13話
駆け抜ける戦場には命が満ちていた。
砂塵を巻き上げながら前へ前へ。一時の停止も許されず、また一瞬の迷いも許可できない。
彼は彼に最速を強いる。
さもなくば――
――光芒。
赤く尾を引きながら迫る矢は、彼に深い絶望を彼に与える。
実際アレは破滅をもたらす一撃であった。
ひとたび地に堕ちれば周囲すべてを消し飛ばす破壊兵器。
とてつもない距離から正確無比に彼の進路に『置かれる』英雄ベラの一矢。
だが、それだけにかわすことは難しくない。
今の彼には最高速を維持しながら進路を変える脚力があったし、さしもの英雄といえど放ったあとで矢の軌道を変えることはできない。
少しだけ進路をズラせばいい。
それだけで、破滅から――痛みから、衝撃から、逃れることができる。
でも。
彼は迫り来る矢を打ち払い、叩き折る。
「っ、ううううううう……!」
触れるだけで腕が蒸発するほどの威力。
ボコボコと自分の前腕がいびつにかたちを変え気体へ変化していくさまは、いくら再生するとはいえ見ていて気持ちがいいものではない。
なにより、信じられないほどの痛みを感じる。
脳に直接硫酸でもぶち込まれたような、一回一回視界が明滅するほどの激痛。
それでも彼は、ベラの矢を避けなかった。
だって彼は戦場を駆け抜けている。
たくさんの命が満ちた戦場。
人間と虫人族が争い殺し合う狂った世界。
決着を見込まない集団戦は、そこここで痛みや苦しみを生んでいる。
――無駄なことを。やめたらいいのに。
戦場に立つ前の彼ならば、そう切り捨てただろう。
――どうせこの戦いじゃ勝敗は決しない。
それは否定しようもない事実だ。でも、今の彼は『違う』と叫びたい。
ここにいるのは『その他大勢』だった。
戦の勝敗を決するわけでもない、ただの『数』。
『一人一人』を顧みられることのない、名前のない書き割りたち。
そう思っていた。
知らずに、そう思っていたのだ――そう、見下していたのだ。
今までは。
――たどり着く。
疾走の果て、ようやく彼は彼女との再会を果たした。
彼女の名はベラ。
赤髪、褐色肌。小柄な体を毛皮でできた露出度の高い衣装で包んだ――弓兵。
比類なき、弓の英雄。
彼女は移動式の高台の上に立ち、弓を引き絞り、彼を見下ろしていた。
彼と彼女を阻むモノは二つある。
一つはもちろん高台だ。
身長二メートルを超す彼が見上げるほど大きい。おそらく全高は十メートルぐらいあるのだろうか。木製の骨組みを皮で補強した程度の簡素なもののはずが、近場で見ればその圧迫感たるやすさまじいものがある。
もう一つは――戦列。
英雄ベラに矢を放つ時間を――引き絞り、力をため、狙いを定める猶予をあたえるためか、高台の周囲にはびっしりと盾を構えた部隊が配置されていた。
ただの高台、ただの部隊。
けれど英雄を頂点に頂いたそれらは、堅牢な城壁を備えた砦のようにさえ見えた。
「まったくイヤになるよ」
ベラが肩をすくめる。
相変わらず矢には赤き輝きが宿り、一瞬の油断さえなく視線で彼を見据えてはいるが――軽い調子で、彼女は言葉を続ける。
「ひでー性能差だ。再生とかしてんじゃねーよ。倒せねーだろうが」
「……ベラさん、強かったんですね」
「いや、最弱なのは嘘じゃねーんだぜ。他の英雄どもはもっとオールマイティだ。あたしは一芸しかない。こうやって――じっくり引き絞って矢を放つしかできねーんだよ。まあそれにかけちゃ誰にも負けねーけどな」
「……」
「ようするに、一対一にはこのうえなく不向きってことさ。これでも戦争が今のかたちになる前には大活躍してたんだがなあ」
幼くさえ見える彼女は、やけに老成したようなため息をついた。
そのギャップに彼は笑む。
「たしかに、戦場で出会ったあなたは怖かったです」
「そう言ってもらえると嬉しいね。いや、嬉しくねーな。怖いと言いつつお前はここまでたどりついた。どんな化け物相手でも全力の矢を放って近付かせたことはなかったんだがな。自信なくすぜまったく」
「……すいません」
「謝るぐらいなら死んでくれよ」
「それはできません」
「『命を大事に』か?」
「いえ。俺はあなたを殺しに来たんです。あなたに殺されに来たんじゃありません」
「……へえ」
ベラが八重歯をのぞかせ笑う。
そして――
「高低差を超えて、戦列を超えて、すでに『入っている』あたしの矢をくぐり抜けて、そこからあたしにたどり着けるとでも? 悪いが、昨日の一騎打ちみたいな笑える勝利はねーぞ。すでに魔力はこもってる。あたしの矢はお前を貫けるぜ」
「わかってますよ。何度も死にかけましたから」
「いいや、わかってねーな。お前が勝ちに来てるなら、こうしておしゃべりをしないで、ここまで来た勢いのまま、あたしに突っ込んで来るべきだった」
「……」
「足を止めた時点で、お前の勝ちはねーんだよ。動き出しに矢を合わせてやる。この距離なら造作もねーよ」
「足を止めたのは、あなたに謝りたかったからです」
「……謝る?」
「昨日は、殺してしまってごめんなさい」
「…………挑発か? だとしたらずいぶん安い」
「違います。本心からの謝罪です。今日あなたを殺すのは、謝りません」
「……」
