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華やかなティアマの町を一昨日の朝に出て、平原を貫く一本道を南西に向かって歩く。スリダワルに入国する前日、長い谷間の道を抜け、国境へ続く街道に出てから、大地は真っ平らになった。国境を流れる川を越えてしばらくすると、徐々に水田が少なくなっていくのが分かった。いまでは、ほったらかしの荒れ地が漠漠と広がっている。立ち木もずいぶんと減り、その色もイリアで見る濃い緑とは違い、土埃を被ってくすんでいる。
それでも、ティアマの郊外には大規模な水田地帯があった。ちょうど田植えの時季だ。毎年毎年、ティセが耳にしていた田植え唄。ティアマの女たちは初めて目にする柄の脚衣を膝上までまくり、ティセの知らない田植え唄を歌っていた。短い春が終わり、初夏が訪れた。
イリアのどこからでも眺められる神々の山の連なりは、いまもわずかに、その純白の頂きが北東にほの見える。このまま歩いて行けば、まもなく見えなくなるだろう。ティセは何度も振り返り、イリアの象徴であり真の支配者でもある神々の山の片鱗に、眼差しを向ける。目に焼きつけるように、胸に刻み込むように、祈るように見つめる。哀愁に胸の奥をしみじみとさせ、感傷に浸っていた。
一歩前を歩くリュイに話しかける。
「なんか、景色がずいぶん赤茶けちゃったね」
リュイは前を見たまま返す。
「水田が見えないと不安?」
「不安っていうか……ずうっと田んぼばかり見て育ったからさ……」
水資源が豊富、かつ温暖なイリアでは質の高い米が穫れる。主食は圧倒的に白米で、重要な輸出作物でもある。国中が水田だと、誇張してイリアを語るひともいる。ティセは生まれてからただの一日も、水田を目にしない日はないのだ。この赤茶けた大地はものめずらしく、とても興味深い景色ではあるが、同時にティセを少しだけ心細くもさせた。神々の山の頂きがいまにも消えてしまいそうなのも手伝っていた。
が、リュイは逆だと言う。
「僕はむしろ、こういう景色のほうが目に馴染む」
「へえ! シュウもこんな景色なの?」
「僕の生まれた北部地方は似ている。南部はまた違った景色だ。シュウは北と南ではまるで別の国のようなんだ」
「そうなんだ。いつか行ってみたいな、おまえの国」
ティセは思いを馳せるかのように、雲ひとつない真っ青な空を仰いだ。今日も日差しが強い。深呼吸して視線を戻すと、赤い地面に落ちるリュイの影が、いっそう濃さを増して見えた。
十日ほど前、初めて異国の地を踏んだ。国境を越えた瞬間に、突如としてなにかが大変化したのではなかったが、あきらかにイリアとは違う空気が流れていた。匂いだろうか、色だろうか、肌触りだろうか、胸いっぱいの感慨をうまく説明できないことが、ひどくもどかしかった。ティセはその空気を深く吸い込み、感動に打ち震えた。変化は歩く速度で少しずつ訪れた。こうしていま、見慣れない景色のなかにいる。
突如として変わったといえば、通貨が替わった。ティアマの両替商で初めて手にしたスリダワルの通貨を、ティセは穴が空くほど見つめてしまった。あまりにじいっと眺めていたので、両替商の店主から「偽札じゃないぞ、失礼な!」と一喝された。リュイが横で、ふっと小さく笑っていた。
それは、ティセにとってはただの貨幣ではありえない、ようやく手に入れた勲章ともいえる、未知なるものへの憧憬をかたどった紙片なのだ。正直なところ、初めて見る貨幣は「金である」という気がいまいちしなかった。にも拘わらず、それを持っていけば間違いなく買いものができるという当たりまえの事実も、ティセをおおいに興奮させた。
リュイにはこう忠告された。
「両替は必要最低限にしておいたほうがいい」
ティセはその真意が分からず、ナルジャへ戻れという意味だろうかと、内心狼狽えた。が、違った。
「イリアの通貨ならどこの市でも通用する。とくに、闇市ではとても強い通貨だ。できるだけ残しておくのが賢明だ」
そんなこと、ちっとも知らなかった。感心する反面、リュイは闇市などという物騒なところへ行ったことがあるのだろうかと、訝しく思った。
