32話
「なんかさ、悲しいよな」
ベラはぼんやりとつぶやいた。
空は白み始めている。
あたり一面には『死』があった。
人間の兵士たちも死んでいるし、虫人たちだってたくさん折り重なっている。
見慣れたはずの光景。
毎日行う殺し合い。
だというのに、今日の戦争は――やけに悲しい。
その理由に、ベラは気付く。
「これさ、本物の殺し合いなんだぜ」
相手を殺そうとして、戦いをしている。
今までたくさんのことがあった。
恨み辛みがないとは言わない。
モンスターと人間という、生物としての絶対の溝が埋まったとは思わない。
でも、殺し合いの果てに笑ったり肩を叩いて健闘を称えたりした。
一緒に賭け事で楽しんだりもした。
なのに、相手の絶滅を願っている。
人間たちはネクロマンサーを――今、復活の儀式の準備をしているネクロマンサー・クレールをも殺そうと迫って来ている。
本当に終わらせる気なのだ。
ここで綺麗さっぱり、モンスター側の『蘇生』の目をなくそうとしているのだ。
「まあ、あたしも気持ちはわかるけどさ。モンスターとはやっぱりわかりあえねーと思うし、同じ街であたしらと虫人が仲良く暮らしてる絵は想像できねーけど……それでももうちょい、なんかねーのかよとは思うな。っていうか――本当に死ぬような仕事なんて給料のうちに含まれちゃならねーだろ。気付けよ」
彼女は投入される人間の兵たちを見ていた。
……増援があった。
どうやら人間側の領土から、続々と兵士達が送られてきているようだ。
それでもあまり、意味がない。
こうしてぼんやりと、悲しむ余裕がある。
ベラの背後にはネクロマンサー・クレールがいて――
ベラの前方には、コーチャンがいた。
竜人族のような顔をした、真っ黒い大きな生き物。
咆えながら虐殺を繰り返す化け物。
怖いと思う。
あんなのに突っ込んで行く人間の――同胞の気持ちがまったくわからない。
それに、あの穏やかな生き物が、ああまで暴虐の限りを尽くしているのは、悲しいとさえ、思った。
「人間の動きがおかしいですね」
シャカシャカと長い六本の節足で戦場をまたぎながら、アラクネが近付いてくる。
ベラは彼女を見上げ――
「よお、終わったのかクモ女」
「まあ。あらかた罠は張り終えましたので、これで万全かと。あとは――私の罠とコーチャン様を越えてきたものに対応するだけですね」
「あと半日ぐれーかな」
ベラは背後を振り返る。
そこでは金髪の少女クレールが、しゃがみこんで、地面に描かれた紋様を読んだり書き換えたりしているところだった。
ネクロマンサーならぬベラにはなにをしているのかわからないが――
この戦いのキーであろう彼女が集中して作業をできる環境にはなっている。
少々怒号や大砲などによる地響きがうるさくて、鉄や火薬や血のニオイが鼻につくだけだ。
「で? クモ女よ、人間の動きがおかしいってのは――突っ込んできすぎってことか?」
「はい。いくらなんでも死を怖れなさすぎでは? この動き方ではまるで、生き返れるかのようです」
「……」
「それとも、人間側のネクロマンサーはクレールさんの他にもいらっしゃるので?」
「公式にはいねーな。非公式にはいるかもしれねーが」
「……ネクロマンサーの技術は一子相伝で、親が子に能力を伝える時、親は能力を失うという話を聞いていますが」
「よく調べてるじゃねーか。そうだよ。あたしもそう聞いてる」
「では、なぜこんな」
「だから『非公式』にいるんだろ。可能性は色々考えられるが、新しいネクロマンサーがいてもおかしくないとあたしは思ってるぞ」
「なぜ?」
「モンスター側のネクロマンサーが、ネクロマンサーになる方法を確立したからだよ」
「……」
「今までは『血の力』とかで『ある一族』しかなれなかったネクロマンサーに、あのお嬢ちゃんは――義姉さんはすんなりなった」
「……義姉さん……」
「義姉さんだろ?」
「いえ、まあ、はい」
「つまり、義姉さんは『血の力』がなくてもネクロマンサーになれるって証明して、実践したわけだ。そして義姉さんがネクロマンサーになるために用いた資料は人間側にある」
「なるほど。だから人間はクレールさんも処理しようとしているわけですね。ネクロマンサーが量産できるようになったから、敵陣営のネクロマンサーは殺してもかまわないと」
「あんな子供を殺そうとするなんて血も涙もねーよなあ……」
「元仲間を射殺している方の発言は重みが違いますね……」
「元仲間より今の夫を大事にしてるんだ」
アラクネは微妙な表情をした。
ベラはかまわずどこかへ一矢放ちながら――
「――まあでも実際、ネクロマンサーがいるっていう予想しかできねーよな。さもなくば今のコーチャンに突っ込むのは、ただの命の無駄遣いだ。まあ、時間稼ぎにはなってるが」
「……時間稼ぎ? 時間を稼いで有利になるのは我々虫人族では?」
「お前頭よさそうなのに、戦術とかは本当にわかんねーのな……」
「人間のように殺し合いばかりしてきた種族ではありませんので。それで?」
「まだ人間側は『英雄』を出してねーだろ?」
「……そういえばそうですね」
「でも南部戦線に英雄があたししかいねーってこともねーんだ。それに他戦場から増援も来てる可能性がある。つまり、温存してるわけだな」
