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 寒空の星々が、溢れるネオンの光に遮られ、消えそうなほど弱い光で街を照らす。乾いた風は容赦なく吹き(すさ)び、薄手のジャンパーで寒さをしのいでいた比佐男の肩を(かす)めた。思わずぶるぶると体が震え、くしゃみをひとつ。比佐男は鼻水がつうと伝うのを、袖で拭い、目を(しばたた)かせる。

 今日はクリスマスイヴ、比佐男の懐とは裏腹に、世間は年末商戦に明け暮れている。着飾った男女が腕を組み、(にぎ)やかに闊歩するのを、彼は恨めしく(にら)んだ。カラフルなイルミネーションが眩しく、表通りのビルディングや並木はお祭り騒ぎ。鈴の音とクリスマスソングが、通りのあちこちで乱発し、あちらではケーキを売る声、こちらではプレゼントのセールの呼び声。どこもかしこも浮き足立っている。

 比佐男はクリスマスの気配を避けるように、裏通りへと足を向けた。

 家賃払えず、住む部屋を引き払って早一ヵ月。最近流行りのインターネットカフェを転々とし、気がつけば財布は空だった。今晩の飯も、手に入る当てがない。三日前から風呂にも入れず、ボサボサ頭の髭面。とてもじゃないが、表通りを堂々と歩ける風体じゃない。

 裏通りをふらふら歩き、ただ時間が過ぎるのを待った。ネオンの鮮やかな光が路地に漏れ、赤や青、緑に黄色と様々に変化していくのを、ぼうっと見つめながら、疲れきった両足を、せっせと動かしていく。飲み屋やレストランの厨房から漂う、うまそうな肉の匂い、温かな鍋の香りが嗅覚を刺激し、空っぽのお腹がぐうと鳴った。動けば動くほど、腹が減るが、じっとしていると、どうしても寒くなる。歩みを止めれば、このまま、死んでしまうんじゃないかというところまで、追い詰められていた。

 ホームレスになるのは時間の問題だろうな、と、辿り着いた駅裏広場のダンボールの軒を眺め、溜息を吐く。収入も、蓄えも無くなった今、ネカフェにいるか、ダンボール下にいるか、多分、彼らとはそれだけの違いだ。

 街灯頼りに、人気の無い、公衆便所脇のコインロッカーに辿り着くと、比佐男は、一張羅の黒いジャンパーから、鍵と数枚のコインを取り出し、一番右上の、気に入りのロッカーを開けた。使い込み、あちこちシワだらけ、破れかかった紙袋に、着替えが数着ある。風呂に入れぬまま、下着も何日か替えていなかったことを思い出し、彼は別のレジ袋に入った下着に手を伸ばすも、止めた。金が無く、コインランドリーにすら行けなかったのだ。ここにあるのは全て、汚れ物。来るだけ無駄だった。他の荷物は髭剃り、空のリュック、やはり代金払えず使えなくなった携帯電話。金目のものの無さに愕然とし、比佐男は再び鍵を掛けた。


「今日は、どこで寝るか……」


 ぼそりと呟いた比差男の声は、弱々しく、頼りない。

 三十五歳の割りに、白髪の多い頭をかき上げ、彼は空を見上げた。都会の真ん中でも、この公園からは少しだが星が見える。街の光に負けて、自らの存在を誇張出来なくても、星は今日もいつものように、輝き続けているのだ。

 ほうと吐き出した比佐男の白い息で、視界が曇った。両手のかじかみを少しでも和らげようと(こす)り合わせ、口を覆って、更に一息、ふうと吐く。

 世界中、クリスマスだと祝っていても、自分にはプレゼントどころか、家も、金も、食うものもない。もしかしたら、年もまともに越せずに──、いや、越したとしても、生きる意味も見出せぬまま、ただ命の尽きるまで呆然と生きながらえるのだろうかと、比佐男は思った。

 駅裏公園から続く並木通りを抜け、小さな雑居ビルの集まる飲み屋街へと向かう。その先に、いつものネカフェがあるのだ。辿り着きさえすれば、ドリンク飲み放題だ。残り数百円の所持金で、とにかくいられるだけそこにいて、横になりたい、外で寝泊りするのは、あくまで丸っきりの一文無しになってからだと、比佐男は密かに決めていた。

 一人、悲愴な面持ちで歩き続ける比佐男に、後ろから誰かが声を掛けたのは、そんな時だった。


「おい、比佐男、比佐男じゃないか」


 久しぶりに、誰かが自分の名前を呼ぶ声を聞いた。比佐男はどきりとして、ゆっくり振り向いた。

 看板と飲み屋から漏れる明かりに照らされたその男は、

 

「やっぱり比佐男だ」


 弾んだ声で手を振った。

 身なりのよい男だ。白いカシミヤのコートが眩しい。きっちり髪を固め、ビシッと決めたスーツ姿、すらっと背が高く、姿勢がよい。

 全く見覚えのない男に、比佐男は聞き違いかと(きびす)を返した。


「おいおい、比佐男、水臭いな。俺だよ、明徳(あきのり)だよ」


 男は足早に比佐男に駆け寄り、ぽんと肩を叩いた。


「明徳だって?」


 比佐男ははっとして、足を止め、男の顔をまじまじと眺めた。

 街灯下のサラリーマンは、確かに、比佐男の記憶にいる男、明徳に似ていた。すっきりとした目鼻立ち、黒く、しっかりとした眉、長い睫毛(まつげ)


「お前、高校の同級の……、明徳か?」


 ようやく思い出した。比佐男は顔を明るくした。

 明徳は、友人の少ない比佐男の、唯一の理解者だった。

 高校二年の時、両親が離婚し、父に引き取られた比佐男は、荒れに荒れていた。情緒不安定でとげとげしく、近寄るもの全てを傷つけた。家庭内暴力、傷害事件、万引き、カツアゲ、タバコ、薬、何でもやった。心が満たされず、非行を繰り返す比佐男に、明徳は声を掛けた。

 どこかの会社社長の息子だという明徳は、面倒見がよく、誰にでも優しかった。気が利いて、繊細で、女性にももてるタイプというやつだ。頭がよく、スポーツ万能、剣道部の主将も務めていた。

 明徳は比佐男を励まし、まっとうな道へ進むよう、促した。欠席がちだった比佐男が、無事に高校を卒業出来たのも、明徳が手取り足取り、勉強を教えてくれたおかげ。比佐男の非行は減り、性格もある程度改善した。

 明徳にとって、それは万人に対しての優しさだったのかもしれない。だが、比佐男にとっては、特別で、かけがえの無いものだった。明徳が自分を、親友として見てくれているのだとさえ、思っていたのだった。


「会社帰りなんだよ。比佐男、どうだ、一杯」


 昔と同じように、明徳はニコニコしながら、比佐男の肩に腕を回してくる。

 懐かしい感覚だったが、決まり悪い。風呂に入っていない、体臭が気になって仕方ない。髭も、髪の毛も、身なりも、あまりにみすぼらしいのが恥ずかしい。かえって、びりびりと緊張し、比佐男は肩をすくめた。


「いや、俺は」


 金、無いんだよ、と、言いたかったが、言えなかった。

 香水のいい匂いのする明徳は、昔からそうだったが、自分とはやはり違う世界にいるのだなと、思い知らされるのが嫌だった。それでも明徳は、そんな比佐男の気持ちも知らずに、


「久しぶりなんだし、(おご)ってやるよ。丁度、行きつけのバーがあるんだ」


 比佐男の肩を抱きかかえたまま、ぐいぐいと強引に歩き出した。

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