3・聖騎士団長にもの申す!(執事が)
「ディアモン、金貸してー」
鍋の砂糖煮がなくなりかけたころ、宿所の入り口で声がした。
「なんか甘い匂いするな」
言いながら厨房に入ってきた茶色い髪の青年は、コライユを見て緑色の瞳を丸くした。
「ディアモンが、女の子連れ込んでる!」
「はい、連れ込みました」
フェールが金切り声を上げる。
「聖騎士さまがふたりして、そんな言葉を使わないでください。連れ込んだのではなく、婚約者のお嬢さまをご招待してくださったのでしょう?」
ディアモンは頷いた。
「そんな感じです、団長」
コライユは、緑色の瞳の青年にお辞儀をした。
彼は聖騎士団の団長だ。
聖女祭の武術大会で見たことがある。ディアモンより背が低くほっそりしているが、激しい攻撃を風のようにやり過ごし、彼の全勝を阻んでいた。聖騎士の中では一番年上で、二十代後半だ。
「コライユと申します」
「へーえ、コライユちゃんか。確かに珊瑚みたいに薄紅の綺麗な髪だね。俺はジャッド・ヴェール」
「団長、いくらご入り用ですか?」
財布を出したディアモンを、ジャッドは睨みつけた。
「あーもう、女の子の前で、なに無粋なこと言っちゃってるの?」
「……金を借りたいとおっしゃったのは、団長のほうでは?」
ジャッドは溜息を漏らす。
「これだ。アンブルなら嫌味だけど、コイツの場合、なんの含みもないからなー」
緑色の瞳が、心配そうにコライユを映した。
「コライユちゃん、ディアモンは悪いヤツじゃないけど、変なヤツなんだ。広い心で見守ってやってね」
「まったくです!」
フェールが口を挟む。
「悪い方でないのはわかりますが、あまりに天然すぎます。団長さまは団員に、どのような教育をなさっているのですか?」
「ええー、俺が怒られるの?」
コライユの隣に来たディアモンが、困りきった顔で尋ねてくる。
「……コライユ殿、財布しまってもいいと思うか?」
「そうですね」
少し考えて、コライユは両手を打ち合わせた。
ぱん、という音にフェールとジャッドが振り向く。
「失礼しました、お嬢さま」
「コライユちゃん、なーに? ふーん、肌も真っ白で綺麗だね」
女好きで知られるジャッドが、さらりと褒め言葉を口にする。
コライユの肌が白いのは、あまり家の外に出ないからだ。
体格で勝るディアモンをも打ち倒す彼だが、武術大会で優勝したことはない。観客席に好みの女の子を見つけると、試合も忘れて口説きに行くからだと噂されている。
「ジャッドさま、お金が必要なら、わたしのことなど気にせず、ちゃんとディアモンさまに交渉してください。だれかを待たせているのではないですか?」
「それよ、それ! 早く贈り物買わなくちゃ待ち合わせに遅れちゃうっての。いやー、いい子を見つけたな、ディアモン」
ジャッドは満面の笑顔でディアモンの背中を叩いた。黒髪の青年は長身を曲げて、居心地の悪そうな顔をしている。
「それで、いくらご入り用なんですか?」
ジャッドは金額を口にした。
目の前にいるので、コライユの耳にも聞こえてくる。
(……港で個人が売っている、装飾品ひとつくらいのお値段ね)
今のクルールでは、船乗りが引っ張りだこだ。
良い船員を集めるため、どこの船の船長も必死だった。
多くの船長は、船員たちが個人的に品を仕入れて売ることを黙認している。
個人貿易で人気なのは、小さくて運びやすく、数が少なくても利益が出る単価の高いものだ。異国の優れた技術で作られた装飾品やクルールでは採れない種類の宝石などが主流である。
「港で掘り出し物買おうとしてたら、財布すられちゃったんだ」
「最近多いですね」
ジャッドはディアモンから受け取った金を財布に入れて、悲しげに頷いた。
「子どものスリだった。可哀想に、船乗りの父親を亡くしたんじゃないかな。黒斑病が流行してるって聞くからね」
黒斑病は、塩漬け肉と薄いパンを食べながら何ヶ月も船上で過ごす船員に多い病気だ。
皮膚に黒っぽい斑点ができることから、そう呼ばれている。致死率は高い。
異国の果実が流行しているせいで、より珍しい果実を求める貿易船の航海期間は、どんどん長くなっていた。
景気が良くても、いや景気が良くて物価が上昇しているからこそ、働き手を失った家庭は大変だ。
フェールがぼそりと呟く。
「……親が死んだからといって、犯罪に走るのは許されることではありません」
「そうなんだけどねー。あ、いけない! 遅刻する。ディアモン、ありがと。次会ったとき返す。それと、今度役人と協力してスリを一斉検挙することになったから」
「わかりました。お金はいつでもいいですよ」
