第三幕 劇場「黒船」
第三幕です。
第三幕 劇場「黒船」
「全然変わってないな」
玄関前で国貞がそう言った。
「そうなんですか? 始めてきたから、僕は分からないですね」
と勇次が言った。
「こんな所に一人で住んでるなんて、信じられないっすよね。あー勿体無い」
武丸が言った。
私達は色々喋りながら、黒船の玄関の前に行った。
黒船の玄関扉についてあるチャイムを国貞が押した。ピンポーンと、どこでもある音が鳴った。しばらくすると中から上下鼠色の寝間着を着た、山本老人が出てきた。
「あぁ、あんたらか。早かったな」
私は銀の時計を見た。家を出たのが午前九時、埠頭に着いたのが、午前九時五十分ごろ。そして今は午前十時二十分だ。確かに予定より早いと思う(車が空いてたから)
「山本さん。先日、いきなり連絡してすいません。また三日間お世話になります」
「あぁ、別に構わんよ、こんな所に来る人なんかいないしのぉ」
と山本は笑いながら言った。
山本老人は手をドアの方に指し、
「中へ」
と言った。
「じゃあ、お世話になります」
由理がそう言い、中に入った。武丸、勇次、カレン、麻莉亜も後に続く。
「おい国貞」
私は気になる事があったので、国貞に質問した。
「さっき『連絡』って言ってたけど、どういう事だ?」
「え?」
国貞はポカンとした。
「黒船には電話が通じないんだったよね? じゃあどんな連絡を山本さんにしたんだ?」
「あぁ、そういう事ね」
国貞は頷いてこう言った。
「実はさ、二日前の時点でまだここに来る事は決まってなかったんだよね」
「え?」
「覚えているか? 二日前のKの時」
また二日前のKか……確か
『実は明後日に、黒船に稽古をしにいく事になったんだよ。復活のためにね』
国貞はスラスラと言った。
『ちょっと待ってくれ、私は聞いていないぞ』
『だから、『言っていなかったっけ?』と言ったじゃないか』
『私以外の劇団メンバーは?』
『大丈夫ということだ』
『………………』
こんな感じだったかな?
「あぁ……って事は?」
「そう、昨日山本さんに会いに行ったんだ」
「何を馬鹿な。山本さんがもし断ったらどうするつもりだったんだ?」
「いや、断れないという思惑が僕にはあった」
「何だと? それは?」
「そんな事は教える意味ないじゃないか。とにかく他のみんなもこの事を知らないから、黙っててね」
「……ああ」
私は納得のいかない感じで返事をした。
「おい。早く入らんか」
山本老人が扉の前で声を上げている。
「はい。今行きます。……康明、じゃあ頼むよ」
国貞は後半を小さな声で言った。そして私達は黒船の中に入っていった。
黒船の中は電灯が点いていなかったが屋上がステンドグラスであるのと、まだ時刻が昼前という事もあって明るかった。
「とりあえずさ、劇場を見に行きたいと思わないかい?」
国貞が全員に問いかけた。
「あぁ、それいいっすね」「行きましょう」
口々に言う中で、山本老人が
「わしは、管理人室にいるから勝手にやっとくれ。昼になったら軽い食事作ってやるから食堂に」
とだけ言って、管理人室に引っ込んだ。
「あ、はい。分かりました」
国貞はそう言って、ガラス廊下を渡りに前に進んだ。
「あの……ヤスさん?」
勇次がおもむろに私の肩を叩き、そう言った。
「え? あ、なんだい?」
「僕、ここの構造が分からなくて不安なんですが」
と勇次が言った。
「そうですよ、マキさん。勇次君に部屋とか案内したらどうですか?」
「そうだな康明、頼んでいいかな?」
由理と国貞が言った。
「あぁ、問題ないよ」
私は無理を言うでもなく、そう答えた。
「じゃあ、お先に失礼しまっすよ」
武丸がそう言った。
カレンと麻莉亜は先ほどから一言も喋らない。
私と勇次を抜いて、国貞、由理、武丸、麻莉亜、カレンの五人はガラス廊下を渡って行った。
「さて、と」
私は勇次の顔を見て言った。
「すいません。ヤスさん」
「いやいやいや。そんな事ないさ。ただここはちょっと複雑だからさ、覚えられるかなって」
「あぁ、そういう事ですか」
「まぁ、とりあえず分かりやすく説明するために一回玄関に行くよ」
「はい」
私達は玄関に戻り、案内する事にした(尚、これから説明されるのは『外から玄関を開けた場所』から見てとする)
「いいかい? ここが玄関だ。さっき入ってきたところだよ」
「はい」
「見てもらえば分かると思うけど、ここは二階建て。玄関入ったらすぐにこのホールで、正面の階段で二階に上れるんだ、それでこのホールは吹き抜けになっている」
「なるほどです。天井がステンドグラスになっていますね」
勇次は天井を見ながら言った。
「でもヤスさん? ちょっと聞いてもいいですか?」
「ん? 何かな?」
「気になっていたんだけど、なんでここのステンドグラスの模様は『トランプ』なんですか?」
「あぁ」
確かに私も前から気になっていた。黒影十字軍はトランプの模様を役柄名にしているが、ここのステンドグラスも何故トランプなんだろう? 初めて来たときからトランプだったし。
「さあ、私にも分からないなぁ。気になるね」
「変な事聞きました。続きいいですか?」
と勇次は控えめに言った。
「あぁ、分かった」
と言って私は説明を再開した。
「分かりやすくするために、この館を三つのエリアに分ける」
「ふんふん」
「私達が今いる一階が『A』、二階が『B』、劇場側が『C』だ」
「はい」
勇次はメモを取っている。
「基本として覚えといてくれ、AにもBにも左右に必ず三つドアがあるんだ。この端二つのドアは客室で、真ん中のドアは特別な部屋になっている。トイレは一階と二階にあって、一階のトイレはガラス廊下の左、右には山本さんがいる管理人室がある」
「質問です。左右って事は、AにもBにも最低、六つのドアがあるって事ですか?」
「そういう事」
私は頷いた。
「じゃあ、先に特別な部屋から説明するよ」
そう言って私は一階の左の真ん中のドアを開けた。
「ここは食堂だ、さっき山本さんが言っていたよね? 『昼になったら軽い食事作ってやるから食堂に』って。それがここだよ」
「はい、成る程です」
カリカリとメモに書く音が聞こえる。
「じゃあ次ね」
食堂側から見ると、正面。つまり一階に右の真ん中のドアを開けた。
