浮気現場を見たらなぜか公爵子息と婚約することになった
レオニーは垣根に隠れながら、じっとその二人の姿を見つめた。
「あなたといると温かいわ。フィリップ様」
「俺もだよ。ダニエラ」
今にも雪が落ちてきそうな凍えそうな夜、二人はお互いの温度を確かめるように抱き合った。
何度も重なる唇に、熱がこもり……。
----ちょっと、長くない?
抱き合っている男の方、フィリップ・サンダール伯爵子息。
その男、私の婚約者なのだが?
相手は、ダニエラ・オーベリソン男爵令嬢。
その二人が、人目に隠れてキスを続けている。
---ーだから、長いってば!
パーティで離れた婚約者を探していれば、この夜の寒さの中、庭園へ進む男女の姿が。
気のせいかな、後ろ姿がフィリップに似ている気がする。
急いで後を追えば、フィリップが女性と見つめ合っていた。
まさか、自分の婚約者が男爵令嬢と浮気をしているとは。
ショックだったのは、フィリップはレオニーしか目に入らないと謳うような、溺愛ぶりを見せていたこと。
婚約して早いうちから、フィリップはレオニーに首っ丈だった。親の決めた婚約でも、愛を語ってくれるフィリップに、レオニーも情を持ち始めていたところだった。
ところがどっこい、まさかの浮気とは。
レオニーとはキスの一つもしたことがないのに。あんなに、重厚に、--っていつまでやっているのだろう。その熱々ぶり、魔法で燃やしてやろうか?
見ているのもバカバカしくなって、レオニーは悔しさに涙しそうになったのを我慢しながら、生垣から離れた。
目尻に冷たさを感じて、それを指で拭う。この寒さでは涙が凍ってしまいそうだ。鼻水も垂れてきそうで、急いで啜った。涙も鼻水も凍るとか、とんでもない。
もうこのまま一人で帰ってやろうと屋敷の方へ進むと、別の場所でも二人の男女が見えた。
お盛んですこと。
よくもまあ、こんなに寒い所で会おうとするものだ。今時期の夜なんて、氷点下が普通である。
「王女様の熱烈なアプローチをいただいておいて恐縮ですが、僕には婚約者がいるので」
王女様? それは聞き捨てならない。相手は一体誰だろう。
耳を傾けるために、つい歩む足が遅くなる。しかし、これが悪かった。
「わたくしを退けるために、そんな嘘まで言うのね」
「とんでもございません。紹介しますよ。彼女が僕の婚約者になった人です」
レオニーは周囲を見回した。どこにいるの? そう思った瞬間、生垣からにゅっと手が出てきて、レオニーはあっという間に引っ張られた。
「レオニー・バラチエ侯爵令嬢です」
今、なんと言った?
聞こえた声の主を仰ぐと、銀髪の貴公子が目に入る。レオニーと目があって、男はニッと口元を上げた。
「なので、僕のことは諦めてください。さあ、レオニー行こう。こんなところにいたら凍えてしまうからね」
いや、何言ってんの!?
そんな言葉が出る前に、男はレオニーを引っ張ったままその場を逃げ出した。
「ふ、はは。あの顔見た? 王女のあんなとぼけた顔見たの初めてだったんだけど」
男は思い出すだけでおかしいと、楽しそうに笑った。
あれを見て、とぼけた顔と言える神経に震えそうになる。
レオニーには、憤怒の顔にしか見えなかった。
エヴェリーナ第二王女。
炎のような真っ赤な髪を持つ女性で、その色のごとく気の強い性格をしている。気難しい性格なうえ、相手は王族だ。彼女から喧嘩を売られたら最後。どんなことをされるかわからない。
その王女に、なんて嘘を言うのだ!
痴情のもつれに巻き込まないでほしい!
男はレオニーの睨め付けに気付いたか、クスリと笑った。
自分は怒られないと思って!
エヴェリーナがご執心の男は一人しかいない。
ルシアン・ダルシアーク公爵子息。その姿は氷の精霊のように美しいが、心まで凍っていると揶揄されるような人である。
「先ほどのお話ですが、早めに訂正なさった方が」
「どうして?」
「どうしてって、私には婚約者がいますから、すぐに嘘だと気付かれるかと」
「浮気してたやつを、婚約者と呼ぶの?」
その言葉を聞いて、息を呑みそうになった。
なぜ、そんなことを知っているのか。レオニーが答えずにいると、ルシアンはニコリと微笑む。
「あっちでいちゃついてたのって、君の婚約者だよね? あれと婚約を続ける気? 表ではいつも君にべったりだったけれど、裏ではああだ」
「そ、それは……」
「あのクズとの婚約は破棄し、僕と婚約することになりました。それで良くない? さ、屋敷まで送ろうか。あの男と一緒に帰る必要はないだろう」
「そんな、エヴェリーナ殿下に嘘はつけません。冗談はやめてください。失礼します」
レオニーはルシアンの手を振り切って、その場を後にした。
あんな人だったとは。
毒を持つような不敵な笑いが得意で、冷酷な性格だと言われているが、女性にめっぽうモテる男だ。なんと言っても顔がいい。身分も高い。何にも執着しなさそうな、さっぱりしたところがあり、王相手でもおもねるような真似をしない。
エヴェリーナの前でもあれなのだから、その噂は本当だったようだ。
だが、エヴェリーナとは婚約間近という噂は嘘だったらしい。
「だからって、王女を嫌がって婚約なんて、浮気された人に提案する?」
言って、自分で傷ついて、馬車の窓に頭を擦り付けるように脱力した。
「はあ、両親になんて説明しよう」
一人で帰ればすぐに気付かれるか。フィリップはレオニーを屋敷に送るとき、両親に必ず挨拶して帰るからだ。
案の定、一人で屋敷に帰れば、両親が吹っ飛んでくるように迎えてくれた。
「レオニー、一人で帰ってくるなんて、どうしたの!?」
「体調でも悪いのかい??」
「お母様、お父様、実は、あの男、浮気していたんです!」
「なんですって!?」
「なんだって!?」
両親の驚きに、レオニーは先ほど起きたことを伝えた。ルシアンは除外して。
「あれだけ融資させておきながら、浮気だと!?」
父親が、机を壊しそうなほどの力で拳を叩きつけた。
バラチエ侯爵家は土地持ちで、事業を多数行っている。その事業の一つにフィリップのサンダール伯爵家が参入していた。その縁で婚約となったわけだが、サンダール伯爵はフィリップに別の事業を任せたいと言って、融資を欲しがった。
父親は、フィリップが従順で真面目な男だと考えて、援助したのである。
だからこそ、父の怒りは相当なものだった。
明日すぐに婚約破棄と、融資の撤回を行うそうだ。
「はああ、今日は散々すぎるわ」
ベッドに突っ伏して、レオニーは顔を埋めた。
なんと言っても、あんな男に、少しでも気持ちを持ったことが悔しい。
決して、悲しいわけではない。ただ、悔しいだけ。
だから、次にあの男に会ったとき、レオニーは冷ややかに対応すればいいのだ。
目尻から雫がこぼれ落ちると、シーツを濡らした。
「どうして昨日は先に帰ってしまったんだ? ずっと探していたんだよ?」
だったら、なんで昨夜のうちに、うちに来なかったのか?
