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17話

『じゃあ、今日も、明るく楽しくアットホームな、死のない戦の最前線勤務、始めるよー!』



 青空に大写しにされた姉のホログラムが、キラキラという効果とともに動いたり腕を振り上げたり笑ったりする。

 すると地上に居並ぶ虫人(ちゅうじん)たちは端から見て怖いほど大興奮で、槍などを手に地面を四本足(全部で六本生えた四肢のうち二本は腕)で踏みならし、歓声や奇声をあげたりして大地が揺れるのだった。


 毎度お空でキラキラするだけで兵士の士気を最高潮まで持って行けるとかものすごい。

 まあしかし――しょうがないのだ。だって姉はかわいいから。



「ウオオオオオー! 姉ちゃーん!」

「あ、あの、コーチャンさん……?」

「……あ、はい。失礼しました。でもほら、イモムシさんも今盛り上がっておかないと、あとあと心がもたなくなりますよ」

「え……」



 緑色の、全高二メートルぐらい、全長三メートルぐらいの、顔のないずんぐりぶよぶよした生き物は、たじろぐように全身をうねらせた。

 ひいているように見える。


 怖がっているのかもしれない。

 なにせここは最前線最前列。


 彼とイモムシの背後には数十万のアリたちがおり、前方にはこれもまた数十万の武装した人間たちが存在する。

 そしてこれから始まるのは殺し合いだ。

 痛くて怖くて一日に一回ぐらいは死ぬこともある、殺し合いなのである。


 復活できるから――そういうのはなんの慰めにもならない。

 病気が治ると言われたって注射は怖いし、健康になるからと言われたってトマトは苦手だし、いくら『生き返るから大丈夫。安心して』と言われたって死ぬのは怖いのである。

 いちいち言うまでもなく当たり前のことだ。



「イモムシやだ……戦場って、ほんと、イモムシ……」

「『イモムシ』とは」

「『悪い意味ですごい』とか『ありえない』『気持ち悪い』とかそういう意味です」

「あの……それはイモムシ界隈では一般的に使われている表現なんですか?」

「いえ、イモムシ界隈にはもう、私しかイモムシがいないので……」

「そうなんですか?」

「はい……こんな状況ですからね。今時の子は本当に大人になるのが早いんですよ。先月生まれた姪っ子がもう立派な成虫になって、先日アラクネさんの巣に絡まっていたそうです」

「…………あの、その姪っ子さんは生きていらっしゃるんですか?」

「アラクネさんはいい虫人なので大丈夫でした」



 悪い虫人だったらどうなっていたというのか。

 どうにも虫人族とひとくくりにしてはいるものの、あんまり一枚岩ではないのかもしれない。


 まあ――モンスターだ。

 人間の常識――特に異世界人である彼の常識ではかるのは、ちょっと違うだろう。



「えーっと……ともあれ、まもなく太鼓が鳴ったら、戦いが始まります」

「……はい」

「とにかく最初は走ることです。さもないと後ろの味方に踏み殺されるので、なにがなんでも前へ出ることです。いいですか?」

「あの、レクチャーのタイミング遅くないですか? 最前線に配備されてからけっこう経ってますけど、なんで戦闘開始ギリギリの今、いきなり説明を始めるんでしょうか……? イモムシわからないです……」

「俺もこうされたので、なにかギリギリで説明を開始しなきゃいけない文化でもあるのかなと思って……」

「ないですよ……そんな文化、あったって、イモムシです……」

「イモムシとは……」

「『マジありえない』という意味です……」

「まあたしかにイモムシですが、とにかく走って前へ出ないと死にます」

「前に出れば死なないですむんですか……?」

「前に出ても死にます」

「どうしたら死にませんか……?」

「戦場に立たなければ死なないかもしれません」

「手遅れじゃないですか……そんな場所にか弱いイモムシを連れて来たんですか……?」

「でも人を殺すなら自分も命を懸けないと不公平じゃないですか。イヤですよ、さらって拘束してジワジワ溶かし殺させるとか……生き返ったご本人になんとお詫びすればいいか……」