「ここは談話室。よく国貞と使わせてもらっていたよ」
「あ、そうなんですか? 今回は僕もいるかもしれないですね」
「ははは、そうだね」
私達は談話室を出た。勇次がホールにある、吹き抜けの二階に通じる階段の方へ向かった。
「ヤスさん? どうしたんですか? 次は二階にいきましょうよ」
「ちょっと待って実はさ、そこの階段を使わなくても二階に行けるんだよね」
「え?」
勇次は立ち止まった。
「どういう事ですか?」
「そこが不思議な構造なのさ」
私はそう言って、右の玄関側のドア(談話室から見ると左隣)を空けた。
「うわ、狭いですね」
空けた先は各寝室に続く廊下の一ブロックだった。私が空けたドアを閉めると、
「うわ。階段がありますよ」
ドアを開けたら死角になる場所に細い階段があった。
「ここから上れば、二階の寝室ブロックの一つに出られるんだ」
「えぇ?」
「食堂と談話室の隣に、二つずつドアがあったの覚えているかい?」
「え? はい覚えてますよ?」
「ここは談話室から見て、左隣のドアだけどここに階段があるよね? 想像してると思うけど、ここは『コ』の字廊下になっててこの先は右側のドアに繋がっているんだ」
「あ、はい、それは……何となく」
勇次は手を顎の下に添え、言った。
「そっち側にも階段があるんだ。そして食堂側の両端のドア、そこは『逆コ字』廊下になっているんだ。基本的にはここと同じで、寝室に続く廊下になっているんだ。そしてそこにもドアを開けた場所に二階に上がる階段があるんだ」
「確かに変わった構造をしていますね、難しいですね」
勇次は、メモにペンで細かく書いている。
「ちょっと整理していいですか? ここの廊下が……」
「いや実際に見たほうが早いよ」
私はそう言い勇次を連れて、談話室右側のドアの階段を上った。上った先のすぐ右にドアがあり、それを開けた。そこはロビー二階吹き抜けだった。
「本当だ。ここは二階ですね、下はさっきまでいた所だし」
ここの位置は談話室の真上の位置という事になる。
「ちょっと周りを見てくれるかい? 分かるよね? 吹き抜け以外は一階と似ているだろ?」
「そうですね。ドアも三つずつありますし、特別部屋も二つありますね」
勇次はそう言いながら、周りを見渡した。
「じゃあ、ここの部屋も説明するよ」
私は左のドアを開けた。入った瞬間に、濃い匂いがした。インクと埃の匂いだ。
「ここは?」
「ここは図書室だよ。ちょうど談話室の真上の位置になるね」
図書室は、入った前にソファーと学級机が二つほどあり、奥に本棚があって、たくさんの本がある。本は主に医学書や舞台関係の本のようだ。
「図書室ですか……? 何でこんな所にあるんでしょうね?」
「さあね」
勇次は興味を示したらしく、奥に進んでいった。正直言うと私はここにはあまり来たことは無い。国貞や他の劇団員と話す時は主に談話室を使っているし、本だらけのこの部屋には気味が悪くて進んで行こうとは思わない。それにこの図書室の独特の匂いはどうも苦手なのだ。
「僕って図書室の匂いって好きなんですよね」
「え? 変わってるなぁ」
「……みんなに言われます。そんなに変ですか?」
「え? ははは、そんなに変ではないと思うよ」
「ですよね? 後はガソリンとか病院の匂いも好きなんですけど」
「………………(やっぱり変わってるよ)」
図書室には大きな本棚が三つほど連なっており、それにぎっしり本が詰まっている。私は前の本の欄しか見たことは無かったが、勇次が
「ちょっと奥も見てみましょうよ」
と言って奥の本棚に進んだ。私はそれを追って本棚のへ行った。一つ目、二つ目の本棚を通り一番奥の本棚についた。
「ヤスさん、これは何ですか?」
三つ目の本棚を右に曲がろうとして体を向けながら、勇次が言った。
「え、何が……あ」
私も右に曲がろうとしたとき、始めてみる物があった。どの位の大きさだろうか。直径五十センチメートル、高さ十センチほどの小さな円形のテーブルが、進む狭い通路に置かれていた。
「これは?」
私はその小さなテーブルの上に置かれた紙に目を通した。
「賞状……ですか?」
勇次が紙を手に取った。紙は黄ばんで汚れており、ほとんど読み取る事が出来なかった。賞状の花模様の枠はプリントされていて残っている、これで賞状だと判断したのだろうか。
「何でこんな物がこんな所に?」
「え? ヤスさんも知らないんですか?」
「うん。私はここにはあまり来ないから」
「なんなんですかね……これは」
私はその賞状を元通りにテーブルに戻し、本棚を引き返そうとした。
「そろそろ戻らないかい? ここにいるのはあまり好きじゃなくて」
私は濃い匂いが鼻に強くついて嫌だったので、早く部屋を出ていたかった。
「はい? はぁ、分かりました」
勇次は後ろからついて来た。私達は図書室を出た。
「さて、と。そろそろほとんどの部屋を確認したかな」
私達は図書室から出た先にいた。
「ヤスさん。向かいの特別部屋はまだ見てませんよ?」
「あぁ、でもあそこは別に。見なくても大丈夫じゃないかな」
「何でですか?」
「あそこはただの浴槽だもん」
「浴槽……ですか?」
「風呂だよ風呂。トイレもついてるけどね」
「風呂ですか成る程、たしかに後で必ず来ますね。確か一階にもトイレってありましたよね?」
「そうだね、だからどっちでも行って大丈夫だね」
「OKっと、こんな感じですか?」
勇次はさっきから書き込んでいた、メモ(黒船の見取り図)を私に見せた(fig1参照)。
「うん、そんな感じ。すごい分かりやすいよ」
私は素直に褒めた。
「でも僕気になる事があるんですが」
「え? さっきの賞状かい?」
「いや、そんな事では無いんです。一ブロックにつき客室が三つづつある事になりますよね? 僕の部屋はどこなんですかね?」
「あぁその事ね、実は私もまだ聞いてないんだ。でも前回と同じ部屋になるんじゃないかな? 君の部屋も後で決めるんじゃないかな?」
「そうですか」
勇次は頷いた。
「確かに国貞が言ったように、前と変わっている所はなさそうだね」
私はそう言った。そして
「じゃあもう大丈夫だよね? 戻ろっか」
私は一階ホールに続く階段に向かおうとした。
「あ、ヤスさん。ちょっと待ってください」
「え?」
「どうせだったら向こう側から下りましょうよ」
と勇次が言った。