「俺は昨日、一騎打ちの意味も知らずに、一騎打ちの場に立ってしまった。覚悟もせずに、あなたを殺してしまった。それを謝りたかったんです」
「覚悟、ね」
「この戦争はみんな、本気で命を懸けている」
「……」
「復活できるからといって、命は軽くならなかった。痛みは本物だし、恐怖は本物でした。死は苦しいものだし、戦友の死の痛みは薄れるものではないように感じます」
「そうだな」
「それでもみんな、必死で戦うんです」
「……」
「この戦争には『英雄』と『それ以外』がいて、集団戦に立つ人の多くは『それ以外』でした。彼らの戦いは趨勢を決しないし、彼らの戦いは国境線を動かさない。でも、彼らは自分が必死に戦うことで、一騎打ちをする者の力になると信じている」
「そうだな。まったく身勝手な思い込みだよ。背負わされる方はたまったもんじゃねー」
「……」
「こんな必死に戦われたら、命乞いでも泣き落としでもして、なんとか勝利を拾ってやろうって思っちまうだろ?」
ベラが笑う。
――それが、この集団戦の真の意味。
流していい。テキトーでいい。
彼の育った文化圏では、意味のないことを必死でがんばるのは愚か者と言われた。
実利がないことに血道をあげてどうなるのか。
どういう泥臭いのはバカのすることだ。必要なのは効率であり、無駄を省くクレバーな生き方こそ文明人のライフスタイル――そういう価値観の中で彼は生きてきた。
でも、この戦場で必死に戦う人を見た。
生命を最期の最後まで燃やし尽くして助言をくれた戦友がいた。
モンスターにぶつかっていく人間を見たし、人間の集団に単騎で挑むモンスターを見た。
血と泥にまみれた人々。
それは文字通り泥臭く、効率的ではなく、無駄だらけだった。
でも。
「俺が背負ったのは――俺に直接願いを託したのはたった一人ですけど、背負ってみたら、その重さと熱さにびっくりしました」
「……」
「この戦場にひしめく数十万人分の想いを背負ったらどんな気持ちになるのか、今の俺では想像するしかありませんけど……それはきっと、ものすごいんでしょうね」
「……ああ、すげーぞ」
想い。
効率的ではなく無駄だらけで、結果としてちっともクレバーではなく、文明人らしからぬ概念。カロリーでもジュールでもあらわせない物質的ではない熱量。
それがなんだ。
効率、クレバー、クソ食らえ。
熱くなってなにが悪い。
実益のないことに必死になって、なにがいけない。
この戦いが一騎打ちをする者の背を押すと信じて、なにが間違っている。
大声をあげて全力で殺し合え。
みっともなく転げ回って、泥まみれ血まみれになりながら駆け抜けろ。
人生においてこれほど必死になったことなどなかった。
自己を解放する喜びを知った。
苦労を共有した戦友のためになりたいと心から思っている。
この背中を押すのは冷たいものではない。
英雄になれぬ者たちが、英雄にかける熱い想いだ。
「ベラさん、俺はあなたを殺したい」
彼は告白した。
それは愛よりも熱い想いの宿った言葉だ。言っていて恥ずかしい。照れてしまって、ベラの顔を直接見ることが難しい。
でも、視線を逸らさない。
ベラもまた、彼の方を見たまま、
「ああ、あたしもだ」
はにかむように、言う。
彼と彼女はすでに相思相愛であることを知る。
人間側の彼女は、戦場を荒らし回るモンスター側の彼が邪魔で――
モンスター側の彼は、一般兵に向けられればそれだけで趨勢が決するような矢を放つ彼女を放っておけない。
求め合っている。
触れ合いを欲している。
今すぐ彼女を抱きしめてその心臓をえぐり出したい。
あいだには重厚なる盾を構えた戦列。そして見上げるほど高い台。
堅牢なる障害。
だからこそ殺意は燃え上がる。
――全力で駆け抜けろ。
彼が踏み出す。
その瞬間、彼女が矢を放つ。
膨張する赤い光。重厚なる盾が重ね合わせられ、彼の行く手を阻む。
彼に比べれば弱々しい存在。だというのにその全員が彼の足を一瞬でも遅らせようと命懸けで壁と化している。
性能ではこちらが上。
ただし覚悟は悔しいかな、あちらが上。
彼はまだ数十万の命を背負えない。
たった一人――いや、同じ部隊にいた、二十人の顔しか、思い出せない。
対して戦列を構成する人間たちは、いったい何十万の命を失い、何十万の戦友を背負っているのだろう。
覚悟は力になる、と彼は思う。
人間が化け物を倒す英雄譚は、いつでも想いを武器にしていた。
いつしか『そんなことあるわけない』と思うようなヒーローの物語。覚悟や想いでは埋まらないものがあるという現実を知り、忘れ去る英雄譚。
でも、目の前で見せつけられればイヤでもわかる。
強い想いはただの人を英雄にする。
そうして生まれた英雄が、仲間の思いを背負って一騎打ちに立つ。
人間に恐怖する。
人間を尊敬する。
ぶつかるのは怖いけれど、ぶつかるしかない。
活路は前だけ。
後ろに避けても、横によけても、距離が開いて二射目を許す。
足踏みするためにここまで来たんじゃない。
背中はとうに押されている。後退という選択肢はない。
――前へ。
膨張しきった赤い光が視界を埋め尽くす。
彼は脚に壊れるほどの全力を込め、一気に前へと進み、そして――




