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解放者たち  作者: habibinskii
第四章
18/81

3

 来た道を足早に戻りながら、いつにも増して表情を硬くしているリュイへ尋ねる。

「あの花嫁さん、おまえの知ってるひとなの!?」

 リュイはやや荒さのある語気で答えた。

「知るはずないだろう!」

 すでに瞳は怯えの色を消していたが、普段している冷静な眼差しとは少し違っている。リュイはかなり動揺しているようだった。

 シータ教寺院まで戻ったあたりで、背後から女の声がかかった。駆けてきたのか、声に荒い息が混じっている。

「待って、待ってください!」

 振り返ると、参列者のひとりだと分かる橙色の礼服を纏ったひとが、肩をわずかに上下させながら立っていた。新婦と同じ、二十歳を少し過ぎた程度の歳だろう。肉づきのいい腹の前に両手をきちんと揃えて誠意を示し、ふたりへ言った。

「失礼なことをして申し訳ありません。あなたがたにはなんの責任もありませんから、どうかご安心を」



 そのひと――――スリンの家へ招かれた。スリンは新婦、コイララの親友だという。広くはないが手入れの行き届いた居間で、ふたりは山羊乳の入った甘い茶をご馳走になっている。

 スリンが台所から居間へ戻ってきた。むっちりと健康的に肥えた両腕で、揚げ菓子と乳脂を固めた菓子を山盛りにした盆を抱えている。

「どうぞ召し上がれ」

 と、敷物の上にうやうやしく置いた。頭に掛けた薄布を取り、綿の脚衣に着替えたスリンへ、ティセは遠慮がちに尋ねる。

「あの……式を途中で抜けちゃって、大丈夫なんですか?」

 スリンはからからと笑い、

「いいの、いいの。あの様子じゃ、どうせ今日のお式は中止でしょう」

 遠慮しないでね、とつやつやの笑顔で菓子を勧める。ティセは菓子へ手を伸ばしたついでに、右隣り、若干退いて腰を下ろしたリュイをちらりと窺った。いつものように背筋をまっすぐにしていたが、ややうつむき加減で、どこか疲れたような顔をしている。茶にも口をつけていないようだ。ティセは少し心配になった。声をかけようとしたそのとき、戸口にひとの気配がし、野太い声が居間へ届いた。

「スリン。上がっていただいたかい?」

 声とほぼ同時、二十代半ばと思われるのに、壮年のように恰幅のいい男が居間へ現れた。ふたりを認めると会釈をして、

「いきなり変な結婚式に出くわしてさぞ驚かれたでしょう。申し訳なかったね」

「おかえりなさい。で、お式はどうなったの?」

 男は肩をすくめて大きな溜め息をついた。

「当然中止さ。みんな呆れ返ってるよ」

「だから時期尚早だって私は言ったのよ!」

 責めるふうな口調を改めて、「私の主人です」とふたりに紹介をする。主人は礼服のまま、その場にどっかりと腰を下ろした。横で、スリンが主人の茶を硝子の湯呑みに注ぐ。その茶をひとくち口にしてから、

「いやぁ、僕たちも本当に驚いているんだよ。もう家内から聞いたかい?」

 まだなにも、とティセが答えると、主人は立派な体躯に似つかわしいよく響く声で事情を話し始めた。リュイを眺めながら、

「きみがね、よく似ているんだよ、以前この村に住んでいた外国人に」

 追って、スリンが言う。

「手っ取り早く言うと、花嫁の以前の恋人に、とても似ているのよ」

 ティセはほっと胸を撫で下ろした。

「それでか! ティアマからここに来るまでにも、ジロジロ見られることがあったから、なにかと思ってた。でも、そんなはなしでよかった、知らずになにか失礼なことして式をぶちこわしたんじゃなくって…………ああ、安心した!」

