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31話

 ――潮騒を感じる。

 海だった。いや、海のような場所だった。

 きっと現実ではないのだろうと彼は思った。


 だってこんな誰もいない砂浜なんか見たことがない。

 真っ白い砂浜はぜんぜん果てが見えなくって、寄せては返す波の音は生まれてから今までずっとずっと聞き続けていた音であるかのように、やすらぐ。


 ざざん(どくん)ざざん(どくん)ざざん(どくん)ざざん(どくん)

 目を閉じて波音(こどう)を聞く。


 水平線の向こうには、うっすらとナニカが見えた。

 青空に浮かぶのは嘘みたいな虐殺風景だ。

 黒い大きな化け物が、たくさんの人間を殺している。


 そいつは強くって、速くって、恐かった。

 血走った赤い目。

 飛んでくる針の一本さえ見逃さない超反応。

 そして――攻撃してきた者に対する、過剰なまでの殺意。

 執拗なまでの殺害。


 たぶんアレこそが最強のモンスターなのだろう。

 人格は枷でしかなかった。理性を失い、ただ一つの目的のために動く狂戦士。それこそがきっとあの人為的に生み出された怪物本来の用途なのだろうと彼は思う。



「けど、まいったな。戻り方がわからない」



 必死にやったらできた。

 最初から搭載されていた機能くさい――前に『殺す』ことを嫌がった時、姉が『言ってくれたらどうにかできるよ』みたいなことを言っていた。

 だからたぶん、あの虐殺を繰り返す化け物は、もとより体にあった機能なのだろう。


 最強の体。

 モンスターの王たちの死体をつなぎ合わせて用意された、彼のための体。


 たとえアレの強さが今見えてるのの十三分の一だって、彼は対峙したくないと思った。

 あんなのの素材となったモンスターの王を殺した人類は本当にすごいというか――ヤバイ。



「……っていうか、ベラさん、あの人本当に躊躇ねーな……」



 うっすら見える光景の中で、ベラが普通に人間へ向けて矢を射かけていた。

 彼女の性格を思うに、なにごともなかったかのように人間側へ戻る可能性も高そうだったが――


 ――約束破らねーだろ?

 ――だったらあたしも、破らねーよ。


 ……きっとそういうことなのだろう。

 どうにも彼女は貧乏くじを引く天運のもとに生まれているのかもしれない。


 主人公みたいな天運だと彼には思えた。

 一方――



「……一生懸命やろうとして、主人公になりたくって――その結果、あの状況でできる最良の選択が『自分の意識を手放すこと』か」



 ――どうやら、そういう役回りらしい。

 主役にはなれない。

 だけれど、あの状況で変な功名心を出さずに、状況を体に任せる選択ができたのは、ちょっとぐらい誇ってもいいんじゃないか。


 ……まあ、いつものことだ。

 自分にはできない――そう思って、あきらめる。


 きっと目の前には色んな可能性があるのだろうし、あったのだろう。

 けれど自分のことをどうしたって評価できないから、いつも選ぶのは『遠慮』とか『他の人に任せる』だ。


 塵芥(ちりあくた)のような人生を送ってきた。

 英雄的行動をしている自分の姿とか、みんなにチヤホヤされる自分の姿とかいうのが、想像つかない。

 最強の肉体に生まれたもので、ちょっとがんばってはみたけれど、どうにも的外れというか、これじゃない感じばかりがして、それなりにがんばりはしたし、一部の人には評価ももらったのだけれども、どうしたって『でもこれは自分の力じゃない』という気持ちが大きくなるばかりだった。


