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「あれは、十年近く前のことだ。盗みに入るより、もっと簡単に金が手に入ることを、俺は知った。高利貸しだよ。闇金。090金融、聞いたことあるか? 携帯電話さえあれば、簡単に金をぶん取れる。街の消費者金融や、クレジット会社から溢れた、ブラックリストのやつらが、どんどん雪崩れ込んできた。景気が傾き、株価は史上最低を更新。リストラ、自殺が社会問題になっていた、あの頃だよ」


 酔いが回った比佐男は、ぼうっと麻痺した頭を左手で抑えながら、カウンター上のチーズとクラッカーを交互に頬張った。空いていた腹を黙らせるため、がつがつと食い進めながら、彼はまた、話を続ける。


「人間てやつはさぁ、やっぱり、金がないと、生きられないんだよ。わかるか、明徳。お前がやってる会社の顧客はどうか知らないが、俺んとこに来てた客は、金の亡者みたいだった。本当に、極限状態で、危ないとわかっていながらも、やつらは来る。そうして、俺たちにごっそり根こそぎぶん取られて。……馬鹿だよな、無知だよな。こっちは、最初から、外道だったのに」


 (まぶた)上げた比佐男の目は、潤んでいた。体の奥からこみ上げてくる何かを、必死に押さえ込むように、肩を震わせ、明徳を見た。顔をしわくちゃにし、すがるような目で、一言、


「死んだんだよ、じいさんが、一人。首吊ってさ」


 比佐男は両手で頭を抱えたまま、怯えるようにカウンターに伏した。

 うう、と、すすり泣く声。

 明徳は、黙って、彼の背を撫ぜた。


「あのじいさんの、家の、居間の梁にさ、ロープ結わえて。見たときにはもう、死んじまってたんだ」


「……比佐男、落ち着け。もういい」と、明徳。


 比佐男は顔を上げて、明徳の手を払った。キッと睨みつけ、今までの鬱憤(うっぷん)を晴らすように、明徳の襟元を鷲づかみにし、怒鳴りつけた。


「『もう、金は無い。返すことは、出来ない』なんて、遺書、書かれてみろ! ──俺は、心底震えたよ。不幸なんて、見慣れてるはずだった、なのに、なのにだよ。たった一人、見知らぬじいさんが、俺の目の前で死体になって現れたとき、自分以上の不幸が、この世にはあることを知ってしまったんだ。そしてそれは、他でもない、俺自身が招いてしまった事だってことも」


 大声でわめき散らす比佐男を、明徳はまた、静かになだめた。


「比佐男、お前が自分で、手を下したわけじゃない。時効なんだったら、もう、過ぎたことは忘れて……」


「時効なんて、人間が勝手に作った言葉だろ。罪には、時効なんて、本当はないんだよ」


 明徳の胸倉から手を離し、グラスを空ける。胸につかえていた事件の告白と、久しぶりのアルコールに、ますます比佐男の脳ミソは混乱していった。

 カウンターに掛け直し、マスターにウイスキーをストレートで、と注文する。比佐男は、出されたグラスをひょいと持ち上げ、ぐびぐびとあおった。唇からだらしなく酒が零れ、襟を汚すのも構いなしに、グラスを傾ける。

 自分の姿が、かつての父親と被さるのを知りながらも、比佐男は飲んだ。飲めば、心中全て吐き出せば、心の中に無限に広がるこのもやもやが晴れるのだ。そうできるなら、酒の力も、明徳の力も、借りられるだけ借りて、すっきりしたいと、そう思った。

 どうせ、恵まれぬ運命だったのだ。不幸な家庭に生まれ、不良になり、犯罪に手を染め、自分のせいで、人が死んだ。


「一度、裏社会を知ったやつが、明るい場所で生きることなんて、できない。俺は、結局その後も、いろんな詐欺をやった。オレオレも、振り込めも、仲間を見つけて、盛大にやった。暴力団に絡まれ、死にそうになったこともある。そんな俺が、唯一、幸せだったのは、もしかしたら、お前のように話を聞いてくれる友人が、いたということなのかもな」