ついに足を踏み入れた異国の地。昂ぶりは最高潮に達している。先日のように、リュイに迷惑をかけたくないため、行動には充分注意を払っているつもりだった。けれど、ティセはもう興奮を隠したりはしない。沸き上がる思いを抑えつけ、平静を装うとする気持ちなど、もはやさらさらない。
孤児だという嘘が露見し、躊躇なく殴り飛ばされた。物みたいに蹴り飛ばされた。リュイの脚にすがりつき、血と泥と涙と鼻水まみれになって、幼子のように泣き喚いた。あのときから、ティセのなかで音を立てて崩れ始めていったものがある。ばらばらに崩れて、いまはもう、名残しかない。崩れ粉々に砕け散ったそれを、ティセは泣きはらした赤い目で、怖々と、そうっと、覗き込んだ。目を澄まして、その痛ましいものを眺め見た。そして、それがいままでどれだけ自分の足枷になっていたのかを、ティセは痛いほど思い知った。
ナルジャきっての悪童であり、ガキ大将として君臨していたティセ・ビハール。少女でありながら喧嘩負けなし、決して涙を見せず、いつでもまっすぐに立つティセ・ビハール。
ひとの目に映る自分は、どんなときでも強く、格好良くなければならない。誰にも莫迦にされないように、つねに辺りを睥睨し、威嚇していなければならない。意識的にも、無意識的にも創り上げてきたティセ・ビハールという人物像を守り抜く。ましてや、自らそれを壊すような真似は、なにがあってもしてはいけない。
無自覚にも、ティセはそう思い込んで生きていた。ばらばらに砕けたそれにふさわしい名前を探すとしたら、なんだろうか……ティセは泣き疲れた頭で考えた。見栄や、間違った羞恥心、そんなものだろうか。そんなものに雁字搦めになって、ひたすら虚勢を張り続けて生きてきた。自分を抑圧し、ひと目に抑圧されて、ひしゃげていた。
父の死後、ティセは粗暴になっていた。憂鬱な日々とナルジャの風景に反吐を吐きながら、吠えていた。自分をいらだたせる敵に向かって吠えていた。
しかし、敵とは誰だろう――――――それは、自分自身だ。
もの静かなあのリュイが拳を振り上げるとは、ティセは思ってもみなかった。不意打ちに等しかった。あのときはひどく動揺していたうえ、二年前の傷害事件以来、いちども喧嘩をしていない。けれど、一切合切考慮したところで、リュイにはまるで敵わないことくらい、ティセは瞬時に悟った。遊びの相手にすらなれないだろう。
リュイの動きは、ティセの目では追うことができない。隙も無駄もない。その撃力は少年の喧嘩の域を遠く超えている。短剣を突きつけられた晩を併せて思い返せば、自分とはまったく違う水準にいるのだとよく分かった。リュイは蜻蛉の羽音がさやかに聞こえるほどの静けさを纏った状態から、なんの前触れもなく予感も与えず、かすかな音も立てずに疾風のように動く。疾風迅雷、リュイの動きはまさにそれだ。普段のもの静かさと甚だしく乖離している。
ティセは初めて負けたのだ。防御や反撃の余地などどこにもない、完全な敗北だった。
粉々に砕け散り、血や涙とともに排出されていったティセの足枷。泣きつくし、空っぽになったティセへ新しい息吹を送ってくれたのも、リュイだった。
リュイはいままでのティセを、ナルジャでの十四年を、少しも知らない人間なのだ。虚勢を張る必要など、初めからなかった。リュイの前でならあるがままにいられる。泣いても笑っても、格好悪くても、いいじゃないか――――ティセはいま心からそう思う。
足枷が外れたいま、ティセの心は蒼天に浮かぶひときれの雲さながらに真っ白で、そして自由だ。父がいたころの自分に戻るのも、新しい自分に変わるのも、自由だ。
ならば、ティセは新しい自分に生まれ変わりたい。これは機会だ。リュイがもたらせてくれた機会、抑圧から解き放たれる――――――機会だ。
あれからティセは、無闇にリュイの前を歩かなくなっていた。一歩あとを歩いている。意識的にそうしたわけではない。誰よりも前に立ち、後方を率いていなければ許せなかったかつての自分と決別したら、おのずとそうなった。ティセ自身気づいてはいない、それは機会をもたらせてくれたリュイに対する、敬意の表れでもあった。
ふたりはまた、立ち位置を変えた。