朝になって、いやもう昼になる頃、フィリップがやってきた。
笑えるなあ。こんなあからさまだったのに、今まで気付かなかったとは。
フィリップは太い眉毛を精一杯下げて見せた。悲しそうな顔。胸ぐらを自分でつかみ、これ以上ないほど苦しそうに体をねじる。
何をくねくねしているのか。気持ち悪い。
もう、気持ち悪いという感情しかなかった。
偽りの姿。その演技が滑稽だ。
「婚約破棄の書類は朝イチに送ってある。気付かずに我が屋敷に訪れたのか? 昨夜はどこへいたやらだ。金も返すよう伝えてある。さっさと屋敷に帰れ」
「ど、どういうことですか? いったい、何の話をしていらっしゃるのか!」
その明らかな動揺を見て、父親が目をすがめ、母親の口元がぴくりと動いた。
「契約違反に慰謝料も上乗せしてある。伯爵と借金返済についてもよく話し合うんだな」
「俺が何をしたと言うのですか!」
「まだ言うか! お前のような男を侯爵家に入れるつもりはない! この地を踏むことも許さん! さっさと出ていけ!!」
「誤解です! どうして、そんなことを言われるのですか。ああ、レオニー、父君に言ってくれ。何か誤解があるんだ」
「何の誤解かしら。言ってもらわないとわからないわ」
「レオニー、俺がどれだけ君に尽くし、愛しているか、わからないはずないだろう?」
そんな話はしていないが? お前がどれだけクズだったかを話せと言ったつもりだったのだが、フィリップにはわからないようだ。
フィリップはどさくさに紛れて、レオニーを抱きしめようとする。
その仕草に、ゾッと寒気がした。
「触らないで!」
「婚約破棄は終わった?」
横から伸びてきた手が、フィリップの手首を掴んだ。
「これは、ダルシアーク公爵子息? なぜ、あなたがここに」
「もちろん、婚約をするためだけど?」
ルシアンの言葉に、フィリップが演技を忘れて困惑の顔を見せた。フィリップだけではない、両親もポカンと口を開けて、突然現れたルシアンに目を瞬かせる。
本当に来た!!
エヴェリーナとの婚約を避けるため、レオニーを偽装婚約者に仕立てるために、本気で屋敷までやってきた!
レオニーが黙っていると、ルシアンは口端を上げて、持っていた花束をレオニーに押しつけた。あまりに大きな花束で、レオニーの視界が遮られたほどだ。
「ダルシアーク公爵子息、レオニーは俺の婚約者です。なぜ花束など渡すのですか!?」
「浮気現場を見たレオニーがあんたと婚約破棄すると聞いて、すぐに婚約者に立候補しただけだけど?」
その言葉に、一斉にレオニーに視線が集まる。
「僕との婚約を受けてほしい。花束はただの土産だよ」
「そんな、俺たちはまだ婚約者同士で」
「聞いていなかった? 婚約破棄の書類と慰謝料の件で連絡がいってるって。さっさと家に帰ったらどう? 個人的に借金もあるんだって? 浮気相手の男爵令嬢に貢いでいるとか。あの令嬢、宝石を手にして友人たちに自慢しているらしいよ。いい金蔓がいるって」
「そんな、嘘だ! 彼女は俺との結婚を望んでいたが、俺のためを思って身を引いてくれたんだ」
「へえ、そんな女と庭でいちゃついていたのか。素晴らしい貞操観念だね」
「それは、」
フィリップはそこまで言って、すぐに口を閉じた。レオニーの隣で父親が体を震わせている。
「さっさと、出ていけ!!」
真っ青になったフィリップが、父親の怒鳴り声で飛び上がった。執事に剣を持ってこいと叫んだ父親に怯えて、あっという間に逃げていく。
のんびりした男のように思えたが、逃げ足は早かったようだ。
「ダルシアーク卿、恥ずかしいところをお見せしました。その、娘とは」
「婚約破棄後に婚約する約束をしていたんだ」
「お父様、これにはダルシアーク卿の、もごもご」
ルシアンが当たり前のように引き寄せて、レオニーの口を塞ぐ。花束で見えないからと、したい放題だ。
事実じゃないです。お父様、気付いてー!
「僕がどうしてもレオニーと結婚したくて、無理を言ったのだけれど、レオニーは受け入れてくれたんだよ。レオニーが悪く言われないように、僕からアプローチしたことを周知するつもりだ」
嘘ですよ。嘘です。お父様、騙されないで!
「もごもご、もごも」
「そのように考えていただけるなんて。ダルシアーク卿、ありがとうございます!」
お父様ー、お母様まで、騙されないでえええ!!!
「なんてこと、私に生け贄になれというのだわ」
「不満そうだね」
レオニーの前で、ルシアンは優雅にお茶を口にしている。
その姿よ。外から見る分には完璧で、隙がなく、画家に絵を描かせたいくらいだ。だが、これは見るだけが良いのであって、近くに寄ってはいけないのである。
「不満がないとお思いですか。王女に睨まれるのが怖すぎます。パーティとか参加しないようにしないと!」
「まあ、いいじゃない。大したことじゃないよ」
「大したことありありですよお! 私に死ねとおっしゃる!?」
「大袈裟だなあ」
大袈裟などではないのに。ルシアンは軽く笑って、カップを置いた。
大体、なぜこの人はここにいるのか。
レオニーの部屋で、当たり前のようにお茶を飲んでいるのである。
ルシアンはあれから、毎日毎日毎日毎に……、レオニーに会いに来ていた。
ガードの軽くなった両親よ。フィリップの時は部屋に入れるなと言っていたのに、普通にこの人ここにいるんだけれど、どういうことだ?
「失恋の痛手は消えた?」
「え?」
不意に問われて、レオニーは言葉が出てこなかった。
そういえば、ルシアンが毎日来ていたので、フィリップのことはすっかり忘れていた。
父親が手紙や訪問をすべて断ってはいたが、フィリップについて恨み言を考えることもなかった。
レオニーの中で、フィリップはとっくに過去の人で、頭の中からすっぽりと抜け落ちているくらい、格が下げられていたのだ。
ルシアンのおかげだろうか。もしかして、わざとだったのだったとか?
チラリと横目で見やると、ルシアンはクスリと笑う。
「僕のこと、考えるようになった?」
その言葉で、今の考えは遠くへ飛ばした。
違うに決まっている。
「ダルシアーク卿、」
「ルシアンって呼びなよ」
「……ルシアン様、王女様の何が嫌なんですか?」
「マスコットになる気はないからだよ。あの女は自分に付属品を着けて、歩いて見せびらかすのが好きなんだ。綺麗なドレスや宝石と同じ。それで自分の価値が上がると思っているんだよ」
エヴェリーナは美しいものが好きだ。ドレスや宝石。絵画や彫刻。王女だからこそ、流行を発信するために新しいものを早く手に入れる必要がある。特にエヴェリーナは第二王女。自分の価値を高めるために、良いものは何でも自分のものにしたがるきらいがあった。
それで、自分の相手にルシアンを選ぶというのも、わかる気がする。
レオニーも二人はお似合いだと思っていた。美しい女性が美しい男性を隣に置く。
だがそれを、ルシアンはマスコットだと言う。
社交界では当たり前のような気もするけれど、ルシアンは王女のオマケになる気はないのだろう。
「あの王女がどれだけわがままか知ってる? 昔はか弱かったからって、王も甘やかしすぎなんだよ。第一王女が早くに嫁いだから、拍車かけちゃって。頭は悪いし、稚拙だし」
ルシアンは辛辣だ。とにかく子供で頭が悪いと断言する。
「あんなわがまま王女のために、自分の価値を使われたくないじゃない?」
「価値、ですか」
「そうだよ。僕の価値を、あんな、わがままで済まないような性格破綻者に、どうして使われなきゃならないの?」
そう言われると、自分の価値ってなんだろう。とつい考えてしまう。
価値で思い出した。今日は行かなければならない場所があるのだった。
「そうだ。すみませんが、今日は学院に行かなければならないので、お帰りください」
レオニーは通っていた学院の教授と研究を行っており、今日はその会合の日だった。
「そういうところ」
「何がですか?」
「皆がお茶を飲んでいる間に、教授と石の研究を行っているんだって?」
それはお茶会に誘われても石のために出席しないと、笑い物になっているということだろうか。
バラチエ侯爵家の土地には、炎を灯す石が埋まっている山がある。
はたで聞けば、儲かっているんだろう? と聞きたくなるほど広大な鉱山だが、実のところその石は小さな炎を灯すだけで、役に立たないし価値もない。
つまりクズ石。
まるで、なんの取り柄もない、レオニーのよう。