「そうだね。じゃあそっちから行こうか」
私達はその場所から真っ直ぐ進み、ドアから階段を通り一階に下りた。
「向こうの場所と同じような所でしたね」
「でしょ? まぁちょっと複雑だけど覚えられるよね?」
「はい。これがあれば完璧ですよ」
と勇次は言って、自作の見取りを私に自慢げに見せた。
「ヤスさんにはあげませんよ」
勇次は笑いながらそう言った。
「ははは、面白い事言うな」
私は勇次の頭を軽く叩いた。
一階ホールに戻った私達はとりあえず、先ほど国貞達が行った劇場に行くことにした。劇場に行くにはガラス廊下を渡っていかなくてはいけない。なので渡る事にした。一歩一歩進んでいくうちに、嫌がようにも去年の出来事が脳裏によぎる。二十メートルのガラス廊下の真ん中(外へ出るドアがある地点)で私は不思議な光景を目にし、足を止めた。
「ヤスさん、どうしたんですか?」
「あ、あぁ……」
ドアの外に広がる円形の花輪、それが一面赤く染まっていた。去年までは白い花(ジャスミンだったかな?)が一面に咲いていたのに。
私はその派手な『赤い花』に連動し、もう一つの事を思い出した。去年美代子が目の前で二階から転落してここへ戻ってきた時、円形に咲いた白い花の上に、ポツポツと赤黒い物が付着していた。あの時はそれがとても不思議に感じたが、今はそれが全体に広がっている。
「どうしたんですかヤスさん、聞こえてますか?」
勇次が私の顔を覗き、そう言った。
「え? あぁ、ゴメン何でも無いんだ」
「何だかボケっとしてましたけど」
「本当に何でも無いんだ」
私は先に行くのを促した。勇次は私を見て不思議そうな顔をしたが、一番不思議に感じていたのは私だった。
私は劇場前の両開きの扉を開けて、中に入った。
「きゃあああああ」
劇場に入ったとたん悲鳴が聞こえた。私は一瞬ビクッとしたが劇場の上には麻莉亜と由理がいて、もう稽古が始まっているようだった。
劇場には観客席がある。そして舞台下のドアから舞台裏に回る事が出来、そこから舞台の二階にいける。舞台の二階には音響室、裏側を見る大きな窓がある。この大きな窓がいわゆる去年、美代子が自殺した場所である。観客室は縦10、横15の合計150席。
「おいおいおい、ちょっと麻莉亜」
下から国貞が麻莉亜に言った。
「え?」
「そんなセリフ無いはずだけど?」
「はい? ですが」
「ですがじゃないんだよ。麻莉亜、君はハート役なんだ。もうちょっと頑張ってくれないと」
「……すいませんでした」
すでに稽古がかなり進んでいるようで、厳しい言葉が飛んでいる。由理と麻莉亜の二人が劇場にいて、武丸、カレン、国貞は客席に座っている。由理と麻莉亜がいるという事はスペードとハートのシーンだろうか。
「姫嶋さんとはもっと楽だったよ」
由理が小さな声でぼそりと言った。どうやら麻莉亜は先ほどから失敗ばかりしているようだ。本番の舞台には出た事無かったから、仕方が無いと思うが。
「そんな事、そんな事言わないでください。私も頑張ってるんです……」
麻莉亜は小さい声で言った。
「おい国貞」
私は観客席の一番前にいる国貞に向かって言った。
「ん……ああ康明か」
どうやら入ってきたのに気づいてなかったようだ。
「案内終わったよ」
「ご苦労。見ての通り、もう稽古始めているよ」
そう言いながら国貞は私に台本を渡してきた。
「これは?」
「前とほとんど変わってないけど、また刷ったんだ台本を」
勇次にも台本を渡した、キミドリ色の背表紙の台本だ。同じ観客席に座っている武丸とカレンも台本を持っている。
「もう戻ってきたんっすか?」
武丸が立ち上がり、話かけてきた。
「ああ、今終わったところだよ」
「おいバイト君」
武丸は勇次の方へ向き直り、言った。
「はい?」
「ここはとても変わった構造をしていただろ?」
「はぁ、確かに階段あたりが……」
「あんなじいさんには勿体無さ過ぎる家だと思わないかい?」
「はい? それと構造と何か関係があるんですか?」
「は? そうじゃなくて……」
「おい武丸」
そんな事言っている武丸に対して国貞が
「お前はさっきからそんな事ばっかり言っているな」
「どういう事っすか?」
「どういう事っすか?って分かるだろ。無料で提供してもらってるんだからそんな事言うのはおかしい」
「あぁ、そういう事っすか」
武丸は大げさに頷いた。
「じゃあ団長、逆に聞きますけどどう思うんですか?」
「何?」
「あんなじいさんにこの劇場は合いますか?」
「……去年から思ってたんだけど、お前良くそんな事言えるな」
「は?」
「無神経にそんな事言うなって言ったんだよ」
「団長だって俺に対する態度は始めとものすごく変わりましたよ」
「何?」
「俺がトラベルメーカーだっていうのは自覚しているんでね……ちょっと消えるっすね」
そう言って武丸は扉の方へ歩いていった。
「おい武丸」
私はそう言った。
「いやマキさん、ただどこかで暇を潰すだけっすから」
武丸は両開き扉を開け、出て行った。
「……ふう」
国貞は私の傍らで小さくため息をした。
「お前の気持ちが分かるよ」
私は国貞にそう言った。国貞は軽く笑い、私達とは離れた観客席に座った。
その後しばらく由理と麻莉亜は稽古をして、二人は劇場から下りてきた。
「マキさん」
麻莉亜は私と勇次の方へ向かってきた。
「何かまた武丸君、悪い事しちゃってるんですか?」
「ははは、そうみたいだね……うん?」
私は麻莉亜の顔をまじまじと見た。さっきは気付かなかったけど、麻莉亜は薄い唇に真っ赤な口紅をつけていた。
「何ですか?」
「麻莉亜……くち」
「え?」
そう言って麻莉亜は両手で口を塞いだ。
「変ですか? ちょっと恥ずかしいです」
「いやいやいや変では無いよ、目に留まっただけだから」
「ちょっとイメージチェンジでつけてみたんです、でもうまくいかないなぁ」
「舞台の事かい?」
「……はい」
麻莉亜は両手を結び、腰の辺りに当てながらそう言った。
「そんなに焦る事無いんじゃないかな? 麻莉亜は今まで下積みだったから、慣れてないだけなんだよ」
「そういうもんでしょうか」
麻莉亜はそう言った。
「あの……マキさん?」
「ん? 何だい?」
「武丸君の事あまり悪く思わないでください」
「え?」
麻莉亜は何を言っているのだろうか?
