11・日記を隠すのには向かない場所
「確かに彼は、あのときあなたのお父さんをうちに紹介した業者だけれど、黒幕の商人たちとのつながりはなかったわ」
汚れた細い路地に、フェールは完全に腰を降ろして胡坐をかく。
コライユは腰を伸ばして、近くの建物の壁に背中を預けた。
「うちとのつき合いがなくなった理由と関係があるの?」
プルプル商会の仕事は多岐に渡る。関わる人間も多い。たとえ問題がなくても、利益のために業者を変更するのは珍しいことではなかった。
もっともジョーヌ家の件がある。少なくとも今の仲介業者には問題があるのだろう。
「……親父が死んだとき、さあ」
俯いたフェールから、コライユは視線を外した。顔を見られたくないときもある。
「アイツが見舞金を持ってきたんだ。大した額じゃなかったが、働き手を失ったばかりの家庭には、ありがたい収入だった」
「うん」
いくら国一番の豪商でも、関わるすべての人間を養うことは不可能だ。
「つってもお袋は、店からの金だとは思ってなかったんだがな」
「え?」
「なんでかお袋にとって親父の仇は、海賊でも護衛船でもなく、雇った商家だったんだ。あんな店が見舞金なんか寄越すはずがない、これはきっと仲介業者が個人的に援助してくれたんだって……親父を亡くして不安そうだったから、少しアイツに惚れてたのかもな」
「ふうん」
そんなこともあるのかもしれない。
黒幕の存在に気づかず、悪意を持った護衛船を雇ってしまったのは、確かにプルプル商会だ。
(でも……)
犯罪者は巧妙だ。被害者に責任を押しつけても、なにも解決しないし予防もできない。
コライユはそう思う。
「お袋が死んで、俺がほら、アレやってたときに縁は切れちまってたんだけど、お嬢の執事になった後、どっかの市場で再会したんだ。大きな商家とのつき合いがなくなったせいか、尾羽打ち枯らした風体だった。仲介業者だから船乗りに詳しい。だから俺は……」
あることに思い当たって、コライユはフェールを見つめた。
「もしかして、船乗りの遺族への寄付、彼に仲介させていたの?」
彼は暗い面持ちで首肯する。そこまでわかれば情報がつながる。
「うちの店が出してた見舞金を猫ババされていたのね」
それがつき合いを切った理由だろう。
「全額じゃないのがずる賢さだ。もらうほうは、見舞金なんてもらえるだけありがたいと思う。金額を確認する余裕のある状況でもない」
まあ、とフェールは乾いた笑いを漏らした。
「今回の寄付は亡くなった船乗りの名簿があるわけでもない。全部アイツの懐に入って、そのままあの店に流れてたんだろうな。どうやら昔から、賭博にハマってたらしい」
「寄付した相手に会わなかったの?」
「恩着せがましい真似はしたくなかったんだ。市場で遠くから母子連れや老夫婦を指差されて、適当なことを聞かされて納得してた」
大きく溜息をついて、フェールは割れた石畳で仰向けになる。
「例の調査をしたとき、事実を知ったんだ。賭博をしながら、嬉しそうに自慢してた。紹介した船乗りが死んで苦労してるんだから、自分にはもらう権利がある、って。それ聞いたとき、なんか頭がかあーっとなって」
「……それでなのね。あなたが神殿長に噛みついたとき、なんだか違和感があったわ。いつもなら、もっと上手くやり込めるはずだもの」
口髭男への怒りが抑えきれず、ほかの人間に向けてあふれ出たのだろう。
「お嬢、俺を心配して後をつけてたのか?」
「う……」
コライユは口篭る。しかし嘘をつく必要はなかった。
「いや違うな。体が自由に動かせるとなったら、お嬢が真っ先に企むのは船に乗ることだ。大方、警備の緩そうな船を物色中に女装の坊ちゃんを見つけて、追いかけてきたら俺がいた、んなとこだな」
見てたのかよ! と、突っ込みを入れたくなるほどの正確さだ。
「当たり」
頬を膨らませたコライユに、フェールは吹き出した。
「……帰りましょうか、お嬢さま。月の女神のご加護は、朝になったらなくなるのでしょう?」
