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26話

 ――翌日になった。

 今日もたくさんの人々が砂塵舞う平原でにらみ合う。


 ――戦場。

 さんさん輝く太陽の下、風が吹き抜け土煙が舞う場所。


 その青空には二人の少女の映像が投影されていた。

 一人――東側、虫人族側に浮かび上がるのは、黒髪の少女だ。

 そして、人間側には、金髪の少女が浮かび上がっていた。



『なんかいっぱい怒られたけど、勝てばいいのだわ! 勝って――私はお姉ちゃんを取り返すのだわ!』



 金髪の少女が言う。

 どうやら怒られたらしい――そりゃあそうだろう。ネクロマンサーの重要性は言うまでもないのだ。独断でその受け渡しを懸けて勝負をするなどと、まともな神経ではない。


 それも、昨日の今日だ。

 そのお陰か、人間側の戦力はそう大幅には増強されていないように見受けられた。

 これは素直に喜ぶべきことだろう――モンスター側は他種族の協力が望めないのだから、相手に戦力を整える余裕がなかったのは幸いだ。


 いや、幸いではない――けっきょく向こうから攻めてきたから幸いに思えるだけだ。

 向こうが攻めなくともこちらから攻めただろう。

 そもそもこの戦争は『どちらかが軍を進めれば必ず対応する』という不文律がある。


 不文律っていうか、当たり前だ。

『今日は戦争したくないからどうぞ領土へいらっしゃい』なんてことにはなるはずもない。

 殺し合いをしているのは事実だし、土地の奪い合いもしているのは事実だし、人間側には『モンスターが民間人の住まう場所まで侵攻してきたらどうなるか』という不安だってあるだろう。


 仲よく殺し合ってはいるが――

 敵なのだから。


 まあ、ぶっちゃけ、ここで『やっぱりやめるのだわ』とか言われる可能性もあった。

 子供の思いつきでしかなかったはずだし、人間側の偉い人とかは絶対に反対するだろう。


 その場合の対応が一番困る。

『約束なんだから守れ!』とネクロマンサーを賭けた最終決戦を断行すべきか――

『あ、そうですね。じゃあいつも通りで』と死なない戦争を続けるか――

 ――彼には、決められない。



「……っていうか、俺が決めることじゃないよね、コレ絶対」



 部外者もはなはだしい。

 モンスター側の不思議な権力体系――『力こそ偉さ』と、姉が用意してくれたとびっきりの体のせいで、なんだかいつしか最後の意思決定機関みたいにされてしまっているが……


 彼は虫人でもなければモンスターでもなかった。

 人間だ。

 それも、異世界人で、最近この世界に来たばかりである。



「……まあ、だったら『こんなところにいるな』って話なんだろうけどさ」



 彼は、戦列の最後尾にいた。

 すぐ横には姉の乗った輿がある。


 彼は、集団戦に出ないことにしたのだった。

 そして、一騎打ちを引き受けることにしたのだった。



「……どう考えてもモンスターの存亡を決める大事な一戦、俺がやるべきじゃないと思うんだけど……」



 それでも引き受けてしまったのは。

 ――朝、事情を聞いた姉にお願いされたからだった。



「……なあ、姉ちゃん、俺さ、そこまでモチベーション高くないよ。アラクネさんとか、赤アリのジャックさんとか、ガとかさ、知り合いは増えたし、愛着もあるけど……命運を背負えるほど虫人たちに肩入れはできないよ」



 人間だもの。

 力こそ正義みたいなモンスターたちの世界は、弱者に優しくない。


 彼は『ネクロマンサーによる均衡が崩れた世界』を思い描いた。

 人間が勝てば、モンスターは滅ぼされるだろう。

 モンスターが勝てば、人間は滅ぼされるだろう。


 どっちもイヤだった。

 この世界は殺し合っているからこそ平和なのだ。


 危ういバランスで成り立っているどころじゃない――成り立っていないのだ。

 成り立っていないものを、二人のネクロマンサーが無理矢理成り立たせてしまっている。

『死体の上の平和』とかいう戦後の平穏を示す慣用句的表現が、ここまで物理的にピッタリ来る世界もそうそうないだろう。


 だからこそ、この世界はこれでいい。

 彼は『決着』の先を思い描けば思い描くほど、決着させてはいけないという気持ちばかり強くなってきていた。



「こーちゃんはさ」



 姉が、静かに言う。

 マイクの入っていない声。

 彼は――



「うん」

「難しいこと、いっぱい考えるよね」

「……そうかな。そうかも。でも、俺の場合は、考えるだけ。解決法もなんもわかんないんだよ。俺はそこまで賢くないからさ」

「お姉ちゃんね、全然、なんにも、考えてないよ」

「……ええええ……」

「この世界に来てからずっと、どうやったら元の世界に帰れるかとか、どうやったらまたこーちゃんに会えるかとか、そればっかり考えてきたんだよ」

「…………」

「この世界のことなんか、考えたことないよ」

「……」

「召喚して『お姉ちゃん』って呼んでくれたクレールちゃんのことも、よくしてくれたアラクネさんたちのことも、全然なんにも、考えてないの」

「…………姉ちゃん」

「こーちゃんは、偉いよね」

「偉くないよ」

「ううん。だって、ちゃんと心配してるもん」

「……」

「世界がどうなるかとか、一騎打ちで自分が勝ったり負けたりしたらどうなるかとか、アラクネさんたちがどうなるかとか――すごく考えてるもんね」

「…………それは、まあ」

「わたし、そこまで考えてないよ」

「……」

「そこまで考えないと、ダメかな?」

「……」

「気付いたらいきなりいたこの世界で、見たことも聞いたこともないものばっかりの世界で、お父さんもお母さんもこーちゃんもいなかったこの世界で――この世界のこと、心配しなきゃダメなのかな?」