掘っても採算が合わないため、放置されていたところ、レオニーが教授と研究することになった。
学院で変人として有名な教授は、珍しいものは大歓迎だと共同の研究を受けてくれた。
侯爵家から研究費も出るので、受け入れやすかったのかもしれない。
それはともかく、枯れた土地で農作業のできない村人が、別の仕事として得られればと思い、研究を進めていた。
ただ、三年以上続けて、未だ結果は出ていないのだが。
「滞り気味なんですけどね」
「研究なんて一朝一夕じゃないでしょ。すごいと思うよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。一つのことに夢中になるって、なかなか動力がいるでしょ。簡単に真似できないよ」
そんなふうに言われると、これまで結果が出ていないことなのに、やる気が出てくる気がする。
「うまくいくよ。大丈夫」
その一言で、今まで頑張ってきた自分を偉いと褒めて、結果を出すぞ。と意気込むことができる気がした。
現金と言わないでほしい。
そんなこんなで、平穏にルシアンと教授に会う日々を過ごしていたところ、進展があった。
暗い部屋で教授と二人、小さな石が何度か瞬くのを見て、お互いに顔を見合わせる。
「これ、使えるのではないでしょうか!?」
「使えるね。思ったより明るいよ」
「どれくらい保つか試さないと! 炎が燃える程度の長さだと、あまり意味がないんですけれど」
「しばらく放置してみようかね」
教授は長い顎髭をなでながら、カーテンを開けた。
鉱石は燃やせば炎が出る。その燃焼時間がロウソクより短いため、時間を伸ばすことばかり躍起になっていたが、その考えを改めて新しい研究を進めていたのである。
「すごい発明になるかもしれないねえ。炎を必要としない。新しい光だよ。これだけ魔力を安定して蓄積できるならば、他の用途も可能かもしれない」
「伝導率があるっていうのもいいですよね。同じ魔力を与えれば、連動して同じ反応が起きますもん」
レオニーは小さな小石を並べて、魔力を灯した。すると一番端にあった石が光り、それに続くように隣の石も光る。勝手に灯されていく光は、連なって、一層まばゆい光が辺りを照らした。
「少しの魔力で光るのがいいね。そこまで力がいらないから、魔力の少ない平民でも使えるだろう。これが実用化できれば、ロウソクで火事になることもなくなるよ。ロウソクの売り上げは下がるだろうけれど、燃やすわけではないから、棲み分けはできるかな」
「暗い場所での作業に使えそうですよね。鉱山とかで役立つわ」
「この石を掘るために使うのかい? 根っからの研究者みたいなことを言うね。令嬢ならば、パーティで使えるとか、いろいろあるだろう」
教授に指摘されて、レオニーは苦笑いをする。そんな華々しいところで使えるだろうか。
だが、鉱石には色があった。採れる場所によっては青白かったり、ピンクがかったりする。実用化できれば、貴族たちにも売れるだろう。
「しかも、温かさがあるのがいいね。炎を無駄に使わずに済むかもしれない。街の街灯もこれに変更できれば、燃焼の魔石を使わなくて済むことになる」
この国は一年のほとんどが冬なのではと思うくらい、長い冬の時期が続く。燃料問題は常に上がる話で、平民は特に死活問題だった。燃焼の魔石は長く火が灯るが、高価なので、新しいこの石が流通すればコストも抑えられる。
「売れますかね」
「売れるだろう。魔導ランプってところかな? この伝導率も、他のことに使えそうだし」
「教授、これからの研究、楽しくなりそうです!」
「ほほ、君は本当に研究が好きだね」
「えへへ。あ、そういえば、教授って、ルシアン・ダルシアーク公爵子息とお知り合いなんですか?」
「在学中はよくここに来ていたよ。君とは年代が被っていなかった? 彼がどうかした?」
「ちょっと、お話しする機会がありまして」
実は婚約したのです。などとは言えない。どうせ偽りに決まっているのだから、誰にも知られたくなかった。
そう、婚約はつつがなく進んでしまったのである。
フィリップとの婚約はすぐに破棄された。サンダール伯爵はバラチエ侯爵家を敵に回す気はないと、フィリップを後継者の座から下ろし、弟を後継者に据え変えたほどだ。
そのせいとは言わないが、こちらの婚約も早かった。父親が乗り気になってしまったことと、ルシアンの準備が良すぎたせいだ。
研究のために学院に来るたび、レオニーは戦々恐々とした。
この学院は王立学院。隣には王宮の建物が建っている。学院でエヴェリーナと会うことはないが、精神的に不安で仕方ない。
どうにか婚約は無かったことにしたい。なんとかならないものだろうか。
「今度のパーティ、一緒に行こうよ」
早速、暗礁に乗り上げる。
ルシアンの一言に、レオニーは静止した。
「え?」
「その顔、そろそろ傷付くんだけど」
そんなひどい顔をしただろうか。両手で頬を上げてみる。
だがしかし、パーティだと? そんなものに参加などしたくはない。
だって、エヴェリーナに目を付けられているのだから、これ以上逆撫でたくないし、絶対周りから何か言われるし。
レオニーはルシアンには不似合いだ。
まずこれを言われるに違いない。
そもそも、レオニーの容姿は並である。なんなら並以下。
栗色の髪の毛。剛毛なのでさらさらと背中に流すことなどできない。しっかり結び、髪飾りで押さえるのが常。
そして頬のそばかす。メイドが一生懸命、化粧で消してくれる。
学院の時は頑張ってくれていたが、今はもう肌が荒れるのでやめてもらった。
目はぱっちり二重だが、剛毛とそばかすで、台無しだ。
一方、ルシアンであるが、もう語ることはない。黙っていれば天使。黙っていれば氷の神をかたどった彫刻のよう。黙っていれば……。黙っていなくてもファンは多い。
その二人が一緒にパーティに参加だと? 世の女性たちが打ちひしがられて泣く。いや、その現状を直視できないだろう。きっと幻だと思われてしまう。主にレオニーが。
「そんなことないでしょ?」
「口に出てました?」
「出てたよ。独り言、丸ごと出てた」
「現実を語っただけですよ。とにかく、第二王女から抹殺されたらどうするんですか。私はまだ死ぬような年じゃないんです。もう少し長生きさせてください」
「そんなことさせないよ」
ルシアンは紅茶のカップを置くと、組んでいた足を戻して、その高い身長を見せるようにレオニーの前に立ちはだかった。
あ、失礼言いすぎた? 気安く話しているが、相手は公爵子息である。のんびり構えて適当な話をしてくるので、つい気が緩んでしまった。
しかし、ルシアンは床に片膝を突けると、そっとレオニーの手を取った。腫れ物に触るような、優しく丁寧な触れ方に、レオニーの心臓がドクリと鳴った。
「誓うよ。命をかけて、君を守る」
そう言って、手の甲にキスをしたのである。
嘘を言わないでください!
そんな言葉、頭から抜け出てしまった。
嘘だと思っても信じてしまいそうな、ルシアンの威力よ。レオニーはそのまま屍になりそうだった。
「パーティ参加したら、本当に屍になるかもだけどね……」
「何か言った?」
「視線がとっても痛くて」
「気にすることないよ。あれはジャガイモか、ニンジンだから」
そう思えたら、どんなに良いか。ジャガイモやニンジンは話しかけてこないのである。
パーティ会場に足を踏み入れて、レオニーはやはり後悔した。視線が痛い。痛いし、うるさい。
耳に届く、
『どういうこと?』
『なぜルシアン・ダルシアーク公爵子息が、あんな女と一緒に?』
そんな言葉。
想定していたが、想定していたより、はっきり聞こえる。
これが普通の人々の反応である。これでエヴェリーナに会ったらどうなるのだろう。
ルシアンを横目で見上げれば、むしろ機嫌が良さそうだった。
レオニーのイメージでは、ルシアンはあまり笑わない人。だった。男女構わず冷酷で、歯に衣着せぬ物言いをし、近寄ってきた者たちを凍らせてしまう。
だが、こうやって近くで話すようになり、それが噂だけであると気付いた。
結構、笑ってるんだよね。話してみたら気安いし。
気安すぎて、レオニーが接し方を間違えてしまうほどだが、それで怒ったりしない。レオニーの反応に笑って、笑いすぎてお腹を抱えることだってあった。
レオニーをからかってくることはあるが、そこに嫌味はない。レオニーと話すことが楽しそうな、嬉しそうな……。
気のせいかな?
