5
翌日の昼下がり、ティセはセレイとその馴染みの茶屋へ向かった。休日であるため市場は閉まり、目抜き通りの商店街も人通りが少ない。けれど、通りがかった広場では旅の一座が興行を打ち、風変わりな踊りや蛇遣いなどの見世物を出していた。平日以上に露店が張られ、大変な人出だ。ひとびとの憩いの場である広場の茶屋や簡易食堂はかき入れ時、肉を焼くたまらない匂いや香辛料の香りがそこここから漂ってくる。茶売り少年たちがひとびとの間を駆け回る。空は穏やかな冬晴れだ。
向かう道すがら、セレイに、
「どうしてリュイは誘わないの?」
休日の午後は決まって、友人たちが馴染みの茶屋へ集まるのだという。約束をしているわけではないが、暗黙の了解のようになっていて、気の合うものが自然に集まってくる。セレイもその一員だ。今朝、セレイは、
「ティセを友達に紹介したいから、午後借りてもいいかしら」
リュイへ言ったのだった。
セレイは上向き加減に「……うーん……」と考えて、
「……誘っても来ないように思うけど……」
「そうかなぁ、あいつ従順だから誘えば来ると思うけど……。でも、確かにみんなでわいわい騒ぐようなやつじゃないよな……」
ティセにちらり目を向けて、
「ふたりでいるときはどうなの?」
「ははっ、俺ばっか喋ってるよ。それでも、あいつはそれなりに楽しそうにしてるけどね」
自嘲気味に笑うと、セレイは小さく「そう……」と返す。そして、にわかに口をつぐんだようになった。意味深げに伏せられたセレイの長い睫毛を、ティセは暫し見つめていた。
「……リュイもそうだけど……セレイもリュイとはあまり喋らないんだね。本当の兄妹なのに……。俺、独りっ子だからよく分かんないけど……」
伏し目のまま、セレイは迷いのあるような言葉つきで、
「……久しぶりだし、養女になってからもう長いから……なにを話したらいいのか……」
リュイと同じように言った。
馴染みの茶屋は古びた赤煉瓦の民家の一階にあった。二階は住宅になっていて、窓辺に白い手ぬぐいが数枚はためいている。折り戸を開けて入店すると、ほのかに暖かい室内の空気に包まれた。
簡素な食卓が六卓ほどあるだけの殺風景な茶屋だ。すでに十人を超える若者が集まって、お喋りに花を咲かせていた。手前にいたイブリアの少女が声を上げる。
「来た、来た! セレイよ」
「待ってたわよ、あんたを!」
友人たちは口々に声を上げた。店内にはイブリアだけでなくシュウ人もいる、男女の別もない。誰もが興味に満ちた目をティセへ向けている。
「こんにちは、ティセ・ビハールです」
ぺこりとお辞儀をする。店内は色めき立った。
「みんなイリアの話を聞きたがってるわ」
手前の少女が疑わしげな顔をして、
「……ちょっとセレイ、あんたの兄さんは?」
「兄さんは留守番なの」
「なによそれ!? すごく格好いいってミイシャが言ってたから、とっても楽しみにしてたのにー!!」
黄色く尖った非難の声に、店内は笑いに包まれる。ティセも思わず吹き出した。
それから、とりとめのない話で盛り上がった。イリアのこと、旅路のこと、シュウについてもたくさん聞いた。皆でひとつの話題に盛り上がることもあれば、流れで個別に話し込むこともある。こんなふうに、歳の近い者たちと気さくに雑談を楽しむのは久しぶりだ。ひと売りの幌馬車でニムルたちと砕けた会話を楽しんだ、あれ以来かもしれない。ティセはセレイに感謝した。
同年代との団欒の楽しさ、喜び――――おのずと、ナルジャにいる四人の仲間とラフィヤカを思い出す。彼らとふたたび心地よいひとときを過ごしたい。もしも許してもらえるならば、もういちど仲間に加わりたい。自ら疎遠になっていたティセが、いまは心からそれを望むのだった。
…………ナルジャが、懐かしい…………
遠い異国の地にて、故郷に思いを馳せていた。
右隣りに座っていた者が流れで入れ替わった。少し歳上と思われるイブリアの少年だ。少年はトルクの裾をゆらりとさせながら、向かいに座るシュウ人の少年へぼやくように言う。
