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結晶と、少女。彼女と、悲しみ。

 あれから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。何日前、何時間前、という疑問は、この世界では問いようがない。なぜって、この世界にあるのは「夜」だけ。昨日も、明日も、この世界には存在していないのだから。それが忌むべきことなのかどうか、ぼくには判断できない。


 でも、この「夜」に存在している『天球』が、彼女の愛するものの一つであることは確かだ。だからこそ、今、この瞬間に限っては、ぼくがこの『天球』を目の敵にする必要がなくなるのだ。


 『天球』の放つ星明かりのもと、一人の少女が舞を演じていた。『天球』に張り付いている星を掴むのかごとく細い腕をせいいっぱい延ばし、手を広げたと思ったら、何かを恐れるようにぱっと腕を縮め、手のひらを閉じる。掴んだ砂を風に乗せて放つように手を空に差しだし、その場所に別れを告げるようにターンする。流れるようなステップにあわせて肢体を舞わせ、彼女自身はくるくると回る。


 彼女がどこで舞を覚えたのか、ぼくには覚えがない。それに、彼女はいつもなら絶対にこんな舞は見せないし、こんなに長い時間ぼくの前に姿を現すことも少ない。


 けれど、彼女が舞を披露する舞台を用意するのはぼくの役割だ。


 淡く青色の光を放つ透明な結晶の山が至る所に立ち並び、地上を淡く浮かび上がらせている。地面は結晶の欠片によって覆われていて、まるで夜の海の上に立っているような気分になる。


 ここのことを、彼女は「結晶の廃棄場」と名付けた。こんなにきれいな場所を「廃棄場」だなんて。でも確かに、この結晶がすべてガラクタだったらそのような景色にもなるし、ここは「秘密基地」とか、

「いつもの場所」とか、とにかくちょっと独り占めしたくなるような雰囲気がある。そういう場所は、大人たちが捨てていったものの塊であるのが相場だ。


 しばらく踊ると、彼女は満足顔でぼくのほうへ歩いてきた。


「きれいだったよ。観衆がぼく一人なのがもったいないくらいだ」


 ぼくが素直に彼女の舞を誉めたたえると、彼女は無言でぼくが座っている結晶に、肩を並べて座る。いつものように表情はまったく変わらないけれど、心なしか照れくさそうだった。


「ねえ、ここの物語……。話す」


 ぼくはここに来たときの通例として、この場所に関する物語を語ることをせがまれる。当然ながら、ここだってぼくの吐いたうそからできた世界で、他との違いと言えば、この世界が彼女のために吐いたうそからできた世界だということだ。


「とあるガラクタ山に、一人の少女がございました」


 だから、何度も彼女に話して聞かせているこの物語も、彼女のために作ったものだ。


「少女は、そのガラクタ山が好きでした。まるで宝石のように透き通り、淡い青色の光を放つそれらは夜になると、とてもきらびやかに地上を照らすのです。


 もちろん。少女はどうしてこの場所がガラクタ山と呼ばれているか知っていました。宝石のようなそれらは、ぜんぶ人々の思い出からうち捨てられたものだったのです。大人たちが捨てていった思い出。それは、苦しいことや悲しいことで、前へと進むために邪魔になるから、大人たちはそれらをどんどん捨てていきました。


 例え苦しみや悲しみからできたものだったとしても、少女はこの場所が好きでした。そして、他の場所を知らないから、この場所を好きになるしかないということもよく分かっていました。少女は、ここから出ることができなかったのです。


 捨てられた悲しみからは前に進む方法なんて分かるはずがなく、苦しみは前を向くことすら教えてくれなかったのです。


 それでも、悲しみは少女に一つだけ、大切なことを教えてくれました。


 それは、空を見上げること。どんなに悲しいことがあっても、そこには見るべきものがあることを大人たちは知っていたのです。空はいつだって、少女が上を見上げればそこにありました」


 もう何度話したか分からない物語を、彼女は飽きもせず、真剣に聞く。まるで、そうでもしないと消えてしまうとでもいうように。


「ある時、ガラクタ山に一人の少年が訪れました。少年はガラクタ山を見るなり、こうひとりごちました」


 横にそびえ立つ結晶を触り、その冷たさを意識しながら、言った。


「きれいだな」


 彼女は何も言わず、ただ黙ってぼくの話を聞いている。


「少女はそれを聞いて、なんだかうれしくなりました。すぐに少年の前に姿を現し、ここを案内しようと提案しました。少年は突然現れた少女に驚きましたが、彼女がとてもうれしそうに話すのですぐに承諾しました。


