18話
「だーかーらー! お前が戦場に立ったらこっちも英雄クラスが出なきゃいけねーって言ってんだろ!? そんなにあたしを稼がせてどうすんだよ! マジでありがとなコーチャン!」
罵倒かと思いきやお礼だった。
――緒戦は終わり、戦闘は中盤にさしかかろうとしていた。
二日も見ていれば気付くが、この戦争には大きく三つのフェーズが存在する。
一つは『緒戦』。
横一列に並んでぶつかり合う、一番最初の段階だ。
隊列とか伍とかが活きる段階であり、横並びになって足並みそろえて敵にぶつかっていくので、もっとも激しく、もっとも『戦争』という感じがして、もっとも死者が出るのがこの段階であった。
そして、今は中盤戦――『乱戦』の段階だ。
緒戦でぶつかり合い、削られ、隊列を乱された者どもが、近くの味方とテキトーに組んでそこここにいる敵集団を狙って遭遇戦を繰り返す段階だ。
ここらあたりから個人の実力や経験というものが活きてくる。
そしてここで生き抜いた者が、終盤戦へと進んでいくのだが――
ともあれ今は、中盤戦。
彼とイモムシは、英雄ベラに遭遇した。
「ベラさん……よく会いますね……」
彼は緊張から喉の渇きを覚え、生唾を呑み込む。
昨日の敗北は――両者死亡で痛み分けだが、彼としては負けたと思っている戦いは、まだまだ記憶に新しい。
昨日よりは近くで遭遇できたが――
それでもベラは移動式の高台に乗っており、彼女の周囲には盾を構えた屈強なる部隊が展開していた。
こちらにも兵隊アリが十五名いて、アリたちは彼の指示に従う様子だが、ベラの矢の前では『数』に含められないだろう。
「おう、コーチャン! あたしの給料のために死ねや! こちとら出来高制なんだよ!」
戦場に甲高い声を響き渡らせながら、ベラが弓を引き絞る。
相変わらずの軽装。毛皮でできた露出度の高い衣装を身にまとい、褐色肌をおしげもなくさらし、跳ねた赤い髪はまとめられてもいない。
それでも、その実力は――矢の威力はたしかだ。
だから彼は――
「待ってください!」
叫んだ。
戦いの音――金属同士のぶつかる音や、人々の叫び声、数十万人の足音が奏でる振動音など――が響く戦場の中、彼の声はよく響いた。
そのせいで、周囲で乱戦をしていた人間側虫人族側の兵士たちが、彼と、叫べば声が届く距離を挟んで向かい合うベラに、注目を始める。
「なんだよ!」
少しだけ静かになった戦場で、ベラの叫びはよく反響した。
彼は彼我の距離を目ではかる。
ベラの『赤い矢』ならば、三発は撃たれる間合いだ。
彼女の矢は地面を穿ち、周辺一帯の兵士をあとかたもなく消し飛ばす破壊兵器だ。
回避自体は可能だが――今から戦いを始めれば、周囲への被害は甚大となるだろう。
だから彼は言う。
「俺は動かないから、このイモムシさんが離れるまで待っててくれませんか!?」
「はあ!? なんでだよ!」
「だって、あなたの矢を受けたら、死んでしまいます!」
「殺すつもりで撃ってんだよ!」
「このイモムシはか弱い生き物なんですよ! それでも成虫になるために戦場に来たんです! その想いを汲んで、どうか少しだけ待ってくれませんか!?」
「なんで成虫になるのに戦場に来る必要があるんだよ!?」
「人間を殺さないと成虫になれないらしいんですよ!」
「おぞましいモンスターじゃねーか! 少なくともか弱い生き物の生態じゃねーよ!」
「……くそっ、否定できない!」
彼は無力さに歯がみする。
横でイモムシが「否定してくださいよお!」と高めの声で叫んでいた。
そうだ。
ここで退くわけにはいかない。
なぜって――ここでなにもできずに死んでしまえば、このイモムシは二度と戦場に来ないだろう。
そして人間を誘拐し一から溶かし殺すプランを提案してくるに決まっているのだ。
それだけはなんとしても避けねばならない――体はこんなんでも、彼の心は人なのだから。
「べ、ベラさん! このイモムシは無害です!」
「殺人イモムシのどこが無害なんだよ!」
「見てください! あなたならこの距離でもわかるはずだ! このイモムシが、剣も鎧もつけていない、どころか手足さえないことが!」