「へえ」
「……興味ないなら話やめようか?」
「いえ。あたは頭がよくなさそうなのに、賢そうなことを言うなと思いまして」
「これでも軍人だから基本は習ってんだよ。……ともかく、英雄の逐次投入はしねーってことだ。来るなら一気に来るぞ。戦術を練り上げて、効果的な配置、タイミングで、戦いに発展する前に一気にこっちを殺しに来る。それまで万が一にもここを放棄されないように、兵士を消費してあたしらを釘付けにしてるってわけだ」
「そのやり方だと兵士のみなさんが完全に捨て駒ですね」
「だから『ネクロマンサーがいる』んだろ。こう言うのもアレだが、あたしらは『よみがえれる』っていう前提なら、死ぬのに慣れてるからな。ましてこのあとに投入される英雄のために時間を稼いでるなんてやる気の出るシチュエーションだ」
「なるほど。人間の心理は勉強になります」
「お前らだって自分の死ぬ理由を見出しながら死ぬもんじゃねーの?」
「……そういえば、この戦いが始まってから兵隊アリのあいだでそういう流行があるとか聞いたような気がしますね。お陰で命令に従わず行動するアリが増えて迷惑しています」
「あと二年も戦えばあんたらともわかり合えそうな気がするわ」
「あと二年戦うためには、この一戦を越えなければなりませんね」
「だな。まあ今のところ、やることねーんだが」
ベラとアラクネはそろって同じ方向を見た。
そこでは黒い化け物が、自分の影を大きく広げて、そこに敵兵士たちを呑み込んでいる最中であった。
おそらく真魔族の王の、闇を操る技だ。
人格が表に出ているうちはできなかった技法の一つだろう。
他にも腕を軟体生物化させて伸ばしたり、見ただけで視線の先を爆発させたりとやりたい放題である――意識が『四肢のある五体』に縛られていては、気が狂うような身体運用。
「私の張った罠も、あまり意味がなさそうですね。人間はおそらく、コーチャン様を越えることができないでしょうし」
アラクネは言った。
しかしベラは笑う。
「わかんねーぞ。どう見ても勝てなさそうに見える化け物を相手にして勝つのが人間だ。あんたらモンスターは全部勝とうとするが、あたしら人間は最終的に勝とうとする。あんたらが優位だと感じている時、あたしら人間は布石を打ってる。そうして世界は今の状況になった」
「……たしかに」
「ただし、そのぶんデカイイレギュラーに弱いのも人間だ。だからほれ、モンスターとの戦い、義姉さんにまったく対応できずに優位な状況を五分にまでもってかれたろ」
「たしかに」
「だから備えろよ。あんたらモンスターはすぐに油断する。身体的な性能差に甘えてるんだろうが、甘えとか油断は容赦なく突かれると思え。あたしらがやってんのは殺し合いだぜ。むしろ相手が出し抜こうとしてきたら逆に出し抜くぐらいの気概がねーとな」
「……あなた、優秀ですね」
「よせよ照れるだろ。……今、やることがねえ。だから、今、備えるべきだ」
「なにに?」
「最悪の状況に」
「それは、どんな?」
「それをこれから想定して備えるんだ」
「……人間はめんどうなことをしますね」
「人間に言わせればモンスターは『そういうところ』がモンスターだっつーんだよ。限界まで頭をひねれよ。存亡がかかってんだろ。あたしはお前らに負けられちゃ困るんだ」
「ちなみに、今考え得る最悪の状況とは?」
「そりゃもちろん、英雄たちが一気に来てコーチャンがやられること――」
――はるか遠方より迫り来るソレに気付く。
ソレは力の波だ。
黄金に輝く力そのもの――『切断』という現象を巨大化したとしか見えない、黄金の刃が真っ直ぐに迫り来る。
間違いなく、英雄による一撃。
「――やべっ」
ベラは慌てた。
まさしく今、偉そうに『備えろよ』と言っていたところで、コレである。
こんなんだから戦術も戦略も『学生レベル』だと言われるのだ。
頭はよくない――そういう自己認識もしているし、自己紹介もした。それは決して謙遜などではなくって、実際に戦術を練ったりには向いていないのである。
よくよく見れば、あの黄金の衝撃は、たった一人の手によるものではないらしい。
どうにも『遠くから攻撃を飛ばせる英雄』は全員が参加した一撃っぽい――属性も質もばらばらな力を感じたし、それらは一つ一つが軽く地形を変形させる威力を有しているようにも思えた。
そして対応策はない。
森を引き裂き木々を吹き飛ばし、地面を凍らせあるいは燃やし、人間の兵士たちをさえ蹴散らしながら進んでくる、完璧なる不意打ち。
それは真っ直ぐに戦う黒い化け物――コーチャン――へと迫り、
「―――――!」
咆哮一喝。
耳を聾する爆音を響かせ、かき消された。
「……あー、無理だアレ。あんな化け物に勝てるヤツいねーわ」
ベラは考えを改めるとともに、危機感を覚える。
コーチャンが無敵すぎてやることがない。
だから――
もし、あの無敵の化け物が、理性をこのまま取り戻さなかった場合。
「……ひょっとして、止めるの、あたしらかあ」
目の前の敵がいなくなった瞬間、こちらに牙を剥かないとも限らないのである。
婚約翌日が自分の命日とか笑えないので、どうにかなってくれないかなあとベラは思った。




