16話
「羽化したいんです。立派なチョウチョさんになりたいんです」
そんなこと言われても。
彼と姉は、ベッドの上でくっつくような体勢のまま顔を見合わせた。
別に虫がしゃべったからおどろいているわけではない。
今さらだ――この世界で彼と姉はモンスター側の勢力についている。
その中には『虫人族』という種族もいて、彼らは巨大な虫、または虫と人を合わせたような見た目をしており、普通にしゃべる。
だから彼と姉が絶句しているのは一点、『羽化したい』といきなり言われたことについてだ。
巨大なイモムシはベッドそばでプルプル震え――
「実は私、二十年間幼虫をやってまして……そろそろ成虫になりたいんです」
巨大イモムシはぼそぼそとしゃべる。
なるほど声がやけに高いのは幼虫だからか――と彼は思いつつも、
「あの、イモムシさん」
「あ、は、はい、すいません、困りますよねこんな、イモムシのことばっかりいきなり話されても……」
「まあそうなんですけど……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、私、いつもこうで……あ、あんまり人とお話ししなくって、だからいつまでも大人になれなくって……すいません、イモムシすいません……」
めんどくせーイモムシだった。
だが、彼は共感を覚えないでもなかった――いるのだ。話すのが不器用だったり、会話をしようとがんばってつい自分のことばっかり話してしまったり、そういう人が。
そして彼も、元いた世界ではそういう部分もあった。
いきなり話を振られたりして、相手がリア充っぽかったりすると、おどおどしてしまって、なにを話していいかわからず、結果として自分のことばっかり話して、変な顔をされるのだ。
だから彼は考えて――
イモムシに話しかける。
「イモムシさん、事情はよくわかりませんが――ゆっくり、最初から、話してください。まず、あなたがここをおとずれた理由は、あなたの『羽化したい』という願いと関係があるんですか?」
「あ、ああ、はい。すいみません、イモムシですみません……お気遣いありがとうございます。実は、ええ、その、あるんです。関係。ああもうどこから話したらいいか……私ったら会話が苦手で本当イモムシ」
プルプル震える。
なぜだろう、彼は虫が苦手だったのだが、このイモムシはちょっとかわいい。
「イモムシとしましては、こんなこといきなり申上げるのももう完全にイモムシって感じなんですけど、でも、イモムシなので……」
イモムシは種族の名前なのか蔑称なのか罵倒の言葉なのかどれなのだろう。
彼はだんだんイモムシという言葉がよくわからなくなってきていた。
「あの、イモムシはですね、羽化したいのです」
「それは聞きました」
「えっと、それで我らは羽化前にサナギになるんですけど、サナギになるには儀式が必要なんですよ」
「その『儀式』とは?」
「人間を殺すことです」
「…………」
目の前にいるのがモンスターだったなと彼は思い出した。
だが――まあ、今の世界の情勢であれば、そう大事件でもない。
「あの、イモムシさん、たぶん今日も戦争やると思うので、そこで経験を積んでみたらどうでしょうか? 結構簡単ですよ? 人を殺すのは――って、なにを言ってるんだ俺は!?」
「ひぃっ!? イモムシです! イモムシごめんなさい!」
「あ、いえ、イモムシさんに怒ったわけではなくってですね……」
「そ、そうなんですか……よかった……すいませんすいません、生きてるだけでイモムシですいません……」
イモムシなのだから、それは生きているだけでイモムシだろう。
イモムシとはいったい……
「……あのですね、イモムシはでも、戦場が怖いのです」
イモムシは言う。
それは彼が一瞬忘却していた、人として――彼の元いた世界においては――当たり前の感情であった。
「人間さんも怖いですし、戦うのも殺し合うのも怖いです。こんなこと言うからお前はイモムシなんだってイモムシみたいに思われそうですけど……」
「イモムシとはいったい」
「こんな、緑色で、ずんぐりしてて、のたのた動いて、ぶよぶよしてるイモムシなんかが、素敵なネクロマンサー様にお会いしてしまって本当にイモムシごめんなさい……はあ、やっぱダメかな……死のう……イモムシらしく……首吊りたい……でも私の首どこ……?」
「いえその、まあ、死んでも復活するでしょうけど……」
「死ぬことさえできない産業廃棄イモムシでごめんなさい……これじゃあイモムシじゃなくてゴミムシ……ああ、ゴミムシさんごめんなさい……」
「すいません、そろそろ話を進めたいんですが……」
ネガティブすぎて話がちっとも前に進まなかった。
イモムシとはなんなのか哲学しそうだ。
「あ、すいません……イモムシあとで吊ります……えっと、イモムシはでも、決意したんです。そろそろ大人になろうって。大人になるために、自分の殻に引きこもろうって」
「……ええと」
「サナギになろうっていうことです」
「なるほど」
「でも脆弱貧弱惰弱情弱のイモムシごときでは、戦場に立った途端仲間に踏みつぶされるのがオチです。そもそも兵隊アリさんたちはイモムシを食べるので苦手で怖いですし……」
「あー……」
「だからですね、ネクロマンサー様――ではなく、あなたにお願いがあるのです」
「俺ですか?」
