。
その英雄どもを――
彼の操った影が、完全にからめとる。
真魔族と呼ばれる、影を本体とする種族の力。
闇夜の中でその能力は群を抜いて強い。
「くっ……こいつ、途中から戦い方が変わった……?」
影に拘束された、大剣使いの英雄がうなる。
抜け出せないのだろう――そして、戸惑っているのだろう。
振り下ろされる武器に『対応しない』という防御。
相手の油断を誘い、拘束するという行動。
野生の動きではない――暴れ回るだけのモンスターらしからぬ挙動。
……戦術と言えば戦術だが、こんなのはただの奇襲だ。
今まで体が勝手にがんばってくれたからこそ効果をあげた、モンスター的戦いから人間的戦いへの急激な切り替え。
「俺たちは生きていきたいだけです」
彼は言う。
その場に残った全員――三人の人間側英雄、そしてクレールと、それを守るように立つアラクネとベラ――が、ざわめく。
味方側には人格の帰還を絶望的だと思われており――
たぶん敵側には言語を解する生き物と思われていなかったのだろう。
彼は苦笑する。
「今、見逃していただければ、お互いの陣営の死者すべてを復活できるようにします。そして今後もお互いの戦争で出る死者全部をよみがえらせることを約束しましょう。ですからどうか、この場は退いてくださいませんか?」
――戦争を続ける。
二人しかいないはずのネクロマンサーが、二人とも同じ陣営に来たことで、戦争が終わった世界をほんの少しだけ仮体験した。
そうしてわかったことがある。
――人とモンスターはわかり合えない。
シルエットが違うのみではない。考え方も価値基準も違いすぎるのだ。
そもそも、モンスター同士が一枚岩ではない。
人間が『モンスター』と呼ぶ種族での意思統一がはかれない限り、『人間とモンスターの共存』などというのは夢のまた夢だろう。
だから――
「殺し合いを続けましょう。なにかいい手が見つかるまでは、永遠に」
「ネクロマンサーを二人握ったそちらが、我らまで復活させるというのを信じろと?」
「信じていただけないなら実証します。……俺はやっぱり人殺しはできない。どんなに慣れたつもりでも、明日また会って話せるような殺し方じゃなきゃ、怖くって、無理です」
「……」
「だから、あなたを殺します。今殺しても、あなたとはまた会えるから」
彼は宣言する。
大剣使いの英雄は――
「――化け物め。やはり貴様らとはわかりあえない!」
――影の拘束を引きちぎる。
大剣を振りかぶり、彼へ斬りかかる。
彼は上段から振り下ろされる剣を半歩前に出て避け――
猛毒のしたたる伸縮自在の爪で、大剣使いの英雄の腹部を貫いた。
大剣使いの青年は、黒い目を細め彼を見る。
そして、口の端からどろりとした黒い液体をしたたらせ――
「ああ、化け物め……攻略の手口さえ見えぬ強大なる化け物め……なぜ、貴様はその力で人間を支配しない……? 我らをいたぶり楽しんでいるのか……?」
「違います。俺はただ――平和を望んでいるだけです」
「……」
「そして、この世界では『生き返れる殺し合い』をしている時が一番平和だと思ったから、続けたいだけです」
「…………そうか。なるほど。――絶対的強者め。神にでもなったつもりか……? やはり貴様は人類を……この世界のすべての生物を、もてあそんでいる、だけ……」
どろり。
大剣使いの英雄は、毒に溶かされ消え去った。
「……」
彼は地面に広がるとろけた肉を見る。
名も知らぬ英雄の声は、脳でリフレインを続ける。
きっと生き返れる殺し合いを是とする限り、そのリフレインが消えることはないのだろうと思った。
「……クレールさん、復活の儀式はできそう?」
彼は問いかける。
……すでに、彼の感覚器は周囲に敵対者の反応を、二つ除いて感知していない。
その二つはもちろん、影に拘束されたままの、人間側の英雄たち。
ナイフを使う小柄な少女と、フルプレイトメイルの槍使い。
だが、すでに敵意は感じない。
たしかな感覚だ――舌先に感じる人間の基準では表わしようのない『かんじ』や、触れた影から伝わる鼓動などを総合したものから、彼は相手の感情を判断している。
肉体を掌握した。
だから色々なことがわかる。
……わかりすぎるぐらい、わかる。
「う、うん……できるのだわ……」
クレールの声は怯えていた。
これだけの殺し合いの渦中にいて、それでも復活の儀式の準備を集中し進め続けた彼女の恐怖を感じ――
彼はそれを無視した。
「じゃあ、お願いするよ」
これで、すべて元通りだ。
姉は生き返り、世界はまた戦乱に戻る。
内面的な変化――
ネクロマンサーが二人とも一つの陣営に集まり――
戦争を終わらせるほどの力をコントロールできるようになった一匹のナニカが、意識的に戦争を続けようとしているという違いはあるが――
表面的には、これまで通り。
死のない戦は、これからも続いていく。