いきなり執事の口調になって、上体を起こす。
「復讐はいいの?」
「聖騎士さまにお任せします」
「……そうね。それが一番いいと思うわ」
「殺しまではしないでしょう。評判のため表立って訴えられないような名家以外にも、果実詐欺の被害者はいる。例のものの分配は、彼らがアイツを訴える資金の援助に使うことにしますよ」
「ええ。痛い目を見せて、法で裁かれるのが妥当だわ」
殺すというのは過激すぎる。手を汚すほどの価値は、あの口髭男にはない。
コライユは腕を伸ばし、フェールが立ち上がるのを助けた。彼は儚げに笑う。
「お嬢さまのご婚約が決まって、少々寂しかったのかもしれません」
「あら。婚約しても、あなたがわたしの自慢の執事だってことに変わりはないわよ?」
「知ってますよ、クルヴェット」
「え?」
「裏通りの建物は壁が薄いですからね。日が昇る前に帰りましょう、酔っ払いの友達さん」
ふたりは帰路についた。
(もしかしたら……)
フェールの母親とあの男の関係は、さっき聞いた話より深かったのではないだろうか。そう、彼女が亡くならなければ、家族になっていたかもしれないくらい。そうでもなければ、殺したいと思うほど強い怒りは沸かない気がする。
コライユは空を見た。フェールと初めて出会った夜と同じ、銀の半月が輝いていた。
「お嬢さま、お粥ができましたよ」
翌朝、寝台で座るコライユの膝に、フェールが朝食のお盆を載せた。
献立は、茹でたエビやイカを卵のタレで和えた新鮮な野菜と、たっぷりの干し果実を入れた甘いお粥。卵のタレから漂う酢の匂いにお腹が鳴って、匙に手を伸ばす。──腕が動かない。
「筋肉痛ですか?」
「ええ。体中が痛いわ。でも熱が出たときの痛みとは違うの」
ぴぴっ?
小机の籠で、泥色の小鳥が心配そうな声を上げる。
顔を見せて微笑みたかったけれど、首を動かすのも苦しかった。
「反動は覚悟の上よ。これくらいで済むのなら、問題はないわ」
ぴー。
ホッとしたように鳴いて、ブーは食事を始めた。軽快な音を立てて木の実をむさぼる。
──月の女神の加護で得た聖女の力では、彼女の足は治せなかった。
気にしてないと伝えたいのか、大きな実をクチバシでくわえ、籠にぶつけて砕いている。
片足で踏ん張るその姿は、雄々しく美しかった。
「というか」
「なぁに?」
「屋根の上を歩く必要が、どこにありました? ロクに出歩きもしない人間が、あんなことをしたから、手足が動かなくなるほどの筋肉痛になるんです」
「うっ……」
うるせぇな、と言い返す気力はない。
乱暴な言葉を口から出すと、フェールは上品な言葉で言い直して、じーっと見つめてくるのだ。
細い糸目なのに、悲しんでいることだけははっきりとわかる。
銀髪の執事は嬉しげに微笑んだ。
「でも仕方がありませんね。お嬢さまは昔から、キャラマールにご執心でしたから。義賊気分で夜の町を見下ろしてみたかったのでしょう?」
「え?」
「以前、お嬢さまの書斎を掃除していたとき」
コライユはこの寝室のほかに自分の書斎を持っている。
壁一面に本棚を並べた部屋だ。
本が多いとホコリが溜まるので、喉の弱いコライユは自室でありながら滅多に入らない。
それでもフェールは毎日掃除して、ホコリを除去してくれている。
「本棚の裏に隠されていたものを見つけました」
「あなた、わたしの日記を見たの?」
フェールは大仰に肩をすくめて見せた。
「イタズラな風が、たまたま頁をめくったのです。しかし驚きました。お嬢さまがキャラマールに憧れていたなんて。ただの窃盗犯ですよ?」
「ほかに選択肢がないときもあるわ。確かに犯罪だったけど、彼のおかげで助かった人がいるのも本当のことよ」
「はい、知っています。……キャラマールを特集した新聞の切り抜きを貼って、ご自分で調査された義賊の犯行を記録して、相棒になったときに備えてクルヴェットという偽名まで考えていらっしゃったのに、ある日突然祭りで出会った男の子のことばかり書くようになられましたね」