ルシアンは近付いて話しかけてくる者たちに、婚約者です。とレオニーを紹介する。
もうやめてくれ。私の体力はゼロだ。
「それは存じませんでした。侯爵令嬢と婚約だとは」
「ええ、僕が一目惚れをして婚約してもらったんです」
その嘘やめて。
動じるのは相手で、ルシアンはその反応を見てなのか、とても楽しそうだった。ちなみに私はもう屍である。
続々と集まってくる者たちに囲まれて、レオニーは魂の抜けた人形のようになった。疲労困憊だ。
「私、ちょっと、お手洗いに」
「一緒に行くよ」
「いえ、ここは私一人で!」
激しくはっきり断って、レオニーはやっと一人になった。お手洗いでしばらくぼうっとして、ため息をつき、だらだらと動き出す。
うう、戻りたくない。針のむしろだ。思った以上にむしろだった。
忘れそうになるが、相手は公爵子息。彼の相手を望む女性は、エヴェリーナだけではない。むしろ、エヴェリーナでなくて良いのならば、自分たちにチャンスがあったのでは? という獣を狩る目で見られるのだ。レオニーは餌食になる子羊である。生きた心地がしない。
「はあ、やっぱり今からでも、断って……」
「あの、バラチエ侯爵令嬢、今よろしいでしょうか?」
ふと、声をかけられて、レオニーはため息混じりで振り向いた。ルシアンと離れたので、直接事の真相を聞きに来たのだろう。本当に婚約したのか、そんなことを問いたいに違いない。
しかし、目の前にいた女性に、レオニーは言葉を口の中に閉じ込めた。
「初めまして。私、ダニエラ・オーベリソンと言います。お話したいことがあって」
ダニエラ・オーベリソン男爵令嬢。すっかり忘れていた、フィリップの浮気相手である。
ブロンドの髪をまとめた、少し垂れ目の、唇のふっくらした愛らしい女の子。おどおどとした態度をして、怯えるように話しかけてくる。
よく話しかけてこられたな。そう思う理由が、彼女にあった。
「サンダール伯爵家ご子息と婚約破棄をされたと聞いて、その、私、誤解を解きたくて。令嬢は誤解されているのです。サンダール卿と私のことを。私とはなんにもないんです。婚約を破棄されることなど、何もなくて」
ダニエラは涙を浮かべて、フィリップとの関係について、誤解だと大声を出す。
その声に、周りにいた人たちが注目しはじめた。ダニエラはそれに気付いていないのか、嗚咽を漏らして涙を流す。
「サンダール卿を許してあげてください。誤解で婚約破棄だなんて、私、申し訳なくて。私のせいで、誤解されて、婚約破棄なんて!」
レオニーは何度も瞬きをしてしまった。
つまり、ダニエラはフィリップとは浮気ではないので、婚約破棄をやめてやり直してくれと言っているのだ。
なぜそんな感想が出てくるのだろう?
同じことを何度も言ってくるので、とにかくそれだけを言いたいのだ。
周りがさすがに意味を理解して、こそこそと噂をしはじめる。
勘弁してほしい。あれだけ濃厚なキスをしておいて、なんでもないと言う神経に呆れてしまった。
ルシアンが言っていたことを思い出す。いい金蔓だと思われている。
フィリップは個人の借金があるうえ、後継者からも外されたため、困窮しているだろう。そんな男と結婚しても、良いことなどない。
フィリップはパーティ会場で見なかった。一緒に来ていないのだ。その程度の男として扱っているのがありありと見えた。
ダニエラは大声で誤解で婚約破棄をしたのだと何度も言って、レオニーが悪いと印象付けているようだった。
こんな女性を、フィリップは選んだのだ。
レオニーは拳を握りしめた。
こんな恥知らずに婚約者を奪われたかと思うと、無性に悔しく、恥ずかしかった。こんな女性に負けたことも、こんな女性を選ぶフィリップと婚約していたことも。
「どうして無視されるんですか。誤解だって、何度も言っているのに。ひどいわ。こんなに謝っているのですよ?」
もう我慢できない。いっそ罵ってやろうと口に出しそうになったとき、背後から体を引かれた。
「僕の婚約者に、何か用?」
「ダルシアーク卿!? まさか、婚約破棄して間もないのに、別の方と婚約されたのですか? まあ、なんてこと。やはり、浮気をしていたのは、あなたの方でしたのね!」
ダニエラはひときわ大きな声を出した。
フィリップはともかく、ルシアンにまで迷惑をかけるその大声に、レオニーはカッと頭に血が昇りそうになった。
「なんて失礼を、」
「ああ、浮気相手さん。お金欲しさに男に貢いでもらっていたけれど、金蔓がなくなって、レオニーに直接金をせしめに来たの?」
ルシアンの言葉に、周囲がざわついた。ダニエラが慌てて首を振る。
「な、わ、私は、婚約破棄を私のせいになさらないでほしいと、お願いに来たのです。サンダール卿は、バラチエ侯爵令嬢に浮気をされたと悩んでいたのですわ。その相談をされていたのに、私を浮気相手とするなんて。ダルシアーク卿もバラチエ侯爵令嬢に騙されているのです。婚約だなんて、その方は浮気がご趣味なんですわ」
周囲もどちらを信じるのか、いや、レオニーなどと婚約したルシアンに同情したのだろう。レオニーを見る目が鋭くなって、レオニーは唇を噛み締めた。
レオニーはお茶会になどほとんど出ないし、女性たちからも変わり者とされている。そのレオニーがルシアンと婚約と聞けば、みんな不審に思うはずだ。
これでは、レオニーと婚約したルシアンの立場が悪くなってしまうかもしれない。
「私は、」
「浮気が趣味なのは、あんたのことでしょ」
ずばりの言葉に、ダニエラは頬を赤らめた。けれどすぐに気を取り直して、涙を流す。
「そんな、誤解ですわ。私、私、そんなふうに言われるだなんて、悲しくて。どうか、信じてくださいませ」
ダニエラが涙を流しながら、ルシアンの腕に触れてすがろうとした。
「気安く触んないでくれない?」
「え?」
「まずは貴族の礼儀を覚えてからにしなよ。男爵令嬢が勝手に触れるとか、どういう神経してるの?」
「わ、私は」
「私、私、うるさいんだよね。あんたのことなんてどうでもいいよ」
「ダルシアーク卿、誤解されているんです。その方は浮気ばかりですし、そんな人と婚約なんて。そもそも、ダルシアーク卿はエヴェリーナ殿下と婚約されるのではなかったのですか?」
「僕が選んだのは彼女だし、エヴェリーナ殿下は関係ないよね」
「そんな、だって、エヴェリーナ殿下と婚約されるから、私だって。その方のどこが良いのですか? 侯爵家が土地持ちでお金があるから? サンダール卿も同じことをおっしゃっていました。お金があるから、言うことをきかせるのが趣味だと。そのような女性と婚約しても、ダルシアーク卿が不幸になるだけで」
「だから、あんたを選べって?」
「私はそのような意味で言ったのでは。ですが、その、言いにくいのですが、ダルシアーク卿には、もう少し、容姿が美しい方の方が、お似合い」
「はっ。自分は美人だって言いたいの? そんなにぶっさいくなのに?」
「なっ!?」
「気持ち悪いから、僕に二度と話しかけないでくんない? 行こう、レオニー。あんなのと話したら、ぶさいくがうつるよ」
「ぶ、ぶさいく!?」
ダニエラが顔を真っ赤にさせた。周囲からの嘲笑にもっと顔を赤くさせると、逆方向に逃げるように走っていった。
レオニーがあれを言われたら、立ち直れないかもしれない。
けれど、心の中はすっきりとした。ルシアンが代わりに言いたいことを全部言ってくれたからだ。
「あの、ありがとうございます。庇っていただいて。ルシアン様にも、失礼なことに」
「気にしなくていいよ。僕、ああいう女、本当に嫌いなんだよね。気持ち悪くて」
ルシアンは眉間に皺を集め、心底嫌そうな顔をする。
どうやら本当に嫌いなようだ。
「いかにも女を武器にするのはいいけど、あれはただの娼婦でしょ。浮気相手もレオニーの元婚約者だけじゃないと思うよ。あんな女に引っかかるなんて、婚約破棄正解だから」
ダニエラは、ルシアンの相手がエヴェリーナでないと知っていれば、ルシアンにも近付いていたのだろう。けれど、ダニエラのような女性に興味がないと知って、安堵する。
ん、安堵?
