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21話

 ――死体の山の中から誕生するモノがいた。

 ソレは硬く分厚いサナギを破り、紫色の毒々しい粉をまき散らしながら現れる。


 クシャクシャの羽根をはためかせて。

 美しい顔を空へ向ける。


 周囲の人間たちは、その姿に思わず手を止めていた。

 見惚れているかのような顔で、誕生した生命を見ている。

 死を糧とし死体の山から現れたそのイキモノ、それは――



「なんでぇお嬢ちゃん、チョウチョじゃなくて『ガ』じゃねえか」



 ――そばで見ていた黒アリは笑う。

 右目に傷のあるそいつは、笑って――



「美人だぜ。女神に見えらあ。――まあ、命を懸ける価値はあったよ」



 ――息絶えた。

 全身十五箇所を槍で貫かれ、無数の切り傷や打撲、手足のうち合計三本がほとんどくっついていない壮絶な死に様であった。


 ――彼女は。

 大人として誕生した彼女は、鳴く。


 声にならない叫び。

 だけれど、周囲で戦っていた人間たちは、そろって身をすくませた。


 ――恐怖だった。

 なんという美しさ(おぞましさ)だろう。


 ヒトのようなシルエット。

 だけれど額から生えた触覚や、皮膚にある独特な、目にもにた黄色い模様、さらに背中にある大きな翼――全体が毒々しい紫色を基調としていることなどが、ヒトであるという可能性を否定している。


 そのイキモノはクシャクシャの羽根に力をこめて伸ばすと、舞い上がった。

 瞬間、翼から無数の細かい粉が舞い落ちる――鱗粉だ。


 霧のように鱗粉をまき散らしながら滞空するその姿に、誰もが目を奪われていた。

 ヒトに似て、しかし決してヒトではないモノ。

 ……そのイキモノに、ほんの一瞬、神聖さを感じてしまったとて、責められることではないだろう。


 そのイキモノは周囲を見回した。

 紫色の複眼でなにかを確認している――たぶんそれは、倒れ伏しもう動く者のいなくなった虫人(みかた)の状況や、なおも自分を囲む、おそらくは味方を殺したと思しき人間とかなのだろう。



「……あのヒトに、報告しなきゃ」



 つぶやくと、ソイツは翼をはためかせ、飛び去って行く。

 あとには紫色の霧が残され――


 ――次々に。

 鎧をまとった兵士たちが、倒れ伏していく。


 ――毒。

 どうやら鱗粉にはそのような効能があるらしい、が――


 なぜだろう。

 倒れていく兵士たちは、みな幸福な夢でも見ているかのように、微笑みながら死んでいた。





 損傷は軽微。

 だけれど総合ダメージで言えば何度死んでいるかわからない。

 英雄ベラの矢を受けるということは、死ぬほどの痛みを繰り返し繰り返し、飽きもせず受けとめ続けるということに他ならない。



「その場のノリでひどい役割を引き受けてしまった」



 彼は心底後悔していた。

 これがもう、本当に、『その場のノリ』以外の理由が思いつかないのだから、救いようがない。



「っていうかしぶとすぎだろ! 直撃しなきゃ死なねーとかほんともうモンスターは理不尽だよなあ!」



 高台の上。

 盾を構えた、一辺が十人三列横隊、合計百二十人の兵隊の中央で、ベラが叫ぶ。


 叫ぶだけではもちろんない。

 彼女は、矢を放つ――彼を狙って。


 彼は漆黒の腕に力をこめた。

 左腕――まだ再生が終わっていない。あちこち炭化し、未だ赤熱している箇所もある。

 右腕――再生は終わっているが力がこもらない。一矢ごとに腕を蒸発させてくる威力の矢を受け続けたせいだろう。痛みの感覚は麻痺し、ただのしびれが腕にまとわりついている。


 彼は右腕で迫り来る矢を打ち払った。

 その瞬間、再生したばかりの腕がボコボコと泡立ち、爆ぜた。



「……一矢ごとに腕を飛ばしてくるとか、そっちも充分理不尽ですけどね!」



 叫ばなきゃやってられない。

 ベラは笑う。



「いやいや。どっちが先に理不尽かで言えば、モンスター側のそもそもの性能が理不尽なんだよ。だから人間側としちゃあ、お前らの理不尽さに対抗するために、理不尽な術を身につけざるをえねーってわけさ」