ラグラダへ向かう道中、よくひととすれ違った。多くはティアマを目指す商人の一団だ。荷を背負ったロバや馬、荷車、売りものの家畜たちが、行く道から土埃とともにやってくる。
そのほか、所用のため久しぶりに村から出てきたようなひとびとともすれ違う。いわゆる「お上りさん」は決まって一張羅を身につけ、気取った顔をしているのですぐにそうと分かる。華やかなティアマを心に描き、胸を躍らせているのだろう。
前方から、乗合馬車が土埃をもうもうと上げて、こちらへ向かってくるのが見えた。ふたりは道の脇へ寄り、埃を吸い込まないよう口元を押さえながら馬車を見送る。視界がうっすらと黄色く染まる。馬車には三人の男が乗っていた。その三人ともが、驚きを隠せないといった顔つきで、リュイを凝視し過ぎていった。
まただ……、ティセは頭でつぶやいた。ラグラダへ向かい始めてから、こういうことがすでに何度かあった。いままでも、リュイは行く先々でひとびとの注目の的になっていた。けれど、いままでとはなにか様子が違っていた。異国のひとをめずらしがる好奇の目ではないようだった。たとえば、噂の人物に遭遇したか、あるいは死人に出くわしたとでも言わんばかりの、はっと息を呑む音が聞こえるような顔つきをするのだ。
リュイもそれに気づいているようで、遠ざかる馬車に目を遣りながら、短い溜め息をついた。
「……なんなんだろうな、いったい」
「さあ」
リュイは目に気掛かりな色を浮かべている。
あの一件で変化したのは、ティセの心構えだけではなかった。
あれから、あきらかにリュイは変わった。ティセに対してほぼ初めて感情を露わにしたあのあとから、なにものをも語らなかったリュイの目や表情に、感情の片鱗が表れるようになっていた。それは本当にささやかで、よく注意して見ないと見逃してしまうくらいわずかなものであるうえ、つねに表れるわけでもない。
それでも、まったく読めなかったリュイの心の動きが、ほんのわずかながらティセにも窺い知れるようになっていた。もちろん、分からないときのほうが多いのではあるが。その心のなかでいったいなにが起こったのか、ティセには知りようがない。
そのうえ、リュイは笑みを見せるようになった。かすかに口角を上げて微笑むか、小さく溜め息でもつくようにふっと失笑するかのどちらかで、声を立てて笑うことはない。が、決して作った笑みではない。
リュイが初めて微笑みを見せたとき、ティセは目を瞠った。瞳のなかの暗緑の湖面にほのかなさざなみが立ち、木漏れ日のように揺れていた。木の葉に濾過された光を受けて、心がすうっと落ち着いていくような、静かな微笑みだった。
リュイは微笑うと、手のひらに落ちた雪が一瞬でほどけるみたいに、いきなり雰囲気が穏やかになる。木々のささめきに似た耳触りを覚えさせるその喋りかたと、まるで同じ穏やかさだ。普段している無表情や、張りつめたような雰囲気との落差に、ティセは唖然としてしまった。やはり同様に、笑みを収める刹那、翳のような暗さをうっすらと漂わせた。
ティセ自身がよく喋るようになったのにつられているのか、寡黙なリュイの口数も以前よりは増えた。雑談を持ちかけてくることはなく、無視されることもいまだにあるけれど、話しかたが若干くだけたようで、ティセはそれがとても嬉しかった。
嬉しいのはそれだけではない。何故かリュイはあの件以来、ティセを「きみ」ではなく「おまえ」と呼ぶようになっていた。「きみ」と「おまえ」に、どんな違いを感じているのかは分からない。けれど、ティセの感覚では「おまえ」と呼び合うほうが、ずっとずっと近しい気がした。リュイが言うとどことなく高圧的に聞こえたが、「おまえ」と呼ばれるのは気分がいい。何故なら、ナルジャにいる四人の仲間たちが、いつでも友愛の情をたっぷり込めて、ティセを「おまえ」と呼んだから……。
リュイはあれから、村に帰れとは言わない。以前は問いかけには応じても、ティセに対して我関せずといった態度を貫いていたが、いまのリュイからそういう感じはもう受けない。かといって、旅の連れだと認めたかといえば、ティセはいささか疑問を感じてしまう。
相変わらず、リュイはよく分からないひとだった。それでも、希望に沿うように旅程を立ててくれた。ティセは双手を上げて喜んだ。本当は、謎の壁画が見られるよりも、リュイがそうしてくれたことのほうが何倍も嬉しかったのだ。