「不公平でいいじゃないですか! イモムシは努力なんかしたくないんです! 努力とか本当にイモムシです! だいたい、走れませんよ!」

「なぜ」

「そういう体の構造になってないからです!」



 イモムシには手足がなかった。

 這って移動する生き物である。

 そしてその移動速度は決して速くない。

 ここまで来るのに行軍してきたわけだが、みんなが普通に歩く速度でも精一杯という様子であった。



「…………あっ」

「『あっ』じゃないんですよ! ああああああ……! イモムシでイモムシです! 本当にイモムシ! イモムシはイモムシなんですからね!?」



 イモムシらしい。

 が、困った――走れないというのはもう死亡が約束されているようなものだ。


 戦争をやっている今はもちろん――

 戦争状態になかったころだって、こんなデカイイモムシがのたのたしていたら、発見され次第討伐されるだろう。

 それが人間を殺さないと成虫になれないのだから、世界が今の状況になる前、成虫に到達するイモムシはさぞ少なかったに違いない。


 こうして異世界人の姉により世界はちょっとずつ変わっていくのだ。

 たぶん望まれない変化なんだろうなと彼は思う。


 ここで踏み殺されるのが、イモムシ的に正しい未来なのかもしれないが――

 それはあんまりにもイモムシだ。



「……わかりました。じゃあ、最初は俺が背負います」

「あの……背負われても……つかまったりできないんですけど……」

「じゃあ、抱えます」

「コーチャンさん、優しい……」

「乱戦状態になったら放り出しますから、そこからは周囲と協力したりしてどうにかしてください……」

「コーチャンさん、イモムシ……」

「俺はイモムシじゃありません。俺は……俺は……」



 漆黒の硬い甲殻だかウロコだかに覆われた体表。

 ドラゴンフェイス。

 背中にはコウモリめいた三対の翼。

 伸び縮み自在の手足の爪。



「……俺は、なに?」

「あああ……コーチャンさん……! 今にも戦いが始まろうとしてるのに自分を見失わないで……! コーチャンさんがぼーぜんとしてたら誰がイモムシを大人にしてくれるんですか……」



 イモムシを大人にする。

 取り扱いに困る表現だった。



「と、とにかく、抱えます。いいですか?」

「あ、はい……あの、子供みたいな体で、触ってもあんまり楽しくないでしょうけど……」

「まあ幼虫なので子供みたいな体ではあるんでしょうが……」



 成虫になったら触って楽しいかと言われれば、疑問だった。

 彼はイモムシを抱きあげる。



「うわ……柔らかい……!」

「あ、あの、そういう感想は思っても口にしないでください……! イモムシにも羞恥心はあるので……!」

「ああすいません、なんか意外と生き物みたいな柔らかさだったもので、つい」

「もう……い、いいですけど……優しくしてくださいね?」

「ああ、はい。気をつけます」



 イモムシとラブコメみたいな会話をしてしまった。

 うねうねと腕の中でイモムシが照れたようにのたくる。



「……あの、イモムシさん、素朴な疑問なんですけど」

「なんです?」

「あなたは男性なんですか? それとも女性?」

「え、見てわからないですか……?」

「すいません、その……俺、虫の雌雄の見分け方に詳しくないもので……」

「まあ、イモムシは幼児体型ですしね……」

「…………それで」

「ふふ、実はですね、イモムシはこう見えて――」



 ドォン!

 戦闘開始を告げる太鼓の音が、砂塵舞う平原に鳴り響く。



「――です」

「ああっ! 太鼓の音で聞こえなかった!」

「コーチャンさん、後ろから、アリが! アリが!」

「あの太鼓の音、わざとやってんじゃないか!?」



 ともかく走った。

 こうして本日も死のない戦の最前線勤務が始まる。

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