「風がめくったにしては、随分見てるのね」
「私、目が良いほうなので」
コライユは、おいおい、どこに目があるんだよ、ということをもっと女の子らしい言葉で思った。
「ところでお嬢さま、あのイカの絵はなんなのです?」
「イカ?……ち、違うわ。あれはキャラマールの顔の想像図なの。仮面をつけているのよ」
絵心には自信がない。
単純なはずの果実の絵も、コライユの手にかかると不思議な模様になる。
「さようでございましたか」
心底驚いたような表情を見せるフェールが憎らしい。
なにか言い返してやりたかったが、言葉を思いつく前に扉を叩く音がした。
「コライユ、起きてる?」
父のペルルだった。
手になにか包みを持っている。手紙もあるようだ。届けに来てくれたのだろうか。
「おはようございます、お父さま」
「ちょっと聞きたいんだけど」
「はい」
「私が髭を伸ばしたら、似合うと思う?」
「似合いません」
「えぇっ? コライユ今、一瞬も考えずに返事しなかった?」
コライユは頭の中に浮かんでくる、童顔にオモチャのような髭をつけた父の姿を必死で追い払った。吹き出したりしたら、ただでさえ筋肉痛の体が、さらに痛む。
(お父さまったら、朝からなにを?)
「そっかー」
しょぼんとうな垂れたものの、ペルルはすぐに笑顔になった。
「さっき船から伝書鳩が戻ったんだけど、リュビさん帰ってくるよ」
「お母さまが? もうすぐ聖女祭ですものね」
この時期はいつも家族が揃う。みんなで聖女祭に行くかどうかは、コライユの体調次第だ。
「お父さま……お髭って、お母さまがお帰りになるからですか?」
「うん。ほら、私はリュビさんより年下だろう? 髭でも生やしたら、少しは頼りがいのある大人の男になれるかと思って」
「……髭くらいでどうにかなるもんじゃねぇだろ……」
フェールが漏らした呟きに頷く。
とはいえ、父がいつまでも母を愛していることは、娘として嬉しい。
「……お父さま」
「なんだい?」
「お父さまがいきなり髭を生やしたりしたら、お母さまは不安になりますわ。もしかして、ほかの女性の好みに合わせたのではないかと、お考えになるのではないでしょうか?」
「そ、そう? そうかなー、リュビさん嫉妬しちゃうかなー?」
ペルルはでへへ、と目尻を下げた。
「ええ、きっと。ですから、髪型を少し変えるくらいで良いのでは?」
「さすがコライユだね。さっそく床屋を呼び寄せるよ!」
部屋を飛び出していった父は、すぐに戻ってきた。
持っていた包みと手紙を押しつけてくる。気の利く執事が、膝の朝食を小机に移動させた。
「ブランさん家のお茶会にご招待されたよ。これはコライユの招待状。包みは彼からお前への贈り物だって。……じゃ!」
走り去る足音を聞きながら、コライユは包みを開けた。
先日ディアモンが砂浜で拾った巻き貝が加工され、髪飾りになっている。
「まあ。表面に砕いた珊瑚を散りばめて……なんて綺麗」
彼が細工してくれたのかもしれない。
装飾品として貴族や商人の娘に売れば、かなりの利益が見込めるだろう。などと考えてしまう自分に、コライユは少し落ち込んだ。
「筋肉痛も治まってきたようですね」
「あ……」
フェールの言葉通り、まだ痛みは感じるけれど、手足は動くようになっていた。
執事は髪飾りを奪って、代わりに朝食を渡してくる。
「お食べになられたら髪を整えて差し上げましょう」
頷いて匙を取った。体は重いし、ぴりぴりと痺れているけれど、なんとか動かせる。
「クルヴェットのときの髪型も考えたほうがいいですね。あれでは幽霊です」
「むぐむぐ美味しい。……顔は隠したいの」
「半分隠せば、かなり印象は変わります。残りの髪は後ろで編みこみましょう。お嬢さまの薄紅の髪をまとめたら、ちょっと見には鮮やかな赤色に見えるに違いありません」
「エビみたいね」
「エビがいいでしょう?」
クルヴェットにはエビ、キャラマールにはイカという意味がある。




