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解放者たち  作者: habibinskii
第六章
30/81

1

 十人ひとがいたら満杯に感じる狭い部屋のなか、粗末な板張りの床の上で、ティセはぼんやりと目が覚めた。薄暗い。天井にランプがひとつ、弱々しげに灯っているのが目に入る。

 記憶が曖昧だった。なにがどうしたんだっけ……模糊とした頭のなかでつぶやくと、その頭の左右が鈍く痛むことにようやく気がついた。途端、すべてを思い出す。

 ティセは跳ね起きて、薄闇に目を凝らす。同い歳か少し歳下とみられる痩せた少年が五人、壁際に寄りかかり、こちらをじっと見つめている。そのなかにリュイの姿を探すが、いない。慌てて見回せば、壁があるのは少年たちがいるそこだけで、三方は格子、まるで檻だ。檻は黒い幕ですっぽりと覆われていた。自分の荷物を傍らに見ただけで、リュイはどこにもいなかった。腹の底から怖気が湧き上がり、戦慄する。

 檻の入り口には、大きな錠前が掛かっていた。ティセは入り口に這い寄り、幕の向こうへ大声を上げる。

「おいっ! リュイはどこだっ! リュイをどうしたっ!? おいっ! 答えろっ! 誰か答えろっ!!」

 息を荒くして怒鳴り続けた。やがて、背後から冷ややかな声がかかる。

「無駄だよ、誰も来やしないって」

「きっと夕飯でも食ってるよ、誰もいないよ」

 ティセは両手で格子にしがみつきながら、がっくりとへたり込んだ。思いのたけ喚きたかったが、あまりの悲嘆に声が出ない。

 …………リュイ…………!

 長いこと、そうしていた。うつむき固く目を閉じて、リュイの名を呼び続けていた。


 だいぶたってから、少年のひとりがまた声をかけてきた。

「おまえ、どこのひと?」

 ようやく格子から手を離し、ゆっくりと壁側を見向く。

「……イリア」

 右端に座る、いちばん小柄な少年だ。少年は心得ていたとでもいうふうに、

「どうりで……。捕まったのか?」

 ティセはうなずいた。

「リュイって誰だよ?」

「……旅の仲間」

 少年は目を見開いて、呆れたような声を上げる。

「旅!? ……イリア人はお気楽だなぁ!」

 返す言葉が見つからなかった。黙り込むティセを気にもせず、少年は続ける。

「で、そいつがどうしたんだよ」

 思わず涙が込み上げたが、ぐっと飲み込んで、

「……撃たれた」

 すると、少年たちは一様に目を瞠り、

「撃たれたぁっ!?」

 互いの顔を見合わせる。彼らはそんなひどいことをするのか、とでもいうように。ティセには話をする気力などなかった。憔悴しきったその顔を見て胸中を察したのか、少年たちはそれきり声をかけてはこなかった。



 格子に右肩を寄せ、孤絶するように少年たちに背を向けて、ティセは呆然と幕の一点を見つめ続けた。リュイの安否、それ以外のことは考えられない。これから自分はどうなるのかさえも、頭には上らなかった。

 どこに被弾したのか、どのくらい血が流れたのか、流れた血の量は、その息の根を止めてしまわなかっただろうか…………考えるほど、身体のなかがざわめいた。内臓が不安と怯えに震え続けた。泥だらけの着衣はいまだ湿っていて冷たいけれど、ティセの肌を粟立たせているのは寒気ではなく、憂懼と動揺だ。

 そして、自己嫌悪の暴風に心を晒していた。


 ――――俺がいなければ…………!


 もしも自分がいなければ、エトラの家を出た昨晩のうちに、リュイは逃げ切れたのではないか。あそこまで追い詰められるなど、ありえなかったのではないか。それならば、撃たれることはなかっただろう。滑落して怪我を負うこともなかったはずだ。

 道端の廃屋に、なんの疑念も抱かず、軽率に近づいてしまったのも自分だ。リュイだけが彼らの相手をし、自分はただ走っていたに過ぎない。リュイがあの老夫に背を向けてしまったのも、自分が捕まったからだ。

 ――――――ああ…………――――!

 ティセは心のなかで絶叫した。


 ……俺がいなければ……俺さえいなければ……!!


 幕の一点を見つめたまま、拳を硬く握りしめる。かつて口にした言葉が脳裏を過ぎる。ナルジャを出るとき、「絶対に足手まといにはならない」とうそぶいた。「おまえには頼らない」と声を震わせたのは、今朝のことだ。

 大莫迦だ、浅はかだ……愚か者だ……

 憎々しさに貫かれ、頭をめちゃくちゃに掻きむしる思いで自身を罵倒した。口汚く自身を罵り尽くし、痛感する。


 …………俺は、足手まといだ…………


 リュイはその発言どおり、ためらいなく剣を抜き、ひとを斬った。そして、あれほどはっきり「おまえを守らない」と言い切ったにも拘わらず、自分を助け、守ろうとしてくれた。

 湯呑みを投げつけたあとの顔が目に浮かぶ。背けた瞳には、疲労と憂いに似たものが浮かんでいた。顔や胸元へかかった白湯はどれほど熱かっただろう、濡れた衣服はどれほど冷たかっただろう。ティセは心苦しさに張り裂けそうになる。幕の一点を見つめる瞳から涙がひと筋流れ、泥まみれの頬を伝っていった。



 ふいに入り口付近の黒幕が捲られた。外はすっかり暮れていてよく見えない。真っ黒な木立が見えただけで、ここがどこなのか少しも分からなかった。そこに、ひとりの男が顔を現す。頬のこけた長い顔は、明瞭ではないものの、リュイと対峙していた三人のうちのひとりだとティセは気がついた。

「飯だ」

 男は片手の盆に平パンの入った篭と漬け物の器を載せている。ティセは入り口へ駆け寄り、格子にしがみつき、

「おいっ! リュイをどうした!? 答えろっ!」

「近寄るな、戸が開けられんだろ」

「答えろっ!」

「うるせえガキだな、おまえの仲間のことか? 奥へ退いたら教えてやる」

 男を睨めつけながら、ティセは渋々と入り口付近から退いた。男は錠前を外し、盆を手早く床へ置き、すぐに戸を閉める。

「そのまま放ってきたから、どうしたか知らねえよ」

「放ってきたぁっ!?」

 ティセはふたたび入り口の格子にしがみつく。男は眉をしかめてティセを見る。

「とんでもないやつだったな、あいつはいったい何者だ」

「リュイが死んだら……リュイが死んだら……おまえら……」

 射殺すように男を見つめ、声をわななかせた。

「ああ、あの爺さん名人だからな、急所には当てないよ。死ぬこたねえだろ。手当が早かったらのはなしだが……それよりおまえ、自分の心配でもしたらどうだ?」

 男はニタリと笑って、捲った幕をふたたび閉じた。閉ざされた幕の前で、ティセは格子を掴み続け、長いこと放心していた。






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