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ごめんあそばせ、聖騎士さま。  作者: @眠り豆
19/20

19・液状の薬は蒸発して、効力が落ちる場合があります。

「坊ちゃん、こっちを見な」


 アンブルがコライユの声に意識を取られた一瞬で、フェールは彼の剣先から逃れた。

 手にした短刀で月光を反射して、コライユは続ける。

「てめぇなんかを助けに来たせいで、大切なお仲間がくたばっちまったぜ?」

 横たわるディアモンを月光の反射で照らす。

 彼の首から胸にかけてが、ネズミの血で赤く染まっている。

 コライユは、血と内臓の匂いで吐きそうなのを必死で堪えていた。

 短刀もアンブルに向けた面には血を塗っている。

「……まあ、遅いか早いかの違いだがな」

「そんな……」

 アンブルが地面に膝をついた。

「先輩、僕のせいで……」

 彼は剣から手を離す。絶望したのだ。今度はさっきよりも深く深く、完全に。

 聖騎士も剣も建物の影に飲み込まれて、闇に溶けていく。


 ──どくん。


 コライユの心臓が跳ね上がった。

 なにかが、今、現れた。

 陽炎のようにゆらゆらと、影が立ち昇る。

(……怪物……)

 聖女たちに封じられた、いつつのかけらのひとつだ。

 地の底から響くような低い低い声が聞こえてきた。

 耳に流れ込むというよりも、頭の中に直接響いてくる。


『セイジョ ダ。ニクイ セイジョ ノ コウケイ ダ』


 地面から影が盛り上がり、ぽこん、と宙に球が浮かんだ。

 かなり大きい。コライユが体を丸めたら、中に入ってしまいそうだ。

 よく見ると、球は浮いているのではなく何本もの細い足で支えられていた。

 細く長い足を揺らして、ゆらゆらと近づいてくる。幸い、それほど速くはない。

 クラゲに似ている、とコライユは思った。

(封印しなくちゃ、封印……でも、どうやって?)

 夢の中でブーには聞いた。だけど彼女の答えは役に立たない。

 言葉で教えられるものではない、そのときが来たらわかる、そう言うのだ。

(わかる前に殺されたら、どうなるの? っていうか!)

 ふと気づく。かつての聖女たちは、封印ができるようになるまで聖騎士たちに守ってもらっていたのではないか。

(あ、あ、あ、アホかぁーっ!)

 コライユのやり方では、聖騎士に守ってもらうことはできない。

 怪物が、足を一本振り上げた。

 細く長い足が月光を浴びて煌く。影だったはずの怪物の足は、ぬらぬらと粘ついて見える。

 まだ距離はあるものの、足は長い。間違いなくコライユの頭に達するだろう。

(逃げなきゃ、逃げなきゃ……)

 コライユは動けなかった。月の女神の加護も、心に満ちる恐怖は消せない。

 月光を浴びてぬらぬらと煌きながら、細く長い足が下りてくる。

 なんだか世界全体が重たく、ゆっくりになったようだった。

 あの怪物の力かもしれない。

 怪物は、海の忌まわしい部分を集めたもの。ジョーヌ家の聖騎士が守っていた封印にいるかけらは、『凪』だと言われていた。風も波も海流も止まり、船も人も動けなくなる。


 ボゴォ……ッ!


 鈍い破壊音が響いて、怪物の足の落下地点を中心に地面が凹んだ。

 少し離れたところで、コライユはそれを見た。

 細くて、降りる速度も遅かったのに、あの足はとてつもなく重い。

 のしかかるようにして、ディアモンがいた。

 コライユを抱きかかえて転がり逃げてくれたのだ。

「……大丈夫か?」

「どうして?」

 ディアモンは首をかしげた。

 自分の首から胸元にかけて血で染められていることには、まだ気づいてなさそうだ。

「……そういえば、そうだな。というか」

 ディアモンは立ち上がり、ゆるゆると近づいてくる怪物に目を向ける。

「どうしてアイツは君を襲うんだ? 仲間割れか?」

 怪物がコライユを聖女と呼んだ声は、彼には聞こえていなかったらしい。

 コライユは頭を回転させた。これは千載一遇の好機だ。

「……余計なことをしてくれたな」

 舌打ちをして体を起こし、ディアモンから離れる。

 低い声を作って、彼を睨みつけながら言う。 

「凪のかけらは解放させた。かけらたちを受け入れて、この俺、クルヴェットが新しい怪物となるのだ!」

 心臓の動悸が激しい。

 彼はどんな反応を示すのか。

 怪物は遅いけれど、歩みを止めることはない。ずっとコライユを目指している。

「なんだと?」

 ディアモンが目を丸くする。

「そうか。そういえば、そうだな。君は本当に海神のしもべなんだろう。魚の匂いで、俺を眠らせたんだからな」

 コライユの手にはまだ、干物の匂いが残っている。

 ディアモンの目覚めが早かったのは、とっさに使えるようにと取り出しやすいところに入れておいたせいで、布に染み込ませた睡眠薬が蒸発して、効力が落ちていたからに違いない。睡眠薬自体の匂いより、干物の匂いが印象に残るほどなのだから。

