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ごめんあそばせ、聖騎士さま。  作者: @眠り豆
18/20

18・あなたのことは呼んでない。

 もちろん、コライユが戦いでアンブルを制することなどできるわけがない。

 月の女神の加護が与えてくれたのは身体能力だけで、戦闘技術は含まれなかった。

 聖騎士は幼いころから訓練を重ねている。

 血が昇った頭だって、すぐに冷める。

 アンブルは逆手に剣を持ち直して、背後のコライユを突こうとした。

「なに?」

 その手は動かない。

 コライユの派手な動きで目を奪っていた隙に、陰に潜んだフェールが紐を投げて、アンブルの四肢を捕らえていたのだ。なめした細い革紐は、月光も弾かず闇に溶けている。

「これは……?」

「おいおい、俺ぁ海神さまのしもべだぜ? まさかてめぇらカスの人間どもみてぇに、汗水流して戦うと思ってたのかよ」

「は、離しなさい!」

「離せと言われて、離すバカぁいねぇよ」

 アンブルの背後から腕を伸ばす。

 触れはしない。触れて、女だと気づかれては困る。

 フェールの助けはここまでだ。これからはコライユの演技がものを言う。

 聖騎士の心をぶちのめして、一度絶望へ落とす。

(低く落ちれば落ちるほど、高みは眩しくなる)

「可哀相になあ、お坊ちゃん。てめぇのしたこたぁ全部無駄だ。復讐なんかしたって、金は戻ってこない。時間もだ。本当は自分でもわかってたんだろ? 母親になにもしてやれない苦しみから逃れるために、あの男への復讐を企んだだけだって。てめぇは、父親を支えてあの男を訴えるべきだったんだ。家名に傷がつくと思ったなら、ほかの被害者を支援すればいい」

 体温を感じるくらい近く、だけどけして触れはしないギリギリの位置で、コライユはアンブルの頬を撫でた。直接触れられるよりも気持ち悪いはずだ。

「てめぇがバカな復讐に費やしていた時間で、母親の命は削られていった」

 琥珀色の瞳が潤む。

 罪悪感を振り切って、言葉を続ける。

「俺に勝つこともできない」

 紐で縛られた手から、剣が落ちる。指の力が抜けたのだ。

 はめ込まれた青い宝石の十字の光は、月下にあっても輝かない。

「母親を殺すのは……」

 最後のとどめを口に出す前に、力の抜けたアンブルの体が地面に崩れ落ちた。

(……どうして?)

