33話
百足王。
それは巨大なムカデで、頭、胸、腹はもちろん、蠢く節足の一本一本までが異様に巨大に見えた。
対面して思う。
――モンスター。
それは人類が勝てていい生物ではなかった。
見るだけで吐き気がこみあげてくる――おそましく、強大で、怖ろしい。あんなの、姿を見ただけで心が砕かれる。
でも、彼は思った。
アレは死んだのだ。
たしかに人類はアレに勝ち、アレは死体となり――
だからこそ自分の体に使われているということを、彼はすでに知っている。
だから彼は立ち向かう。
己の体を知り、己を御するために。
ただ一つ。
消えたくないというワガママを押し通すために、己の肉体に宿る化け物に挑むことを決める。
▼
巡礼だ。
めぐっていくめぐっていく。己の中の化け物と対面し対決し対談していく。
彼にはこんな時にだって勇気や自信が欠如していた。
……ああ、ずっと気持ち悪かったんだ。借り物の力、もらいものの立場。姉に甘え通す日々。
もちろん望んでいた。
努力せず成果だけ得られて、苦労せず力だけ得られて、わずかな行動で賛辞を得られて、苦悩なく天性の力をふるう。そういう毎日を望まないわけではなかった。
でも、いざ、なってみると――無性に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
弱者として生きてきたから。
いきなり強者になっても、どうしたらいいかわからない。
強すぎる力と、強者ゆえの影響力に怯え、すくみ、居心地の悪さを感じる毎日だった。
自分なんかいない方がいいという結論にたどりついた。
でも、姉が求めてくれているという事実でくつがえした。
自問自答でしかない。
人に見せて気持ちのいい葛藤ではないだろう――なにせ弱者がウジウジしているだけなのだ。こんなもの、いらつくし、気分は悪いし、全然まったく爽快ではない。
だから、前進することにした。
簡単なことだ。
自分のものではない力だから、申し訳ないし、居心地が悪い。
だったら――自分のものにしてしまえばいい。
ただの虚栄心だ。
自分なんかいらない――そう思って人格を肉体に明け渡した。その自分が手ぶらで帰る? そんなのはありえない。恥ずかしい。
だから、自己否定に意味を持たせたかった。
たったそれだけの、ちっぽけなプライドゆえの、死闘。
彼は己の中で何度も殺される。
肉体に宿る十三種族の王たちの力は、あまりに強大だった。
なにもできずに殺された。
触っただけで殺された。
目が合っただけで殺された。
戦いにならずに殺された。
なにげない動きに巻きこまれ殺された。
敵対する――たったそれだけの願望を叶えるまでに、何度も何度も彼は消滅しかけた。
でも死にきらなかった。
不思議と彼はあきらめなかったのだ。
……ああ、そうだ、きっと慣れていたのだろう。
この世界には『死』のない最前線があった。
立ち向かって戦って殺されることには慣れてきていた。
あきらめない限り叶うものもあるのだということをすでに体感していた。
姉からの体がない自分はただの人間にしか過ぎないけれど――
ただの人間が決して弱くないことを、思い知らされていた。
だから彼は挑戦を続ける。
姉からもらった肉体に宿る力たちに、挑み続ける。
そして、勝利を始める。
ある者はあきらめの悪さを買ってくれた。
ある者は勇気を認めてくれた。
ある者には知恵をもって勝利した。
だんだんと力が自分のものになっていく。
もとは与えられた力だったけれど、それを血肉にしていく感じがした。
……本当におかしな感じだ。
どのぐらい挑み続けたか。回数に意味がないことを彼は悟る。
どのぐらい挑み続けたか。気にすべき『時間』という要素さえどうでもよくなってくる。
どのぐらい挑み続けたか――自分の中から様々なものが消え去り、精神が純化していくような感覚。そぎ落とされこぼれ落ちたもの。それでもまだ残ったもの。失ったもの、得たもの。なにもかもがどうでもいい。
賞賛はない。
達成したところで自己満足以上のものはない。
楽な戦いでもない。
得るものは――あるけれど、それはもともと彼が姉から与えられていた力だ。彼自身が手放そうだなんて思わなければ、最初から彼に備わっていたものでしかない。
だから、勝利の結果、ただの苦労だけが残って。
それでも――彼は知る。
「……そっか、全力で、命懸けでやって、成功すると――気持ちがいいんだな」
死のない戦の最前線で、兵士たちが懸命に戦っていた理由。
数多の、しかし回数を数えることあたわぬ『死』の向こうで、彼はようやくこの世界の人たちの気持ちを知った。




