2
吊りランプのやわらかな灯りが居間を照らしている。敷物にムシロが広げられ、料理の盛られた大きめの盆や皿がいくつも並ぶ。部屋の隅に手洗い用の桶がある。水差しの水をセザにかけてもらい、三人は手を洗った。
晩餐をともにするのは、先ほども同席したセザの弟たちと、トルクを許された年長の息子ふたりだけだ。女とほかの子供たちは、別室か土間でいつも通りの夕食を取るのだ。
「急なことで、たいしたものは用意できないけれど、久しぶりにイブリアの伝統料理も作らせたよ。遠慮しないで、さあ」
セザは気持ちよく勧める。
いくつかの盆には、よく見かけるタミルカンドの料理が盛られている。普段は概ねタミルカンド風の暮らしをして、村のひとびとに同化しているのだろう。鶏肉の煮込みが目に入る。珍客のために、わざわざ一羽の財産を潰してくれたのだ。ティセは胸が熱くなった。その横に、見たことのない料理がある。
「これですか、伝統料理って……」
セザの上の弟が、口髭を押し上げて笑う。骨太な体躯に似つかわしいおおらかな笑みだ。
「ファータというんだ、きみは初めてだろう」
底の浅い黒い石鍋の汁のなかに、雑穀の練りものとヒヨコ豆、唐辛子がたくさん入っている。唐辛子の赤が引き立って見えた。強い香味が鼻腔と食欲を突く。
セザはリュイを見遣り、
「シュウのイブリアもファータを作ることがある?」
「……幾度か口にしたことがあります。材料が少し違っているけれど……」
親しみを込めた目でリュイを眺めてから、セザは言う。
「そう……我々は広い地域にまたがって暮らしているから、伝統や慣習が少しずつ違っていく。食べるものはとくに……手に入りにくいものもあるし、その土地のものを取り入れてだんだんと馴染んでいく……」
ファータを小皿へ取り分けて、ひとくち食べてみる。しっかりとした旨味のあとに、鋭い辛味がじわりと舌をのぼっていった。
「……おいしい! ……でも、けっこうからい……」
ティセがはふっと息を吐いた横で、フェネがケホケホと咳き込んだ。
「フェネにはから過ぎたね」
水の入った湯呑みを手渡すと、フェネは涙目で飲み干した。子供らしい姿に、皆が相好を崩す。口髭の弟がリュイへ問う。
「どう? シュウのファータと同じかい」
「…………はい、こういう味でした」
「おまえが食べてたファータには、なにが入ってたの?」
「練りものじゃなくて、ちぎった平パンが入っていたと思うけれど……」
口髭の弟は納得したように、にっかりと笑んで、
「そう、主食を食べやすくするのがファータだから、入っているものが練りものでも平パンでも米でも、それもまた正しいファータだ」
正しい、ともっともらしく述べる弟に、リュイはどこかあやふやな微笑みを返した。
薄暗いランプの下では、リュイも含め、家族の肌の色は昼間よりやや濃く見える。客人を迎えるには手狭なこの居間のなかで、自分と似た肌の色をしているのは隣にいる小さなフェネだけだ。ティセはご馳走を頂きながらも、自分が真の異物になったような気がしていた。見知らぬ景色のなかで自分を異物と感じる、そんな感覚はイリアを出国したときからつねにあるけれど、いま頂点を極めていた。もしもここにリュイがいなかったら…………目の前の鶏肉のひとかけさえ喉を通らないほど萎縮したのではないだろうか、ティセは感慨を深くしつつ、しっかりと鶏肉をほおばった。
三十前と思われる下の弟は、すっきりとした目元が理知的に見える農夫だ。リュイをまっすぐに見て、「ところで……」と切り出した。
「きみたち、シュウに行くって言っていたけど、治安は大丈夫なのかい。二・三年前だったか、ファルギスタンとの休戦前後にあちこちで連鎖的に衝突があったそうじゃないか。いまは落ち着いているの?」
ティセは鶏の骨を持つ手を止めて、リュイを見た。