 ガラクタ山を案内し終えることには、少年と少女はまるで幼い頃から遊んでいた仲であるように打ち解けていました。なので、少年がもうここから離れると聞いた時、とても悲しい顔をして、どうにか自分も連れていってくれないかと頼みました。少女は、少年から離れたくなかったのです。


 しかし、少年は首を振りました。『君はここの悲しみなんだろう? こんなにたくさんの悲しみは、ぼくには持っていけないよ』


 少女はその言葉の意味をよく知っていました。知っていたからこそ、わずかな希望にすがって、連れていってほしいなどと言ったのです。ガラクタ山の悲しみは、ぜんぶ彼女のものでしたから、彼女自身も、この悲しみたちのものだったのです。


 別れを惜しむ少女に対して、少年は明るく言いました。『ぼくのことを思い出して悲しくなったら、夜空を見上げてごらん。ぼくはその星のどこかを旅しているから。君が悲しみならば、この意味を知っているはずだよね』


 少女は頷きました。少年は満足した顔で少女に別れを告げ、それから、彼がガラクタ山にやってくることはありませんでした。


 少女は毎晩夜空を見上げながら、彼のことを想い、それからここに悲しみを捨てていく大人たちのことを想いました。悲しみを持たない彼らにとって、空とはなんなのか。それはきっと、観察の対象だったり、明日の天気を占うためだったりするのでしょうが、こうして少女がするように空を見上げることがどれだけあるのか、少女には見当もつきませんでした。


 少女は、今日も夜空を眺めています」

 当然、この話もぼくが考えたうそであるわけだけれど、改めて、この世界に似ているなと思った。あの章少年は『旅人』みたいだし、少女だってぼくらみたいに星空を眺めている。少なくとも、それが悲しみからだとは決して言えないけれど。


 考えるうち、あの『旅人』が言った言葉のひとつひとつが気になり始めた。


 彼はこの星ヶが、『世界樹』に統括されている世界そのものだと言った。だとしたら、『天球』も『世界樹』に張り付いているものなのだろうか。ぼくは大きな樹を思い浮かべてみる。樹からはたくさんの枝が分かれて、それぞれがたくさんの葉をつける。この葉がすべて『世界樹』の統括している世界のひとつひとつだとしたら、ぼくらは『世界樹』の内側からこの葉っぱである世界を眺めていることになる。


 実体はともかく、よくできた例えだと思った。この地平線のない草原が樹の幹だとして、『天球』である葉はその周りをぐるりと取り囲んでいる。けれど、その葉が幹に衝突することはない。樹の幹と葉は密接な関係を持っていて、そして互いにふれ合うことはあまりない。もっとも、『旅人』が言った『世界樹』という名前には何か別の由来があるのかもしれないけれど。


 そしてなにより、あの『旅人』はぼくのことを『観測者』と呼んだ。また、他の『観測者』がいるとも。


 この世界に住んでいて、もし『旅人』のように星ヶを渡り歩くことができないとしたら、ぼくたちのように『天球』を眺めているしかない。だからこその『観測者』なのだろうか。それとも……。


 不意に、彼女がぼくの肩をつついた。


「どうしたの?」


「もとの世界って」


 ぼくが問うと、彼女は唐突に話を始めた。


「ここは、きみが見ている世界で。あのひとも、きみから生まれ出ていて……。けれど、彼女は悲しみから生まれている……。だったら……」


 舌足らずで要領を得ない彼女の言葉を、ぼくは慎重に耳を傾けて聞き取っていく。


「わたしたちは、どこから来たのかな」


 結論なのか問いなのか、とにかく意味だけははっきりとした言葉。そのせいで、ぼくは余計に困惑することになった。


「ぼくたちが、どこから……」


――おれはおまいさんを迎えにきた。


 不意に、『旅人』が言った言葉を思い出す。あの言葉が本当ならば、『旅人』は彼女の問いの答えを知っているということになるのだろうか。いや、どうだろう。迎えが来るのは帰るべき場所からであって、故郷とかそういう場所とは限らない。