 彼は剣を構えた。

「怪物の復活も、新しい怪物の誕生も、許すわけにはいかない」

「……俺に背中を向けていいのか?」

「海神のしもべとはいえ、君は女性だ。女性に剣を向けることはできない。そもそも君たちをひとつにさせなければいいのだから、どちらを倒しても問題はないだろう」

 ディアモンは地面を蹴り、近づいてくる怪物に剣を振り下ろす。

 防御した細い足が切り落とされて、地面に落ちて影に溶ける。

 コライユは胸を押さえた。心臓は今も早鐘を打っている。

 封印する方法は、まだわからない。

 相変わらず世界は重くゆっくりとしていた。

「……お嬢」

 呼びかけられて振り向くと、フェールがアンブルの剣を手にしゃがみ込んでいた。

「び、び、びっくりした。心臓が止まるかと思ったわ」

「あの丸いのは、この宝石に怪物を封印したんだろ? 神殿で丸いのが触ったとき、十字の光が輝いたって言ってたじゃねぇか。お嬢も触ってみたら、なんかわかるかもしれねぇぜ」

 封印の仕方については、彼にも相談していた。

(まあ話してなくても、フェールならわかっているんだろうけど)

「そうね、ありがとう」

 コライユは、アンブルの剣を受け取った。

 はめ込まれた宝石に目を落とす。

 怪物が解放されているせいか、封印の十字の光が消えている。

 宝石の色も青を失い、透明になっていた。


 ズシンンンッ。


 重い音に顔を向けると、球が地面に沈んでいた。

 ディアモンが細く長い足をすべて切り落としたのだ。

 影でできた黒い、月光を浴びてぬらぬらと煌く球の中に、小さく瞬くものがある。

 ──青い光。

 海の色を結晶化させたようなそれが、怪物の本体なのだろうか。

「とどめだ!」

 ディアモンもそう感じたのだろう。

 青い光に向けて剣を突き出そうとした。が、


「なん……だと?」


 球は再び浮かび上がった。

 細く長い足が復活している。

 潮風がコライユの鼻をくすぐった。クルールは海に面した王国だ。海神は常に側にいる。

 聖騎士が何度倒しても、怪物は海神の力で蘇る。封印できるのは聖女だけだ。

(そう……よ)

 すべては金と同じ。

 困っている相手に直接与えなくても、全体の底上げをすることで救える場合もある。

 世界は回っているのだ。

 聖女の封印だからといって、聖女自身が成す必要はない。

 コライユは、透明な宝石に口づけた。

 今夜与えられた月の女神の加護を、すべて注ぎ込むつもりで。

 ブーが説明できなかったのもわかった。

 やり方だけ知っても仕方がない。聖女が心から望まなければ、祝福は与えられないのだ。

「……」

 コライユが唇を離すと、透明な宝石に十字の光が浮かんでいた。

 体が重い。月の女神の加護を注いでしまったのだから、残るのは弱い体だけだ。怪物が解放された世界は、思っていたよりもはるかに重かった。

 筋肉痛が全身を覆っていく。

 崩れ落ちそうになる体を、フェールが支えてくれた。

「大丈夫か、お嬢」

「坊ちゃんは?」

「気絶させて、建物の陰に寝かせてる」

「起こして。封印は、彼にしかできない」

 月の女神がもっとも輝く満月なのに、今夜は異常な夜だった。

 聖騎士と戦う怪物の細く長い足が、重低音を響かせている。

 細い路地の地面は穴だらけになっていた。怪物が足を振り下ろした跡だ。

 建物の壁にはひびが入っている。怪物の足がぶつかった跡だ。

 住人たちは寝台で震えるか、どこかへ逃げ出してしまったに違いない。

 近くの壁を支えにして、コライユは剣を預けたフェールの背中を見送る。

 挫けることなく怪物の細く長い足を切り落とし続けているディアモンの剣には、べつのかけらが封印されていた。新しい怪物を入れる隙間はない。

(ああ、まったく損な契約だったわ。結局船にも乗ってないし)

 思いながらコライユは、よろよろと現れたアンブルを横目で確認した。

 ディアモンは怪物の足を切り落とし続けている。また、後一本のところまで来ていた。

 剣を手にしたアンブルの存在に気づかない振りをしながら、精いっぱい声を張り上げる。

「無駄だ。お前の剣の中にもかけらがいる。お前がとどめを刺せば、かけらが合わさるだけだ」

 最後の一本を切ろうとしていたディアモンの動きが止まる。

 切り落として、復活する前に青い光を突くつもりだったのだろう。

「せ、先輩? 無事だったんですか? その血は大丈夫なんですか?」

 アンブルがディアモンに気づき、ディアモンもアンブルに気づいた。

 ディアモンが剣を構え直す。

「青い光を突け!」

「は、はい!」


 ズシンンンッ。


 球が地面に沈んだ瞬間、アンブルの剣が青い光を突いた。

 影が弾け、玻璃のかけらのようにきらきらと瞬いて、消えていく。

 琥珀色の瞳を持つ少年の剣にはめ込まれた宝石は青く染まり、以前よりも十字の光が強くなっていた。


「……さすが俺のお嬢で弟子だ。今夜はもうこのまま眠りな。抱いて運んでやるよ」

 疲れてはいるけれど、さっきよりも体が軽い。

 フェールの腕の中で頷いて目を閉じる。

 彼は祝福した剣を運んで、アンブルを目覚めさせて戻ってきたのだ。

 頼りになる執事兼師匠がいて、コライユは幸せだった。

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