「荒れたのは主に北部のほうですし、いまは北部もそれなりに落ち着いていると、いろいろな処で聞いています。向かうのは南部だけですから、問題ないと思います」
沈着な返答を受け、下の弟は安心したように目を細める。北部ではまれに事件が起こるとリュイから聞いてはいたが、ティセは初めて詳細を知り驚いていた。
セザが真面目な声音で語り始める。
「シュウ政府がより独裁的になってからもう二十年近くなるかね。結局、反政府派に手を焼いて休戦せざるをえなかったんだろう。イブリアの過激派も相当事件を起こしたそうだね。この国にももちろん過激派はいるけど、実際に事を起こすことはほとんどない。それほどシュウのイブリアは冷遇されているのかい」
食事の手をぴたりと止めて、しばらくリュイは黙考していた。やがて、先ほど下の弟へした返答とは違う、辿々しさのある口調で、
「……僕にはよく分かりません……ただ、南部に住むイブリアより北部のイブリアのほうが貧しいのは確かなので……そういう不満もあって、自治を強く求めているのかもしれません……」
「そうか……。イブリアのなかには、ひとつにまとまって建国するのを理想に掲げるひともいるだろう。きみは、どう思う?」
リュイはより困惑したように瞳を揺らした。どことなく追い詰められているようにも見え、ティセはそこはかとない違和感を覚えた。
ためらいを含む声で、リュイは小さく答える。
「……僕は……いまのままがいいと思います」
セザは暫し黙っていたが、そのうち和やかな顔つきに戻り、
「私もそう思うよ。離散は哀しいことかもしれんが、時が経ちすぎた、すでに歴史だ。いまのままがいい、私はここで私の家族と穏やかに暮らしていきたい」
誰にも聞こえないほどひそやかに、リュイが溜め息をついたのを、ティセは聞き逃さなかった。
食後の茶が振る舞われるころになると、おのおのの家で夕食を取った子供たちが、ふたたびセザの居間へ集まってきた。居間の入り口や隅のほうから、あるいは開けたままの真っ暗な窓の外から、歓談の様子を眺めている。ひんやりした夜風が居間を流れていたが、ひとが多いのでかえって心地よい。奥の土間には嫁たちが集まっているようで、話し声と乳呑み児のぐずる声が聞こえてくる。
「イブリアのひとはいろんな瞳の色をしてるんですね」
セザは青い瞳を向けて答える。
「多くは私の家内やきみと同じように黒い瞳をしているけどね。イブリアのなかには流浪生活を送るものも少なくないから、遠い異国の血が混じることもある。私の近い先祖にもそういうひとがいたんだろう」
「おまえも?」
ティセはリュイの瞳を覗いた。
「……たぶん」
「へえ!」
そのまま、ティセはうつむき加減のリュイの顔を見つめていた。何故言い出さないの――――心で問いながら。
視線の意味を察したのだろう、ほどなくしてリュイは目を上げた。いつも以上に冷静な眼差しをしている。
「……庭に立派な木がありますね」
セザは目を細め、
「ああ、うちのご本尊さまだ。さっき、きみも長いこと眺めていたようだね」
「……イブリアの大木信仰と関わりがありそうな笛について、聞いたことがありますか」
セザも弟たちも、一瞬きょとんとした。のち、顔を見合わせて、
「……笛?」
「聞いたことあるか?」
「……いやぁ……ないな」
下の弟が身を乗り出す。
「なんだいそれは? どんな笛?」
リュイはどう説明しようか考えるふうに、やや間を置いた。
「……僕の家に、小さな笛がひとつ伝わっていて、家族はそれをイブリアの笛と呼んでいたそうです。笛は一対の笛で、どこかにもう片方の笛がある、それを探せというのが両親の遺言なんです。笛については僕もほとんどなにも知りません。先日、巫女のような目を持った占い師から、笛には大樹の霊を感じると言われたので、大木信仰と関わりがあるんじゃないかと考えています」
セザたちはふたたび顔を見合わせたあと、目を見開いて大きく関心を示した。
