15・続奥方さまは『紅玉の君』がお好き?
ブラン家を訪問してから何日過ぎただろうか。
かつての半月は真円に満ちて、聖女祭が訪れた。
いや、訪れる。次にコライユが瞼を開けたら──
ぴぴっ。
目覚めを待つ眠りの中、泥色の小鳥が現れた。
あれから食事を制限しているので、道で木の実を啄ばむ通常の小鳥程度の大きさになっている。
だがなぜか、形状は丸い。
コライユが腕を伸ばすと、ブーは指先に降りた。
「起きたら武術大会ですね。体調はどうですか?」
「万全よ。満月が近いからか最近は、昼間も調子が良かったわ」
「それは重畳」
大いに満足だと言いながら、小鳥の瞳は暗かった。
「……聖騎士は叩きのめせそうですか?」
「さあ?」
コライユは首をかしげる。自分でもどうなるかわからない。
「人をぶちのめすなんて、生まれて初めてだから」
小鳥は体全体で溜息をつく。
「またそんな言葉を使って」
だから、ぶちのめすも叩きのめすも変わんねぇって、ということをもっと女の子らしい言葉で思いながら、コライユはブーのおでこを撫でた。
「今夜封印を解いてかけ直さなければ、ジョーヌ家の奥方、アンブルさまのお母さまは次の満月まで保たないのでしょう?」
以前夢の勧誘で告げられた情報を確認する。
小鳥は小さく頷いた。
「だったら、なんとしても今夜中にやり遂げて見せるわ。わたしは商人よ、約束した期限は守る。期待して仕入れたものが売れなくて、偶然手に入れたものが人気を博するなんていつものことだもの。考えている策が上手く行かなければ、べつの手を考えるだけよ」
「ありがとう、コライユ」
「どういたしまして。でもわたしが決めたことよ。自由に体を動かすことを楽しむ代わりに、聖女の役割を果たすって。まあ、帳尻が合ってるかどうかはわからないわ。相場を知らないから」
泥色の小さな頭が、コライユの手に擦りつけられた。
「ブー?」
「食事を制限してくれたおかげで、こうして痩せることができました。起きているときに飛ぶという希望を与えてくれたのはあなたです」
「あなたが飛べると気づいたのはロッシュさまよ?」
「そうですね。でも、あなたに会えてよかった。……私の足のことは、あなたの責任ではありません。あなたの体と同じように、ただ、そうだというだけです」
「ブー……」
小鳥が飛び立つ。
「次は起きているときに飛びたいものです。華麗に飛んで見せますよ? 飛び上がるときと降りるときには助けてくださいね」
「ええ、当たり前でしょう?」
そして、コライユは目を覚ました。
今日は武術大会の日だ。
いつものように寝台で、フェールお手製の朝食を口にする。
献立は、半熟卵とパンに溶かしたチーズをかぶせたものと、粒カラシを添えた茹で野菜だ。溶かしたチーズの上に振ってある、挽きたての黒コショウの匂いが香ばしい。
「美味しいわ、フェール」
「それはようございました。お嬢さま、今日は丸いのはどうします?」
ぴぴぷ!
銀髪執事の発言に、籠の小鳥が不満の意を表する。
(でも丸いのは本当なのよね)
思いながら、コライユは首を横に振った。
「さすがに今日は連れて行けないわ。人込みに落として、踏まれでもしたら大変だもの」
「かしこまりました。……しかし大丈夫ですか? また抜け出してつまみ食いするのでは」
ぴぴっ!
ブーは片方の翼を上げて、つまみ食いしません宣言をする。
「……聖女祭だから、今日明日はつまみ食いしてもかまわないわ。楽しみがないと、食事制限も続かないでしょうし」
ぷぴっ?……ぴー……。
かけらも信用していないコライユの言葉に、ブーは反論しかけたが、たまにはいいと自分でも思ったのだろう。つまみ食い防止で籠の入り口を縛っている紐をつつき始めた。
フェールが呆れた顔で見る。
「さっき朝ご飯を食べたところでしょう?」
ぴぷー?