遠い距離を感じていたリュイが、ぐっと近くなった。気持ちの読めない、生きている感じのしないリュイが、少しだけ生臭くなった。ティセはそれが、なによりも嬉しかった。
リュイの一歩後ろを歩きながら、ティセは左頬を撫でた。青あざはもう消えた。いま思い返しても、頗る強烈な拳固だった。そして、激怒したリュイは本当に怖ろしかった。身体中の筋が、がちがちに萎縮していた。思い出しただけでも、身体が硬直しそうだ。
けれど、生きている感じのしない、心の動きのまったく分からなかったリュイのほうが、もっと怖かったのだと、いまになっては思う。不気味で、底冷えするような怖さだ。もしもあのとき、リュイが怒らなかったら――――――……ティセはあんなふうに食い下がれなかった。旅はあそこで終わっていただろう。結果的に、あの一件により、すべてが良い方向へと転がったのだ。
赤茶けた平原に、少しずつ緑が戻ってきた。道の両側に豆畑が連なっている。延々と続く腰ほどの高さの石垣の上には、乾燥したイバラが隙間なく積まれている。家畜が畑を荒らさないためにするこの工夫は、イリアでもよく見られるものだ。山羊の親子がイバラの前で、若い豆の葉をうらめしそうに横目にしつつ、雑草を食んでいる。豆畑の続く先には、ラグラダの村が待っている。はるか北西に、見たことのない山々が見え始めていた。
ラグラダには昼前に到着した。立ち並ぶ煉瓦造りの二階建て家屋は、どれも窓枠が白い塗料で彩られている。赤い土と煉瓦に白がとても映えていた。地図で確認したラグラダは記載の文字がとても小さかったが、リュイの見方どおり、ティセが想像していたよりはずっと大きな集落であるようだった。規模としてはナルジャと同等に見えた。しかし、人通りが少なく、ひっそりと静まりかえっている。どこか不自然な静けさが漂っていた。
新しい町や村へ入るとき、リュイはいつでも、相当気を引き締めているようだ。冷ややかな眼差しをなお厳しくさせて、まっすぐ前を見つめながらも、辺りを警戒しているふうだった。不自然な静けさは、リュイの横顔に漂う緊迫感を、より張りつめたものにしていた。
少し和ませようと、話しかけてみる。
「ナルジャと同じくらいの田舎だな」
リュイは静かに反論した。
「ナルジャはちっとも田舎じゃない」
「ど田舎だよ、あんな田んぼしかない村」
「……そのうち分かる」
ひとこと返して、リュイは足を止めた。さらに目つきを険しくさせて、ついに不審を打つ。
「ひとが少なすぎる」
「そうだね、畑にもあまりいなかったよね。祭りかなにかでどこかに集まってるのかな」
近くの民家から、子供の戯れ声が上がった。声の様子からすると、初等部程度の歳の女児だ。
「俺、ちょっと聞いてくるよ」
その場にリュイを残して、子供の声のした民家をひとり訪ねていった。
赤茶色の煉瓦屋の庭先にはムシロが敷きつめられて、その上に干された大量の杏が日差しを浴びて輝いている。ティセはムシロの縁に立ち、戸口へ向かって声をかけた。
しばらくすると、戸口の陰に隠れるようにして、数人の子供がぴょこぴょこと頭だけを出した。皆一様に、目も口もぽかーんと開けている。見知らぬひとが自宅へ訪ねてくることなど滅多にない、ナルジャのひとびとの多くと同様の反応だ。その心境が手に取るばかりに分かり、ティセは思わずにやりとした。
「こんにちは」
年長と思われる八歳くらいの少女が赤ん坊を背負ったまま、ようやく戸口に全身を現した。少し怯えたような顔をして、小さな声で問う。
「……おにいちゃん、どこから来たの?」
「イリアだよ。ねえ、誰か大人のひといない?」
「いないよ。今日はコイララの結婚式だから、お父さんもお母さんもお祖父ちゃんも結婚式に行っちゃった。あたしたちお留守番なの」
好奇心丸出しの視線を痛いほど背中に受けながら、ティセは戻った。尋ねてきたことを告げると、リュイはわずかに首を傾げた。
「この時季に結婚式……」
疑問どおり、通常、結婚式は農閑期に行うものだ。農繁期のこの時季に行うということは、なにか事情があるのを暗に物語っている。
「とにかく行ってみようよ、結婚式。ちゃんと場所も聞いてきた」