「ほお、大樹の霊か、ありそうなはなしだ、立派な木には確かに精霊が宿っているよ」
庭の大木を畏敬するひとびとは、リュイの話を受け入れた。ティセは横から、
「笛を見せたらいいじゃないか」
リュイは無言で襟もとから笛を取り出した。向かいに座るセザへ長い腕を伸ばして、
「これです」
セザのまわりにトルクを巻いた頭が集まった。遠巻きに見ていた子供たちの幾人かが、我慢できないというふうに駆け寄った。農作に励む浅黒い指に挟まれた笛は、リュイが手にしているときよりも小さく儚く見える。セザは角度を変えながらしげしげと眺め、
「きれいだねえ……しかし、これは笛かい?」
こんなものが音を出すのかと、ティセが初めて見たときと同様に思ったのだろう。リュイはあのときと同じく、笛だとはっきり答えた。
アミタブの隣りに座る、まだ顔つきにあどけなさを残す従弟が、
「……吹いてみてもいいかな?」
「どうぞ」
皆が注目するなか、従弟は歌口に唇を当て息を吹き込んだ。当然、音は出ない。不思議そうな顔をしたあと、もういちど息を吹き込む。見届けてから、リュイは言う。
「笛は吹き手を選ぶと言われています。認められないうちは、どんなに息を吹き込んでも音は出ません」
皆、呆気に取られたような表情でリュイを見る。アミタブが、
「ち、ちょっと貸せ」
従弟の手から笛を取り上げた。怪訝そうな目で笛を凝視したのち、笛を吹く。息の抜ける空しい音だけがした。何度か試したあと、
「……なんの手応えもない」
ティセは初めて笛を吹かせてもらったときを思い出し、
「俺もそう思った」
思わずにやりとしてしまう。アミタブは半信半疑といった眼差しでリュイを見て、
「きみには音が出せるの?」
「単音だけなら、いまは…………八歳のころから父の形見としてこの笛を持っているけれど、僕が音を出せるようになってから、まだ一年足らずです」
誰もが同じように半信半疑の目でお互いを、リュイを見遣る。大樹の精霊を信じる彼らも、笛の不可思議はにわかには信じがたいようだ。リュイは予想していたのだろう、いつものように毅然と背筋を伸ばして身じろぎもしない。
そこはかとなく、居間にはぎこちなさが漂った。が、下の弟が思慮深そうな目をリュイに向け、真率な態度で乞うた。
「聞かせてもらえないかい、その笛の音を」
リュイはゆっくりと瞬きをして、手元に戻された笛の歌口に唇を当てた。
空の高み、雲間から差す光の梯子のように降りてくる音が、辺りを包む。開け放たれた窓の外へ響き渡り、闇の奥へと流れていく。途端、一陣の夜風が吹いた。庭の神木が、笛の音と呼応するかのごとく大きくざわめく。滝の音にも似た葉擦れとともに、オオオオォォ…………地の底か、あるいは虚空の最奥が振動しているような幽かな幻聴が聴こえる。すると、笛の音はなにかに磨かれたかのように冴え渡り、ますます玲瓏に鳴り響いた。居間の空気が一変し、すべてが静止する。土間から聞こえていた乳呑み児のぐずり声がふいに途切れ、聞こえないはずのフェネが、びくりとして宙を見上げた。
そして、居間は静寂に包まれた。リュイは目を閉じて笛を鳴らし続ける。その横で、ティセはいままで幾度か聴いたときとは比べようもない、ことのほか深い安らぎを覚えていた。神木が笛の音に力を与えているとしか思えない。心地よく湿った深い森のなか、一切の綻びのない心のしじまへと続く道が、その奥にほの見えた気さえした。
気づけば、はっとしていた家族たちは、誰もが微睡みの目をしている。フェネでさえ、陶然と宙を見つめ続けていた。
息が切れ、笛の音が止んだ。が、しばらくは皆、ぼんやりとしていた。余韻から抜け出せないといったふうに。
いち早く現実を取り戻したティセは、歌口に唇を当てたままでいるリュイを見向いた。何故か、ひどく疲れたような顔をしている。