「はい。どうか、このイモムシめがサナギになるのを手伝っていただきたいのです」
「どうやって?」
「えっと、戦場に一緒に行っていただいてですね」
「はい」
「あなたが人間さんを半殺しにしてですね」
「はい」
「とどめだけゆずってください」
目の前にいるのはモンスターだったな、と彼は思い出した(二回目)。
ともあれ――なるほど、イモムシの望みは言うなればパワーレベリングらしい。
どこかで先日の戦いぶりか、先々日の一騎打ちを見ていたのだろう。
たしかに彼の力であれば、人間の一人や二人半殺しにすることはたやすいが……
「でもですねイモムシさん、それって『アリ』なんでしょうか?」
「ええっ!? アリさん!? どこですか!?」
「違います。日本語が公用語にされたせいでややこしいんですが……とどめだけ刺して、それで成長できるものなんでしょうか? 俺にはあなた方の成長のメカニズムはさっぱりですが、人間を殺すことって、ようするに一人前になるとか、そういうことだと思うんですよね」
「イモムシの頭には難しいです……イモムシすいません……」
「えーっとつまり、『とどめだけ』刺しても、成長できない可能性があるんじゃないかなって。重要なのは結果ではなくて過程の方なんじゃないかと俺は思うんですけど」
「でも、イモムシの攻撃方法は『唾液で溶かす』しかないんですけど……」
「……」
とてもえぐい。
だがまあ、まあ、まあ――生態だ。
生態なら仕方ない。
「あ、そうだ、イモムシは、成虫的発想をしましたよ」
「ええと」
「とてもすごいことを思いついた、ということです」
「なるほど」
「なにも戦場に立たなくてもいいんです。誰かに人間さんを一人さらってきていただいて、服とかはいで拘束したところを、イモムシががんばって一から殺せばいいんですよ」
「……」
「そうしたら『とどめだけ』にはなりませんよね?」
ならないが……
どうあがいても地獄絵図だった。
彼は中身が人間なので、人間を地獄に放り込むことに抵抗があった。
「他の方法を考えましょう」
「成虫的発想だったのに……」
成虫がみんなそんな発想をするならモンスターは滅ぶべきだと彼は思った。
姉を連れて人間側につきたくなってくる。
「あの、イモムシさん、この世界は不本意ながら、死んでも死んでもチャンスがありますし、あなたにやる気があるんでしたら、普通に戦場に出て、死にながらだんだん強くなって、いずれ実力で人間を殺せる日も来るんじゃないでしょうか……」
「でもイモムシには問題がありまして……」
「どんな?」
「イモムシってば、そろそろ大人になりたいけど、大変な思いだけはしたくないんです……」
「……」
「昔から、怖いことと、大変なことと、努力が大嫌いで……だからちっとも成虫になれず今日まで草を食べて生きてきました」
「……」
「でも花の蜜っておいしいらしいんですよ」
「……」
「だからですね、イモムシもそろそろ成虫になって花の蜜を吸いたいなって、そう……」
「もう一生幼虫でいいんじゃないかな……」
「ええっ!? コーチャンさん、さっきまでイモムシの成長に協力的だったじゃないですか!?」
「だってあんた、ただのダメイモムシなんだもん……」
「だから最初からダメイモムシだって言ってるじゃないですか! 生きる価値もないゴミ以下のイモムシ、それが私なんですよ!」
「開き直るなよ!」
彼は思わず叫んだ。
その胸中には複雑な思いが渦巻いていて、その中で一番の複雑さを占めるものは『コーチャンっていう呼び名がこんなモブイモムシにまで浸透していること』であった。
「……とにかく、戦場に出ましょうよ。俺も同行しますから……まあ、うーん……あなたの付き添いならどうにか申し訳も立ちそうですし……」
「プランAですね」
「ねえよそんなもん」
「いえ、その、コーチャンさんに半殺しにされた人間さんをイモムシが溶かしていくアレですけど……」
「知ってるうえで『ねえよ』と言っているのです。わかってください」
「コーチャンさんはどうしてそんなにイモムシに厳しいんですか……? イモムシはただ楽に大きくなりたいだけなのに……楽したいっていうのは、そんなにダメですか……?」
「……」
彼は姉を見た。
――楽をする。
いけないことではない。
それで生きていけるのならば、楽して生きればいい。
自分が大変な思いをしてきたんだから、お前も大変な思いをしろ――そう言う人も世の中にはいるかもしれないが、彼はそこまで言うつもりはない。
それでも――
「一回だけ、がんばってみましょうよ」
「……」
「うまく言えませんけど、努力をしない人生は素敵でも、一度も努力をしたことがない人生はダメだと、俺は思うんです。だからあなたにも、一回ぐらいがんばってみてほしい。それでどうしてもできなかったら、その時はプランAでいきましょう」
「…………それなら、わかりました」
イモムシはうなずいた――体をうねうねさせて、一番前の部分を上下に動かしたので、たぶんうなずいたのだろう。
彼の元の世界の芋虫はどうだったか忘れたが、このイモムシにはおおよそ『顔』と呼べるものがないので、感情などがわかりにくいのだ。
ともあれ話はまとまり――
「こーちゃん、戦争するの?」
姉が首をかしげる。
彼はうなずいた。
どうにも今日も最前線。
しかも今日は保護者側だ。