「どういう事?」
「彼は彼なりに……その」
「ん?」
「悩みがあるみたいなんです」
「え?」
あの武丸が? 私はそう思った。
「悩み?」
「ちょっと、良く分からないのですが」
と麻莉亜が俯きながら言ったので、私は
「私はそんなに悪く思っては無いよ。どちらかといえば国貞のほうじゃないか?」
と言った。
「団長ですか」
そう言って麻莉亜は深いため息をついた。
「あの、麻莉亜さん?」
私の横で立っていた勇次が喋りかけた。
「あ、バイト君ですね? さきほど船の上で自己紹介してくれた」
「はい。佐藤勇次です。あの、ちょっと気になる事があったので聞いてもいいですか?」
「え? はい。どうぞーッ」
「おいおいおい麻莉亜、私と話す時とまったく感じが違うぞ」
私は慌てて麻莉亜に話かけた。
「はい?」
「『はい?』じゃないよ」
「だって勇次君は年下ですし、可愛い顔してるし」
「関係無いじゃないか」
私は少しブスっとしていた。
「ヤスさんちょっと良いですか? 少し話したい事があるんで」
勇次は小声でそう言った。
「はいはい」
私は腕を組んで頷いた。
「麻莉亜さん、あなたにとって武丸さんとはどういう人なんですか?」
「え?」
思ってもみなかった質問らしく、麻莉亜はとまどった。
「いきなり……何?」
「そのまんまの意味です。ちょっと気になったんで」
「ふーん。私に興味があるのかな?」
麻莉亜は上目使いに勇次を見た。私が見たこともない麻莉亜の顔だ。
「はい? あっそういう事にしておきます」
勇次は本当に興味があるのか、それともただ聞きたいだけなのか、私には分からなかった。
「武丸君? 特にどうという関係じゃないけどなー」
「そんな事は無いはずじゃないですよね? さっきも『相談された』とか言ってましたし、船の上でも二人でいましたよね?」
「ふーん、そんな細かいところまで見てるんだ? 何か勇次君って見た目と感じがちょっと違うなー」
「そうですか? 確かによく言われます」
「聞きたいのはそれだけなのかな? 武丸君と別に付き合ってるとかでは無いよ」
「あ、はいそうなんですか分かりました。あともう一つ、美代子さんの事なんですが……」
勇次がそう言った瞬間、明らかに麻莉亜の顔が歪んだ。
「おい」
私は美代子の質問を続けようとした勇次を呼び止めた。きっとこのままいったら、また変な空気になってしまうと思ったからだ。
「麻莉亜!」
離れた観客室に座っていた国貞が、麻莉亜を呼んだ。
「すいません」
麻莉亜は私と勇次に軽く頭を下げ、国貞の方へ走っていった。
その後勇次が私に小さな声で話しかけてきた。
「ヤスさん、僕なにか変な事聞いちゃいましたか?」
「どっちの事?」
「武丸さんと美代子さんの話、どっちもです」
「あ、うん。私も少し気になっていたんだけど、君は麻莉亜に興味があったのか?」
「いえ、そういう訳ではないんです」
そう言って勇次は鼻の頭を掻いた。
「あとで話したい事があります。ここでは話せない内容なので」
「分かった」
その後勇次はトイレに行くと言って、劇場を飛び出した。するとそれを狙ったかのように由理が私の方へ寄ってきた。
「マキさん」
後ろから肩を叩かれながら声がして、私はビックリして振り返った。
「由理か」
「脅かしちゃいました? ははは」
そう言いながら笑う由理はどこか疲れていた。いわゆる『目が死んでいる』と言うのだろうか。
「由理、何か大変そうだな」
「はい、分かります? ってさっきも同じような会話しましたね」
由理はそう言って、私の隣へ腰掛けた。
「さっきは時間が無くて、話せなかったんですが本当にこの一ヶ月が何年間に思えましたよ」
「マスコミの対応だけじゃ無かったのかい?」
「マキさん、僕の家族構成を覚えていますか?」
「え? ええと……確か」
「母が死んで、父と兄の三人暮らしなんです。兄は僕より三つ上、マキさんと同じ歳ですね」
「そうだったかな?」
「マキさん、ひどいですね。覚えといてくださいよ」
「ゴメン」
私は苦笑いをした。
「それで? どうしたんだ?」
「それが、兄が交通事故で亡くなってしまったんです」
「え? 本当に言っているのか?」
「はい……バイクの不慮の事故で」
「それは……何と言ってやればいいのか、残念だったね」
私は言ってあげる言葉が無く、そう言った。が、由理は
「いえ、兄が亡くなった事には何にも感じていないんです」
と平然と言った。
「え?」
「兄は仕事も就かず、毎日酒びたり。はっきり言って死んでくれて良かったぐらいです」
由理がそう言って、私は思い出した。確かに由理は兄ととても仲が悪かった。由理は父とは仲が良かったのだが、兄は父と由理と喧嘩ばかりしていた。その主な原因は兄が仕事に就かない事、毎日毎日酒を飲んでいること。父から金を盗んでいたりもしていたらしい。由理の父は仕事を多くしなくてはいけなくなり、体調を崩したらしい。確かに兄を冷たく思うのは当然なのかもしれない。
「兄の葬式などが重なり、寝る時間が無かったんです。あんな兄だから悪い輩の友達もいっぱいいて、葬式も荒されて延期延期の繰り返し」
「確かにそれは大変だったみたいだな、でも由理はちゃんとした仕事あったよね?」
「え? はい、まぁ小さな不動産関係の仕事はありますけど」
「私なんか個人的な仕事は無いからさ、大変なんだよ」
「あ! そうだったんですっけ? お互い大変ですね」
「……はぁ」
まさかここまで来て、こんなに現実に直視しなければいけないとは。
トイレから戻ってきた勇次が私と由理のもとへ戻ってきた。