「……」

「つらいなら、やめてもいいんだぜ?」

「……」

「イモムシを守ってるから、突っ込んで来れねーんだろ? だったらやめちまえよそんなの。そもそも、あのイモムシにそこまでして守る価値ねーだろ?」

「……」



 まあ――

 ない。


 ない、のだけれど。

 それでも彼は、



「やめません」

「へえ、どうして?」

「どうしてって言われると……意地、ですかね」

「へっへっへ」

「なんですか、その笑いは……」

「いや、新兵丸出しだったのにだんだん染まってきたなと思ってさ。自分の命に価値を見いだす方法を自然と実行し始めてやがる」

「どういう意味ですか?」

「どうせ死ぬなら気持ちよく死にてーだろ?」

「……」

「『俺が勝利に貢献した』とか『俺のお陰であいつが助かった』とかさ、そういうふうに、自分に酔って死にてーのがヒトってもんだ」

「ベラさんも?」

「いや、あたしは金のためにやってる。出来高制だからな」

「……」

「だがまあ、言い換えりゃあ『あたしが命を懸けたお陰で稼ぎが増えた』っていう自己満足のためにやってるとも言える。つまり、なにか命を懸けるに足る大事そうなもんを、あたしたちは毎日求めてるってわけさ」

「…………なるほど」

「で、あたしはそういうの、尊重することにしてるんだ。敵だろうが味方だろうが、毎日顔を合わせる相手だからな」

「?」

「特別に射らねーでやるよ。後ろを見な」



 策略だろうか?

 そういう考えもチラリと頭をよぎらないでもなかったが――


 彼は、言われた通りに、後ろを向いた。

 そして、発見する。



「……なんだ、アレ」



 ソレは戦場を紫色に染めながら迫り来るナニカであった。

 どうやら飛行し、紫色の霧を――いや、粉をまき散らしているらしい。


 その粉を浴びた者は、なぜか幸福そうな顔で倒れている。

 倒れているというか――死んでる。

 どうやら虫人(ちゅうじん)には効き目が薄いようだが、お陰で戦況があちこちで大きく虫人側有利に傾き始めていた。


 彼は、その粉をまき散らすモノに視線を向ける。

 そいつは額に触覚を生やし、紫色の複眼を持った、美しい少女のような、しかし決して人間的ではない、羽根の生えた生き物で――

 強いて言えば。



「……()?」



 蛾だった。

 目をこすって見てみても、まごうことなき蛾である。


 まあ、戦場は広いし、たしかに戦線を構築する虫人のほとんどがアリとはいえ、そこはやっぱり虫人なのだから、他にもバリエーションがあるのだろうが……

 彼が布陣していた戦線の南側に蛾がいたような記憶はない。


 彼が首をかしげていると――

 蛾が、叫ぶ。



「コーチャンさーん! イモムシは蛾になりましたよー!」

「お前イモムシかよ!?」



 チョウチョになりたいとか言ってた気がするのだが……

 どうやら蛾だったらしい。


 そもそも蛾の幼虫って緑色のイモムシだったっけとか、その他様々な疑問が彼の中にうずまいたいが――

 異世界の生物である。

 彼の元いた世界の基準で計れないし、元いた世界には人間に羽根を生やしたような、言葉を操る知性を持つ蛾など存在しなかったので比較するだけ無意味だろう。



「っつーわけで、おめでとうコーチャン。お前の守ろうとしたイモムシは、立派に成長して戻ってきたわけだ」



 ベラが言う。

 彼は慌てて視線をベラへ戻し――



「……えっと、『ありがとうございます』ですかね?」

「迂闊にあたしに礼を言うなよ。『感謝を命で示せ』とか言うぜ」

「……」

「それに、あたしはマジでイモムシを狙ってた。守り通したのはお前の力だよ。……なかなかいいもんだろ、自分で設定した目標を達成できるってのは」

「……そうですね」

「そして――目標を達成して自己満足にひたってるお前を射貫けば、あたしの目標も達成されるっつーわけだな」

「…………そう、ですね」

「悪いが今日は勝ちに行くぜ。前はお前の足止めが目的だったが――今日はお前さえ倒せば好き放題戦場を荒らしていいって言われてんだ。そしてあたしの給料は出来高制だ。この意味がわかるな?」