「……どうした?」
「……いや、なんでもない……」
やがて、セザが口を開いた。感心しきった声で呻く。
「……なんて霊妙な音かね……聞いたことがないな、こんな音色は……」
「身体のなかが静まりかえったようだった……」
上の弟はその広い胸元に手を当てた。下の弟はいまだ微睡んでいるような柔和な笑みを浮かべて、
「森のなかにいる幻を見た…………きみの話を信じるよ」
ティセはほっと胸を撫で下ろしたが、リュイは瞬きを返すだけだった。機嫌を直した乳呑み児の微笑ましい喃語が、また土間から聞こえてきた。
「しかし、笛については聞いたことがないな」
下の弟は腕を組み、
「うん……なにか手がかりはないもんかな。たとえば……イブリアの祭事や、昔話とか民話のなかに、笛が出てくるようなものがあったかな……覚えてる?」
ふたりの兄は目を遠くした。
「うーん……笛が登場する民話ねえ……覚えてないなあ……。私が覚えているのはいちばん有名な、大木と結ばれた女の話、あの民話くらいだ。きみも知ってるだろう?」
当然のような口ぶりで、セザはリュイへ言う。
「……いえ、知りません」
「本当に!? 子供のころよく枕辺で聞かされたろう」
「…………」
幼少時に誰もが聞かされるような昔話や、物の怪が跋扈するお伽噺、そんなものをリュイはやはりなにも知らないのだ。ティセはいちばん有名だというその民話に興味を引かれた。
「どんな民話ですか!? 聞いてみたいっ!」
そうかい、とセザは微笑み、
「えーっと……ねえ……」
そこで言葉を詰まらせてしまう。苦笑いを浮かべ、
「あまりに遠い昔のことだから、ちゃんとした話の出だしを忘れてしまったよ」
ハハハと頭を掻いた。上の弟が居間の入り口にたむろする子供たちへ向かい、
「おい、ラナを呼んでこい!」
数人の子供が土間へ素っ飛んでいく。弟はざっくばらんに笑み、
「うちの名咄家だ。ちょうど毎晩子供たちに昔話を聞かせてるところだよ」
ほどなくして、得意げな顔をした子供たちに手を引かれ、ラナと呼ばれた嫁が居間へ現れた。肉付きのいい健康そうな身体つきが、多くの子を産み育てている証しのように見える女だ。飾り気のなさや纏め髪のほつれ具合が、田舎の農家の主婦らしさを存分に醸し出している。
本来なら同席することのない席に突然呼ばれ、ラナはさっぱりとした笑顔のなかに、少しだけ気恥ずかしさを覗かせている。女にしてはどっしりと貫禄のある声でラナは言う。
「なによ、わたしに物語れって言うの?」
話はすべて土間へ筒抜けなのだった。
「頼むよラナ、得意だろう」
家長であるセザが直々に依頼する。ラナは観念したように溜め息をつきながらも、どこか誇らしげな顔をして、アミタブの従弟の横へ腰を下ろした。
「大樹の精霊と結婚した少女の民話だったわね。それでは、少し大人向けに語りましょうか……」
むかしむかし……と、遙かな時を招き戻すかのように、ラナは左手を宙に舞い踊らせる。浅黒い手の甲に、セザの嫁がしていたのと同じ刺青が見えた。庭で話をした、ティセと同い歳ほどの少女にはなかった。既婚の印なのだと分かる。
薄暗い灯りと笛の音の余韻が相まって、居間はさながら、夢と現世の狭間であるような雰囲気に包まれていた。芝居がかった声と大仰な身振りが、ティセをイブリアの民話の世界へといざなった。
遠い昔、大きな森の縁に美しい少女が住んでいた。止まない争いで、ひとり、またひとりと家族を失い、ついに少女はひとり残された。父よ、母よ…………いくら泣いても涙が足りることはない。穢れなき少女の胸のなかは、悲しみにえぐられて血を流す。少女の黒い瞳には、空も大地も、その心と同様に荒れ果てて見えた。
ある日、少女は死を決意し、森のなか深く、深くへと足を踏み入れた。すると、薄暗い森の奥、一条の澄んだ日差しのなかに立つ大きな沙羅樹を見つけた。その佇まいの美しさ、神々しさに、少女は無心となり、ひととき死を忘れた。代わりに、悲しみに明け暮れて、長きに渡り祈りを捧げないことを思い出す。