「春になったらもうここには来られないんだ、俺」
シュウの少年は若干目を見開いて返す。
「もう入隊するの!?」
「来月には十七だもん。早いほうがいいだろう。もたもたしてると、歳下の先輩にペコペコする羽目になるんだぜ、絶対にいやだっ!」
吐き捨てるように言う少年に、ティセは尋ねる。
「それ、徴兵の話?」
「そう。イリアには徴兵はあるのかい?」
ないと答えると、向かいのシュウの少年がさもうらやましげに、
「いいなあ……! きみももしシュウに生まれていたら、俺たちのようにイジメみたいな訓練に耐えなきゃいけないところだったんだよ?」
「俺、シュウに徴兵があるって、ついこの前初めて知ったんだ。すごく驚いちゃった……」
左隣に座るセレイが、ティセに目を向けた。
「兄さん……話してなかったの?」
「全然。ついこの前、休暇中の兵士に話しかけられて、初めて教えてくれたの」
「そう……」
ティセはふたりの少年に、
「でも、行かなくていい方法もあるんだろう?」
ふたりはあからさまに「無理だ」という顔つきをして、溜め息をついた。
「免除金なんか払えるわけがないし、大学に進んで医者か科学者になれるような頭も金も人脈もないもん」
「代わりに決められた施設で働くのは?」
イブリアの少年が返す。
「それだともっと長い期間縛られることになるからいやなんだ。時間が惜しいよ」
続けてシュウの少年が、
「それにね、それは親が許さない、いや、親戚中が入隊しろと言うんだ。軍隊から逃げるのは腰抜けのすることだってね」
「そう、もし軍隊行かないなんて言ったら、恥をかかせる気かって怒鳴られちゃうよ」
「へええ!」
身の周りでは聞いたことのない考えかたを知り、ティセはおおいに感慨を深くする。興に入った顔をセレイに向けて、
「リュイはこのまま旅を続けてれば行かなくて済むかも、なんて言ってたけどな」
思い出して笑った。
「ま、いま休戦してて本当に良かったよ。俺が除隊するまで、このままでいてくれることを祈るばかりさ」
春に入隊する少年は胸に片手を当てて、もういちど溜め息をついた。
各々、何杯もの茶を頼み、揚げ菓子や惣菜を包んだ平パンなどを頬張りつつお喋りに興じていた。少年たちは盤遊戯や歌留多をし始め、こづかいを賭けて盛り上がる。性別も民族も越えて交友できる彼らには、町の子らしい奔放さと明るさがあった。片田舎で伝統を守り伝える者ではない、新しい時代を拓く若者たちだ。
楽しく過ごしているうちに、ティセはあることに気がついた。
ひとりだけ、話の輪に加われない少女がいた。ほっそりと痩せたイブリアの少女だ。とてもきれいな顔立ちをしているのに、表情がやけに暗く、ひどく地味な印象だ。誰も少女には話しかけない。あまりよく思われていないのだろう。かと言って苛められているふうでもない。そこにいることを許されていても、認められてはいない、そんなふうに見える。完全にのけもの扱いされていた。
ここにいるのだから、少女は皆と親しくなりたいのだろう。けれど、会話にうまく加わることができず、おどおどと気後れしているようだった。皆の輪に寄り添いつつも、はっきりと壁が見える。笑顔を向け合う少女たちへ、物怖じの眼差しを向けている。
厠から戻る折、そこにいちばん近い席に居心地が悪そうに座っていたその少女と、ちらり目が合った。ティセは元の席には戻らずに、少女の隣りに腰を下ろした。少女はびくりと身を縮ませ、驚きと怯えの混じった目を向けた。
「こんにちは」
目を泳がせて、もごもごと口籠もりながら同じ挨拶を返す。
「名前は?」
「……スルジェ」
とても小さな声だ。大きな黒い瞳に浮かぶ緊張のかたまりが、ぽろりと零れそうに見えるほど、気持ちが昂ぶっているのだとひと目で分かる。
「スルジェね、よろしく。歳は?」
「もうすぐ十五……セレイと同じ」
「じゃあ俺とも同じだ」