 なにも、言えなかった。

 彼的に、姉の言葉に反論はないのだ。


 異世界に召喚されたからって、異世界を好きになる必要はない。

 強い力を持ったからって、世界の命運を背負う義務はない。


 責任ある立場だからって――責任を感じる必要だって、ないのだ。

 この世界に限った話じゃない。

 責任あるはずの立場にいる者は、思えばみんな、『責任を負わない能力』の高い者だった。


 もちろんそれが全部じゃないだろう。

 けれど、責任なんかとらないにこしたことはない。


 その方がいい。

 適度にテキトーにやっていくのが、いい。

 だから彼は、笑うしかなかった。



「……心配しなくっていいよ。この世界のことなんか」

「……そうだよね」

「うん。でもな、姉ちゃん」

「なあに?」

「心配しなくていいことを心配しちゃうから、俺は向こうの世界でうまくやれなかったんだ」

「……」

「感じなくてもいい責任を感じちゃうんだよ。心配しなくていい行く末を心配しちゃうんだ。全部なんか背負えるわけないのに、全部背負おうと無理しちゃうんだよ」

「……」

「だからこき使われて、そのくせ評価されないし、上手に責任をスルーできる連中からは『カタい』とか『不器用』とかバカにされたんだけど……」

「……こーちゃん、つらかったね」

「うん。つらかった」

「……じゃあ、やめてもいいんだよ?」

「ううん。やめない」

「……」

「だって、この世界だと、苦労したぶんだけ認めてもらえるから」

「……こーちゃんのことは、わたしが、認めるよ。苦労しなくっても、こーちゃんが偉いの、知ってるよ」

「それはありがとう。でも、そうじゃないんだ。なんていうか――努力して勝利したい。その方が格好いいから」

「……」

「心配したいし、背負いたいし、責任を感じたいんだ。それが全部自己陶酔なのはわかってるけどさ、ようするに――」

「……」

「俺は、主人公になりたかったんだと思う」



 悩む必要もないのに悩むのは――

 背負う必要もないのに背負うのは――

 逃げてもいいのに、逃げないのは――


 ――戦って、勝ち取りたいからだ。

 選択肢を与えられて、初めて彼は自分の願望を察する。



「俺、精一杯やるよ。人間もモンスターも生き残れる道を模索してみる」

「……」

「だからまずは、勝たないと話にならないよね。うん、なんていうか、かなり乱暴で、根本的に弱者の俺はちょっとアレな感じだけど――強くないと話を聞いてもらえないから、強くあらないと」



 モンスター理論である。

 彼がここまで中心人物になり、そして異を唱えられなかったのは、やっぱり強さが要因だ。


 降って湧いたこの強さに、今までは助けられ、引っぱられてばかりきたが――

 そろそろ、使いこなすべきだろう。


 ……いつまでも新人でも、賓客でもいられない。

 この世界で主人公を目指すからには、この世界の一員となり――『巻きこまれ系』はそろそろ卒業しなければならないだろう。



「……こーちゃんは、本当に、一生懸命だよね」



 姉が笑う。

 彼は苦笑した。



「空回ってる気もするんだけどね。とりあえず今だけは、『自分より適任がいるかも』とかは考えないようにがんばるよ」

「一騎打ちお願いしてよかったよ」

「……」

「わたしは、こーちゃんみたいに、一生懸命になれないから。……今でも正直、どっちでもいいって思ってるぐらい」

「なにが?」

「勝ってもいいし、負けてもいいって、思ってる」

「……」

「クレールちゃんにひどいことしちゃったから、あの子のお願いは聞いてあげたいなーって思ったんだよ。本当にそれだけなの。きっとわたしとかクレールちゃんとかは、陣営を移動するだけで世界にとっておおごとなんだろうとは思うんだけど、どうでもいいとしか思えないの」

「……」

「わたし、異世界で、ひとりぼっちで、がんばったよ」

「……うん」

「でもね、たぶん、わたしは、ひとりぼっちじゃなかったんだと思う。色んな人を巻きこんだんだと思うの。でも、わたしは、ひとりぼっちだったの。みんな、わたしと仲よくしてくれてるのに、わたしは、ずっと……」

「……」

「じょうずに言えなくてごめんね。でも、この戦いがおおごとなら、一生懸命にやってくれる人が全部決めてほしいって、そう思ったんだよ。それが、えっと、誠意? なの。だからわたしは、こーちゃんに戦ってほしいって、えっと……うん」

「……そっか」

「ごめんね。この世界に連れ出して、色々やらせちゃって」

「いいよ。意外と楽しいし」

「……ありがとうね。大人になっても、お姉ちゃんの弟でいてくれて」

「…………いいよ。別に無理はしてないし」

「うん」



 姉は両手で顔を覆った。

 そして――



「うん! じゃあ、今日も――明るく楽しくアットホームな『死』のない戦の最前線勤務、始めよー!」



 ――殺し合いの始まりを告げる。

 歓声と怒号、渦巻く熱気と震動の中、彼は激闘を覚悟する。


 ――だけれど。

 そうして始まったのは、彼の想像を絶する戦いだった。

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