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ごめんあそばせ、聖騎士さま。  作者: @眠り豆
7/20

7・元聖女さま、痩せてください!

 コライユが神殿の裏庭にやって来たとき、ディアモンは鍛錬の途中だった。

 この前会ってから、しばらくぶりの逢瀬だ。

 逞しい裸の胸を流れる汗が、夏の陽光を浴びて輝く。

 振っていた剣を杖にして立ち、彼がコライユに微笑む。

「お祈りの時間が長かったな。君は信心深い。服を着るから、少し待って……」

 言葉の途中で、ディアモンの笑みが曇る。

 彼は、先祖が聖女から託された大切な剣を地面に転がして、コライユに駆け寄ってきた。

 目の前に膝をつき、下から顔を見上げてくる。

「大丈夫か? 顔が真っ赤だ。熱でもあるんじゃないか?」

「だ、大丈夫です」

 日傘の陰に隠れていたのに、どうして気づかれたのだろう。

 コライユの顔が赤いのは、ディアモンの広い胸が目に入るせいだ。

(港で積荷を運ぶ船乗りたちを見たときは、こんな風にはならなかったわ)

 同じ上半身裸でも、コライユの動悸を速めるのは彼だけだ。

 だけど、そのことをそのまま言葉にするのは恥ずかしい。

(どうしよう……っ?)

 適当な理由を思いつく前に、背後の執事が口を開いた。

「あの強欲な神殿長のせいですよ。神に仕え、聖女を祀る身でありながら、お嬢さまがお疲れなのにも気づかず、いつまでも引き止めて」

 吐き捨てるように言うフェールに、コライユは溜息を漏らす。

 本神殿を出る直前の光景を思い出したのだ。

「……だからって、あの言い方は良くないわ」

「そうですか? 私は本当に感心したのでございますよ。神殿長さまは賢くていらっしゃる、女神さまや聖女さまに祈るより、お嬢さまに願ったほうが確実にお金が手に入りますものね、と」

 実際はそれだけではなかった。

 丁寧な口調と言葉で流れるように放ったフェールの侮辱で眉を吊り上げた神殿長を、控えていた神官や巫女が止めて、コライユたちは解放されたのだ。

 フェールが鼻で笑う。

「あの程度で怒るとは、修行の足りない男です」

「わたしが直接断ったら角が立つからって、あなたが憎まれ役になる必要はないのよ?」

「お嬢さまを守って憎まれるのなら、本望でございます」

「そうか」

 話を聞きながら、ディアモンは腕を伸ばして、地面に転がした剣を拾い上げた。

 それを握って、藍色の瞳でコライユを見つめる。

「今度同じことがあったら、俺が神殿長を殴って止めよう」

 糸目のフェールが、目と同じくらい細い眉を吊り上げた。

「おい、坊ちゃん……じゃねぇ、婚約者さま、それはやり過ぎでございます!」

 眉間に皺を寄せていたディアモンの顔が、ふっと緩む。

「冗談だ、執事殿。だがコライユ殿、困ったときは呼んでくれ。君の助けになりたい」

「……ありがとうございます」

 コライユは俯いた。

 いつもならそれで藍色の瞳から逃げられるのだけれど、今日の彼は眼前に跪いているので、むしろ顔が近づいてしまう。どんどん心臓の動悸が速くなる。

 ぴぴー。

 小鳥の声に、コライユはホッとして振り向いた。

 これでディアモンの視線から離れられる。けれど、いざ離れてみると、なんだか寂しかった。

「フェール、蓋を開けてあげて」

「かしこまりました」

 銀髪の執事は、持っていた小箱の蓋を開いた。

 家ではもう籠に移しているが、外出の際は小さな箱のほうが安定する。

 青い空を仰いで、泥色の小鳥が嬉しそうに鳴き声を上げた。

 ぴぴぴ、ぴぴ。

「小鳥?」

 立ち上がったディアモンが中腰になって、コライユの肩越しに箱を覗きこむ。

 熱い息が、コライユのうなじをくすぐった。

「は、はい。この前拾ったんです」

「足が悪いのか」

「ええ」

「でもほかは元気そうだな。丸々している」

「ええ……」

 ブーはよく食べる。住処の籠からエサ入れを出すと、戻すまで鳴き続ける。

(本当に、エグ・マリンさまなのかしら?)