先ほどまで話をしていたシュウの少女が、元の席のほうからティセを呼ぶ。
「ティセ! こっちこっち!」
スルジェは目元をぴくりとさせて、その少女を一瞥した。気後れするような少女とは思えないほどの強い光が、瞳に籠もっていた。露骨に厭そうな、一瞬の眼差しだ。
「ちょっと待ってて、すぐ戻る」
スルジェに笑いかけ、話を続ける。
「セレイとは初等部の友達?」
強い光を消してしまえば、すぐにまた気弱そうな少女に戻った。
「……そう、去年一緒に卒業したの」
うなじで束ねた黒髪のひと筋を、胸の前でいじりながら答える。
「いまはどうしてるの? 中等部は……女の子は行かないか」
「家のこと、あと母さんのお店を手伝ってる。中等部には行かないわ。行ってるのは男の子たちだけ……」
「お店?」
「居酒屋よ、とても小さな」
先ほどの少女が痺れを切らして、つかつかと寄ってくる。
「ティセ、早くぅ!」
「ちょっと待ってって」
スルジェはふたたび、瞳に強い光を宿らせる。口をきつく閉ざし、怒りの籠もった鋭い目つきで食卓の一点を見つめる。右手に手巾を硬く握っていた。シュウの少女は、そんなスルジェが見えないような様子で、ティセの横へ立つ。
緊張した空気がひととき漂った。のち、スルジェは抑揚のない小声で、
「行っていいのよ。…………私、もう帰らないといけない時間だから……」
ティセはためらいを覚えたが、そう言われれば留まる理由もないのだった。
「……そ、そう……?」
シュウの少女と元の席へ戻った。少女はなにごともなかったように、明るい顔で話の続きをし始める。
スルジェはしばらく食卓を睨んだままでいた。ほどなくしてすっと立ち上がり、とても静かに茶屋の戸口から出て行った。セレイとほんの数人が、見るに忍びないといった目でそれを眺めていた。誰ひとりスルジェには「さよなら」も「またね」も言わない。
ティセはやるせなさを胸に溜めた。スルジェの出て行った戸口を、暫し見つめていた。そして、いましがたスルジェのいた席を、同じ気持ちで見向く。
「あ……」
食卓の上に手巾が置かれたままになっていた。
「スルジェ、忘れものしていった」
慌てて立ち上がると、先ほどのシュウの少女が制した。
「ほっといても大丈夫よ。だいじなものなら取りに戻るでしょうし、それに、どうせまた来週も来るんだから、お店に置いておけばいいわよ」
「でも……ちょっと行ってくる。すぐ追いつくよ、左のほうに歩いて行ったよね」
ティセは手巾を手に、茶屋の外へ駆け出した。
すぐにスルジェに追いついた。忘れもの、と手巾を差し出すと、とても驚いたような顔をしてティセを見た。
「……これだけのために、わざわざ追いかけて来てくれたの……?」
なんでもないことだと、ティセは微笑んだ。
「もしもだいじなものだったら、不安になるかと思って」
胸の前で手巾を両手に包み、
「そう……これ、たいせつなの……母さんからの贈りものだから……」
「それならよかった」
スルジェはなにか言いたげに、ティセの顔を見つめている。
「いつまでセレイのとこにいるか、俺たちまだ決めてないんだけど、もしまだいたら、また来週ね!」
片手を上げて挨拶をし、踵を返す。去りゆくティセの背に、
「ティセ!」
「ん?」
「あの……本当にありがとう……またね」
スルジェは初めて微笑みを見せた。黄色く染まり始めた日差しのなか、暗い顔つきがぱあっと輝いた。頑なな蕾がひといきに花開いたような微笑みだ。陰鬱な印象ではあるけれど、掛け値なしにきれいな子なのだと、ティセはつくづく思った。
茶屋からの帰り道は、すっかり風が冷たくなっていた。毛織物できっちり身を包んだセレイが言う。
「今日は付き合ってくれてありがとう。みんないつも以上に楽しんでたみたい」
「俺のほうこそありがとう。すごく楽しかった! だって……」
ティセはにやりとし、
「リュイとは世間話も莫迦話もできないからな!」
ふふふ、と笑ったのち、セレイはにわかに真面目な声になる。