「ええと……」

「今日のあたしは未だかつて無いほど、やる気に満ちあふれている」

「……」

「つーわけで願わくば大人しく死んでくれ。もういいだろ? 満足したろ? じゃあ、死のう? 死んであたしの糧になって?」

「あなたはブレませんね……」

「あたしの経済的に安定した幸福な生活のために、その命もらい受ける」

「じゃあ俺は――成長したイモムシさんの前で格好つけるために、死なないよう努力します」

「いいんじゃねーの。男が命を懸けるには充分な理由だ」



 ベラは笑う。

 彼も笑い――


 ――矢が、放たれた。


 それは狙撃可能な大砲とさえ呼べるシロモノだ。

 爆発による広範囲の巻きこみ、触れれば触れた箇所を蒸発させるほどの威力、なにより弓の英雄ベラの技量により狙撃銃の精度をもって彼の胴体に迫り来る。


 だが自分を狙って放たれているのならば回避は難しくない。

 さらに彼は、イモムシを守る戦いの中で己の体の扱いをだんだん覚え始めていた。


 ――飛翔する。

 迫り来る矢を右腕で打ち払いながら、背中にある三対の翼でベラと同じ高さを目指す。


 彼女の周囲を固める兵士たちは、あくまで地上に立つだけのモノ。

 その頭上を通り抜けることができれば、いかな堅牢なる盾とはいえ、物の数ではない。


 恐るべきは槍により足を引っかけられることだが、それも考慮し、彼は充分な高度まで跳び上がってから、ベラへ向けて前進を開始している。

 ――だから慮外なできごとがあったとすれば、それは。


 ベラが二矢目をつがえている。

 だが、ただの矢ならば彼の肉体には通らない。

 ベラの強力な矢にはタメの時間が必要なのだ。だからこそ彼女は一騎打ちにおいて最弱であり、こうして高台に乗って、周囲を兵士に固めさせないと実力を十全に発揮できない。


 そのはずが――

 ――つがえられた二矢目には、すでに赤い光が宿っていた。



「!?」

「奥の手――だ!」



 ベラの短い声とともに、ありえない装填速度で二矢目が放たれる。

 それはたしかにあの破壊的な赤い光をたなびかせながら、空中で『二矢目はない』とたかをくくっていた彼に迫る。


 ――打ち払うか?

 ダメだ。右腕はまだ再生が終わっていない。ここで左腕を失えばベラに近付いてもすぐさま彼女を殺害できない。慣れない足や牙による攻撃は、彼女に回避される危険性がある。


 ――回避するか?

 無理だ。翼の扱いは今日覚えたばかり。急な進路変更や細かい移動はまだできない。

 真っ直ぐ、全力で飛ぶ――それが精一杯だ。


 ……そうだ、だから、考えること自体が無駄なのだ。

 彼は加速した。


 矢に向けて真っ直ぐに突っ込む。

 ベラの矢の破壊的な威力は知っているし、実際に殺されもした。胴体を貫かれればほどなく体は蒸発して跡形もなく消え去るだろう。


 だが――『ほどなく』とは言え、即死ではない。

 ならば。

 ――胴体を矢が抜けてから体が爆ぜる前にベラを殺す。



「ハッ!」



 驚愕したような、喜ぶような、ベラの短い叫び。

 彼女が三矢目をつがえる。


 まさか――三連射まで可能なのか。

 彼は一瞬焦るが、もうどうすることもできない。


 ――二矢目が、胴体を抜けて行く。

 すさまじい熱さが胸を中心に全身へと広がっていく。

 ボコボコと内部からの熱に負けるように肉体が泡立ち、爆ぜようとしている。


 長くはもたない。

 そして、もう一矢はさすがに、受けきれない。


 ベラが矢を引き絞る。

 彼は泡立つ体をおして全速力で飛ぶ。

 ベラはもう間近にいた。

 残った左腕を振りかぶる。

 同時にベラが三矢目を放ち――


 ――コツン。



「あたしの負けだ。二射が限度だよバカ野郎」



 言葉で言われたのか。

 それとも、目で語ったのか。


 どちらかはわからないが、たしかに彼はベラが微笑を浮かべるのを見て――

 その左腕で、ベラの体を切り裂いた。



「……今日も引き分け――」



 彼はベラの立っていた高台の上でつぶやく。

 体が軟体生物みたいにボコボコとふくらんでいて、すぐにでも爆ぜそうなエネルギーが体内で渦巻いているのがわかる。



「コーチャンさん!」



 毒鱗粉を巻きながら、イモムシが――いや、ガが来る。

 その、無事に羽化した姿を見て、彼は――



「――まあ、今日は勝ちでいいかな」



 そう言って、最期に軽く笑った。

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