 手足を捕らえていた革紐が緩んでいる。


「落ち着け! すべてはまやかしだ」


 フェールが隠れていた建物の陰から、ディアモンが姿を現した。

 地面に膝をついていたアンブルが、驚きの声を上げる。

「先輩、なぜここに?」

「あ、いや……」

 ディアモンは恥ずかしそうに頭をかく。

「香りが、な? いや、関係ないとはわかっているんだが、同じ香りだから気になって、その」

「なんの話です?」

「と、とにかく! 不思議な力なんかない。海神のしもべというのも眉唾ものだ。お前は背後の男の部下が投げた紐で、縛られていただけだ。俺を倒したお前なら、倒せ……?」

 振り返ったアンブルも首をかしげる。

 ふたりが話している間に、コライユは屋根に飛び乗っていた。

 ディアモンの接近を察して逃げたフェールも一緒だ。

 近くにある二階屋の陰に隠れて、月光に照らされた聖騎士たちを見下ろす。

「逃げるぞ、お嬢。二対二じゃ分が悪い」

 それが正しいことは、コライユが一番良く知っている。

 体調が悪いときに無理をして、元気になったことなど一度もない。

 金さえつぎ込めば儲かる商売がこの世にないように、すべては『機』だ。

 どんなに良いものでも、時機が来なければ売れはしない。

 体調が悪いときは、おとなしく待つしかないのだ。

「ああ、嫌だ!」

「お嬢……」

「わたし、まだ船にも乗っていないのよ? 帳尻が合わないわ。相場がおかしいのよ」

 今夜中に決着をつけなければ、アンブルの母は死ぬ。

 元聖女のブーだけでなく、実際に目にしたフェールもそう見ている。

「それでも契約を結んでしまったの。もう少しだけつき合って。危なくなったら、あなただけは逃げなさい?」

 フェールが鼻で笑う。

「詐欺師クルヴェットは俺の弟子だ。初仕事がパッとしないからって、見捨てるわけねぇだろ? てか、夜の仕事は俺のが得意だ。命令すんじゃねぇよ」

「……わたし、あなたの弟子だったの?」

 ってか詐欺師扱いかよ、ということをもっと女の子らしい言葉で思う。

「相棒のつもりだったのか? 図々しいガキだな。ま、十年前からそうだったがな」

「ええ、そうよ。わたし、図々しいの」

 月光を浴びて、コライユは立ち上がった。

 聖騎士たちの視線は、月光よりも眩しく感じる。

 屋根を蹴る。彼らが戦闘態勢に入るより早く、コライユはディアモンの胸に飛び込んだ。

 ふたりで狭い道を転がって、近くの建物にぶつかって止まる。

 裏通りの建物は壁が薄い。争う声や物音は聞こえているだろうが、この辺りの住民は厄介ごとに巻き込まれるのを嫌って、窓すら開けようとしなかった。慌ててよろい戸を閉めた家もある。

「先輩!」

「おっと、あんたの相手はこの俺だ」

 その隙に、フェールがアンブルの背後を取っていた。

「嬢ちゃん? いや坊ちゃんか。女の服を着てなくても変わんねぇだろうな。親分が邪魔者を片づけるまで、俺と遊んでいてもらおうか。……さあ、剣を構えな」

「……」

 アンブルが剣を拾って、立ち上がる音がした。


(さて、と)

 もちろん、コライユがディアモンに勝てるわけがない。

 切り札はただひとつ。クルヴェットがコライユだということだけだ。

 前髪を上げて顔を見せる。それで動揺を誘うしかない。

 コライユは、自分にのしかかっているディアモンを見上げた。

 転がっている間に、そんな体勢になってしまったのだ。彼の肩越しに満月が見えた。

「え?」

 ディアモンは真っ赤になって、コライユから顔を逸らしている。

「どうしたの?」

 思わず素の声で尋ねてしまう。正体を匂わすつもりだったので、いいといえばいいのだが。

「……き、き、君は女性だったのだな。すまない、転がっている間に触れてしまった。だが責任は取れない。俺には好きな女性がいるんだ。婚約者で、十年前から恋している」

(最近気づいたくせに)

 コライユは懐から、睡眠薬を染み込ませた布を取り出して、ディアモンの顔に突きつけた。

 灰色の琥珀と一緒に、砂漠の帝国から取り寄せた薬だ。

 体調が悪いときの鎮静剤にもなる。いざというときのために持ってきて良かった。

 たちまち落ちてきた大きく逞しい体の下から這い出す。普段なら無理だったかもしれない。

 どうしてもほころんでしまう口元に力を込めて、コライユはアンブルたちを見た。

 ──まだ終わりじゃない。


 フェールも戦闘の専門家ではない。

 得意なのは逃げるほうだ。

 アンブルの剣先を、くるくると踊るように避けている。

(言葉で追い詰めるにしても、疲れるのを待つしかないわね)

 動き回ること自体に慣れていないコライユが加勢しても、フェールの邪魔にしかならない。

(だけど……)

 彼は苦戦していた。

 相手は小柄とはいえ聖騎士だ。今地面に倒れている先輩を、昼間倒したことで腕に自信もついている。剣先は、逃げるフェールを少しずつ捕らえ始めていた。


「あら」


 足もとに温もりを感じて、コライユは目を落とした。

 白猫と黒猫が、ネズミをくわえて見上げている。

「お礼のつもり?」

 この前驚かせたお詫びに、コライユは酒場に行く前、彼らに魚の干物を振る舞ったのだ。

「義理がたいのねえ」

 猫の口にあるのは、狩られたばかりの新鮮なネズミだ。

「ありがとう。次はエビイカ……は、猫の体に悪いからお肉でも持ってくるわ」

 お詫びにお礼、お礼にまたお礼ではキリがないけれど、この二匹はこの辺りの親分猫だ。つなぎをつけておいて損はない。

「にゃー」

「にゃっふー」

 ネズミを地面に落とし、猫たちは歓喜の鳴き声を上げて去っていく。

 コライユはアクビを漏らした。いつもなら眠っている時間だ。

(明日も筋肉痛で寝込むのね。ディアモンさまと踊りに行けないわ)

 悲しいけれど仕方ない。聖女祭は来年もあるけれど、アンブルの母は今夜しか救えない。

 コライユは護身用に持たされた短刀を取り出した。


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