「カレンさん寝てますよ」
勇次がそう言ったので、後ろを見た。カレンは一番後ろの真ん中らへんの席に座っていた。麻莉亜も由理も話しかけてきたが、カレンは話しかけてこなかった。寝ていたからか。
その後すぐに劇場に山本が入ってきた。何やら言っているようだが遠くて聞き取れなかった。国貞と麻莉亜が山本の方へ行った。すると山本は劇場から出て行き、代わりに国貞と麻莉亜がこちらへ来た。
「康明、昼飯の時間のようだ。山本さんがわざわざ伝えに来てくれたよ」
「もうそんな時間か?」
私は銀の腕時計を見た。時刻は午後の二時だった。
「そんな時間かじゃないですよ。僕はずっと前から腹がペコペコでしたよ」
とこれは勇次。
「早く行きましょうよ」
と麻莉亜が言った。
私達は劇場の入り口に向かった。私は出る直前に最後尾席に座っているカレンの肩を軽く叩いた。
「ふわぁぁ、あ? あ」
カレンは長いまつ毛からぱちりと目を開いた。そして私の姿を認めると
「あ、マキさん? すいません……あたし寝ていたみたいで」
カレンは、ぼさついた朱色の髪の毛を手ぐしで直しながらそう言った。
「いや、まだ対した事してないから大丈夫だよ。それよりさ、もうご飯の時間なんだ」
「え? 今何時ですか?」
「十四時だよ」
「午後の二時ですね。うんしょっと」
カレンは立ち上がり、
「行きましょう」
と言った。
私達はガラス廊下を渡っていた。中間地点で例の場所に来た。
「国貞、覚えているか?」
「何が? ……あ」
外に出る扉の外に円形に広がった、赤い花を見て国貞は分かったようだ。
「これね、僕も気にはなっていた。去年までは確か白い花だったね」
「だよね? いきなりこんなに変わるなんて、変だよね」
私達は立ち止まらずに、真っ直ぐ進みながら話した。
「国貞、君には言っていなかったが実はあの白い花には不思議な事があったんだ」
「そうなのか? 僕は聞いていないが」
「言ってないからね。あの時は話す暇なんかなかったから」
そして私は国貞に、『赤く染まった花』の事を話した。
「そんな事があったのか……でも良くそんな事に気がついたな。由理、お前は気付いていたかい?」
「え? いや僕はあの時は焦っていましたから、全然」
やはり私以外は誰も気付いていなかったみたいだ。そしてふと何気無くカレンを見ると、爪を噛んでいた。
食堂についた私達は縦長のテーブルに乗ってる料理を見て驚いた。
「昼から豪華な料理ですね」
すでにテーブルに腰掛けている山本に向かって由理がそう話しかけた。私は縦長テーブルの上に置かれている料理を見た。カレーにサラダ、コンソメスープが置かれていた。
この食堂の縦長テーブルは椅子が人数分置かれており、この一つのテーブルで全員が食事をする事ができる。テーブルには山本しかおらず、武丸はまだ来ていないようだった。
私達は椅子に座り、適当に話をしていた。私は玄関側の一番端の席で正面には国貞、左には山本老人が座っていた。
私は左に腰掛けていた、山本に向かって話しかけた。
「山本さん? ちょっといいですか? 武丸が来るまではみんな食べそうに無いんですよね」
「うん? あぁ、別に構わんよ。なんじゃ?」
「劇場に向かう途中の円形の花輪の事なんですが」
「あぁ……やっぱり気がついたか」
「そうですよね? 私の間違いではないですよね? 去年までは白い花が咲いてたと思うんですが」
「そうじゃったな、ジャスミンの希少花だった」
頭の中にあの独特の匂いと、ジャスミン茶の味が思い出された。
「やっぱり……なんで変えたりしたんですか?」
「……全てがひと段落した後に、あの花輪を見たんじゃよ。そしたら白い花びらが一部ではあるが、小さく赤く染まっていたんじゃよ」
「!(やっぱりそうだったんだ)」
「それで、赤い花もいいじゃろうと思って、変えたんじゃな」
「そうだったんですか」
私は自分の見間違いでは無かったことが分かって、ホッとしていた。
「信じる気にもならんか? でも確かに赤く……」
「いやいやいや、信じます信じます」
私は上機嫌でそう返事をした。そして
「今度の花はどんなものなんですか?」
「猩猩木という花らしいんじゃ。一般的には『ポインセチア』と言われているらしい」
「猩猩木?」
私は聞いたことの無い花に私はビックリした。
「メキシコ生まれで12月ごろに咲くんじゃって」
「へー。初めて聞きますね」
「真っ赤と言っていたけど、実は真っ赤というわけでは無いんじゃよ?」
「え?」
「良く見れば分かるけど、真ん中には黄色と緑の部分があって、そこが花なんだ」
「詳しいですね」
「二階に図書室があるじゃろ? そこに花図鑑があったんじゃ。そこに書いてあったんじゃよ」
「成る程です。じゃあ、後で見に行こうか、康明」
私の正面に座っていた国貞が急にそう言った。私と山本老人の会話を聞いていたようだ。
「猩猩木とはとてもセンスのある花を選びますね、お茶に出来ないのが残念ですが」
「そうなのか? わしは良く分からんが」
「ジャスミン茶は不思議な味がしていましたけど」
私はそう言った。
食堂内はみんな色々と雑談していた。勇次は麻莉亜、カレンと積極的に話しているようだった。勇次いわく、先ほど興味は無いという事だったから、情報を集めているのだろう。
数分すると食堂のドアが開き
「すみません、遅れました」
と言って武丸が食堂に入ってきた。カレンの隣の席が空いている事を見ると、そこへ行き、
「劇場に行ったんですが誰もいなかったので、ここにいるんじゃないかって」
