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1話 フリーライター荒川クリスティー

 都心では満開の桜が春を告げる頃、山間地域では今もって肌寒く厚手のコートが手放せない。

 暦をめくれば春が訪れる……そんなソワソワとした3月最後の日。観光牧場『もふもふファーム』ではウール100%の生き物たちが、来たるべき衣替えの日を待っていた。

 いや、待っているかどうかは定かでない。何故なら彼らは「べぇぇぇぇぇぇ~」としか言わないのだから……。




 彼の名前は『荒川クリスティー』……別段ハーフとかいう訳では無い生粋の日本人だ。

 この「よく自分で名乗れるなぁ」と感心する名前は単なるペンネームである。

 ペンネームと言うからには、何某かの書き物をしている事は想像に難くないのだが、彼は『フリーノベルライター』なる、どうにも胡散臭い物を自称している。

 そもそも、このまだるっこしい表現は何を意味するのか。一見、どこにも属さず小説を書き、複数の出版社から著書を刊行していると言う意味にもとれるが、どちらかと言うと「小説家とは言ってない」と言う空気を思う存分放っている。『フリーダムなノベルライター』なのか『無料小説(フリーノベル)のライター』なのかも薄らぼんやり濁している辺りも巧妙と言えば巧妙。

 しかし考えようによっては、それは彼独特の法則が作り出した職種と言えなくもない。


 何故なら荒川にとって『フリーライター』とは、やたら旅をし、得てして事件に巻き込まれ、おまけにそれを解決する物だという確実に間違った認識の存在であり、なにか書くのは二の次である。





 さて、荒川が居を構える都内某所を出発してから約3時間、彼らは田園風景を横切る鈍行列車のシートに合い向かいに腰を掛け、半分開けた窓から長閑(のどか)浅春(せんしゅん)の風を嗅いでいた。


「先生、この辺りの桜はまだ(つぼみ)がかたそうですね。それにしても、天気予報では大気の状態が不安定だなんて言っていたけど、晴れて良かったです。……先生? 寝ないで下さいよ、もうすぐ降車駅ですからね」


 この、荒川の傍らにちんまりと付き従いつつもリードする、何くれとなく世話を焼いている少年は『三毛(みけ)ひよこ』……こちらも明らかに偽名くさい。

 一見少女のような華奢(きゃしゃ)な身体つき、変声も定かでない中途半端なアルトの声。

 本当の所、まだ義務教育の課程を終了していないのではないかとも疑えるが、そうなると連れまわしている自分にも何らかの責任が生じる可能性を恐れ、荒川は敢えて問いただすことをしない。

 ひよこによる自己申告の18歳を正式採用しているのだ。

 身の丈180センチ近いが、がっしりという程でもないため比較的若く見られる荒川と、160センチそこそこで童顔、ともすれば少女にも見えるひよこが連れだっている様子は、傍から見たらどう見えるのかも考えないようにしている。

 なんだかんだ言っても自分は常識人の範疇(はんちゅう)だと信じて疑わないのも荒川のスタンスだ。



 列車を降りると、ホームのすぐ脇に自動改札機のない寂れた駅舎が見えた。ここを一人守っているらしき中年の女性が掃除の手を休め、(ほうき)を片手に荒川とひよこを交互に眺めている。

 その腕には、『駅長』と書かれた濃い紫色の腕章。借り物のような帽子を見ても、地域ボランティアであることは間違いなさそうだ。


「まさか親子には見えないよな」

「何ですか先生、誰が親子ですって?」


 自分よりも先に生まれたという理由しか思いつかない荒川を、ひよこは『先生』と呼ぶ。その、少し甘ったるい声が何とも言えずこそばゆい。


 ひよこが小走りに改札へ向かうと(くだん)の駅長が待ちかまえていた。


「先生と課外授業なの?」


 彼が先生と呼んでいるのが聞こえたのか、切符を受け取りがてら女性はひよこにそう言って笑顔を見せた、が、一方自分に対しての視線は冷ややかなものだと感じる先生である。


「ちょっといい男なのに、勿体ないね」


 荒川が通り過ぎた瞬間、下を向きながら駅長がぼそりと言う。そう深読みする必要もないのかも知れないが深読みせずにはいられない。『課外授業』と言う言葉がリフレインしている。




 午後2時20分。この日彼らが取材で訪れようとしているD県山間の、観光牧場『もふもふファーム』最寄り駅前では小型の路線バスが発車の時刻を待っていた。軽くエンジン音のテンションが変わると、今にも昇降口が閉じそうな焦りを覚える。