結婚式に偶然訪れる旅人を歓待する習慣が、イリアにはある。新しい幸福の風を運んでくるといわれている。スリダワルではどうか知らないが、まさか邪険にされたりはしないだろうと考えていた。リュイは少しも興味をそそられないようで、黙ったままだ。
「スリダワルの結婚式、どんなものか見てみたいじゃん。それにおまえ、見に行けばたぶん間違いなく――――肉が食えるぞ!」
肉で釣れた、ティセは確実に思ったが、リュイはそこにも興味を覚えないようだった。やれやれ、と頭をボリボリ掻いて、
「いいから、さあ、歩いた歩いた!」
背中の荷物をぱしぱし叩くと、リュイは短く溜め息をついて、素直に歩き始めた。やはり、リュイはロバみたいに従順だと、ティセはひそかに呆れ笑いを漏らす。
式は学校の庭で執り行われると少女は言っていた。聞いたとおり、シータ教寺院の手前で右へ曲がりしばらく行くと、学校があった。庭にたくさんのひとびとが集まっているのが見える。ふたりは腰ほどの高さの垣根越しに式の様子を窺った。
庭の中央には赤い敷物が敷かれていた。その左右、幾重も並べた長椅子に、村びとたちが腰かけている。男たちは鼠色の上衣と白の脚衣、女たちは光沢のある橙色の上下と頭に掛けた薄布で正装している。
敷物の上には儀式用の道具が揃えてあった。水差しと盆、壺、錫杖、香煙たなびく香炉、供えものが盛られた数々の皿。すべての道具が真鍮で、一点の曇りなく磨き上げられている。強い日差しに、銀色の鋭い光を放っていた。
敷物の向こうにはもう一枚赤い敷物があり、大きさから新しい夫婦の座る席だと分かった。その右手には男ばかり六人編制の楽隊が、笛や太鼓を手に控えている。
ほどなく楽隊が演奏を始めた。敷物の向こうに設置された天幕のなかから、新郎と、介添人に手を引かれた新婦が登場する。新郎は参列者と同様の礼服を身につけ、新郎の印である沙羅の葉を束ねた大きな首飾りをしている。新婦は丈の長い上衣と脚衣、頭には薄布を掛けていて、そのすべてが目の覚めるような真紅だ。薄布の縁、胸元、上衣と脚衣の裾には、金糸による華麗な刺繍が施してあり、新婦に神聖さを添えていた。濃いめに化粧をしているが、ありのままでも充分きれいだと分かる、顔立ちの整った新婦だった。
「花嫁さん美人だなぁ」
溜め息交じりに感慨を漏らしたが、リュイは関心がないようで、表情なくただ眺めている。
そのとき、まるでティセの感嘆が聞こえたかのように、式を遠巻きに見ていた子供たちのひとりが、ふたりを振り返った。驚きの表情、子供の興奮はまたたく間もなくほかの子供たちへ伝染し、にわかに色めき立った。すると、大人たちもふたりに気づき、一斉に振り返る。振り返ったひとびとは――――ラグラダへの道中、幾度もあったように――――誰も彼も皆、瞠目してリュイを凝視した。
突如、辺りの空気が凍りついた。楽隊の演奏も止んだ。場がシンと静まり返る。注目されているのはあきらかにリュイだった。一斉に向けられた目を見ても、ティセは自分が透明になっているのではないかと疑うほど、視線を感じなかったのだ。その目はやはり、見慣れない外国人を眺める好奇の目つきではない。
異常事態だ。ティセはリュイを振り向いた。注目の視線を矢のように浴びたリュイは――――顔を強張らせ、痛々しいまでにはっきりと、怯えた瞳をしていた。そして、半歩あとずさった。沈着さを欠いたリュイに、ティセははっとする。
リュイに注目したひとびとは、次瞬、申し合わせたように新婦へ目を向けた。つられてティセも目を遣った。新婦の顔は、リュイと同じくらい強張っている。たちまち、頭に掛けた薄布で顔を隠すようにしてうつむいた。ほどなくして、涙交じりの声で新郎へ訴える。
「ウズバ……ごめんなさい。私、まだ……もう少し時間をください……」
新婦の言にどよめきが起こる。溜め息が渦巻き、野次が飛び、怒号さえ上がった。式場はたいへんな騒ぎになってしまった。なにが起こっているのかまるで見当がつかない。が、厳かに執り行われようとしていた式がぶちこわしになったことだけは分かった。
ティセは咄嗟にリュイの左腕を掴み、
「行こうっ!」
――――――掴んだ左腕は、硬直していた。ふたりはその場から逃げた。