「わからないよ」


 結局のところ、ぼくはそう答えることしかできないのだ。彼女はぼくの答えに悲嘆もせず呆れるでもなく、ただ僅かに頷いただけだった。


 この世界にあって、ぼくはうそを吐き続けているけれど、そもそもうそは本当のことがあって初めて成り立つものじゃないか。それなら、ぼくが吐き続けているものは、うそではなくて、もっと漠然とした、知ったかぶりとも言えない、実体のないものなのかもしれない。


 それとも、あの『旅人』が現れたこと自体が、この世界のほころびなのだろうか。『旅人』はぼくのうそからできた世界を凍りつかせ、そして今、ぼくたちにうそを否定する考えを浮かばせている。


 じゃあ、あの『旅人』は何だったのか。


――『何』とはね、嬢ちゃんこそ分かっているじゃないか。そう、おれたちは人じゃない。こんな世界に生きて、人だなんて言う方が恥知らずで傲慢ってやつだな。


 この世界の物語に登場する少年が、どうしてこの場所を離れなければならないのか、どうして、少女をおいて星ヶを旅しなければならないのか。唐突に、分かった気がした。


 彼もまた、人ではないのだ。彼は旅をしている。なぜなら、旅をするしかないからだ。ぼくたちが、こうして星ヶを見上げることしかできないように。


 それならば、この世界を構成している、ぼくが作り出したうそは、ぼくが形作ったこの世界に存在する意味は?


 それは、決められたことじゃない。ぼくらは、ただ『天球』を見上げているだけ。夜空を見上げることしかできないだけで、うそを吐く必要はないし、そこに意味はない。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 当然、この問いにだって意味はないのだ。なぜなら、この問いに答えられる言葉は、すべてうそでしかないのだから。


 ふと、隣を振り返ってみる。そこにさっきまで結晶に座っていた彼女の姿はなく、ぼくはしまったなと思った。どうやらぼくが何も喋らないせいで、飽きてしまったようだ。


 と、視線を前に戻すと、彼女はそこにいた。結晶の山に囲まれた広場の中央で、何を言うでもなく、ぼくを見つめていた。


 ぼくははっとする。それは彼女が姿を隠していると思ったらそこにいたからではなくて、彼女の持つ雰囲気が、目に見えて変わっていたからだった。


「それなら……終わらせよう」


 彼女はぼくに向かって手をさしのべながら言った。


「きみがこの世界のことをどう思っているのか、わたしには分かる。わたしはきみの吐いたうそから生まれたのだし、今でもこの世界のことが好きだ」


 ぼくは激しく困惑した。その声音も、言葉遣いも、彼女のものだ。けれど、これまでちぐはぐだった一つ一つの言葉の意味が、まるで物語の複線が一つの事象に収束していくように、今、彼女は言葉を紡いでいる。


「今、きみが教えてくれたんだ。この物語の少女が、少年に出会えたかどうか。それが、答えだってことを。だから、わたしをきみの世界につれていって欲しい。物語を終わらせて、わたしをわたしとして、存在させて」


 なにもかもが、唐突だった。彼女は何かの目的のために言葉を発している。それは分かったけれど、なんのために、どうしてこんなことを思ったのか見当も付かなかった。


 でも、これだけは分かった。ぼくがずっとこの世界がうそでできていることを思い煩っていたように、彼女もまた、この世界について考えていた。なぜなら、彼女はぼくのうそから生まれた存在だったから。


 ぼくはもう、そのときのことを覚えていない。この世界を作り出した物語は、何度も彼女に話したせいで、彼女のために作ったのだとばかり思っていたから。でも、彼女はそのときのことを覚えているらしかった。


 この物語は彼女のための物語であって、それは彼女へ贈られたものではなく、彼女が存在するために綴られた物語だったということだろうか。本当はどうなのか、ぼくには答える自信がない。


 とにもかくにも、彼女の願いならば聞き入れない理由はない。彼女の願いは、この物語を終わらせること。それだけは、過たず伝わったのだから。


「わかった」


 物語を終わらせることは、そんなに難しいことじゃない。もっともらしい文句をつけて、語りを終えればいいのだ。けれど、彼女が望んでいる終わりとは、それとは少し違うもののようだ。なぜって、この世界の物語はすでに語り終えているから。