執事と小鳥のやり取りに微笑みながら、コライユは朝食の皿を空にした。
自分で杯にダイダイ水を注いで飲む。窓から差し込む夏の陽光で汗ばむ体に、酸味の効いた冷たい水が染み込んでいく。
(ダイダイ水の販売も利益が出るようになったし、今日は砂糖煮も一緒に、コキヤージュ中に浸透させなくちゃ)
砂糖煮の製造は昨日で終了していた。給金も支払い済みだ。
製造に雇った人々も、今日は聖女祭を楽しんでくれるだろう。
元スリの子どもたちには仕事があるが、罪の償いだと受け入れてくれている。
すっかり仕事中毒になっている子もいて、書き入れ時だぜ、休めって言われても休まないぞ、なんて宣言されたりもした。
(その内あの子は無理矢理にでも休ませなくちゃね)
仕事に集中しすぎると、自分の疲れを自覚しなくなる。
雇った人間の健康維持に気を配るのも、雇い主の役目だ。
(ああいう子はただ休めって言っても休まないから、新しい……)
コライユは大切なことを思い出した。
「フェール!」
籠の入り口を縛る紐を巡って、小鳥と争いを繰り広げていた執事が振り返る。
「お嬢さま?……ああ、あれですね」
ぴー!
きっちり紐を縛り直してから、執事は布の包みをコライユに渡した。
中には、小さな灰色の花を革紐に通したものが三本。
柔らかいロウ状の石でできた花は、フェールが彫って形にしたのだった。
地味な花の色を、一緒に革紐に通した色とりどりの布細工が引き立てている。
「髪飾り? それとも首飾りかしら」
「どちらでも。ですがお嬢さまは、もう髪飾りはお持ちですから、首飾りとしてご利用いただければと思います。お食事がお済みでしたら、そろそろ髪を整えましょうか?」
「ええ」
コライユは花飾りを一本手にとって、そっと顔に寄せてみた。
艶やかな香りが鼻をくすぐる。
砂漠の広がる南の大陸から取り寄せた、最高級品だ。かなり値も張った。
(ダイダイの砂糖煮で儲けられるといいんだけど)
残念ながら、この花で儲けるのはコライユではない。
(そういえば……)
フェールは、コライユは髪飾りを持っていると言った。
ディアモンに贈られた貝殻のことだろう。彼はもう婚約者を認めているのだ。
だったらもうちょっと気ぃ利かせろよ、ということをもっと女の子らしい上品な言葉で思いながらコライユは、まだだれの口付けも受けたことのない、自分の唇に触れた。
武術大会は、高台の広場に即席の闘技場を作って開催される。
観覧は自由で無料。ただし聖騎士の関係者には特別席が用意されていた。
「コライユ姉上!」
ブラン家の特別席に近づくと、ロッシュが飛び出してきた。特別席は木を組んだ櫓なのだ。
ざわめきと人込みをすり抜けて、コライユたちに近寄ってくる。
「こんにちは、ロッシュさま。今日はお招きありがとう」
「お招きだなんて。姉上は我が家の家族なのですから……どなたですか?」
ロッシュはコライユを守るように前に立ち、リュビを見上げた。
「あらやだ、ほんの数日で忘れられちまうとは、あたしは印象の薄い女なんだね」
「そんなことないよ、リュビさん!」
「……お母さまが、今日は男装だからじゃないでしょうか?」
リュビは動きやすい男の格好をしていた。
人込みでコライユを守るためと、どこかで騒ぎが起こったら飛び込んでいくためだ。
かつてはブラン家の奥方をスリから助けたりもしていた母だが、正義感が強いというより暴れるのが好きなだけだということを、コライユは知っている。
(無駄に装飾品をつけて、金目当ての小悪党を煽っていらっしゃるし)
赤を基調とした派手な服と金銀宝石を纏った彼女は、物語に出てくる、悪を成さない美男子海賊のようだった。
「まあまあまあ!」
ロッシュに案内されて席に着くと、奥方が目を丸くした。
「紅玉の君、なんて凛々しくていらっしゃるのでしょう」
「奥方さまもお綺麗です。お腹は大丈夫ですか?」
「はい。兄の活躍が見たいのか、今日はおとなしくしているようです」
きゃっきゃと楽しげに会話を交わす妻たちを、夫たちは複雑な顔で見ている。
対照的な美しさを持つふたりの女性は、片方が男装していることもあって、なんだかとてもお似合いだった。このまま芝居の主役になれそうだ。
(あ、そうだ!)