 空になった、何杯目かのグラスをカウンターにそっと置き、比佐男は静かに笑った。

 言いたいことを全て話し終えた比佐男は、ささやかな満足感に満たされていった。ここ、何年間も味わえなかった、穏やかな気持ち。戻らない過去を後悔するつもりなどなかったが、話し終えてみれば、なんてつまらない人生だったんだろう。

 軽快なジャズと、酒、洒落たバーでのひと時は、比佐男を夢の世界に誘惑する。眠気が襲い、うつらうつらとしてきた。カウンターの上、時計の針は、十一時半、もうすぐ、イヴの夜が終わる。

 途方に暮れ、彷徨っていたところに、もしかしたら、サンタクロースが気まぐれなプレゼントをくれたのかもしれないなどと、比佐男は思い始めた。何もない自分に、せめてと、明徳という男を寄越したのだろうかと。

 酔いつぶれた比佐男の隣、グラスに残る氷をカラカラと回しながら、黙って話を聞いていた明徳は、(おもむろ)に体をねじり、比佐男に向けた。カウンターに右肘を付き、ぐいと前身を倒して、比佐男に囁く。


「本当はな、偶然なんかじゃないんだよ。今日出会ったのは」


 その一言が、妙に耳に残り、比佐男はがばっと顔を上げた。酔いが醒めたような顔で目を白黒させる比佐男を、明徳は不敵に笑って見つめていた。


「ネカフェ難民、って言うんだっけか。笑うよな。本当にいるなんて」


「え、ちょ、ちょっと待って。俺、いつ、ネカフェなんて」


 話してもいないことを知っている明徳に、比佐男は動揺した。


「『一度、裏社会を知ったやつが、明るい場所で生きることなんて、できない』? ホントに、そう思ってたのか、比佐男。思っていたから、足を洗って、難民なんかに成り下がったのか?」


 唇の端を吊り上げ、頬の肉をずらして、見下すように、明徳は笑った。それは、比佐男の知っている、明徳ではなかった。漆黒の羽を生やした悪魔のように、全身から黒い気配を漂わせて、そこに君臨していた。

 比佐男は慌てふためき、カウンターの椅子から転げ落ちた。一張羅のジャンパーから、なけなしの数百円が無残にも床に転がり、消えていく。


「馬鹿だな、比佐男。そんなんだから、生き方に失敗するんだよ。せっかく、こっちの道に来ないように、昔あんなに世話したのに。やっぱりお前は、こっちの世界にやってきた。半端に足を突っ込むから、入りきることも出ることもできずに、こんなところでつっかえて」


「あ、明徳、何言ってんだよ」


 脂汗がじっとりと、比佐男の手のひらに、足の裏に、額に浮かび上がる。顔が火照り、汗がどっと噴出す。


「こんな話してさ、堅気のやつならきっと、お前を警察に突き出すぞ。俺がどうして、何も言わずに話を聞いていたのか、考えもしなかったのか」


 明徳はニヤニヤと笑いを浮かべ、懐に手をやった。カシミヤのコートの中から、黒光りした硬いものが、ゆっくりと姿を現す。


「け、拳銃……!」


 銃口が次第にこちらを向き、比佐男の体は極度の緊張で、硬直した。


「継いだ親父の会社ってのはさ、つまり」


 明徳は自分の頬に、左の指で上から下に、数字の一の字を書いた。


「こういうことだよ、わかる? 闇金だの、詐欺だの、結局、どこに繋がっているのか、比佐男、お前はわかっていたんだよな。わかっていて、やっていたんだよな。逃げても無駄なんだよ。お前を追っていた、暴力団のドンてのは、俺なんだから」


 比佐男は両手を頭上に上げた。上げたまま、ばたりと仰向けに倒れた。何がどうなっているのか、急には理解できない。天井の換気扇が、ゆっくり回るのを、目で追って、頭の中を整理しようとした。比佐男の枕元に、明徳とマスターが一緒に歩み寄る。この店も、明徳とグルだったのかと、今更ながら思う。


「うまい話なんて、この世にはない。比佐男が一番、知ってるはずじゃないのか。さあ、どうする。このまま逃げ続けるか。それとも、こっちの世界にどっぷりはまって、甘い蜜をすするか。選択の余地は、ない、よな?」


 明徳は静かに笑い、倒れる比佐男の頭上に、ウイスキーグラスを差し出した。


<終わり>

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