コライユは、ジャッドを見送るディアモンを見上げた。
(見栄を張っているようには見えなかった。普段使うお金には困っていないんだわ)
父に金を借りてまで、どうして倉庫一軒ぶんのダイダイを購入したのだろう。
アマダイダイと間違えたのだとしても、借金してまで買う理由がわからなかった。
ちくりと胸が痛む。
ディアモンには最初から借金を返す算段があって、利子を節約するために、一時的に婚約をしただけなのかもしれない。
コライユは溜息を飲み込んだ。
厨房の片づけが終わった後、コライユたちは馬車を呼んで、倉庫へ向かった。
倉庫街は港の近くにある。
閉ざされた倉庫からあふれ出る果実の甘い匂いが混じり合い、目を閉じると異国の密林の中にいるような気分だ。コライユは、異国の密林に行ったことなどないのだけれど。
「こっちだ」
ディアモンの先導に従う。
「コライユ殿、体は大丈夫か? いつでも抱いて運ぶから、言ってくれ」
「だ、大丈夫です」
背後でフェールの歯ぎしりが聞こえる。
今のところディアモンは、ちょっと変、以外の欠点を見せていない。
銀髪の執事がもっとも重要視する、コライユの体調を気遣うという一点については、これまでの婚約者候補の追随を許さない優秀さだ。
聞きなれない異国の動物の鳴き声が、耳朶を打つ。
倉庫の周りは荒っぽい船乗りや商人たち、その連れで賑わっている。
聖騎士として顔を知られているからか、大柄なディアモンがざわめきの中を進むと、どこでも道ができた。おかげでコライユたちも歩きやすかった。
ときおり声援も浴びせられる。
「ディアモンさま、今年こそ全勝してくださいね」
「ああ、善処する」
十五の年に聖騎士として任命されて四年、ディアモンは毎年聖騎士総当たりの武術大会で優勝していたが、全勝まではしていない。団長が好みの女の子を見つけ出すのは、いつもディアモンとの戦いの後だった。
「あそこだ」
鍵を取り出したディアモンと、倉庫の裏手に回る。
表にある大きな扉は、運搬用だ。
小さな裏口の前に、小柄な人物が立っていた。女性だろうか。
身に纏った服装は上品だが、少し時代遅れの意匠。薄布をかぶって顔を隠している。
「……あ」
こちらに気づいて小さく声を上げた相手は慌てて俯き、ディアモンを避けるように大回りして、コライユの横を駆け抜けた。薄布が舞い上がって、艶やかな香りを風が運ぶ。
藍色の瞳が謎の人物を追っている。
「……お知り合いですか?」
「いや……たぶん気のせいだ」
「昔の恋人ではないのですか?」
「フェ、フェール」
一応止めてみたものの、本当はコライユも答えを聞きたかった。
ディアモンは首を横に振る。
「いや、俺は恋人がいたことがない。婚約者候補はいたが、しばらく行動を共にすると、向こうのほうから断ってくる」
聖騎士は貴族ではないが、聖騎士と縁を結びたがる貴族は多い。
「そうなんですか?」
思わず見つめてしまう。
藍色の瞳にコライユを映して、ディアモンが微笑む。
「俺には体力以外自慢できるものがないからな」
「そんなこと……」
彼は恥ずかしそうに頭をかいた。
「本当だ。しゃれた言葉は言えないし、団長のように……そうだ、コライユ殿」
「はい」
「ダイダイの量を確認したら、港へ行かないか? 近くの砂浜でもいい。男はつき合っている女性に、贈り物をするものなのだろう?」
「え、あ……喜ん……」
「こほん!」
コライユの言葉を遮って、フェールが咳払いを響かせた。
ディアモンが彼を見る。
「執事殿には、先に帰ってもらってもいいんだが」
「私は、お嬢さまと一緒でなければ帰りません」
フェールの言葉に、コライユは頷いた。
考えないようにしていたけれど、コライユの限界はとっくに過ぎている。銀髪の執事は、倉庫街に来ることも止めようとしていたし、いつもなら自分でも断っていた。
今は楽しくて見えていない疲労は、きっと家に帰ったとたん吹き出してくる。
頑張りさえすれば乗り越えられるのは、健康な人間だけだ。そして本当は、健康な人間だって、無理は見えない場所に積み重ねられていって、いつかあふれる。
「……ごめんなさい」
「コライユ殿が謝ることじゃない。俺が気配りできないだけだ」
コライユは涙を飲み込んだ。泣けば体力を消費する。
倉庫の中のダイダイは保存状態も良く、父から購入した砂糖と釣り合う量だった。
(お父さま、すべて計算した上で、わたしに砂糖を売ったのかしら)
父は、母の砂糖漬けを想定していたのかもしれない。
砂糖漬けにしろ砂糖煮にしろ、ダイダイを売りさばくという共同作業で、コライユとディアモンの心は近づいていくのだろうか。