 笑みを見せると、主人も顔つきをやわらかくして、

「いや、本当に申し訳ない。見てのとおりこんな田舎だから保守的でね。彼がここにいた時分、本当にいろんなことがあったんだ」

「もちろん、彼はあなたより歳上だし、間違えるほど顔が似てるわけじゃないけれど……あなたを見たら……この辺りのひとは誰でも彼を思い出すわ。名物男だったからね」

 リュイは相変わらず表情を硬くしたまま黙っている。

 ティセはふたりの話を聞いて、想像する。リュイのようにひと目で外国人だと分かるひとがナルジャに住み着いて、村の女と交際を始めたとしたら――――……。保守的な村の大人たちは、おそらく良くは思わない。やがて受け入れられたとしても、目に立ってしかたがないだろう。そして、いまはいないその男とよく似たひとが、結婚式の当日にひょっこりと現れたら…………村びとは意地の悪い好奇心を隠せない。新婦の素振りを窺い、その心が誰にあるかを確かめてみたくなる。

 道中出くわした奇妙な視線の理由がよく分かった。歳上で、間違えるほどには顔が似ていなくとも、この辺りではめずらしい肌の色が同じなだけで、よく似ていると認識されるだろう。あるいは遠目には、そのひとが帰ってきたように見えたかもしれない。


 ラグラダには謎の壁画を見るために訪れた、と話をした。村から小一時間ほど歩いた辺鄙な場所にあると、主人が教えてくれた。近々、高名な考古学者率いる調査団が発掘調査に入る関係で、現在一般人は立入禁止になっているとのことだった。けれど、運良く主人は役人であったので、特別に許可を取ってみようかと言ってくれた。

「早急に申請するから、少し時間をもらえるかい? おそらく問題ないと思うよ」

「うおおおお! 原始人の壁画を拝めるなんて、夢みたいだぁ!」

 ティセは拳を握って感激に打ち震える。主人は笑いながら、

「本当に原始人かどうかは調査してみないと分からないよ。相当古いことだけは確からしいけど」

 たとえ原始人でなくても構わない、眉唾だろうがなんだろうが、ティセが強く求めているのは、腹の底から突き上げてくるような高揚感なのだ。家出してきて本当によかった、不届きにも頭のなかでつぶやいた。

 夫妻は昨年結婚したばかりで、まだ子供がいない。部屋が余っているので気兼ねなく何日でも泊まっていって、とスリンは気持ちよく勧めてくれた。しかし、先ほどの話を聞いたあとでは、とても長居する気にはなれなかった。リュイは早くここを去りたいだろう。夫妻が新郎新婦についての話し合いを始めた隙をみて、ティセはリュイに耳打ちをする。

「壁画見たら、さっさと出ようね」

 リュイは黙ったままうなずいた。



 「お詫びも込めて」と、夫妻は早めの夕食に山羊肉がたっぷりと入った煮込みを用意した。考えてみれば、この夫妻が詫びる必要はどこにもない。嬉しさと戸惑いを綯い交ぜにしたティセの顔つきから、スリンはそれを読み取ったようだ。途方に暮れたふうな口ぶりで、

「あの子の挙式を止められなかった私にも責任はあるのよ。このひとは逆に勧めてたけどね!」

 主人をちくりと責めた。主人はきまりの悪そうな顔をして溜め息をつく。恐縮もしたが、久しぶりのご馳走に食欲がほとばしった。結果的に肉にありつけたと、内心ほくそ笑んでいた。リュイは変わらず淡々と食している。それを見ると肉の味わいが薄まるので、ティセはなるべくリュイを視界に入れないようにして、クミンの香り漂う肉塊をほおばった。

 窓から見える空が薄闇に包まれ、吊りランプが灯される。やわらかな明かりの下で、食後の茶を飲みながら夫妻と話をした。

 リュイの歳を知ると、夫妻はとても驚いていた。一七・八歳くらいだと思っていたらしい。新婦コイララの以前の恋人も、リュイと同じシュウ国籍のイブリア族で、歳は二十五になるはずだ、と語った。