そう言って椅子に座った。
「今まで何をしてたんだ?」
国貞が武丸に言った。
「特にどうという事でもないっすけど、邪魔がられたみたいだったっすから図書室にいました」
「………………」
国貞は無言で頷いた。
「団長、そんな変な空気にしなくても。冷めちゃいますよ、ご飯食べましょう」
由理がそう言ったので私は大きな声で
「いただきますっ」
と言った。全員がいただきますと言いスプーンに手を伸ばした。武丸の方を見ると、手をほっぺたの前に出し『すいません』の合図をした。
料理は少し冷めていたが、食べれない感じでは決して無かった。
カレーもコンソメスープも濃い味がして、サラダもパサパサしていて水気がない感じだった。誰からも『おいしい』という言葉は聞こえず、無言で食べていた。私は濃い味が嫌いでは無いので、そこまでは悪く感じなかった。正面に座った国貞が一口、二口食べて山本老人に、
「これってあれですか?」
と言った。山本は首を傾げ、不思議そうな顔をした。
私は前に出されていた料理をじっくりと味わってみた。するとこの濃い味はどうも『作られた味』すぎるように思えた。国貞の言っている事はもしかして……。私はスープを啜っている山本老人の耳元に、
「これってインスタント食品ですか?」
と質問した。すると山本老人は、恥ずかしそうにコクリと頷いた。正面の国貞は意味ありげに笑っていた。
数分後に全員の皿が空になる頃、山本老人が立ち上がった。
「おいお前ら。ちょっと良いか?」
全員が山本老人の方を向いた。隣の私も同様である。
「天井を見てくれるか?」
山本老人がそう言ったので、天井を見た。食堂の天井は脚立などを使用しなければ届かなそうな距離であり、穴が開いた四角いしきりがついている。
「あそこに見える四角い奴がここの空調なんじゃが、あれがどうも数日前から調子が悪いんじゃ」
山本老人は指をさしながらそう言った。
空調は(私から見てだが)正常に作動しているように見えた。ブゥーという音も鳴るし、うっすらと風も来ているような気もする。
「山本さん? 失礼な事を聞きますけど、あれはちゃんと作動してるんじゃ……」
「何を言ってるんじゃ、作動なんかしとらんよ」
私の質問は軽くいなされた。
私達は山本老人に手で急がられるがままに出口に誘導され、台本もテーブルに置いて食堂を出た。食堂のドアが閉まる直前に武丸が、
「そのぐらいやっとけばいいのに」
と言った。
「武丸」
国貞が横目で見たので、武丸はムッとして口を閉じた。こんな光景を私は今日だけでも何回見ただろうか。
その後談話室に場所を移し、国貞から全員に寝室を発表された。しかし部屋割りは去年に来たときと全く同じだった。勇次は去年いなかったので空いていた、二階の麻莉亜の部屋の隣になった(部屋割りは、fig1参照)
「食堂の端にあった脚立は気にはなっていたけど、こういうときのために置いてあるんですね」
由理が誰に言うでも無くそう呟いた。私は脚立の存在にも気がついていなかったが、由理の意見を聞いてそう思わされた。
その後、談話室にいる意味が無いと武丸が言ったのをキッカケにして、一人また一人と自室へ戻っていった。最後まで残ったのは私と国貞、勇次だが少し雑談した後で国貞も自室へ戻っていった。
「やっと二人になれましたね?」
「え?」
唐突に言われて私は少しドキっとしていまった。
「いや、変な方に思わないでくださいよ? さっきの劇場の続きです」
「ははは、そんな事は思わないよ! そういえば、『ここでは話せない内容』とか言ってたけど?」
「そうですそうです」
そう言って勇次はソファによっかかり直した。
「Kでの会話を覚えていますか?」
勇次は本題を話し始めた……
「Kのこと?」
「あれです……『しがないハート』というブログの」
「ああ、そんな事もあったね」
「僕、美代子さんの自殺した日に一緒にいた訳では無いんですが、少し疑問に思うんです」
「え?」
「あれは本当に自殺だったのかって」
勇次は急に真面目な顔になり、喋りだす。
「そういう事か……確かに私も気にはなっていた」
「本当に自殺だったのだったのであれば、『しがないハート』は本当の記述をしていたのだと思います。確かに執拗ないじめがあったのであれば自殺だったことに」
「ちょっと待って」
私は勇次を止めた。
「私は君の言っている事が良く理解できない、包み隠さず言ってくれ」
「はい。はっきり言いましょう。僕は美代子さんは他殺されたと思っています。そして犯人はカレンさんと麻莉亜さん」
「何だって?」
「前に国貞さんから、去年の事件の事を聞いた事があったんです」
「うん」
「その時から思っていました。美代子さんの転落した時に現場にいなかったのは、カレンさんと麻莉亜さんだけ」
「君の言っている事は分かる、でもね……」
「ちょっと待ってください、最後まで聞いてください」
勇次は私がしゃべろうとしたのを止めた。
「ヤスさんが言いたい事は分かります、美代子さんはちゃんと自分で台詞を言っているようだった。そんな都合よく殺害なんて出来ない」
「そう。そしてもう一つ。美代子は転落した際、頭から落ちたんだ」
「……?」
「分かるかい? 自殺する人というのは、普通は頭から落ちるものなんだ。少しでも辛い思いを、したく無いという真理が働くからね。だからもし落とされたとしたら、もっとおかしな動きをするはずなんだ」
私は本で読んだ事のある事を、勇次に話した。
「でも、100パーセントではありませんよね?」