その日から、少女は毎日森の奥へ通い、沙羅樹へ祈りを捧げた。一日も欠かさず、雨や風、嵐さえものともせずに祈り続けた。夕刻迫れば森へゆき、暗闇のなかを戻る。そして気づけば、千日の祈りを捧げていた。
千と一日目の夕刻、いつものように沙羅樹の元へ片膝をつくと、木の脇に忽然とひとが現れた。少女と同じ肌の色を持ち、整ったひだのあるトルクをつけた、それはそれは美しい青年だった。少女はひと目で、沙羅樹の精霊だと分かった。
精霊は少女を見下ろし、静かに問うた。
「そなたの望みはなにか」
少女は答えた。
「平安を」
精霊はふたたび問うた。
「代償はなにか」
争いですべてを失った少女は、なにひとつ持たない。だから、こう答えた。
「……わたしを」
こうして、少女は精霊のひと夜の妻となり、子を成した。
精霊は二度と少女の前に姿を現さなかった。少女は手の甲に自ら墨を刺し、誓約通り、精霊に操を立てた。生涯独り身を貫いたが、少女の心は死を迎えるまで、心地よい木々のささめきに身を預けているかのように、安らかだった――――……
ラナの語りは、真実咄家かと紛うほど巧みであった。ティセの心はすっかり物語世界をさ迷って、すぐには居間へ戻れなかった。目の前の大人たちも同様であるらしく、幾度となく聞かされた民話にも拘わらず、感心したようにラナを眺めている。フェネには難しかったはずだが、大仰な身振りとはっきりした唇の動きからおおよそ分かったようで、目をぱちぱちさせている。
ティセが満足げに溜め息をつくと、セザたちも、
「いや、素晴らしいな、ラナ!」
口々に感嘆の声を上げる。ラナは照れ笑いをしつつ、得意げにフンと鼻を鳴らす。
「すごくよかったです!」
同意を求めてリュイを振り向けば、うつむき加減のリュイはどことなく顔を強張らせ、
「……代償……」
口のなかで、確かにそうつぶやいていた。
……リュイ……?
「どうだい? この民話、聞いたことなかったかい」
セザの問いかけを受け、リュイは我に返ったように顔を上げた。
「はい。初めてです」
「そうか、イブリアなら誰でも知ってるかと思っていたよ……。ようするにこの民話は、木に祈りを捧げていれば安らかでいられる、毎日お祈りをしなければいけないという教訓譚だ。単純な物語かもしれんが、イブリアの心の拠りどころを謳ったものだよ」
「……心の拠りどころ……」
リュイは小さくくり返す。ティセはイリアのどこからでも見える、白く輝く神々の山の連なりを思い浮かべていた。
窓の向こう、庭の神木のほうへ青い目を向けて、セザは語る。
「みんな、大木を崇める心をどんどん失いつつある。ここにいた親戚たちもそうだった。町へ出たほうが便利だし裕福になれるかもしれんが、私はあの木を捨てられないんだ」
ふたりの弟が静かにうなずく。と、セザは急にはにかんで、
「と言ってもね、毎朝あの木に手を合わせているけれど、片膝をついてする正式な祈りはもう長いことしていない……。私の父や祖父はよくしていたのに…………きみはする?」
リュイはなにかためらいがあるのか、間を置いた。
「…………はい」
セザは心を強く動かされたように目を見開き、
「正式な?」
「……はい。たまに……」
すると、いままで以上に親しみを込めた眼差しでリュイを見た。
「素晴らしいことだ」
困じたように、リュイは瞬きをした。
下の弟も感心と親しみを滲ませた口ぶりで、
「シュウのイブリアは、いまでもそれほど信仰を守っているのかい」
「……いえ。多くのひとはそれほど意識していないと思います。…………僕の家が、特別だったのかもしれません……」
ことのほか静かに答え、リュイは手にしていた笛を襟もとへそっと仕舞った。