 主人は茶をすすりつつ、リュイを眺めて感心したように言う。

「それにしてもシューナに似てるなあ」

「そうねぇ。瞳の色も同じだし、雰囲気は違うけど、顔はよく似てるわぁ」

 しげしげと眺められ困じたのか、リュイはふっと視線を外した。伏し目になり、敷物の編み目でも数えるかのように、床の一点を凝視する。身じろぎもせず、見つめ続けていた。

 ティセは夫妻と話しながら、リュイの横顔をひそかに覗いていた。きつく張りつめた雪融け水を思わせる雰囲気を、リュイはつねに持っている。その雪融け水がふたたび凍てついていくような厳しさを横顔に漂わせていた。喋りかたや微笑みのあとに感じる翳が深さを増して、その横顔にも差しているように、ティセには見えた。頭のなかに昼間のできごとがよみがえる。

 村びとの注目を一身に集めたときの、あの怯えきった瞳。リュイは顔も腕も硬直していた。よろめくようにあとずさった。あんなふうに不甲斐なく沈着さを欠いたリュイを初めて見た。ティセは少なからず衝撃を受けていた。怒りを露わにしたとき以上の、目も当てられないほど感情にまみれた瞳だった。まるで、リュイではないみたいだった。

 瞠目の視線を矢のように浴びれば、誰でもいい気持ちはしないだろう。けれど、リュイの反応は過剰である気がして、ティセは少し違和感を覚えていた。普段の冷静さを知るだけに、リュイをあれほど動揺させるものはなんだろうか、そんな疑問が頭をもたげていた。

 あれ以来、リュイは無口になっている。もとより無駄口をきかないひとではあるが、いまこうして夫妻と雑談をしていても、受け答えをしているのはほとんどティセだった。会話が進むほど口数は減るようで、ほとんど気配を消すかのように押し黙っている。


 ふいに、戸口を叩く音がした。ためらいがあるような弱々しい音だった。スリンが床から腰を上げる。

「やっとお出ましよ」

 主人は背中を掻きながら、呆れたように笑って言う。

「花嫁未遂が謝罪と泣きごとを言いに来たんだ」

 まもなく、戸口のほうから甘えた声が聞こえてきた。

「……スリーン……疲れたわぁ……」

「そりゃそうでしょうねぇ、かつて見たことのない素晴らしいお式だったもの」

「意地悪を言わないで! ……おふたりはまだ起きていらっしゃる?」

 コイララが居間の入り口に姿を現した。普段着に戻り、婚礼用の化粧を落としたコイララは、新婦の華やかさと神聖さを失ってはいたが、思ったとおり素顔のきれいなひとだ。折れそうに細い身体とどこか寂しげな細面が、スリンの健康的に太った明るい雰囲気と対照的だった。並んで立つ姿は、スミレとタンポポが隣り合っているかのようだ。

 ふたりを目に留めると、コイララは敷物に両膝をついて座り、深々と頭を下げた。まとめ髪からほつれた黒茶色の髪が、耳際から垂れてふわりと揺れる。

「大変失礼なことをいたしまして本当に申し訳ありません。さぞ驚き、厭な思いをされたことと思います。せっかく立ち寄ってくださったのに……そ、その……」

 丁重な謝罪を受けて、ティセはかえって戸惑い、慌てて制す。

「あの、いいですよもう。ちょっと驚いたけど、もう気にしてないし……な、リュイ」

 リュイは硬い表情のまま静かに、

「顔を上げてください」

 とだけ告げた。

 コイララはためらうようにやや間を置いて、やがておずおずと顔を上げた。申し訳なさそうに揺れる瞳で、ふたりを見遣る。視線はすぐリュイに集中し始める。慎まなくてはと思いつつも、どうしても見入ってしまう……そういう気持ちなのだろう。当然、リュイは視線を外した。主人が「おい、コイララ」と小声でたしなめる。コイララははっとしたようにうつむいた。

 居心地の悪い空気が居間を満たす。気にしてないのは俺だけだ、ティセは頭のなかで独りごちた。リュイはとても厭だろう。壁画を見たいと言ったせいでこんな目に合わせてしまい、すまなく思った。