「それはそうだけど……」
二人でいる談話室に無言の空気が流れ、気まずくなっていった。
「そろそろ戻りますか」
珍しく勇次がそう提案したので
「うん」
私は空返事をし、私達は自室へ戻っていった。
各寝室は六畳ほどの部屋で床は、全面が畳。シングルベットが一つに小さい冷蔵庫、家庭ラジオがあるだけでテレビは無い。寝室のドアは鍵(鍵は先ほど談話室で国貞から全員に配られた)が掛けられるようになっていて、これは内側からも開錠出来る。そして内側からロックを掛ける事も出来る(ドアの構造については、fig2参照)
私は部屋で適当にラジオを聞きながら、ベットの上に横になっていた。午後四時を告げる、ポーンという音が鳴りパーソナリティーが変わった時、ドアがノックされた。
「はい?」
「康明? 起きてるか?」
「うん? あぁ、国貞か。起きてるよ」
私は体を上半身だけ起こし、ベットのしきりに腰をまかせた。
「開いてるからどうぞ」
「違うんだ、ちょっとおかしな事が起きたんだ。ホールにみんないるから来てくれ」
「? 分かった。ちょっと待ってて」
私は寝間着にも着替えずベットの上へ横になっていたので、そのまま部屋から出た。
一階ホールに出ると確かに全員いた。
「マキさん」
由理が私の姿を見た途端、寄ってきた。
「団長から聞きました?」
「いや、まだなんだけど」
私は全員の顔を見た。みんなちょっと不機嫌そうな顔をしている。
「国貞? 何があったんだ?」
後ろでにドアを閉めた国貞に向かって、私は言った。
「先ほど食堂での事を覚えているか?」
「食堂? 空調の事か?」
「あぁ、そうだ。僕達は山本さんに言われるがまま、食堂を追い出された……台本も置いて」
「うん、そうだったけど……え? もしかして?」
国貞は隣の食堂を開けて、私を入れた。先ほどテーブルの上に置いた全員の台本が無くなっていた。他のものは何一つ変わっている所は無く、台本だけが忽然と無くなっていた。
「これは……?」
「どういうつもりっすかね? こんなイタズラをした人は?」
武丸が食堂の中へ入ってきて、私にそう言った。
「全員の部屋を調べれば、こんな事した人はすぐに分かるっすよね」
国貞は開け放られた食堂のドアから、ホールにいるカレンと麻莉亜に言っているようだった。
「彼女達が寝室を見られるのは、プライバシーとかで嫌だって言うんですよ」
「当たり前じゃない」
とカレンが言う。麻莉亜は少し俯いている。唇はまた口紅を塗りなおしたのだろうか、唇は先ほどよりも綺麗な赤色に染まっている。
「ちょっと待って」
私は武丸にストップをかけた。
「国貞、山本さんは?」
「ちょっと待って」
数分すると山本老人が食堂に入ってきた。
「わしはなんも知らんぞ」
「空調の調整が終わったのは、どのぐらいですか?」
「ん? お前らがここから出て行ってから、十分ほどじゃったかの?」
「その時からずっとこのまんまだったんですか?」
「あぁ、もちろん台本なんかには触っていないぞ」
「じゃあ、やっぱり誰かが台本を故意に隠したいう事に……」
私はそのように言った。
「でもちょっと待って。こんなイタズラをしてもあんまり意味が無いと思うんですけど」
カレンが言った。
「それはどうかな?」
と国貞?
「どういう事ですか?」
「台本を無くさせて、練習をサボろうって考えているのかも知れない」
「え?」
「いいかい? さっきの稽古で劇場に一番いなかった奴がいただろ? そいつが故意に隠して……」
「ちょっと待ってくださいよ団長」
武丸が声を上げた。
「そいつって俺の事っすよね? 俺は部屋を調べたほうが良いっていってるんっすよ?」
「何も自分の部屋に隠す馬鹿はいないだろ?」
国貞は武丸が犯人だと思っているようだった。
「そんなの言いがかりだ」
「どうだか?」
「ちょっと待てって」
私は二人の間に入った。
「今そんな事言っていても仕方が無いじゃないか」
「マキさん、正直俺はどうだっていいんすよ。ただすぐに突っかかってくる団長が嫌なだけで」
「………………」
「と、とにかく今日はもう終わりでいいじゃないか」
私はこの場を押さえるには、それしか無いと思った。
「あの……僕は?」
ホールに突っ立っていた勇次がボソリと言った。
「僕、まだ何にもしていないですよ?」
「いいから」
私は話しを逸らした。
その後、不服そうな顔をしながら各自自室へ戻っていった。午後七時、食堂に集合し夕食を食べた。さきほどまで皿も片付けられて無かった食堂はすっかり綺麗になっていたが、テーブルに置かれた料理は先ほどと同じインスタント食品だった。もう全員気がついているのか? それとも先ほどの台本消失事件のせいか、食堂には思い空気が流れ『カチャ、カチャ』といった音しか聞こえてこない。
途中でカレンが「トイレに行く」と言って食堂へ出たが、それ以外は誰も食堂を出なかった。
しばらくすると麻莉亜が
「すいません」
と言って、半分以上も夕食を残して食堂を出ようとした。
「どこに行くんだ?」
国貞が麻莉亜に質問した。
「ちょっと気分が良くなくて」
麻莉亜はそれだけ言って、食堂から出て行った。
シチューと、ハンバーグ、サラダを食べて私は心の中で、ごちそうさまと言った。武丸、カレン、勇次はすでに食べ終わり食堂から出て行っていた。
「山本さん、ごちそうさま」
国貞は山本老人に控えめに言った。
「すいませんね、何か変な感じになってしまって……」
「気には、する事無い」
「でも今日は大した稽古もしてませんし」
