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短編一般

ジャバザハット

作者: 水野 真二

 ジャバザハットの話をしよう。

 ジャバザハットという名称であなたが思いつくものといえば、おそらくスターウォーズに登場したカエルだかヘビだかの化け物みたいな、あの怪物の姿ではなかろうか。SF好きならやはり、まずそれを思い浮かべるだろう。私もはじめて聞いた時にはそうだった。スターウォーズのあのキャラクターの、本名はジャバ・デシリジク・ティウレだったか、容貌が浮かんだ。ハットというのは彼がハット族だからだそうだが、だが、これから私が話すのはそのジャバではない。



 私がはじめてジャバザハットに出会ったのは、中央線快速の新宿方面行きの電車の中だった。季節は春も終わりかけの日差しの強い午前10時半、阿佐ヶ谷から高円寺にかけての通勤途中だった。

 その日、私はいつも通りに遅刻した。連日の深夜残業続きで、出勤はお昼から。IT系の企業、とりわけ下流工程を受け持つ下請け会社では、そう珍しいものでもない。チームの面々もおそらく午後からの出社で、いま会社にいるのは泊り込みでテストを続けていた中根さんと、新人の松上くらいだろう。彼らには一旦休んで貰い、昼出勤チームで残りのバグ潰しをやろう。そんな、会社についてからの仕事の段取りをなんとなし気に考えながら、私は外の風景を眺めていた。そんなときだった。


「ジャバザハット!」


 最初はくしゃみかと思った。大きな声だった。

 声の主は女性だった。私は車輌中央付近入り口の、ドアの横に立っていた。その私から見て斜め後方、車輌に設えた椅子の方角から声が聞こえた。

 チラリと見たものの、誰が発したのかはわからない。車内はとりわけ混んではいなかった。朝の通勤帯には乗車率が100%を超えるものの、この時間帯まで来ると車内はそれなりに空いている。かといって必ず席が空いている訳でもなく、運が良ければ座れる程度の混みようだった。そんな車内でおかしなくしゃみをした人物を詮索すべくジロジロと見続ける訳にもいかず、私はすぐに目線をドアの窓へと戻した。席には女性がいくらか座っていたと思う。だが、特定の誰かはわからなかった。


 私はジャバザハットについての記憶の糸を手繰った。しかし、私が思い浮かべたのは、例のあのスターウォーズのアレで、なぜそれが昼の日中の電車の中で大声で叫ばれなければならないのか、その理由はさっぱりわからなかった。

 ともすれば自分の聞いたあの声は、単にくしゃみか何かだったのだろうか。そういえば最近、ろくに寝ていない。睡眠不足が祟って幻聴でも聞いたのだろうか。他の客は誰も振り向いたりはしていなかった。働きすぎのノイローゼか。最近、過労死の増加がニュースになっていたっけ。

 そんな事を考えているうちに電車は中野駅に到着していた。私は地下鉄の東西線へ乗り換えるため、慌てて電車から降りた。背後で閉まるドアの音とに紛れて、再度、そのおかしなくしゃみを聞いた気がする。それは進行方向とは逆側の、私が降りたホーム側の席に座った誰かが発したようだった。私は動き出した電車の中の、その窓際に座る人達を狐につままれたような表情で見送った。いまはもう懐かしい、ドッキリカメラかなにかだろうか。しかし、そんな憶測を他所に、電車は私を中野駅の8番線ホームに置き去りにしたまま去っていった。南からの照りつける日差しを受けた電車のオレンジ色が、妙に眩しく私の目に映っていた。



 *



 二度目に遭遇したのは、これも中央線だった。時間は前回より少し遅く、正午といったところか。

 季節は夏真っ盛り。休日運転の快速電車の車内はほどよくクーラーが効いており、車輌の進行方向逆側の端にある優先席に座る私は、前回のことなどすっかり忘れていた。確か三鷹の駅を出てすぐだったと思う。同じ車輌のはるか先、進行方向側から確かに聞こえた。距離はおそらく15メートルは離れていただろう。だが、あの大きさの声であれば、同じ車輌に乗り合わせた人間ならば誰でも聞こえるくらいの大きさではっきりと聞こえた。


「ジャバザハット!」


 特に節はつけずに一気に一呼吸で発する。あの独特の発音だ。

 思わず身を乗り出して見る。今回は男性の声だった。

 聞き間違いではない。確かに聞こえた。その瞬間、前回のことをフラッシュバックのように思い出した。あの時は仕事へ向かう途中だったし、半分寝ぼけていたような状態だった。しかし、今日は違う。そう思い、意を決して立ち上がったのは、休日運転でいつもなら止まる西荻窪を過ぎたあたりだった。