「先生急いでください! このバスを逃せば『もふもふファーム』まで20キロもの距離を歩かなくちゃならないんですよ」

「タクシーも無いのか!」

「さあさあ、とにかく急いで急いで」


 たった一泊の旅行にしては幾分大きい旅行鞄を、重そうに抱えて走るひよこを追いかけながら荒川は思った。


――思えば僕はどうしてこんな事をしているのだろう。


 名前を聞けば大概の人が「ああ、あの」という企業の、創業者一家次男坊に生まれた荒川。だが、その両親は不慮の事故で他界した。

 経営権その他諸々の厄介事は出来のいい兄貴に譲り、自分は一生遊んで暮らせる額の遺産だけを手に入れたのがおよそ10年前。

 しかし、ぶらぶらしているのも流石に飽きてきた、30代にもなって真性無職と言うのも世間体が悪いと遅まきながら気付いたのが2年ほど前。ここは取り敢えず自宅で完結できそうで、人から尊敬される感じの仕事を目指しているという(てい)を思い立つ。


――そうだ、作家になろう。


 早速周囲にもそう宣言しておいた、余念はない。さし当りミステリーでも書いてみるか、二時間サスペンス好きだし。と自分に『荒川クリスティー』なるいい加減極まりないペンネームを付け、取材と称しては旅行に出掛けているだけの旅行マニアの完成である。




「今人気のもふもふがどういうものか、取材したいって言ったのは先生なんですよ! 真面目に走ってください。バスが出ちゃいます」


 そんなこと、言ったかなぁ……。と、よくは覚えていない。


 最初は『芥川賞作家』が体裁として良いだろうと思ったのだが、どうにもミステリーは純文学とやらには入らないらしい。考えてみたら読書もそんなに好きな訳ではないと言うのに、何故『作家』になるなどと触れ回ってしまったのか。だが、己を呪ってもみても後の祭り、ほとぼりが冷めるまではこの路線を行くしかない。

 という、なんやかんや紆余曲折を経て、現在は『ラノベ』とかいう若者向け小説を書く方向でお茶を濁している。

 荒川の“紆余曲折”については長くなりそうなので割愛するが、どちらにせよ真剣にそれを目指している人々から大顰蹙(だいひんしゅく)を買いかねない男と言えるだろう。



 *



 今回、何か知らん“もふもふが受ける”と言う中途半端な情報を入手した荒川は、もふもふの正体を探るべく実際のもふもふ現場を訪れるに至った筈なのだが、それも取って付けたような言い訳だろう。

 お膳立ては全てひよこに任せきりなので、何の目的でどこへ行くのかも、すっかりさっぱり忘却の彼方である。



 その目的地である『もふもふファーム』は、羊10頭がこじんまりとした牧場に申し訳程度に収まっている『ふれあい型観光牧場兼ペンション』だった。

 観光施設としては幾分中途半端な併設された宿泊施設も、高原に建つペンションとしては特に可も無く不可もなく、洋風と言えばそう言えなくもない程度の変哲のない木造2階建て。ここに宿泊しての“思う存分もふもふ体験”が『もふもふファーム』の売りだということだが、有り体に言えば、それ以外には何もすることがない。

 飽きる。たかだか10頭の羊をどれだけ眺めていられるというのか、或いはおさわり自由でもだ。



「先生、何つまらなそうな顔してるんですか。ほらぁ、羊さんたちもふもふしていて可愛いですよぉ」


 ペンションに荷物を預けると早速もふもふ体験を満喫するひよこを眺めながら荒川は思う。


――何故にそうも無邪気に楽しめるのだろう。今まで一度たりとも羊が好きだなどと聞いたことはないのに……順応性が高すぎる、これが若さなのだろうか……。


 そもそも、旅行マニアデビューしたものの元来めんどくさがりな彼は、目的地に着く時間から逆算して家を出たりしない。

 適当に目が覚めた時点から行動が開始されるため、現地到着は殆どの場合午後の遅い頃になるし、本日も御多分に漏れず午後3時を回った。

 とはいえ、山間の日没が多少早く感じられる事を考慮しても、猶予は2時間以上あるだろう。それだけあれば荒川には十分すぎる。もてあますほどに十分だ。


 宿泊する意味が分からない。順応なんてしたくもない。



「ひよこ君。どうしてこの『もふもふふれあいコーナー』とやらはペンションから、こうも離れているんだ。荷物を預けに行くのだって面倒だったのに、またあの距離を歩くなんて不親切設計と言わざるを得ない」


「先生は大袈裟だなぁ。たかだか500メートル程度でしょう、日ごろの運動不足解消になるんじゃないですか?」


 ばかをいえ。往復すれば1キロメートル、2往復なら2キロだぞ。と目で訴えるが届かない。


 それにしても、ひよこの嬉しそうな様子はどうだ、この光景を描いて二科展に出品するというのはどうだろう。悪くない。小説よりも行けそうじゃないか? 