「いやいやいや、こんな老いぼれの所に来てくれるだけでも、嬉しいんじゃ。さっ早く部屋にいきな」
山本老人は恥ずかしそうに顔を背けながら国貞に言った。
私は山本老人に話しかける事が出来ずに、国貞と食堂を出た。
「康明、少し時間あるかな?」
「え? 特にやる事無いから暇だけど」
私達はその後、図書室で十時まで一緒にいた。
恒例の劇団の話……では無く、台本消失、国貞の最近の実験について話していた。
台本消失には決定的な証拠も無く、まずそんな事をする理由も分からなく話は進まなかった。逆に進んだのは実験のほうだ。国貞は現在も高校の薬剤部のOBで、ちょくちょく研究室へ行っているらしい。しかし最近個人的に行っているのは『薬』では無く、特殊素材の研究らしい。
「君にもいつか見せるよ」
そう国貞は言っていた。
十時に図書室を出、部屋が同じ方向なので一緒に行った。各自風呂には自由に入るとの事だったので、私はその後二階でシャワーを浴びた。
結局ベットに横になったのは十一時前だった。最近は動く事が無かった為、横になった途端すぐに寝てしまった。
* * *
牧野康明が知らない所で、ある人物のシナリオは一ページ、一ページ確実に進んでいた。
その人物は、自分の描いたシナリオに絶対の自信を持っていた。さきほどの台本消失もシナリオの内であり、もちろんシナリオ通りに事が運んだ。
『完璧な犯罪』など存在しない……それは常日頃から思っている。だから自分一人だけが疑われる事の無いような状況を作り出し、何事も無かったかのように石川県に帰り、今までと同じ生活を送る。そんな状況が一番望ましい。
コツコツと小さな足音を立てながら、細く暗い廊下をゆっくりと歩きながら頭の中でそう考えていた。
目的地に一歩一歩近づきながら思う。下準備は成功している……あとは実行する勇気と、多少の運だけ……のはず。危ない綱を渡る必要は無いんだ。
その人物は目的地へたどり着いた。二階の浴室側の部屋の一室である、水野麻莉亜の部屋に。
「午前一時になりました。ご存知『ゴースト』のラジオです」
水野麻莉亜はベットに横になりながら、部屋に置いてあったラジオでお気に入りのラジオ番組を聞いていた。寝室が同じブロックである、バイトの勇次君にはうるさくて、迷惑かな? とは思ったけれど、一つ部屋が空いているから聞こえないだろうと思っていた。
今まで下積みを重ねていて、やっと舞台に立てるようになったのに、今日は思った通りの演技をする事が出来なかった。
舞台に立てるようになったのはとても嬉しい、それにあのハート役だ。なのに何をやっているのだろう。
ハート役に抜擢されたのは、いわば美代子のおかげである。それだけに私は罪悪感がいっぱいだった。去年の美代子の転落事件、けっしてあれは美代子が望んだ事では無かったはずだ。私もすくなからず関係しているんだ。そう思うとため息が出てきた。
カレンさんはどう思っているのだろうか? 一番関連深いのはカレンさんの筈だ。船ではハート役になれなかった事で不機嫌だったけれど。
それに今日はおかしな事が二つも起こった。一つは台本消失、こんな事で稽古が出来なくなったりしたらたまらない……実際、午後の舞台稽古は行われなかったのだ。誰がこんなイタズラをしたんだろうか?
そしてもう一つ、それは……。
コンコン
急にドアがノックされて、麻莉亜はビクッとしてドアを見た。こんな夜中に誰だろう? 麻莉亜はドアの方に向かい、向こう側にいる人物に話しかけた。少しその人物と話しただけで、中へと招き入れた。最初から鍵などはかけていなかった。
麻莉亜の部屋に入ったその人物は後ろ手に鍵を掛けた。
「何をしてるの?」
麻莉亜がそう質問すると、その人物は思っても見なかった事を言った。
「え? 何であなたがその事……」
麻莉亜が最後まで喋るのも待たずに、その人物は飛びかかった。
「きゃあ」
飛びかかられた反動で麻莉亜はベットの方へ横転し、ベットの上へ置いてあったラジオは落ちてチューニングがずれ、ザザーとしか言わなくなった。
その人物は麻莉亜の上へ馬乗りになり、そのか細い首に手をかけ、締め付けた。
「がぁぁ」
女性のものとは思えないような声が、口から漏れた。必死で絞めている手を剥がそうと抵抗するが、こっちの方が圧倒的に不利な体位な為、ビクともしない。
息が出来ない。普段体験しないそんな事が、こんなにも辛いとは思わなかった。
なんで私が殺されなきゃいけないんだろう? やっぱり去年の事件のこと?
自分の首を絞めている人物の、ギリギリという歯の擦れる音が聞こえる。この人も必死なんだ……朦朧とする意識の中で麻莉亜は抵抗するのを止めた。その人物の手から自分の手を外した。
目の前の人物の顔が大きく歪んだように見え、意識が無くなった。水野麻莉亜はそこで絶命した。
気がつくとザザーというラジオの音が聞こえ、我にかえった。首を絞めているのに必死で頭の中に酸素が渡らず、すこし気絶していたようだ。
「はぁ、はぁ」
初めて行った殺人という行為。二時間ドラマやニュースなどで良く聞く言葉で身近だが、こんなに大変なものだとは思わなかった。
とりあえず、ラジオの電源を落とそうと手を伸ばすと、体全体が汗まみれなのに気がついた。
まずい……汗で犯人を特定できる事を知っている。
汗が部屋に落ちたなら、ここは畳だ……染み込んでしまっている。危険要素はすべて排除したい。どうしたものか……そうだ。
その人物は当初のシナリオに新たな事柄を追加した。そしてそれらを実行に移した。
* * *
ありがとうございます。