23話
『じゃあ、今日も、明るく楽しくアットホームな、死のない戦の最前線勤務、始めるよー!』
彼はアリどもの怒号を体育座りで聞いていた。
今日も快晴。青空のもと、明るく楽しくアットホームな、死んでも死んでも死んでも死んでも蘇り続け殺し合い続ける戦争が始まっている。
今日は見学だ。
そもそも彼はこの『人間対モンスター戦争』の当事者ではない。
見た目は――
たしかにモンスター側かもしれない。
漆黒の体表。
ドラゴンのような顔立ち。
背中にはコウモリのような三対の翼。
実際に鋼鉄をやすやす切断できる切れ味と丈夫さのある、手足の爪。
身長は二メートルを超え、横幅が広く分厚い筋肉質――ならぬ金属質なので、三、四百キロぐらいあるのかもしれない。
でも、中身は人間だった。
異世界人である。
死んで、目が覚めたら――
姉に召喚され、こんな体になっていたのだ。
「こーちゃん」
すぐ左上――
地面におろされた木組みの輿の上から、一仕事終えた姉が声をかけてくる。
彼が体育座りのままそちらを見上げれば――
そこにいたのは、さらさらの黒い髪の、かわいらしい女の子だった。
どう見ても小学生相当である。
あるいは中学生なのかもしれないが、幼いことに変わりはない。
それもそのはず――彼女は享年十一歳で、そこから一年ぐらいしか成長していないらしい。
でも、姉だ。
すっかり年齢的には追い抜いてしまったけれど、たしかに彼の姉なのである。
「姉ちゃん、なに?」
「今日のお姉ちゃんの活躍、どうだった?」
活躍。
いつも戦争前にやる、空に大写しになって、回ったり光ったり歌ったりして兵の士気を高めるアレだろう。
「姉ちゃん、今日もかわいかったよ」
「今日はね、回る時に『しゃららーん』っていう効果音入れてもらったんだよ!」
「地味に芸達者だよね、撮影担当の人……」
彼はちらりと撮影担当――空に姉を投影しているらしい者に視線をやった。
それはヒトのような五体に四枚羽根の生えた、チョウチョのような特徴を持つ人類である。
虫人族と呼ばれる、現在彼らが主にお世話になっている種族の一人であった。
チョウチョのようなその人は、彼の視線にニヤリと笑うだけで答える。
無駄にニヒルな女性(?)だった。
彼は姉に視線を戻し――
「そういえばさあ、姉ちゃん的に、この戦争って勝ちたいの?」
「え? なんで?」
「いや、最初は人間側にいたんでしょ?」
「うん」
「でも、人間側であーだこーだうるさく言われてモンスター側に来たんでしょ?」
「うん」
「だったらモンスター側に肩入れしてるわけじゃん?」
「うーん……」
「違うの?」
「肩入れっていうかー……人間側だとこーちゃんを呼び出すための実験させてもらえなかったから来ただけで……」
「じゃああんまり人間に恨みとかないんだ」
「ないよ!」
「でも毎日数十万単位が殺し合う状況にはしたんだね……」
「びっくりだよねえ」
姉は笑った。
彼も笑うしかなかった。
「姉ちゃんには具体的なビジョンとかないの?」
「なんの?」
「この戦争の行く果てっていうかさ……勝ちたいとか、維持自体が目的とか、そういうのって――」
ドォン! という太鼓の音が響く。
どうやら今日の戦争も、始まったようだ。
「――ないのかな、って思ってさ」
「こーちゃんは難しいこと考えてるね……偉いね……」
「いや、まあ……難しいのかもしんないけど……俺さ、戦場に立って色々わかったんだよ。たしかにこの戦争は今、熱い。みんなやる気に満ちてるんだけど……気付いたんだよね。姉ちゃんが来てからだろ、今の形式になったの」
「えーっと……」
「まだ『死のない戦』が始まってからはあんまり日が経ってないんだよね?」
「うん。数ヶ月ぐらいかな。あ、でも、人間側はもうだいぶ前から『死なない』戦だったよ」
「そんな状況の中、姉ちゃんがモンスター側に味方して、戦争は今の形式になった」
「そう」
「だからさ、今はみんな熱いし、やる気あるし、楽しんでもいるけど――いずれ飽きてくるんじゃないかなって思うんだよね……」
「飽きたらだめかな?」
「ダメってわけじゃないだろうけど……ただの遊びじゃなくって、いちおう、領土がかかってるわけじゃん? なんていうか……」
彼が怖れていることが、一つだけあった。
戦争に勝つ一番手っ取り早い――難易度はともかく――方法があるのだ。
それは、『相手側のネクロマンサーを暗殺すること』。
相手側が復活できなくなれば、この戦争のバランスはあっというまに傾く。
だから、今の状況に誰か偉い人が焦れて、暗殺の脅威に姉がさらされるのは怖ろしいし――
相手側のネクロマンサーをモンスター側の暗殺者が殺してしまい、『復活できない本当の殺し合い』に発展していくこともまた、怖ろしい。
彼の育った環境で『人殺し』は『悪』だった。
今は色々状況が整っているからできるものの、本当の意味で相手の未来を奪わなければいけない状況になったら、迷いなく人殺しをできる自信はまったくない。
とかいうことを考えてはいるのだけれど――
「……まあ、なんていうか、不安なんだよ。みんなが飽きた時になにが起こるのか、さ」
まだ幼い姉に正直に全部語ることでもないな、と彼は判断した。
……会話の流れが失敗だったな、と彼は思う。
散発的に抱いた不安を考えながら話しているせいだろう。
姉の前だとどうにもノーチェックで色々垂れ流してしまう――心が幼稚園児に戻っているのだ。姉が死んだ当時の自分と同じ精神年齢に。
「こーちゃんは『心配しい』だね」
姉が――
輿の上にうつぶせに寝っ転がり、彼の頭をなでて、言う。
彼はなんとなく居心地の悪さを覚えた。
周囲の虫人たちが――世話役のチョウチョたちが、最後列で護衛なのか予備選力なのかわからないが控えているアリたちが――こちらを見ているような錯覚を覚える。
「……姉ちゃん、もう飽きるほど言ってるけど、俺はもう幼稚園児じゃないんだよ」
「でも、お姉ちゃんにとっては、いつまでもかわいい弟だよ」
「…………」
「こーちゃんは考えなくっていいんだよ。お姉ちゃんがなんとかするから」
「……」
「だから安心して、異世界を楽しんでね」
姉が微笑む。
彼は――目を閉じた。
その提案はとても心地よかったし、従ってしまいそうになる魅力があった。
実際に、しばらくは『異世界を楽しむ』しかないのも事実だろう。
見えていないものが多すぎる。
知らないこともまた、たくさんあった。
だから状況に流され、その中で――
自分の力を発見していって。
もしも彼が心配するような『みんなが戦争に飽きる時』が来たら、その時に、この力で姉を助けたい。
――今度こそ。
守られる側ではなく、守る側になりたいなと、彼は思った。