 あれからコライユは、たびたび夢で勧誘されていた。

 フェールにジョーヌ家を調査させたのは、夢で聞かされた話の裏づけを取るためだ。

 起きているときのブーは、普通の小鳥にしか見えない。

(聖女さまの神殿に来ても平気ということは、わたしを騙そうとしている邪悪な存在ではないのかしら? でもこのブーと夢のブーが、本当に同じとは限らないし)

 あの神殿長は徳が低そうだった。

 邪悪な存在が近くにいても気づくとは思えない。

「……っ!」

 思索に沈みかけたコライユの髪を揺らして、ディアモンの逞しい腕が伸びる。

 大きな手が、箱の中から小鳥をつまみ上げた。

「触ってもいいか?」

「持ち上げてから言わないでください」

 フェールに睨まれながら、彼は両手でブーを包み込む。持っていた剣は脇に挟んでいた。

 目尻が下がる。生き物が好きらしい。

「ぽわぽわだ。可愛いな、名前はあるのか?」

「ブーって名前です」

 答えながら、コライユはそっとディアモンから離れた。

 触れそうなほど、体温を感じるほど、近くにいては心臓がおかしくなる。

「ブーか、なるほど羽の色から……痛っ」

「ディアモンさま?」

 彼の手が力を失い、ブーが飛び出した。口角を上げて、フェールが呟く。

「……あのチビ、噛みやがったな」

 飛び出したといっても、ブーは飛べない。飛ぶには、両足の踏ん張りが不可欠なのだ。

 それは一瞬だった。

 くるくる回りながらブーは落ち、ディアモンの剣に触れた。

 怪物はいつつに砕かれて、聖騎士たちの剣の柄にはめ込まれた宝石の中に封印されている。

 海神に生み出された怪物の色に染まった青い石に、聖女が封印の光を刻んでいた。

 ブーの体が青い石に触れた刹那、十字を描いた封印の光が瞬く。

 陽光の反射かもしれない。

 でもコライユにはそれが、ブーが元聖女だという証なのだとわかった。

「バカね。もう片方の足まで動かせなくなったら、どうするの?」

 日傘をフェールに預けてしゃがみ、コライユは両手でブーを拾い上げた。

 ぴぴっ!

 泥色の小鳥が、誇らしげに鳴く。

 コライユがわかったと、彼女もわかったのだ。

(そういえばエグ・マリンさまって、結構食いしん坊だったって話だわ)

「でもね」

 小鳥を片手に乗せ、もういっぽうの人指し指で軽くつつく。

 コライユは、ディアモンにもフェールにも聞こえないよう、小声でブーに囁いた。

「今はまだあなたの身元が証明されただけよ。契約を結ぶかどうかは、これから考えるわ」

 ぴー……。

 小鳥は悲しげな声を響かせた。

 噛まれた手のひらを舐めながら、ディアモンが眉を下げる。

「そんなに怒らないでやってくれ」

「婚約者さま、動物も人間も教育が大切でございます」

 細い目をきらりと煌かせた執事は、主人の婚約者教育を企んでいるのかもしれない。


 螺旋状の道を馬車が下りていく。

 プルプル商会所有の馬車を御するのは、優秀な執事フェールだ。

 馬車は、港も倉庫街も素通りして砂浜へ向かっている。

 最初からその予定だったのだが、ブーが邪悪なものではないかを確かめたかったコライユが、神殿での待ち合わせを決めたのだ。小鳥が元聖女だということは、まだフェールにも話していない。