 スリンが新たに沸かした茶を盆に乗せ、

「はいはい、どいてどいて」

 戯けた口調で居間へ戻ってきたおかげで、場が持ち直す。人数分の茶を注ぐと、わざとらしく冷たい口ぶりでコイララへ問う。

「こんな遅くまで親族会議かしら?」

 コイララは心持ち身体を小さくさせて呻くように答える。

「……会議というか……喧嘩というか……」

「で、両家から責め立てられてるあんたを、可哀相なウズバが身を挺して庇っていたわけ?」

 コイララはさらに小さくなって、消え入りそうな小声で「……うん」とうなずいた。途端に、ふたりの女はそれぞれに喚き始める。

「ああ! もう莫迦じゃないの!? あんたも、ウズバも! いらいらするわ!」

「だってだって、どうしようもないんだもの! 私だって自分が嫌いよ、自分にいらいらするわ!」

 そのまま、ふたりは金切り声で口論し始めた。正論でやり込めようとするスリンと、感情論を捏ねるコイララ。若輩とはいえ、客であるティセとリュイの前で、憚りもせずにやり合った。はしたないふたりの姿を尻目に、主人は溜め息をつき、

「このふたりはいつでもこうなんだ」

 そう言って、事情を掻い摘んだ。


 新郎のウズバは、恋人と別れて傷ついたコイララを親身になって労った幼馴染みだ。素性のよく分からない外国人と交際したあげくに別れ、なんとなく村から浮いていたコイララを支えていたという。求婚されたあとも気持ちが揺れ続けるコイララを、急かすことなく待っていた。身内や友人らはふたつの意見に別れていた。気持ちが固まるまでもう少し待つほうがいい、もしくは、式を挙げてしまえば気持ちに整理がつくはずだ……。コイララにも、ウズバに申し訳なく思う気持ちがあったのだろう、ことを急いで後者を選び、結果、こんな茶番を演じてしまった――――と。

 ひとしきりやり合って、コイララは無駄な足掻きと観念したようだ。拗ねた顔つきをして、ぼそりとつぶやいた。

「……どうせ、スリン、あなたが正しかったのよ……」

 尖らせた唇が駄々っ子さながらで、どこか可愛らしい拗ねかただった。スリンは見守る姉のように微笑んで「心配してるのよ、これでも」と返した。



 リュイをのぞく全員があくびを噛み殺し始めたので、コイララは再度謝罪をしたのち、家路についた。自由に使ってね、と、ふたりは東向きの空き部屋へ通された。部屋の隅に行李が四棹積まれているだけで、ほかにはなにもない。近い将来、夫妻の子供たちがこの部屋で賑やかに寝るのだろう。窓から月明かりが差し込んで、がらんとした室内をほの明るく包んでいた。

 リュイは毎夜のごとく短剣を抱いて毛布にくるまる。怖ろしく寝つきの早いリュイだから、すぐに眠ったのだと思っていた。が、ふと横目で見ると、まぶたを開けていた。ぴくりとも動かずに、天井の一点を見つめている。ティセはその様子をしばらく盗み見ていた。

 普段、リュイはひとの気配や物音、視線などといった刺激に著しく敏感であるようだった。初めて出会ったときも、あれほど静かに歩を進めたのに、もうティセを捉えていた。自分を取り巻く状況に、いつでも細心の注意を払っているのだろう。にも拘わらずいま、すぐ隣りにいるティセの視線には気づいていないようだった。

 隣室の夫妻を起こさぬよう、ティセは息だけの声で話しかける。

「ずっと、なにを考えてるの?」

 リュイは天井に目を向けたまま、瞬きをひとつした。いま、その視線に気がついた、そんなふうに見えた。目線はそのままに、同じような声でリュイは返す。

「なにも」

「眠れないの?」

「……眠れる」

 抑揚なく答えた。そして目を閉じると、今度は本当に静かな寝息を立て始めた。ティセはなにか腑に落ちないものを感じながら、寝返りを打った。




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