「わかるけど、それがなんだよ!」
「このイモムシは攻撃手段を一つしか持たないんです! だからどうか、目こぼしを!」
「ちなみにその『唯一の攻撃手段』はなんだよ!」
「『唾液で溶かすこと』です!」
「うわ、えっぐい……」
「……くそっ! その通りだ!」
彼は無力さに歯がみする。
隣でイモムシが「生態なんですから仕方ないじゃないですか!」と叫んでいた。
彼は――
「と、とにかく見逃してください!」
「――『我が一矢は大地を穿つ』」
「やばい、本気で殺す気だ……なんて話の通じない人なんだ……昨日はつぶやいてもなかった呪文みたいなのまで言ってる……」
「うるせえ最初の一矢はちゃんと詠唱してたわ!」
「……ん? つまり最初の一矢は詠唱が必要? 最初の一矢を射るのは、他の矢より時間がかかるんですか?」
「……………………」
「…………………………」
「…………『我が手に宿るは原初の火』」
何事もなかったかのように詠唱が継続される。
時間がかかるらしい。
だから――
彼は叫んだ。
「アリさんたち!」
ザッ、と。
彼についてきていた十五名のアリたちが姿勢を正す。
黒光りする体の、槍を装備した、瞳の綺麗なアリたちは、全員が彼に視線を向け、指示を待っている。
「イモムシさんを、なるべくここから遠ざけてください! そして立派なチョウチョに、どうか……!」
――オオー!
アリたちは雄叫びをあげると、あっというまにイモムシを掲げるようにかつぎ、走り始める。
完全に巣に運ばれるエサの様相を呈していた。
イモムシが叫ぶ。
「コーチャンさーん!?」
その叫び声はだんだん遠ざかって行く。
彼は砂塵の向こうへ消えていくアリたちを見送り――
ベラに視線を戻した。
彼女の弓には、すでに赤い光を宿した矢が装填されている。
「なんつーかさあ」
ベラは苦笑し――
「失策だよなあ」
「……失策?」
「いや、だってさ、あたしはまあ、お前の存在を確認した司令官サマに、お前を足止めするように頼まれたわけだけど――」
「……」
「――お前とこの距離で向かい合うことになったのは、はっきり言って不幸な偶然だったわけだよ」
「……まあ、発見次第飛びかかれば、一方的にあなたを殺せた距離かもしれませんね。周囲の犠牲さえいとわなければ」
「だろ? ところがだ。お前がイモムシを逃がすために色々やったお陰で、あたしは準備が終わったし、お前と雑談して時間稼ぎもできるし、なにより――人質を得たわけだ」
「……」
「狙うぜ、あのイモムシ」
「…………」
「お前を狙うより、楽にお前を殺せそうだからな。ダメだろ、敵の前で大事なものを大事そうに扱っちゃあ。そんなわかりやすい弱点、突かれるに決まってんじゃん」
「なるほど。たしかにそうですね。勉強になります」
「卑怯とか言いださねーんだ?」
「俺があなたの立場でもそうすると思うので。それに、言ってみたいセリフがあったんですよ。俺の元いた場所じゃあ、なかなか言う機会がありませんでしたけど」
「なんだ?」
「『ここは俺に任せて先に行け』」
「……それさあ」
「はい?」
「去って行く仲間に向けて言うヤツじゃねーの?」
「…………そうですね」
イモムシもアリたちももういない。
周囲で戦う人間と虫人はいるが、彼らに向けてもしょうがない。
彼は苦笑する。
ベラは爆笑する。
「あーもう、マジで最高だなお前! いたたまれねーなあ! かわいそうだから――あのイモムシ、殺してやるよ。明日同じ状況で、もう一回言え」
「イモムシさんが明日戦場に立つとは限らないので、俺としては今日中にどうにか成虫になってほしいところですけどね」
「じゃあ――守ってみせろよ、モンスター!」
ベラが矢を放つ。
イモムシを狙う軌道――振り返ることのできない彼から、イモムシがどこにいるかは確認できないが、間違いなく、その矢はイモムシを狙っていることだろう。
だから彼は、放たれた矢に飛び込んでいく。
モンスターを守るために、英雄の攻撃をしのぎきる。
彼の今日の戦いはどうやらそういうものらしい。




