白の王様。旅人と、「狼」
「むかしむかし、あるところに、白色が大好きな王様がいました。王様の身につけている真珠をはじめとした装身具や服は例外なく白で飾られています。王様はそれだけでは飽きたらず、宮殿は壁から調度品に至るまですべてが純白で、宮殿を警備する者たちの鎧もすべてそれに習っていました」
ぼくは新しいうそを吐きながら、真っ白な石のようなものでできた回廊を歩く。あの真っ黒な物体にしたように壁を触ってみるけれど、とても口惜しいことにそれは大理石のようにひんやりとしていた。
「けれど、王様は宮殿に住む者たち以外が白い服を纏うことも、白い家に住むことも許しませんでした。病院でさえ、桃色がかった、とても白とはいえない色だったのです」
あくまで朗々と。そしてゆっくりと宮殿の中を歩いていくと、やがてエントランスへとたどり着く。当然ながら、ここには人っ子ひとりいない。むかしむかし、なんて言っておいて、そこに今も変わらずに人がいるなんてことはありえない。
入り口に近づくと、その大きな扉はひとりでに開き、ぼくを通した。
「ずいぶんと味気ない宮殿……。これじゃあ、王宮じゃなくて、神殿か何か」
宮殿の庭の生け垣の前で座っていた彼女がつまらなそうに言う。確かに、ここの調度品や装飾は意外なほど質素。白という色がそう見せているのかもしれないし、元々派手ではなかったからかもしれない。
庭に咲いている花は、ぜんぶ当然顔の純白。まるでどこかの不思議の国のよう。もし庭に赤い花が咲いたなら、庭師は急いで白いペンキを塗っただろうか。
「ぼくらが言えた台詞じゃないね」
どこかの農村の住民みたいな、とても地味な衣を着たぼくと彼女を見比べながら言う。すると彼女は頬を膨らませて、ぷいっと明後日の方向を向いてしまった。
ああ、これはちょっとばかりまずい。
「庭師は花の白さがいつまでも続くように、白いペンキを塗りました」
いつもなら絶対にしないようなうその塗り変えをして、ぼくは庭にある花を一輪つみ取る。そして彼女がこっちを向いていないのをいいことに、そっと、後ろから彼女の髪に花をさしてやった。すると、彼女はちらっとこっちを見やって、すぐに視線を生け垣に戻す。
……よかった。どうやら許してもらえそうだ。
ひどいときには八回も話をしているのにも関わらず姿を現さないこともあった。彼女はこう見えて、結構根に持つタイプなのだ。
気を取り直して、ぼくは話を続ける。
「王様は庭にある噴水を眺めるのが好きでした。王様がほんとうに好きだった色は、水そのものであって、まるで空みたいに透き通った水の生み出す、とある色だったのです。真っ白な噴水は、その光を邪魔することなく……」
そこで、唐突に言葉が「止まった」。続きがあるはずの話の一切が閉ざされ、ぼくはこの話がどんな終わり方を迎えるかも思い出せなくなった。
止まっているのは、ぼくの言葉だけではなかった。それまで風に撫でられて揺れていた花も彫像のように動きを止め、息苦しいような、どこか閉塞した空気がその場を支配した。さらにいつの間にか空には雲のような何かがたちこめ、星ヶを隠す。突然のことに、彼女も目を丸くしてきょろきょろと見回している。
異変は立て続けに起こった。まるでこの現象は自分が起こしましたと言わんばかりに、ぼくの前にあった噴水の上の空気が歪み、平面的な図形が現れる。
それは、例えるならば「阿弥陀」だった。仏の阿弥陀様の後光が、まるでその持ち主をなくしてしまったかのように、中心から広がっていく線がいくつもの分岐を経て外側に広がっていくだけ。それが、ぼくの前に浮かんでいた。
「やあ、ごきへんよう。『観測者』の方」
そこに何かが「いた」。
ぼくは激しく混乱する。いままでも、けっこう無茶な話はしてきたつもりだ。だからこんな風に超常現象みたいなことが起きるのは経験済み。けれど、その相手が話しかけてくることなんて一度たりともなかったのだ。
「だ、誰?」