「ほら、踊ろう」
「私、あまりダンスは得意では」
「いいから。リードしてあげる」
ルシアンはレオニーの手を引いて、ダンスのリードを始める。腰に回される手も、握られた手も、嫌な気分ではなかった。ルシアンが少しだけ頬を染めて、くったくなく笑うからだ。
前に踊ったのはフィリップだった。
フィリップは得意だといいながら、レオニーをリードするほどうまくなかった。
ルシアンは本当にうまいのだろう。まるで自分が上手になったように、体が軽い。
あ、楽しい。
ルシアンの薄水色の、氷のような瞳と目が合った。
冷えた色なのに、どこか、熱を持つように、レオニーの焦茶色の目を見つめてくる。
なんだか、ドキドキした。
ダンスが楽しかったからなのか、それとも、ルシアンがいたからだろうか。
契約婚約みたいなものなのに、夢心地に浸ってしまった。
その代償か。
真っ赤に燃える髪色の、エヴェリーナを前にして、レオニーは蛇に睨まれた蛙のように縮こまっていた。
急にエヴェリーナに呼ばれて、今ここである。怖すぎる。
「偽装婚約だということはわかっているのよ」
のっけからの一言に、つい頷きそうになる。
心を引き締めなければ。ルシアンはレオニーのためにダニエラにはっきり言ってくれたのだ。今度はレオニーがルシアンを助ける番である。
ここで頷いたら、エヴェリーナの思う壺だ。
「なんのことでしょうか。婚約に至ったのは、お互いに気が合ったからです」
「ばかばかしい!」
ごもっともです。ご理解いただけなくて当然かと思います。説得力がなさすぎる。
ルシアンは、誰かに聞かれたら、僕が一目惚れしたって言えばいいよ。と言っていたが、それでなぜ納得してもらえると思ったのか。誰も納得しない。レオニーだって納得できない。
エヴェリーナの目は、嫉妬でギラギラ燃えている。
嫉妬を超えた、レオニーへの悪意。
当然かと思われる。なぜルシアンがレオニーを選ぶと考えるだろうか。ならば、偽装婚約だとすぐに気付くだろう。
そんなことでもレオニーを選んだことが許せないのか、エヴェリーナは憎しみを込めてレオニーを睨み付けた。
この怒りに屈してはならない。
「私は婚約者に裏切られ、辛い思いをしていたところを、ルシアン様に助けられました。ルシアン様は前々から私をご存知で、学院で研究に勤しむ姿を見て、気になり、婚約者の浮気を知って、私に声をかけてくださったのです!」
エヴェリーナの片眉が大きく吊り上がる。
気になり、はともかく、他は嘘を言っていない。
「ルシアン様は私のために、元婚約者の浮気相手を撃退してくださいました。あの方ほど優しい方はございません」
断言して、照れそうになる。本人に聞かれたら、だよね。とか言って笑ってきそうだ。
だが実際、優しい人だと思っている。ルシアンに聞かれたくないが、嘘ではない。
エヴェリーナは顔を歪めた。怒り爆発直前かもしれないが、ここをはっきり言わなければならない。
「ですから、私たちは思い合っているのです!」
レオニーは大きく出た。
嘘は言ってない。お互い、面倒な異性を退けるために、思い合ってる。思い合っているという表現は微妙に違うかもしれないが、お互いのために手を組んでいるのだ。
言い終えて、レオニーはエヴェリーナの反応を待った。
沈黙に冷や汗が流れてくる。
返答ないなら、帰っていいですか!?
「わかったわ」
エヴェリーナの言葉に、レオニーはポカンと口を開けてしまった。
今、納得したのか?
しかし、エヴェリーナは鋭い視線をレオニーに向けてくる。どう見ても納得しているような顔には見えない。
「ルシアンは、あなたの研究に興味を持っているだけなのでしょう」
「……は?」
「わかっているのよ。だから、その研究は、私が買うわ。バラチエ侯爵家の鉱山を購入します。国に必要な事業だし、丁度良いわ」
何を言っているのか、レオニーには理解できなかった。
ルシアンは関係ないし、研究はレオニーと教授のものだ。それに、鉱山の所有者は父親であって、レオニーではない。鉱山がある場所は、バラチエ侯爵家の領地であって、レオニーが自由にできるものではない。
それくらい、言われなくてもわかることだろう。簡単に渡せるようなものではないのに。
それに、どうして研究の話が出るのかもわからなかった。
国に必要だというのも、どんな話を誰から聞いて、そんな話になったのだろう。
大体、なぜレオニーと教授の研究を知っているのだ?
「ルシアンは、あなたの研究に興味を持って近付いた。あなたは、それでルシアンを引き留めているだけなのでしょう。金目当ての事業ばかりしているバラチエ侯爵家だもの、金に汚いのね」
「失礼ではありませんか!?」
「汚いから、ルシアンが婚約者なんて立場になったのでしょう? ダルシアーク公爵の領地は、この都よりずっと北部で、とても寒い場所なのよ。夜は長いし、灯りが別の材料になったら領地民は喜ぶわ。そんなことで彼を引き止めようとするなんて」
「そんなこと。この国は、どこでもそうじゃないですか」
「だからこそ、彼を縛っているのでしょう」
「変なことを言わないでください。それに、その研究は私と教授のもので、まだ研究途中です。誰かに売るなど考えたことはありません!」
「だから、何? 研究者なんてどこにでもいるでしょ。あなたじゃなくったって問題ないじゃない」
話が通じない。ルシアンが言っていたように、我がままで済ませるようなレベルではない。
エヴェリーナは見目に比べてまだ幼かった。レオニーより年下である。迫力があるため忘れていたが、まだ十七歳だ。
けれど、レオニーが十七歳だったとき、ここまで無知で傲慢ではなかった。王は甘やかしすぎである。
いつかはどこかに嫁ぐだろうが、それがルシアンならば問題ないと思っていたのだろうか。
そう思って、なぜか心が痛くなった。
ルシアンとエヴェリーナの婚約は、誰しも本当だと思っていた。それは王がルシアンを我が子のように扱っていたからである。そのルシアンの隣には、いつもエヴェリーナがいた。
二人が婚約するというのは、昔から言われていたことなのだ。
「ちょっと、聞いているの!? 契約書でも作ってあげるわ。研究はわたくしに一任するとね」
「お断りします」
「なんですって!」
「我が領地を、私が単独で売ることはできませんし、できたとしても、領地をたやすく売るような真似は致しません。殿下は領地をそのような単純な物だとお考えでしょうか?」
「私に楯突く気!?」
「お話がそれだけでしたら、私はここで失礼させていただきます」
「あなた、後悔するわよ!」
「失礼致します」
レオニーは部屋を飛び出した。
あまりにも非常識すぎる。
両親にこのことは伝えなければならない。
エヴェリーナが、研究を狙っているということも。
「どうして、私たちの研究を知っているの?」
そんなことに一切興味なさそうなエヴェリーナが、やけに詳しく知っている。
灯りに使えそうだとわかったのは、つい最近。それを知っているのはレオニーと教授、手伝ってくれる教授の助手くらい。
「ルシアン様が言うはずないわよね……?」
そもそも、ルシアンに研究内容は伝えていないのだから。
けれど、もしも、研究が目当てでレオニーに近付いたとしたら。
レオニーは大きく首を振る。
「そんなはずないわ。あの研究に価値があるのかさえ、今はまだわかっていないのだから」
エヴェリーナに呼ばれて数日。レオニーは研究が忙しいからと、ルシアンの誘いを断り続けていた。避けたって仕方がないのに、会う勇気がなくて、その日を遠回しにしている。
