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1話

 走馬燈は異常なほど少なかった。

 たぶん思い出したいことのない人生だったのだろう。

 だから彼がひたるのは、まだ幼かったころの思い出だけだ。


 夏の日。

 うるさいぐらいの蝉の声に包まれて、塗装のはげたベンチに姉と二人で座っている。

 バス停だった。でも、バスは四時間に一本ぐらいしか来なくって、あたりにはだだっ広いだけが取り柄の砂利道と、整備されていない草ぼうぼうの空き地があった。

 母方の実家はそんなような田舎にあって、そこには他に子供たちがいなかったから、帰省のたびに彼はいつも姉とだけ遊んでいた。


 優しい姉だった。

 賢くて強くて、理想の女性だった――というのはたぶん思い出補正が入りすぎているかもしれないが、当時の彼にとっては間違いなく最高の女性だったと思うし、きっと初恋の相手でもあったのだろう。……なにせ当時、幼稚園児だったし。


 姉の着ている麦わら帽子とワンピースは母のお下がりで、その母のお下がりは、もともと祖母のお下がりだったようだ。

 だからか古い服に身を包んで麦わら帽子をかぶった姉の姿は、一葉の絵画みたいに田舎の風景に溶け込んでいた。



 ――こーちゃん、暑くない?



 彼は一生懸命に首を横に振った。

 暑いと言えば姉が家を目指すのがわかっていた。でも、家に帰ったら遊びの時間が終わってしまうような気がして、だから彼はどんなに暑くても外にいたがった。


 姉は笑う。

 夏の日差しの中に溶けて、その笑顔はよく見えない。


 きっと成長できたなら綺麗な大人になっただろうと思う。

 たぶん、大人になった彼女はやっぱり優しくて、やっぱり賢くて、それからちょっと口うるさい姉になっていたんじゃないかなと彼は想像する。


 彼の記憶の中で、姉は小学生のころから成長していない。

 享年は十一歳だった。



 ――なんにもないねえ。



 彼女は太陽の方向を見上げて笑っていた。

 たしかになんにもなかった。

 あまりにも田舎で、遊ぶ場所なんかなくって、人もいなかった。

 でも、その風景には姉がいてくれたから彼は楽しかったし、なんにもない田舎でも好きだった。


 姉が消え去ったその風景には、嫌な静けさだけがある。

 大きくなった彼はバスの来ないバス停のベンチに腰かけていた。


 なんにもない。

 なんにもないことを確認するためだけに腰かけているみたいだったし、たぶん、そうだったのだろう。あるいは田舎に帰省した時だけじゃなくって、人生すべてが『なんにもないな』と点検するためだけにあったような気がする。


 心はいつでもあの日の田舎にあった。

 バスの来ないバス停に、いつの間にかバスが止まっている。


 黒と白のバス。

 火葬場へ向かう車。

 扉が開いて、誰かがバスの中から手を伸ばす。

 彼は幼い少年に戻っていた。

 ベンチから立ち上がって、伸ばされた、細くて、白い、少女の手をとる。



 ――じゃあ、行こっか。



 彼はうなずいて、バスに乗りこむ。

 ――ある日唐突におとずれた人生の終わり。

 そういう景色を、見た気がした。







『魂の固着が完了しました』



 軽快なメロディとともに機械的な音声が流れる。

 彼はあたりを見渡した。


 光景をうまく表現することが難しい。

 光る植物がたくさん生えた洞窟というのはファンタジーな光景に思えたけれど、そこここにある様々な機械が幻想的な雰囲気を否定している。


 どうやらドーム状の洞窟の壁際に並んだ機械群は、触手と言うべきかチューブと言うべきか迷う、ぬらぬら光る柔らかそうな緑色の紐状のナニカによって一つの機械につながっているらしく――

 ――彼がいるのは、すべての機械の接続先のようだった。


 透明なカプセル。

 はたまた人形を入れるためのガラスケース。


 ケースには、いびつにゆがんだナニカが映っている。

 でも、それがなんなのか、彼にはわからない。自分の姿に違いないのに、自分の姿ではないような気がしたのだ。


 彼は現状を想像する。

 まず、前提。

 彼は死んでいた。


 詳しい死因はきっと死後に医者が判断するだろうからおいておいて、まず確実に死んだという確信を彼は抱いていた。

 だからここは死後の世界――にしては全然幻想的ではない。


 たとえるならば『核戦争で滅びた世界で人類という種を生き残らせるために置かれていたコールドスリープ装置の中』という感じなのだ。

 まあそれもないだろうと思いつつも、死後の世界よりは可能性が高そうに思えた。


 彼は答えを求めていた。

 そして、すぐにその『答え』がもたらされる予感があった。


 足音が近付いてくる。

 やけに軽い足音だと彼は思った。体重は三~四十キロぐらいだろうか?

 身長は百五十センチないに違いない。どう考えても子供だ。

 と、そこまで思って、彼は違和感を覚える。



「……足音が少し聞こえたくらいで、そこまでわかるもんか?」



 感覚は妙に鋭敏だった。

 もっとよく己の中に意識を向ければ、体中あちこちに、やけに力がみなぎっている感じもする。


 どれほど走ろうとも疲れなさそうな。

 巨大な山さえ動かせそうな。

 音より速く動けそうな。


 格闘漫画を読んだ直後、あるいはカンフー映画を見た直後のようなテンションだ。

 やけに活力がみなぎっていて、体を動かさずにはいられないような気持ち。


 彼は自分ののんきさに薄く笑い、首を振る。

 そして、ここに来る『誰か』を待った。


 足音は次第に近付いてくる。

 音の反響から判断できる彼我の距離、そしてこの洞窟の構造から――知らないはずなのに知っている構造から――考えて、あと五秒も待てば相手の姿が見えてくるだろうと思った。


 その想定には確信がある。

 でも、なぜ確信できるかがまったくわからない。


 だから彼は、自分の中にある確信が本当に正しいものか確かめるために、五秒数えた。

 ――四、三、二、一。


 ゼロ、と同時に、正面方向にあった、洞窟内にあるにはやや不自然な金属製の門扉が開く。

 そして、予想通り、体重三~四十キロぐらいの、身長百五十センチぐらいの、小柄な人物が現れて――

 彼は言葉を失った。



「こーちゃん!」



 舌足らずな声。

 それは少女のものだった。


 彼の視界に、彼の予想通り現れたのは、長い黒髪の女の子だ。

 身長は予想通り。体重もたぶん予想通り。

 ただ、重そうな真っ黒のマントを羽織っていて、巨大な生き物の大腿骨に宝石をムリヤリねじこんだみたいな、どことなく薄気味悪い杖を持っているので、そのぶん重量はかさんでいるかもしれない。


 その子が駆けてくる。

 彼はまだ言葉を取り戻せない。



「こーちゃんでしょ!?」



 喉が張り付く。

 ひどく懐かしい感覚に、胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。


 ――夏の日差しの幻を見た。

 景色があの日のバス停に戻ったように錯覚する。


 でも、ここはバス亭でもなく、田舎でもなかった。

 わけのわからない洞窟。わけのわからない機械が並んでいて、わけのわからないことが起こっている。


 そのわけのわからないことが、どういうことなのか知りたくて――

 彼はついに、声を取り戻す。



「……ひょっとして、姉ちゃん?」

「うん! お姉ちゃんだよ!」



 うなずき、ガラスケースに抱きつく幼い少女。

 享年十一歳の――彼の記憶で言えば二十年以上も前に亡くなったはずの姉が、ほとんど亡くなったままの容姿でそこにいた。

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