 日傘は畳んで、壁に立てかけている。席に座ったコライユとディアモンを隔てるものはない。

 もちろん彼はもう、上半身裸ではなかった。

「コライユ殿」

「は、はい?」

「体は大丈夫か?」

「ええ」

 コライユは微笑み、頷いた。膝の上の箱に視線を落とす。

「足も翼も無事でした。動かないほうの足は、変わりがないけれど」

 ディアモンは、少し困ったような顔をする。

「もちろんブーも心配だったが、今俺が尋ねたのは君のことだ」

「あ! は、はい。わたしも元気です。今日はあまり歩いていませんもの」

 前回の失敗を踏まえて、行きも馬車にした。

「なら良かった」

 ディアモンは持っていた鞄を開いて、白い貝殻を取り出す。

 花びら状のとげが螺旋を描く、美しい巻き貝だ。

 海に浮かぶ船から見たコキヤージュの都は、こんな風なのかもしれない。

「綺麗な貝ですね」

「ああ、昔海で拾ったんだ。コライユ殿、君の髪に触れても構わないだろうか」

 コライユが答える前に、ディアモンは腕を伸ばしてきた。

 長い指が薄紅の髪を梳く。

「真っ直ぐでサラサラの、絹のような髪だ。うちの家系はみんな硬いくせ毛だから羨ましいな」

「でも……」

 コライユは彼の黒髪が嫌いではない。けれど言葉にできなくて、俯いた。

 ディアモンは取り出した貝をコライユの髪に巻きつける。

「……月の女神のようだ」

「あ、ありがとうございます」

 海神と月の女神は恋人同士だという説がある。

 だからこそ海神は、月の女神に愛されたクルールを妬み、疎んだのだと。

 神殿に飾られた月の女神の像は、海神に贈られたとおぼしき貝殻を巻き毛の髪に飾っている。

 しばらく──ほんの一瞬が、コライユには永遠に思えた──眩しそうに見つめた後、ディアモンは視線を逸らした。浅黒い肌が、ほんのりと赤い。

「俺は鈍くて、いつも後から気づく」

「ディアモンさま?」

「十年前もそうだった。本当は、珊瑚と同じ色だと言いたかったわけじゃない」

 軽く唇を噛み、彼は意を決したようにコライユに向き直った。

「君の髪は珊瑚よりも綺麗だ、と言いたかったんだ」

「十年前って……」

(聖女祭で踊ったこと、覚えてらっしゃるの?)

「この前、団長に先を越されて、すごく悔しかった。その白い肌も」

 ブーの箱を支えるコライユの手に、ディアモンの手が重なった瞬間、大きく馬車が揺れた。

 そういえば、行きもこの辺りで揺れた。

「……あ」

 癖のないコライユの髪は、するりと貝殻を手放した。

 乾いた白い貝殻が、床にぶつかって砕ける。

 自分とディアモンの恋の行方を予言しているように感じられて、コライユは息を止めた。

(ダメ。今夜は用事があるのだから、泣いて体調を崩すわけにはいかないわ)

 さっき、ブーが封印の光を瞬かせたときに思いついたことがある。

 涙を飲み込んで、ディアモンに目を向けた。せっかくの貝殻が砕けたことを謝らなくては。

 彼は、藍色の瞳を見開いて、呆然としていた。かなりの衝撃を受けている。

「デ、ディアモンさま、申し訳ありませんでした」

「いや。いや……君のせいではない。うちの家系はみんな硬いくせ毛で、嫁いできた母も巻き毛なものだから、貝を髪に絡めただけでは落ちてしまうだなんて、想像もしていなかったんだ」

 ディアモンは、両手で顔を覆った。

「気取った真似をするんじゃなかった。君に贈り物をしたかったのに、これではなんの意味もない」

「そ、そんなことありませんわ」

「……」

 彼はもう言葉も発しない。かなり落ち込んでいるようだ。

 ──コリコリコリコリ!

 そのとき、いきなり車内に乾いた音が響き渡った。

 ブーが箱の中で、木の実を食べ始めたのだ。

(箱に入れたときは寝ていたのに、起きるなり食べ出したのね)

 注意したい気持ちもあるが、今の状況には救いになった。

「……はは」

 小さく吹き出して、ディアモンは床に落ちた貝の破片を拾い集める。

「蓋を開けてくれ、コライユ殿」

 砕いた貝を鳥に与えると卵が丈夫になることは、よく知られていた。

 ブーが母鳥になるかどうかはまだわからないけれど、与えて悪いことはないだろう。

 案の定彼女は、降ってきた貝の破片を嬉しそうに啄ばんだ。

「コライユ殿、俺は綺麗な貝を見つけるのが得意なんだ。砂浜に着いたら、最高の貝を探して君に贈ろう」

「ありがとうございます」

 微笑んだコライユの耳朶を、小鳥が食を追及する音が打つ。

(……やっぱり食べすぎよねえ)

 聖女さまといえども小鳥は小鳥だ。体を壊さないよう節制が必要かもしれない。


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