「ねえティセ……スルジェに話しかけたのは、どうして?」
「目が合ったからさ、とくに理由はないよ」
なにか考えているように間を置いてから、
「……あの子がみんなからあまりよく思われてないのは……気づいてた?」
「もちろん。でも、どうしてなの?」
「スルジェも私と同じように別の町から越してきたそうなんだけど……なにか特別な事情があったみたいで、あの子のお母さんによくない噂があるのよ。ほんとかどうかも分からないし、詳しいことはよく知らないけど……」
少し言いにくそうに答えた。
「それに……なんだか少し取っつきにくいって、みんな言うの……。嫌いなわけじゃないけど、私も少し苦手かなあ……」
セレイは正直に言った。分かるような気が、ティセもする。
「……うん、なんだか不器用そうで暗い印象だったな……」
うなずくセレイの顔を見向き、
「でもさ、あの子、ちょっとおどおどしてて気弱そうに見えたけど、じつはけっこう気が強いんじゃない? 殻が破れたら、すごいことになりそう」
セレイはひどく驚いたようにティセを見た。
「そう! そのとおりよ! いつも気弱そうにしてるんだけど、たまにすごくきつくなったり意固地になったりして、みんなを驚かせるの。それもあって取っつきにくいって言われるんだけど……」
まじまじとティセを眺め、感心したように言う。
「ティセ……初対面なのに、よくそこまで気づいたわね……」
「そ? 手巾届けたら、嬉しそうに微笑ってくれたよ。いつか、みんなと仲良くなれたらいいのにね」
セレイはなにか考え込んだように黙した。
太陽は橙色に染まり、辺りの民家から竈の煙と、煮炊きする匂いや音が通りまで流れてくる。家路を急ぐ子供たちが、ふざけあいながら傍らを駆けていった。やがて、セレイはぽつりと言う。
「ティセは…………やさしいのね」
「…………」
ティセは道の先をじっと見つめた。過ぎた日々を見つめるような眼差しで。
「……そういうんじゃないんだ」
顔つきも声も真摯にさせて、ティセは語り始める。
「俺ね、春に家出するまで、村で浮いてたんだ。友達とも遠くなっちゃって孤立してた……周りの大人からもよく思われてなかったし…………不良って呼ばれてたんだ」
まさか、とセレイは目を開く。
「……ティセが?」
「みんな俺のこと怖がって遠ざけてた…………それでも、いつも気に掛けてくれる仲間が何人かいてさ。……だから思うんだ。みんながどう思ってようと関係なくて、俺は自分で接してみてからひとを判断しようってね。みんなが嫌っていても、俺は違うかもしれない。スルジェのことなんにも知らない代わりに先入観もない。ありがとう、またねって微笑ってくれて俺も嬉しかったし、だから、みんなと仲良くなれたらいいと思うんだ」
セレイは驚いたままの目をして聞いていた。
「……あなたが孤立してたなんて、信じられない……」
告白したら気恥ずかしくなってきて、ティセは照れ笑いでそれを誤魔化した。そして、もういちど真面目になる。よりいっそう真摯になる。
「リュイはすごく変わったってこのまえ言ったけど、それは俺も同じなんだ。家出して、リュイと歩き始めてから、ずいぶん変われたんじゃないかと思う。村にいたころは、もっとどうしようもないやつだった。変わるきっかけをくれたのはリュイだし、一緒にいて変えられたところも、きっとあると思ってる」
言いながら、ティセはあの日のことを鮮明に思い出す。孤児だという嘘が露見して、血と泥と涙と鼻水にまみれてリュイの脚にすがった、あの完全な敗北を。ナルジャにいたティセを抑圧し続けてきた、見栄や間違った羞恥心という足枷に気づかせてくれた、あの敗北。新しい自分に生まれ変わりたいと願うきっかけをくれたのは、間違いなくリュイだ。あの敗北こそが解放だった。リュイがもたらせてくれた、抑圧から解き放たれる機会――――いま、改めてそれを思う。
顔をはっとさせて耳を傾けるセレイに、ティセはひたむきさに満ちた瞳を向ける。