こうやって返せたのは奇跡だったと思う。例えそれが、言葉を発することで目前の事象を拒絶する防衛機構だったとしても。
「ここではその質問の意味はあまりないと思うけどな……。まあ、礼儀ってやつだ。おれは『旅人』さ」
ごきげんようだなんて格式張った挨拶をしておきながら、その何者かは急に口調を崩しながら話す。
「……旅人って、何?」
いつの間にかこっちへ来ていた彼女が、剣呑な雰囲気で問う。こんな問い方をされたら機嫌のひとつでも悪くなりそうだけど、『旅人』はとても楽しそうな声音で笑った。
「『何』とはね。嬢ちゃんこそ分かっているじゃないか。そう、おれたちは人じゃない。こんな世界に生きて、人だなんて言う方が恥知らずで傲慢ってやつだな。おっと、質問に答えねえと」
『旅人』は、ふむ、と口の中で言葉を転がすような音をたて、それから思い出したように言った。
「だがそれよりも、おれの姿が見えないんじゃきついだろ? おまいさんの世界にはおれの実体は入れなかったというわけだが。おれにも実体をくれねえか? 得意の『うそ』でよ……そうだな、そこの嬢ちゃんぐらいかわいい実体がいいな」
「絶対に似合わないと思うけど」
不意に出た言葉だった。うそではなく。
「ははあ。まあ、そうだな。じゃあ、おまいさんと同じぐらいの子供にしてくれ。会話をするんだったら、同じぐらいのがいいだろう?」
突っ込みたいこと、言いたいことはいろいろあったけれど、それではとにかく話が進まない。どうせ、ここではぜんぶがうそなんだ。
ぼくは何も言わず。頭の中だけでうそを吐いた。真っ白な宮殿の庭には、少年がいます。
さっきまで阿弥陀的な図形があった場所に、入れ替わるように少年が現れる。燃えるような真っ赤な髪に、これまた真っ赤な双眸。もしこれで髪が白かったら完全にアルビノだ。黒に茶気がついた程度の髪と目のぼくと比べて、信じられないくらい派手だった。
「ふむ。やっぱこっちの方がしっくりくるなあ。おまいさん、すげえうそつきだな」
「それ、誉めてるのか貶してるのかわからない」
「おまいさんの思った通りさ」
少年の姿となった『旅人』は不敵な笑みを浮かべて、星空、『天球』を指さした。達観したような、でもやっぱりどこかこどもっぽい動作。
「おまいさんも毎日眺めているだろうこの『天球』は、『世界樹』が統括している世界そのものさ。それぞれが別の世界だから、大きさも明るさも違う。そんで、おれたちは『旅人』っていうぐらいだから、あの星ヶを旅して回ってるってわけさ」
動作と言葉の印象がちぐはぐな『旅人』に対して、ぼくは違和感を覚えざるを得ない。
「どうして……。こんなところに、来た」
ぼくが呆気にとられている間に、彼女は矢継ぎ早に質問を投げかけた。『旅人』は待ってましたとばかりに笑みを浮かべる。
「他の『観測者』からお告げがあったんだよ。『狼少年』とあいつは言っていたが、まさか本当に狼の耳が生えてるとは。まあ、あれだ。一言で言えば、おれはおまいさんたちを、迎えにきたってことさ」
「それは、どういう……」
『旅人』が少年の姿になってからようやく発することのできた言葉は、要領を得ないものだった。それに対し、『旅人』は見せつけるように人差し指を立てる。
「一つ。物語を聞かせてやる。この空間のままでかまわない。人の物語を再現するなんて、ぞっとしないからな」
『旅人』は語り始める。厳かに、けれど、何か絵本でも読むような無邪気さをはらませて。
「むかしむかし、あるところに、小さな村がございました。人々は皆仲がよく、互いに助け合って畑を耕し、日々の糧を得ていました。そんな小さな村の中では、ひとつだけ、大きな悩み事がありました。狼です。冬になって山で得られる食べ物が少なくなると、お腹を空かせた狼たちが山から村に降りてきて、目に入ったものはすべて食い散らかしてしまうのです。それは、村の住民とて例外ではありませんでした」
話しながら、水の上で浮いていた『旅人』は噴水から降りてきて、ぼくの周りをゆっくりと歩き回り始める。まるで、追いつめた獲物をじっくりと品定めする狼のように。