「少女は空を見上げながら、ずっと少年に会える方法を考えていました。少年が少女に与えたものは、空を見上げる理由であり、そして少年への忘れ形見でした。それは少年からのささやかな気遣いでしたが、それだけでは少女にとって不十分だったのです」


 ぼくは語り出す。この世界を構成している物語に、もっともふさわしい終わりを与えるために。


「そのころ、少女の住む世界では人々が争いあい、その分だけ悲しみも生まれていました。人々の死は悲しみと怒りを生みだし、それがまた新たな悲しみを生んでいました。


 そしてその分だけ、彼女が行くことのできる世界は広がっていきました。悲しみは大人たちにとって捨てるものだったために、その悲しみはどこにでもあって、彼女の道しるべになったのです。


 やがて世界を覆い尽くすほど肥大化した悲しみによって、彼女は世界のほとんどに足を運ぶことができるようになりましたが、それでもまだ足りませんでした。


 あの少年は、この星にはいないのです。少女は途方に暮れましたが、ひとつ、少年に会わないまでも、何か伝えられるかもしれない方法を人々から学びました。


 大人だったか子供だったかは分かりませんが、人々は星に願いを託すことを知っていたのです。何かの感情を伴って、少女が知らない星へと願いを口にする彼らの姿を見て、少女はそれが意味のあるものだと思いました。


 それから、少女は夜空にきらめいている星のひとつひとつに、彼女自身である悲しみを遣わすようになりました」


 結晶の廃棄場。この場所を構成する結晶のひとつひとつから、青く淡い光の粒が立ち上り始める。まるで海の底から、地上へと向かって泡が上り立っていくように、青い光に彩られた地上から、それらは旅立っていく。


「彼女はどんどん自分自身をすり減らしながら、世界中を覆い尽くしている悲しみを飛ばしていきました。そうしていくうちに、ついに少女はこの世界から消えてしまいました。しかし、それでも少女はあきらめず、世界に悲しみが生まれるたび、それらを星ヶへと飛ばすようにはからったのです。


 そうしてこの世界から悲しみは消えることになりましたが、皮肉なことに、人々は空を見上げることを忘れませんでした。悲しみが星へと旅立っていく姿はとても美しく、人々の目を引いたからです。


 少女は、今でも少年に会えることを夢見ています。星ヶへと旅だった悲しみは、彼女自身であって、今も、星ヶを旅し続けているのです。いつの日か、少女は少年に会うことができるかもしれません。もしかしたら、もうすでに、少年と話でもしているかもしれませんね」


 物語の終わりと同時に、青い光を放っていた結晶の山が、一際強い輝きを伴って消え始める。彼女はそれに驚くでもなく、ぼくのほうへと歩みを進める。


「東の空へと沈む日と、」


 それと同時に、彼女は音を奏でる。その口から、さえずるように、唄を生み出す。


「蒼き光をそえるもの。


 あたたかな光と、


 ひえきった光。


 連れ添いあって、訪れる。


 夜のとばりに顔を出し、


 どこにだって、眠ってる。


 どこかに伝えられるのなら、


 いっそ、どこかへ。


 少しでも、あなたのいる場所へ、


 届け、


 とどけ」


 彼女の唄に呼応するように、結晶の山は消えかかりながらも、その青い光を旋回させ、あたりを光の帯で覆っていく。彼女は、まっすぐにぼくを見つめている。


 彼女は、ぼくのうそから生まれた存在だ。だからなのかは分からないけれど、ここから先はぼく自身がやるべきことだと、とっさに理解した。


「おいで、きみがこの世界から出たいのなら、ぼくといっしょに行こう」


 ぼくは物語が終わった後にだけ許される台詞を言い、手をさしのべる。


 彼女は迷わず、ぼくの手を握った。


「ありがとう」


 そうして、彼女はこの物語の存在としてではなく、ぼくと同じ、何かに縛られた存在となる。対価として、彼女が『唄』という力を持つことで物語の中のひとりである存在から、人ではない存在へと移り変わった。


 「『世界樹』の名のもとに、よき唄と物語を」。この言葉の意味を、ぼくはこうして体験することになった。ひとつの物語を終わらせることによって。






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