「最初から偽装の婚約なのに」
「何か言ったかい?」
「いえ、教授、商人は私の方で決めてしまってよろしいのですか? 父は好きにしろと言っていますし、教授のご意見も聞きたかったのですが」
「私は研究を手伝っただけで、鉱石は君の領地の物だし、熱意を持って研究を続けたのは君だからね。よく学生の頃から頑張ったものだよ」
「それは、教授の協力をいただいていたからで」
「父君から支援金はいただいているから、気にしなくていいよ。それより、次の研究を引き続き行いたいんだけれど」
「そちらは、教授が予想されていた通り、伝導率が高いので、離れた場所でも反応し合うんです」
「ふむ。なら、次は離れた場所でも点灯させる方法かねえ」
「はい! 実はもう実験も行っていて……」
なんてやっていたら、今日も一日が過ぎてしまった。
「はあ、こうやって日々過ぎていってしまうのだわ」
ルシアンの誘いを断ってはいるが、実際に忙しい。
いや、忙しくても会おうと思えば会えるのだ。ただ、会う時間を作らないだけで。
このまま忙しくしていれば、ルシアンと会うこともなくなるだろうか。
そう考えると、なぜか胸が痛くなってくる。
「ただの契約婚約なのに」
「レオニー・バラチエ侯爵令嬢でいらっしゃいますね」
「はい?」
「ルシアン様の使いで参りました」
「ルシアン様の使い?」
学院の外に出れば、男が馬車の前で待っていた。
ずっと誘いを断っていたので、レオニーが学院にいることを知って、馬車で迎えに来てくれたのか。
申し訳なさと、恥ずかしさが込み上げてくる。こちらはずっと避けていたというのに。
レオニーも馬車で来ていたが、ルシアンの呼んだ馬車に乗ることにした。バラチエ侯爵家の馬車には先に帰るように伝えて。
ずっと避けていても仕方がない。エヴェリーナに呼ばれて、研究のことを言われたと正直に打ち明けて聞いてみよう。
ルシアンが言ったとは思っていないが、はっきりさせたい。
馬車は暗闇の中走り続ける。この時間、街は真っ暗だ。まだ夕食の時間でもないのに、この国は日が暮れるのが早いのである。
もっと早く帰るつもりだったのに。
少しは日が長くなったのだが、それでも暗くなるのは早い。
「あら、どうして森の中を走っているの?」
暗くてもわかる。街並みを走っていれば灯りが見えるのだが、今走っている場所は葉の茂った、舗装のされていない道だ。時折石にぶつかって馬車が傾くように揺れる。枝が馬車にぶつかって、バサバサ音を立てた。
「どこへ行く気……」
もしかして、エヴェリーナに頼まれたのか?
まさか、本当に研究のために、ルシアンはエヴェリーナと組んで、自分を騙していたのか?
「ううん。そんなはずないわ。そんなこと信じない。ルシアン様の優しさは本当だって、信じてるもの」
ならば、これはエヴェリーナの罠かもしれない。
馬車は森の中に止まり、御者がレオニーに降りるよう促した。
「では、私はこれで」
「え、ちょっと!?」
馬車がレオニーを置いて、さっさと行ってしまう。
森の中に下ろされて、星の光さえ届かない暗闇に残された。
「落ち着かなきゃ。そうだ、ポケットの中にクズ石が」
小石のような鉱石を取り出して、レオニーは鉱石に魔力を入れようとした。だが、木陰からふらりと炎のランプが揺れて近付いてくるのが見えて、レオニーは後ずさった。
ランプを持って歩いてくるのは、フィリップだ。
嫌な予感しかしない。
ランプの灯りが、歪んだフィリップの顔をうつす。
前に会ったときに比べて、やけに貧相な顔をしていた。頬が痩けて、影を落としている。笑っているようだが、下卑た笑いに見えた。
「レオニー、久し振りだね」
「私に何か用?」
「君とやり直したくて」
「冗談でしょう?」
寝言は寝てから言ってほしい。
しかしフィリップは本気だと、レオニーの腕を掴んでくる。
「いたっ、触らないで!」
「レオニー。聞いたんだよ。研究の成果があったんだって? 暇さえあれば学院に行って、研究していたじゃないか。良かったよ。成功して」
「何を言っているの」
「隠すことはないよ。エヴェリーナ殿下から聞いたんだ。相当な金額が手に入るんだろう? やり直そう。俺が愛しているのは、君だけだよ」
ゾッとした。頭がおかしいとしか思えない。痺れそうなほど強く腕を握られて、フィリップはレオニーを押し倒した。
背中や頭が枯葉に埋もれて、頬をかする。
ランプの炎がフィリップの顔を照らした。その顔は、舌を垂れ下げた獣のように見えた。
「離して!」
手の中にはまだクズ石がある。レオニーはとっさに魔力を流し込んだ。
途端、クズ石が目に刺すほどの光を放った。
「うわっ! レオニー!?」
レオニーは走り出した。クズ石をその辺に放り投げて、走り続ける。
誰か。
ルシアン様。
「レオニー!」
「きゃっ!」
フィリップが獣のように飛び込んできた。もんどり打って、フィリップと一緒に地面に滑り込む。
「ふざけやがって! 誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるんだ! エヴェリーナ殿下が、お前を襲えば借金を支払ってくださるとおっしゃった。そうしたら、お前の研究も俺のものだって! 村人のためとか、領地のためとか、毎日のようによくやったよ。まさかそこまで金が稼げるものだとは思わなかったけどな。もっと早く言ってくれよ。だったら、もう少しうまくダニエラと付き合ったのに」
「はっ、そのダニエラにも捨てられたくせに! あなたほど、何の価値もない男はいないわ!」
「レオニイイ!!」
「離して! 助けて、ルシアン様!!」
叫んだ瞬間、のしかかられた体重が、一瞬で消え去った。
「ぎゃあああっ! 顔が、顔がああ!」
炎がフィリップの顔を包んでいる。フィリップは地面に転がって、火を消すと、むせたように息継ぎをした。
「レオニー、大丈夫か!? 怪我は!?」
「ルシアン様?」
魔法で飛ばされて動けなくなったフィリップを、別の誰かが押さえて、ルシアンはレオニーを起き上がらせると、抱き寄せた。
抱きしめられて、震えているのがわかる。レオニーではない。ルシアンの方が震えていた。
「学院に向かっている途中、バラチエ侯爵家の馬車とすれ違って、聞けば、僕の名を語った馬車が君を乗せたと。急いで馬車を探させたんだ。……遅くなってすまない。間に合って良かった」
安堵しながらも震える声に、レオニーも震えだした。
ルシアンが来なければ、どうなっていたのか、考えたくもない。
急に涙が溢れてきて、抱きしめられた腕にしがみつくようにルシアンを抱きしめた。
「エヴェリーナ第二王女にそそのかされて、私を襲ったんです。研究の成果でお金が稼げただろうと言って」
レオニーはエヴェリーナに呼び出されたこと、研究について知っていたこと、フィリップが話したことをすべて伝えた。
「ルシアン様が、話したと疑っていました」
「僕じゃないよ」
「わかってます。でも、一瞬でも疑いました。ごめんなさい」
「いいよ。そりゃ、急に近付いたんだもの。嘘くさく見えて当然だっただろうし。レオニーが疑うのは当然だよ」
ルシアンはレオニーの涙を拭うと、小さく息をつく。
「君が学院に通っている頃から、教授が協力して研究していることは知っていた。けれど、研究に興味を持ったわけじゃない。君に興味を持っていただけだ」
レオニーは目を瞬かせた。
ルシアンが、レオニーに興味を持っていた?