コライユは、フェールに作ってもらった花飾りの残りの二本を取り出した。
特別席には屋根があるので、銀髪の執事は日傘を畳んで控えている。
「奥方さま、お母さま、良かったらこちらをもらっていただけませんか?」
「おや、綺麗だね」
「砂漠の帝国から輸入した薬の一種です。ほかの薬と違って、身につけて香りを楽しむだけでも、心が安らいで体を癒すと思います」
コライユに礼を言って、奥方が赤い布細工で飾ったほうを手に取った。
少し意外だ。おだやかな彼女には、白いほうが似合う気がする。
奥方はリュビに微笑みかけた。
「紅玉の君には、こちらの赤い布細工を飾ったものがお似合いですわ」
「奥方様には、この白い布細工を飾ったものが似合うよ」
互いに花飾りをつけ合うふたりは、そのまま絵姿にしても売れそうだ。
母リュビは花飾りで赤毛をひとつにまとめ、奥方は首から提げて胸元に飾っている。
父ペルルとブラン家の当主は、拗ねたような顔で手を上げた。
「おーい、お酒くださーい」
「俺もだー」
酒や肉串、焼き貝売りが近寄ってくるのをかき分けて、ひとりの少年が特別席に辿り着く。
「旦那さん方、お酒もいいけどこの暑さだ。さっぱりするダイダイ水はいかがです? 今日だけ特別にダイダイの砂糖煮も……あ、コライユさま、と、奥さまと執事さん」
ペルルが自分の顔を指差した。
この前砂浜で会った、ダイダイ水売りの少年だ。半月前には船乗りの衣装を調達してもらった。彼は首から提げた水筒と、砂糖煮の瓶を入れた鞄で膨れ上がっている。書き入れ時に浮かれて、重さも気にならないらしい。
コライユは彼の重荷を減らすべく注文した。
「ダイダイ水をみんなに」
「はい!」
もっとも減れば減ったで、またプルプル商会へ補給しに行くのだけれど。
水筒を配った後、少年は鞄から取り出した薄い焼き菓子に砂糖煮を塗って渡してくれた。
雇い主と雇用人とはいえ、商売は商売だ。代金を支払いながら、コライユは尋ねてみる。
「売り上げはどう?」
「上々です。砂糖煮と焼き菓子も人気で、見本用がそろそろなくなりそうです」
「もう? じゃあこれから販売に切り替えて……うーん、急すぎるかしら」
販売戦略に悩むコライユの腕を、隣に座ったロッシュがつついた。
「……姉上」
「ロッシュさま?」
「見本がなくなったら、そこで終了するのもありじゃないでしょうか。食べた人はもういるんだから、むしろそのほうが評判になるかもしれない」
コライユと兄がダイダイを売ろうとして、砂糖煮やダイダイ水などの加工品を作っていることは、彼も知っている。
「いい考えですね。じゃあ、そういうことで。ダイダイ水を補給するとき店にも伝えてくれる?」
「……はい」
少年はなんだか悔しそうだ。自分が打開策を思いつきたかったのかもしれない。
彼が去ると、ロッシュがくっついてきた。
「ロッシュさま、いい考えをくださってありがとうございます」
「姉上の弟ですから!」
彼とダイダイ売りの少年は同じ年ごろだ。競争心があるのだろう。
コライユはロッシュの黒髪を優しく撫でた。