 まあ、異世界に来た程度じゃ変わらないという話だ。

 弱者として生きる時間が長すぎた。最強の体を得たけれど、心までは変わらない。

 いきなり与えられた力を、自分の一部だと思えない。


 ……こういう時にさっさと思考を切り替えられる連中が、きっと成功するヤツらなのだろう。

 与えられた力を『申し訳ないから』『でもこれは俺のものじゃないから』とか考えてしまう自分みたいなのが、本物の弱者なのだろう。



「でもさ、姉ちゃん、俺、がんばったよ」



 波音が聞こえる。

 彼は座り込んで水平線の果てを見ている。

 いつからだろう。

 抱え込む自分の体は小さくって、声は子供みたいに甲高い。



「俺、上手にできたよ。……見てよ。戦いは片付きそうだ。俺のお陰で――俺があそこにいないお陰で、姉ちゃんの作った体は大活躍してるよ」



 横には誰かの気配があった。

 ぴたりと隣り合う、ぬくもりがあった。

 彼は抱えた膝のあいだに顔をうずめる。



「……俺は必要だったのかなあ」



 誰かにとって。

 前の世界でも、今の世界でも。

 ……風前の塵芥(じんかい)

 冗談でもなんでもなく、代わりはいくらでもいる、使い捨ての人材。

 それが、自分。

 だからきっと。



「俺、褒められたかったんだ。姉ちゃんに――誰かに、褒めてほしかったんだ。でもさ、それはきっと、俺の力でなにかをどうにかして、それで褒められたかったんだと思う」



 フワフワしてて、自分で笑ってしまう。

 夢さえ満足に描けない。力がなくって。



「でも、終わっちゃったみたいだ。俺はもう、あっちに戻れそうもない。っていうか――戻る気力がないよ。きっと、強いヤツってのは、俺みたいに悩んだりしないんだと思う。この世界で接した強い人たちは、みんな迷いがなかったもの」



 迷いなく人間を見限ったベラとか。

 迷いなく姉を求めてその身を懸けたネクロマンサーのクレールとか。

 好きだから味方すると言ってくれたアラクネとか。

 なにより――姉とか。


 イモムシにはちょっとだけ共感できた。

 ダメなやつだなあと笑いながら、でも、近しく感じた。

 まあ、そういうの全部ひっくるめて――



「二度目の人生は、いい夢だったよ。ありがとう姉ちゃん。でも、俺はもう、終わることにするよ」



 彼は笑う。

 隣を見る。

 そこにはぬくもりがあった。

 でも、そこには誰もいなかった。


 ……わかっている。姉はいない。

 あの日からずっと――姉は、いない。


 だから、彼の意識がここで途切れないのは――

 ――きっと、彼自身があきらめていないからなのだろう。


 終わりたくない。

 ここで最後だなんてイヤだ。


 自分がいない方がうまくいくなんてイヤだ。

 認められたい。

 評価されたい。

 子供めいた承認欲求。以前の人生において満たされることのなかった欲望。


 ああ――醜い。

 唾棄すべきことだ。大人ならもっと自分を抑える術を身につけるべきだ。こんな欲望、持っているだけで恥ずかしい。


 とても人に言えたもんじゃない。

 でも――



 ――えーっと、じゃあ、俺はどうしたらいいの?



 この世界に来た時、姉とした会話を思い出す。

 ……彼はみっともなくも、思い出してしまう。



 ――『どうしたらいい』って?

 ――最強の肉体なんだろ? 異世界なんだろ? 召喚なんだろ? 俺はなにを求めて姉ちゃんに呼び出されたのかなって……



 大人だから、大声で『自分を認めて』なんて言えない。

 恥ずかしくって、『褒めて』なんて言えない。


 欲求を満たすのにも格好をつけなければならない。

 ようするに、この明らかに自分がいない方がうまくいく状況で、また表に出ようというならば、その恥ずかしい行為には大義名分が必要で――



 ――一緒にいたら、楽しいよ?

 ――それだけ。



 本当にたったそれだけの会話が――

 たったそれだけの、姉の願いが――

 自分は不要なんだといういくつもの理屈を上回る、想いになった。


 まあ、だからこれは、まるまる全部ただただ恥ずかしい話で――

 勝手に悩んで勝手に自己否定して、勝手に自分の可能性をあきらめた彼は。

 ようやく姉に必要とされていたことを思い出したと、それだけの話なのだった。

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