「な、慰めなら、大丈夫です」
「どうしてそうなるの! はあ、とにかく、馬車に乗ろう。怪我はない? 顔を見せて」
ルシアンはレオニーの頬に触れると、顔を歪めた。ハンカチを出すと、そっと拭ってくれる。ピリリと痛みが走ったので、枯れ葉で頬が切れたのだろう。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないよ。おいで。……そっちのは、さっさと連れて行け。あとでじっくり話を聞く」
冷ややかな視線の先、フィリップが男に引きずられるように連れていかれる。
ルシアンはレオニーを馬車へ促して、隣に座った。
「僕たちは一学年だけかぶっているんだよ。知っていた?」
「そう言えば、そうかもしれません」
「そういうところだよね。僕のこと全然知らなかった?」
「いえ、すごい人がいるって、聞いてましたよ」
「会ったことあるんだけど。覚えてないでしょう?」
「私が見たことなら、何度かありますけど」
「ぶつかったことがあるんだよ。僕のこと、まったく興味ないって感じで、謝って素通りされたけど」
ルシアンは肩をすくめる。
そんなことあったか? 誰かと間違えているのではなかろうか。
「間違えてないから。君だったよ。教授の部屋に入っていったからね」
それは言い訳ができない。おそらく研究で忙しくしていたのだろう。顔を見ずに謝ったに違いない。
けれど、ルシアンはそれをよく覚えていて、面白い、と思ったそうだ。
「僕、モテるんだよね」
「それは、よく存じており」
「だからさ、よく女の子がぶつかってくるんだよ。わざと。そうやって顔を覚えてもらおうとするんだ。だから君も、その手の類かなって思ったんだけれど、僕が側通ろうが、近くにいようが、まったく興味なくって、何度も素通りするの。僕、そこまで無視されたの初めてだったよ」
「そ、そんなことは」
「覚えてないんでしょう?」
「……覚えてません」
「ほら、そういうところ。面白いなあって。いつも本抱えて、教授のところ入り浸って。変な子がいるなって、ずっと見てた。君のことが気になって、卒業しても気になって、だから婚約者がいるか調べたら、もういると知って、がっかりしたよね。何でもっと早く動かなかったんだろう。諦めるしかないのかって」
ルシアンは微かに自嘲する。なぜ、最初から声をかけなかったのだ、と。
「けれど、あの男の浮気を知って、僕にチャンスが回ってきたと思った。最低だよね。君にとって辛いことなのに。でも、僕はうれしかったんだ。君が好きだから」
ルシアンが、その凍えた瞳をレオニーに向けた。
冷えた薄い青。氷のような色なのに、熱を帯びて、レオニーを見つめる。
「好きだよ。好きだから、婚約したんだ。王女がどうとか、関係なくね。あれは口実。そんなこと、関係ないんだ。僕が、君を好きなの」
気付いたら、涙が流れていた。
ルシアンが隣で指で涙をすくうように拭ってくれる。
「無理に婚約したけど、僕の気持ちは嘘じゃないから。……泣くほど嫌?」
「ちが、違います」
「じゃあ、何で泣くの? その顔、期待していいわけ?」
「期待してください」
「ぷはっ! あはは。そっか、期待していいんだ」
レオニーは頷く。ルシアンは嬉しそうに笑って、泣いてもいないのに目尻を拭った。ただ、少しだけ目が赤く見えた。
「いつまで泣いてるの。僕が悪いの?」
「悪くないです。いえ、悪いです。ううっ」
「悪かったよ。もっと早く、はっきり言えば良かったんだ。王女から逃げるみたいに、無理に婚約したから。だって、そうじゃないと断られると思って」
ルシアンが口を尖らした。時折子供みたいな顔をして、けれど静かに優しく微笑む。レオニーを見つめて、愛おしそうに、笑った。
「私もです。私も、ルシアン様のことが好きです」
「それ、信じていいの?」
「信じてください。好きです」
「うん、わかった。わかったから、その手、どかして。そうやって涙ぬぐんないの。ほら、こっち向いて」
ルシアンが両頬を両手で包んで、レオニーの涙を親指で拭った。そうして、まっすぐに見つめながら、そっと唇にルシアンのそれを重ねる。
「言っとくけど、僕、嫉妬深いから」
「そうなんですか?」
「そうだよ。だから、覚悟しといて」
そう言って顔を寄せると、息ができないほど、熱く長い口付けをした。
なんだか、夢見心地だ。
前もあったような気がするが、今回は前回とは比べ物にならない、夢の中である。
ふわふわして、床から浮かんで歩いているような気分になる。
あの後、ルシアンはレオニーを屋敷に送り、今回の件についてよく捜査させると言って帰っていった。
フィリップは、エヴェリーナについて話していた。それが事実なのか、調べる必要があるのだと。
エヴェリーナがフィリップをそそのかした。エヴェリーナはそこまでしてルシアンを取られたくなかったのだろう。
「それくらい、思い詰めるほど好きなのかな」
急に地面に足が付いたように、レオニーはとぼとぼと歩きはじめた。
「お嬢様、どうかされましたか?」
「ううん。何でもないわ。あ、あそこが教授のお部屋よ」
声をかけてきたのは、バラチエ侯爵家の騎士だ。学院に行くだけだから騎士をつける必要はなかったのに、今回の事件で、両親から絶対に連れて行けと注意されたのである。
まさか、フィリップを使って襲わせようなんて、普通考えたりしない。
昨夜のことを思い出しただけで、背筋に寒気が走った。
フィリップとは学院に在学中婚約して、卒業して一年で結婚する予定だった。フィリップとは同い年なので、学院卒業後、伯爵家のあれこれを学ぶ必要があったからだ。
それが助かったと言うべきか。
結局三年もの間、フィリップと婚約関係で、それなりに親しくはしていた。
なのに、あんな真似をするような卑怯な男だったとは。
ルシアンに出会えたのは、とても運の良かったことなのだろう。
大切にしたい。彼とのこれからを。
「お嬢様、お待ちください」
教授の部屋に行こうとすると、騎士が止めた。
部屋の前に兵士がいる。こちらに気付いて、部屋の中の誰かを呼んだ。
ばらばらと兵士が部屋から出てきて、こちらに向かってくる。
「お嬢様、お下がりください」
騎士が警戒した。だが、兵士は王宮の兵士だ。
「レオニー・バラチエ侯爵令嬢だな。秘密技術盗難の疑いで逮捕する」
「何ですって!?」
兵士たちがレオニーと騎士を囲むと、レオニーを拘束した。騎士が争おうとしたが、王宮の兵士と戦うわけにはいかない。
「お嬢様!」
「ちょっと、離してください!」
一体、何が起こっているのか。
兵士たちはレオニーを騎士から離すと、引きずるようにレオニーを連れて、牢に入れた。
「きゃっ! なんで、何かの間違いです! 出して!」
「うるさい! 黙れ!」
兵士が鉄格子を蹴り、レオニーを鉄格子から離れさせると、唾を吐いてその場を離れていく。
まさに、天国と地獄だ。浮きそうなほど夢見心地だったのに、無理やり地面に足をつかされたみたいだ。
どうしてこんなことに。
「盗難って言った? 秘密技術、盗難? それって、私の研究のことじゃないの?」
ならば、これはエヴェリーナの仕業か?