「俺、リュイをとんでもなく尊敬してるんだ」
本心を告げればまた気恥ずかしくなって、ふたたび照れ笑いをした。
セレイはなにも返さなかった。が、感極まったように眉を寄せ、まるで涙を堪えているかのように、暗緑の瞳を揺らめかせた。
戻ると、頭上から「おかえり」と養父の声がした。見上げれば、屋根の上にしゃがんでいるトルク姿の頭が見えた。その奥にはリュイもしゃがんでいる。
「養父さん、なにやってるの?」
「屋根の修理さ、雨漏りしてたろう」
養父はにっこりと笑い、
「リュイが手伝ってくれたから、もう終わってしまったよ、完璧だ。なあ?」
同意を求める養父に、リュイは静かな微笑みを返す。
ここへ着いた初日の、養父母との間に漂っていた不自然に緊張した空気は、いまはもう感じられない。リュイはひどく寡黙であったが、常と変わらぬ表情を養父母へ向けている。
「ねえ、ティセ。買いものに付き合ってもらえないかしら。少し量が多いのよ」
セレイがそう言ったのは翌日の午後だった。
「もちろん」
お安いご用とティセは立ち上がった。
「おまえも行く?」
リュイへ尋ねると、少し考えてから、
「……僕はイブリア街へ行ってくる」
「イブリア街?」
「祈りの樹を見たいんだ」
ともに玄関を出た。夕方戻ると言い残し、リュイはイブリア街のほうへひとり歩いて行った。
ティセはにやにや笑いを浮かべて、セレイを見遣る。
「あいつ相当誘われちゃってるな。でも、いいことだよ、リュイがなにかしたいって自分から言うこと、ほとんどないんだから」
セレイはなにか言いたげに、ティセの顔をじっと見返した。
曇りがちの肌寒い日だ。しっかり防寒し、買いもの篭をひとつずつ手にして、目当ての商店へ向かう。セレイは杏色のシュウの女の衣装を纏い、ふわりと裾を咲かせて歩く。
「セレイもお養母さんも、シュウのひとの服を着るのに、お養父さんはいつでもイブリアの服なんだね」
「そう。養父さんはトルクが好きなの。トルクは誇りだっていつも言うわ。トルクにふさわしいのは腰巻きだっていう信念なの」
「へえ!」
「ふたりとも、私の本当の父さんや母さんと違って、新しい考えかたを持ってるひとだけど、決してイブリアの誇りを忘れていないのよ」
ティセはふと思い至る。
「それでも、リュイにトルクをしろって言わないんだね。古老にも言われてたけど、前にタミルカンドでお世話になったイブリアの家族には、家長にも息子にも言われてたよ」
セレイはにわかに押し黙ったようになる。やや間を置いたのち、
「……うぅん……そうね……」
曖昧に返した。
「いちどリュイに聞いたんだ、トルクしないのかって。そしたら、しないって妙にはっきり答えたよ」
「……そうなの……」
やはりはっきりしない調子で、セレイは応えた。
買いものは話していたほどには多くなかった。少し重くても、ひとりで持ちきれるくらいの量だ。それをふたりで運ぶのだから、たやすいことだ。わざわざ手伝いを頼んだのを、ティセは少しばかり疑問に思った。
セレイは来た道を戻る途中で、急に別の道を行き始める。
「あれ……こっちじゃないの?」
顔を覗くと、セレイはなにか思い込んでいるような真剣な瞳をしていた。そして、いやに静かに、粛とした声で、こう告げる。
「ティセ、あなたに話したいことがあるの――――――……」
瞬間、ティセは心臓がどきりと鳴った。ひそやかでひたむきなその声音から、セレイの話の内容に見当がついてしまう。同時に理解した。手伝いを頼んだのは、自分を連れ出すためなのだと。
高鳴りと、ためらいに似たものが怒濤のようにティセを襲う。頭のなかの雑事がすべて掻き消え、心が黙り込んでいくのを感じた。手足まで意識が回らなくなったかのように、ふわふわとぎこちなく歩いている気がした。セレイにはなにひとつ言葉を返せない。
その代わり、灰色の空へ漫然と目を向けながら、胸のなかで名を呼んだ。
――――――リュイ……――――