 私は立ち上がり、とりあえずドアの近くへと移動した。ドアの横脇に立って電車の進行方向を向き、次の『ジャバ』を待った。なぜか、きっと次もあるという確信があった。そして、それはほどなく起こった。


「ジャバザハット!」


 上はワイシャツ、下はスーツの男性だった。年のころは30代後半から40、仕事鞄を持っているところをすると、休日出勤なのかもしれない。しかし、時間は正午。外回りの人か。

 色々な事を考えながらも私はその場を動かなかった。駅についてもいないのに車内を歩き回るのは不自然だからだ。

 不自然といえば、他の客もおかしかった。あれだけの声量で叫んでいるのに、誰も見向きもしない。普通なら何事かと顔を向けるくらいはしてもよいと思うのだが、それすらない。もっとも、これはよくあることだが、いわゆる知的障害をもつ人が電車で大声を出すのは、そこまで珍しいものでもない。たまたま帰り時間が重なった時期、そういった類の人と同じ電車に居合わせることになったが、彼らの自由奔放な声を聞いて反応する客はいなかった。なるべく面倒ごとに巻き込まれまいと、大抵の人は無視する。もちろん私もその中の一人であったが。

 今思い返せば、そのジャバザハットと叫ぶ声の主が、そういった類の人である可能性もあるのだが、なぜかその時の私は、そういった考えには及ばなかった。



 中野の駅についた時点でいくらかの人が降りた。私もそこで一旦ホームに出て、人波と呼べるほどの人はいなかったものの、階段へ降りる彼らとは逆に進行方向側へと進んだ。そして同じ車輌の先ほどとは逆の端までいく。席には座らず、またしてもドアの脇へ立つ。ここなら先ほど叫んだ男性がすぐ間近に見える。

 なるべくこちらが見ている様な素振りは見せずにしなくてはならない。そう考えながら、注意深く男性を観察した。今にして思えば、相手が見ればすぐにこちらの顔がばれてしまうので、探偵業なら失格だろう。

 しかし、そんな熱意のある私の視線にも気づかず、かのサラリーマン風の男性は電車に揺られてゆっくりと体を前後に動かしていた。気持ち良さそうに寝ていたのだ。

 結局、新宿駅に至るまで一度も声は聞けず、男性も起きる気配はなかった。私は空いた席に座ろうか、それともこのままドアの脇に立っているかを考えていた。発車のメロディが鳴った、その時


「ジャバザハット!」


 ホームから聞こえた。私はとっさに電車から飛び降りた。背後でドアが閉まる。

 声は男性だった。先ほどの声とは違う、もっと野太い声だった。もちろん、先ほどのサラリーマンはまだ車内の中で、動き始めた電車のシートで変わらずウトウトとしている。私はホームを見渡した。


 休日の新宿駅のホームは混んでいた。先ほどの電車に乗っていた客の内、半分くらいはここで降りたのではないか。近場にある階段へと人波が吸い寄せられている。

 比較的前のほうにいた私とは対称的に、声はホームのかなり後ろのほうから聞こえた。いや、気のせいだったのだろうか。ここで見失う訳にはいかない。私は再度耳を澄ませた。


 聞こえた。

 今度は逆に前のほうだ。南口へと続く登り階段の方からだった。

 私は階段へ急いだ。エスカレーターの右側を急いで駆け上がる。上りきった先は南口コンコースであり、ここも乗り換え客やらでごったがえしていた。南口からでたのか、東南口から出たのか、はたまた小田急へ乗り換えたのか。最後に階段の上から聞こえてきた声は、若い男のものだったような気がする。


 私が手をこまねいていると、再度私の耳に御馴染みのフレーズが聞こえた。今度は八王子方面へ行く13、14番線ホームへ降りる階段の方からだった。

 とりあえず声のした方へ向かう。コンコースにテナントで入る弁当屋、書店の脇を通り過ぎ、声のした階段を降りる。ホームに人はまばらだった。最後の声を思い返す。今度はハリのある女性の声だったような気がする。

 声の主を見つけられないままその場に立っていると、アナウンスが聞こえた。快速線の下り電車がやってくる。いま乗ってきた電車の丁度逆、帰りに乗る予定の電車だ。


 困った。好奇心から追いかけてはみたものの、果たしてこのまま追いかけ続けてよいものだろうか。そもそも自分は一体何をしにきたのか。数日前に壊れたサブPCのパーツを補充しに、秋葉原へ行く予定ではなかったのか。なぜ、正体不明のジャバザハットなるものを追いかけているのか。その理由は何だ。

 単なる好奇心でこのまま追い続けて良いのか。好奇心猫を殺すというではないか。いや、私は猫ではない。いやいや、それは物のたとえで、これ以上首を突っ込むのは止めたほうがいいのではないか。しかし、ここまで来て取り逃がすのも惜しい。


取り逃がす?