王族の一人が、こんな真似をするのか。
フィリップをそそのかしただけでなく、他人の研究まで奪おうとするなんて。
今までエヴェリーナは、王族で、立ち向かうには恐ろしいという、その程度の考えしかなかった。立場的にどうにもならない、できるだけ関わりたくない人。
だが、今では、なんと卑怯な人間なのか、怒りしか込み上げない。
「あんな最低な人間に、ルシアン様は渡さないわ」
けれど、これからどうすればいいのか。どうやって、この牢屋から出ればいいのかわからない。
ここで叫んでも、兵士たちが助けてくれるわけでもない。
いつ、ここから出られるかもわからなかった。
「寒いわ」
牢屋は底冷えして、足元から凍えてしまいそうだった。寒さだけで急に心細くなってくる。
「ルシアン様……」
どれくらい経っただろうか。寒さに凍えて、座り込んで丸くなっていれば、大声と物音がした。
「レオニー!」
「ルシアン様!?」
「怪我は? 体調は!?」
「だ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないよ! こんな冷えた場所で。怖かっただろう。こんな真似をするなんて!」
ルシアンがすぐに鍵を開けて、抱きしめてくれる。
その温かさに、急に泣きたくなった。
ルシアンの性格を知ってから、変な人だな、という感想しかなかったのに、いつの間にか惹かれていた。
今だって、ルシアンが側にいるだけで、心が温かくなるのがわかる。
「もう少し我慢できる? 行く場所があるんだ。あの女に責任を取らせないと」
ルシアンは厳しい顔をしたまま、レオニーを連れて歩き出す。
どこにいくのか。王宮の奥まった場所へどんどん進んだ。誰もルシアンを止める者はいない。衛兵が守る大きな扉の前まで来て、足を止めた。中で誰かが話しているのが聞こえる。
「ご覧になってください。このように、光は連動し、次々に光が灯るのです。この技術はこの国に大きな影響を与えるでしょう」
「ふむ、他に何ができるのだ?」
「今は、炎を使わずに光を灯すだけですけれども、きっと他の使い方もできるでしょう」
「例えば?」
「例えば、そうですわね。王宮で使われる火の番をしなくて済みますわ」
「ふむ、それで?」
「そ、それで、ですか。とても画期的な発明だと思うのですけれど。火事を心配することもなくなります。貴族たちはこぞってこの鉱石を購入するでしょう!」
話しているのはエヴェリーナだ。話し方からするに、相手は王に違いない。
エヴェリーナはまるで自分の研究のように、王に説明をしていた。いや、自分の研究であると説明しているのだろう。ルシアンの顔が一層厳しくなって、衛兵に扉を開けさせた。
「ルシアン様? なぜ、その娘を!」
レオニーに気付いたエヴェリーナが、レオニーを憎しみを込めて睨み付けた。
「王、ここで申し上げたいのですが、あの娘、レオニー・バラチエ侯爵令嬢は、この研究を独占し、王に仇をなす気だったのです!」
突然、エヴェリーナがレオニーを逆賊のように言い出した。
王がぴくりと眉を傾げて、レオニーに視線を向ける。
「違います。私は、」
「お黙り! 誰が話すことを許したの!」
エヴェリーナが間髪入れず怒鳴り散らす。
王の前で不敬だと言われて、レオニーも唇を噛みしめた。失礼があれば、レオニーだけでなく、両親にも影響が出る。
なんて卑劣な真似をするのだろう。悔しくて、レオニーは涙が出そうになった。
しかし、左手が強く握られる。ルシアンと繋げていた手に、力が入った。ルシアンは王とエヴェリーナを直視したまま。目を逸らさない。
「何か言いたいことがあるようだな。ルシアン」
「ございます。その研究は、レオニー・バラチエ侯爵令嬢が中心となり行なったものです。すでにバラチエ侯爵家は、その商品の販路を商人と契約しております。こちらが契約書です」
いつの間にかやってきた男性が、王に契約書を見せる。王はそれを無表情で確認して、軽く頷いた。
「エヴェリーナ殿下はどういう理由で王に虚言を伝えているのか。レオニーを陥れて、研究を我が物にする気だったのでは?」
「ち、違いますわ! わたくしは、国のためを思い、」
「それで、レオニーを殺そうと? あの男をここに」
ルシアンが合図すると、フィリップが連れてこられた。火傷を負ってげっそりとしたフィリップは、エヴェリーナを見るなり目を見開いて、口をパクパク開け閉めする。
エヴェリーナはそれを睨み付けて、すぐに目を逸らした。しかし、無視しながらも、握っていた手が震えているのがわかった。
「この男は、エヴェリーナ殿下の命令で、我が婚約者を脅そうとしました。金をもらい、彼女を傷付けようとしたのです」
「ルシアン様、なぜその女の肩を持つのですか!」
「黙れ、エヴェリーナ!」
話を聞いていた王が大声を上げて立ち上がる。
「研究の件は教授から聞いている。販路も決まり、バラチエ侯爵令嬢と研究内容を発表する予定で、製作方法の提示も行うつもりだと。これで我が国の燃料問題に終止符が打てるだろう。結果を出した令嬢に対し、国家を揺るがす真似をするなどと、良く言えたものだな!」
「そんな……」
「今まで自由を許していたが、甘やかしすぎたようだ。ここまで愚かだったとは。王女を連れて行け!」
「お父様!?」
エヴェリーナの声が遠のいていく。扉が閉められて、王は大きなため息をついて、力なく椅子に腰を下ろした。
「バラチエ侯爵令嬢。そなたを危険をさらしたこと、申し訳なく思う。また、研究を無料提示する件、礼を言う。他の研究もあると聞いている。そちらは無料とせず、そなたの利益にするといい。ルシアンから、自分の利益を顧みない、研究に勤しむ女性と聞いているが、素晴らしい発見を利益にすることも必要だ」
王に頭を下げられてレオニーは恐縮する。まさか王にそんな礼をされるとは思いもしなかった。
ルシアンが誇らしげに微笑んで、レオニーを見つめる。その優しい眼差しに、胸が熱くなるのを感じた。
「頑なにエヴェリーナとの婚約を拒んできただけあるか。素晴らしい女性を見つけたようだな」
「僕の最愛の人です」
はっきりとした物言いに、レオニーは頬を染めた。
「さん、にい、いち、点灯!」
一斉に灯された光に、人々から歓声が上がった。
今日は鉱石の完成披露だ。
内々の研究だったのに、王の計らいで、街で点灯式が行われることになったのだ。
城内だけでなく、庭園や街灯までバラチエ侯爵家の鉱石が使われて、その購入費用は国が持ったのである。商人との契約も終わっているので、実質、売り上げはバラチエ侯爵家に入ることになった。
「すごい、綺麗」
城から見る景色は、あまりにもまばゆくて、まるで宝石を並べているように美しかった。
「本当だ。とても、美しいね」
ルシアンがレオニーを見つめながら言う。まるで、レオニーに言っているみたいに聞こえた。
そうであると言わんばかりに、ルシアンは微笑む。
「ルシアン様が言っていた、価値って言葉、私、ずっと考えていたんです。私に価値ってあるのかなって」
研究結果が出なくて浮気までされて、どん底に落ちそうだった。
「でも、言ってくれたじゃないですか。研究続けてるのすごいねって。あそこでやめないで良かった。自分で価値を作れました。ルシアン様のおかげです!」
ルシアンは目を細めると、緩やかに微笑んだ。
「君が証明したんだよ。誰にも奪われない、自分の価値を」
ルシアンは褒めるのがうまいのだと思う。そんなことを言われたら、顔が真っ赤になってしまうだろう。きっと赤くなっているに違いない。
「これから、次の研究をするんでしょう?」
「教授も早く研究したいみたいです」
「あのじいさん、牢屋にいたのに、まったく元気だね」
「静かだったから、計算が進んだって言っていました」
「どんななの……」
レオニーが兵士に捕らえられていたように、教授も牢屋に閉じ込められていた。その間、レオニーが震えている頃、牢屋の床や壁を使って研究をしていたというのだから、レオニーも呆れてしまう。
だが、教授のおかげでここまで行えたのだ。
「感謝しなくちゃ」
「研究はいいけれど、ちゃんと僕の相手もしてよ。教授に嫉妬するからね」
「ルシアン様ったら」
「本当だよ。嫉妬深いって言ったでしょ」
ルシアンがレオニーの両手をとって、子供に注意するように睨んでくる。
研究ばかりじゃ、めっ、よ。なんて言いそうだ。
「時々、子供っぽいですよね」
「僕が? そうかもね。好きな人には、駄々をこねたくなるんだ。だから、レオニーも言っていいよ。僕を束縛してよ」
「くっ。なんですか、それ。私の理性を試してるんですか!?」
「それって、僕のセリフじゃない?」
「私のセリフですよ」
レオニーは両手をはねのけて、ルシアンの両頬を引き寄せると、その唇に口付けた。
ルシアンが目を丸くするが、フッと微笑む。
「それだけでいいの?」
この男、人の理性を試しすぎである。
「足りないです」
もう一度引き寄せて、口付けて、笑って、そうして、深くため息が出るほどの長い口付けを交わした。