「村に住む、とある少年の仕事は、村で一番高い丘で、山から狼が降りてこないか見張ることでした。少年はとても目がよかったので、その仕事にはうってつけだったのです。しかし、少年にとって、その仕事はひどく退屈でした。初めは退屈しのぎのつもりだったのでしょう。少年は狼の影も形も見えないくせに、大声で叫びました『狼がきたぞ!』」
『旅人』はまるで怪談の中で恐ろしい幽霊が登場したかのように体の動きを止め、不敵に笑う。
「するとどうでしょう。村人たちは皆こぞって驚き、女子供たちは村から離れ、男たちは狼に対抗するために農具をもって山に入って行ったではありませんか。少年にとって、それはとてもとても愉快でした。しかし、しばらくして狼がいなかったことが分かると村人たちはかんかんに怒りました」
ぼくだって聞いたことのある話だった。それなのに、『旅人』が語るとどこか新鮮なような、ぼくが知っている話とは違って聞こえる気がした。彼女と言えば退屈そうに、止まった白い花をいじっていた。
『旅人』は再び歩き始める。
「にもかかわらず、少年は何度もそうやってうそを吐き、ついにはその仕事を辞めさせられてしまいました。別の子供にだって、その仕事はできたのです」
噴水の前に戻ってきた『旅人』は、現れた時と同じようにゆっくりと中空に浮いた。
「少年はその退屈な仕事をする中で、一つだけ気に入っていることがありました。それは、夜空の星をじっくり眺めることができることでした。仕事を辞めさせられてしまった後になっても、少年は時々この丘に来て、星を眺めていたのです。幸か不幸か、狼が村へと近づいてきたのは、少年がそうして星を眺めている時でした」
ぼくはこの物語の結末を知っている。けれど、それを考えてはいけない気がした。何か、致命的なことにつながるのではないか、そんな予感がして。
「村の人々は皆寝静まって、少年の代わりに見張りをつとめていた子供ももう寝ている時間でした。少年は無我夢中で叫びました。『狼がきたぞ!』。村人たちは驚いて起きあがりましたが、その声の主があのうそつきの少年だと分かると、また寝てしまいました。あの子供のことだ、どうせうそなんだろう。少年はうそばかりついていたせいで、信じてもらえなかったのです。少年は半狂乱で叫び、村人たちが異変に気がつき始めたころには、もうすべてが手遅れでした」
どこかが、疼くような気がした。肌を何か細い針で刺されるような、自覚しがたい痛みのような感覚だった。『旅人』はそれを知ってか知らずか、話し続ける。
「少年はただ何もできず。村人が狼に食べられるのを遠くから見ることしかできませんでした。少年はうそつきだったので、誰にも信用されなかったのです」
語り終えた『旅人』は、何か壮大な話でも読み上げた語り部を気取るように、大げさな動作で一礼した。
「お告げはもう一つあったんだがな。今のおまいさんには話すことはできなそうだ。これだけでもこんなに抵抗があるとはね。だから、次回予告といこう。いや、宿題とでも言うべきかな。よく聞いとけよ」
ぼくが話す余地をまったく与えない様子で、『旅人』は言葉を続ける。
「おまいさんは狼少年であって、狼少年ではない。その頭に生えた耳と、うそつきであるおまえさん自身が、それを証明している。そして」
ぼくは目の前に人差し指を突きつけられる。
「おれはおまいさんを迎えにきた。こっちが次回予告だな。とはいえ、そいつはおまいさんが一番分かってるはずだが。それじゃ、『世界樹』の名のもとに、よき唄と物語を。『観測者』の方」
返事をする前に、『旅人』の姿はかき消える。質問には答えたような、答えていないような。なんだかんだで、嵐のような人だった。間違っても、一カ所に留まってられるような感じではなく。
いつの間にか存在を主張し始めたそよ風が、ぼくの頬を撫でる。あの『旅人』がぼくの横を通り過ぎたような、ふと、そんな気がした。