誰を?

何を?


 私の心配と焦りをよそに、JR東日本の正確なダイヤ運行により東京駅初の中央線快速下り、大月行きは、新宿駅のホームへと怒涛のごとく雪崩れ込んできた。私は賭けに出た。


 賭け、などと言ってしまうと大袈裟かもしれない。しかし、当時のあの時の心境はまさに賭けだった。きっとジャバザハットは電車に乗る。そう思い私はホームに来た電車に乗ったのだ。

 その後、中野を過ぎて吉祥寺駅付近でジャバザハットの声を聞いたとき、私は賭けに勝ったことを悟った。そう、私は勝ったのだ。何にとは言わない。何かにだ。



 *



 この後のことは長くなるので、少し端折って話そう。まず、もうその頃になると、私はジャバザハットを一つの存在とみなしていた。ジャバザハットは人が発する単なる言葉ではない。事実、あれは人から人へ移っていくものだった。伝染性のある何かだ。

 ジャバザハットという言葉を叫ぶ人は、叫んだことに気づいていないようだった。普通、くしゃみなりなんなり大声を出せば、周りの人のことを気にするだろう。しかし、叫んだ人は一様に、そのような素振りを見せなかった。ある人はすまし顔で、ある人はあくびなどして、自分が叫んだことにまったく気づいていない様子だった。そして、周りの人もそんな大声が発せられたことなどなかったかのように、そ知らぬ顔をしていた。あの声が聞こえるのは、私だけのようだった。


 下り電車へ乗った後は、少し面倒な事になった。ジャバザハットは武蔵境の駅で西部多摩川線へと乗り換えたのだ。是政へと続くローカル線で、地元では是政線という名称が一般的な路線だ。もっとも、西部の新宿線も池袋線も知らなかった子供の頃は、単に西武線と呼んでいたが。

 ともかく、そんな地元の地の利があったおかげで、なんとかジャバザハットを見失わずに済んだ。そして終点の是政駅へ着いたところで、ジャバは駅から出て行った。どこへ行くかと思ったら、バスへと乗ったようだった。バスを追いかけて全力疾走して次の停留場で飛び乗ったお陰で、私はすっかり汗だくになっていた。夏の炎天下に運動するのは、恐らく学生の時分以来だっただろう。


 ジャバと乗り合わせたバスの中で、色々な事がわかった。

 先ほども言ったとおり、ジャバザハットは伝染する。ジャバザハットは少ない乗客を点々と移っていった。一回だけ、運転手にも移った。あと、老若男女問わないようだった。女の子へも老人へも移って、大きな声で叫ばせていた。

 また、一人一回というルールもあるようだった。同じ人が二度叫ぶことはなかった。ただし、一度だけ、乗客が私ともう一人の老婦人になったときだけ、老婦人が二度、ジャバザハットと口にした。もっとも、二度目のほうは擦れた声で、声量もあまり大きくはなかった。その弱々しい声を聞いた瞬間、私は大いに慌てた。明らかに弱っている。まるで酸素の少ない水槽に入れられた鯉のように、口をパクパクと水面へ出して喘いでいるかのようだった。

 それからしばらくしてもジャバの声は発せられず、私が気を揉んでいたところで新たな客が乗車してきた。するとどうやらそちらに移ったようで、「ジャバザハット!」と大きな声が発せられた。ようやく息継ぎができたようだった。


 その後、バスは京王線の府中駅についた。駅の雑踏の中で二、三度ジャバの声を聞き、そしてそれは駅のホームへと吸い込まれていった。私の追跡はそこで終わった。私は新宿方面の電車に乗ったが、ジャバは逆方向か、それとも乗らなかったのか、それ以降、声は聞こえなかった。



 *



 あの日から今日まで、ジャバの声は聞いていない。駅で大きな声を聞くことはほとんどないが、それでも大声を聞くとなんとなく、耳を澄ませてしまう。

 あれは一体何だったのか。集団催眠術の類だったのか、それとも自然現象なのか。もちろん私の幻聴という可能性が一番高いが。

 ともあれ、私はこう思う。きっといまも世界のどこかで、ジャバザハットは大声を上げているのだろう。くしゃみともつかない大きな声を人にあげさせて、どこかこの空の下で、人々の間を点々と渡り歩いているのだ。

 もし、あなたがどこかでそれに出会ったとしても、決して驚かずに見守ってやって欲しい。私の勝手な憶測だが、彼に悪気はないと思うから。




SWファンの人ごめんなさい

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