 今度は真面目にそんな事を考える不埒な荒川が最後に絵筆を持ったのは高校の美術の時間であり、作品の出来栄えを覚えていないがための寝言である。

 



 つまらないと感じることに費やす時間は殊更に長いもので、いい加減みんな同じ顔に見える羊たちに飽きた荒川は、今更ながら周囲の観光客に目をやる。

 自分たちの他には夫婦一組と親子連れが二組、特に変わった所なし。との見解。この観察眼でいったいどんな小説が書けるつもりなのかと言う事は賢明な皆さんはもうお気付きだろう。



「それにしても、ここはどうしてこんなにも羊率が高いんだ。観光客1人に対して約1頭の羊がいるじゃないか。こんなんで経営が立ち行くのか」


「先生、声が大きい! 聞こえますよ。ここのファームが出来て1年も経たないうちに、数キロ離れた隣町にアルパカとかラマとかも飼育されてる大きな観光牧場が出来たらしくて、どうもそっちに行く人が多いみたいなんですよ」


 羊だけではなくアルパカやラマ……。何故そちらを選ばないんだひよこ君。


 荒川の顔にはそう書いてある。






 かなりウンザリしつつ遠くの山々だけを眺めること2時間。5時を回ると10頭のもふもふは寝床に帰る時間らしく、べぇべぇと鳴きながら追い立てられて列を為している。いつの間にか親子連れは帰路に着いたらしい。


 自家用車ならば自由な時間に帰れるのだなぁ。


 などと恨めしげに考えながらも、牧場らしい臭いから解放されることは荒川にとって救いだった。

 陽は傾き、夕日が山肌を這うようにして落ちてゆく様を微動だにせず瞳に焼き付けるひよこを尻目に、小躍りしつつペンションに向かう。荒川にとってはベッドのもふもふの方が何十倍も魅力的であるのだ。









「先生! 酷いじゃないですか。僕に黙って一人で戻っちゃうなんて」


 勢いよく扉が開くとそこには、ひよこが仁王立ちになっていた。荒川が既にベッドへ突っ伏しているのを見るが早いか歩み寄ると、頬を少しだけ膨らませ明らかに“お冠(おかんむり)”を体現している。

 拗ねる様子も勿論のこと、一言謝ってやればすぐに機嫌を直すところも18歳の男子には見えないが、少なくとも男である限り特段妙な気にはならないことが荒川唯一の長所である。




「ところで先生。今回何もないなんてことはありませんよね?」

「と言うと?」

「決まってるでしょ。今まで先生との取材旅行で何もなかった事なんて無かったじゃないですか」

「ああ……そっちね」


 そうだった、そんな重要事項を忘れていたとしたらどうかと思うが、彼は忘れていた。

 思えば最初にひよこと出逢った旅行地が『荒川クリスティー最初の事件』とも言えるあの事件現場だった。

 それから何故か居候を決め込んでいるひよこを伴って行く取材旅行の先々では、必ずと言っていい程何等かの事件が起きてきたのだ。よく考えてみれば荒川にとってはひよこが疫病神に思える。


「ひよこ君。事件を呼び込んでいるのは君の方だと思うのだけれど」

「ご謙遜を! 先生は名探偵〇ナン並みの引力をお持ちです」

「君、時々訳が分からないことを言うね。名探偵誰だって? 何故そこで口ごもるんだ」

「だって先生。あまりはっきり言ってしまって何らかのコードに引っかかったら困りますから」

「盗聴器でも仕掛けられているのかい?」

「或いは。用心に越した事はありません」



 ひよこ少年は多分ミステリーマニアである。

 彼の口からはっきりとそう言う発言があったわけではないが、圧倒的エンカウント率を叩き出すこと以外これと言った特技のない荒川を先生と呼び、いそいそと行動を共にする理由が他には見当たらない。

 

「何が起こるか、ドキドキしますね」

「いや、そうでもないけど……だいいち、また人が死んだりしたらいやだよ」

「いくらなんでも、そう度々殺人事件(それ)はないでしょう」

「だといいんだけどね」



 窓の外はすっかり暮れ、静まり返った高原には夜の静寂だけがじわじわと広がっている。周囲には何もない孤立した『ペンションもふもふ』には「べぇぇぇぇぇ」と言う鳴き声がかすかに届いていた。

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