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浮気現場を見たらなぜか公爵子息と婚約することになった

作者: MIRICO
掲載日:2026/03/20

 レオニーは垣根に隠れながら、じっとその二人の姿を見つめた。


「あなたといると温かいわ。フィリップ様」

「俺もだよ。ダニエラ」


 今にも雪が落ちてきそうな凍えそうな夜、二人はお互いの温度を確かめるように抱き合った。

 何度も重なる唇に、熱がこもり……。


 ----ちょっと、長くない?


 抱き合っている男の方、フィリップ・サンダール伯爵子息。

 その男、私の婚約者なのだが?


 相手は、ダニエラ・オーベリソン男爵令嬢。

 その二人が、人目に隠れてキスを続けている。


 ---ーだから、長いってば!


 パーティで離れた婚約者を探していれば、この夜の寒さの中、庭園へ進む男女の姿が。

 気のせいかな、後ろ姿がフィリップに似ている気がする。

 急いで後を追えば、フィリップが女性と見つめ合っていた。

 まさか、自分の婚約者が男爵令嬢と浮気をしているとは。


 ショックだったのは、フィリップはレオニーしか目に入らないと謳うような、溺愛ぶりを見せていたこと。

 婚約して早いうちから、フィリップはレオニーに首っ丈だった。親の決めた婚約でも、愛を語ってくれるフィリップに、レオニーも情を持ち始めていたところだった。


 ところがどっこい、まさかの浮気とは。


 レオニーとはキスの一つもしたことがないのに。あんなに、重厚に、--っていつまでやっているのだろう。その熱々ぶり、魔法で燃やしてやろうか?


 見ているのもバカバカしくなって、レオニーは悔しさに涙しそうになったのを我慢しながら、生垣から離れた。

 目尻に冷たさを感じて、それを指で拭う。この寒さでは涙が凍ってしまいそうだ。鼻水も垂れてきそうで、急いで啜った。涙も鼻水も凍るとか、とんでもない。


 もうこのまま一人で帰ってやろうと屋敷の方へ進むと、別の場所でも二人の男女が見えた。

 お盛んですこと。


 よくもまあ、こんなに寒い所で会おうとするものだ。今時期の夜なんて、氷点下が普通である。


「王女様の熱烈なアプローチをいただいておいて恐縮ですが、僕には婚約者がいるので」


 王女様? それは聞き捨てならない。相手は一体誰だろう。

 耳を傾けるために、つい歩む足が遅くなる。しかし、これが悪かった。


「わたくしを退けるために、そんな嘘まで言うのね」

「とんでもございません。紹介しますよ。彼女が僕の婚約者になった人です」


 レオニーは周囲を見回した。どこにいるの? そう思った瞬間、生垣からにゅっと手が出てきて、レオニーはあっという間に引っ張られた。


「レオニー・バラチエ侯爵令嬢です」


 今、なんと言った?


 聞こえた声の主を仰ぐと、銀髪の貴公子が目に入る。レオニーと目があって、男はニッと口元を上げた。


「なので、僕のことは諦めてください。さあ、レオニー行こう。こんなところにいたら凍えてしまうからね」


 いや、何言ってんの!?


 そんな言葉が出る前に、男はレオニーを引っ張ったままその場を逃げ出した。





「ふ、はは。あの顔見た? 王女のあんなとぼけた顔見たの初めてだったんだけど」


 男は思い出すだけでおかしいと、楽しそうに笑った。

 あれを見て、とぼけた顔と言える神経に震えそうになる。

 レオニーには、憤怒の顔にしか見えなかった。


 エヴェリーナ第二王女。


 炎のような真っ赤な髪を持つ女性で、その色のごとく気の強い性格をしている。気難しい性格なうえ、相手は王族だ。彼女から喧嘩を売られたら最後。どんなことをされるかわからない。


 その王女に、なんて嘘を言うのだ!

 痴情のもつれに巻き込まないでほしい!


 男はレオニーの睨め付けに気付いたか、クスリと笑った。


 自分は怒られないと思って!


 エヴェリーナがご執心の男は一人しかいない。

 ルシアン・ダルシアーク公爵子息。その姿は氷の精霊のように美しいが、心まで凍っていると揶揄されるような人である。


「先ほどのお話ですが、早めに訂正なさった方が」

「どうして?」

「どうしてって、私には婚約者がいますから、すぐに嘘だと気付かれるかと」

「浮気してたやつを、婚約者と呼ぶの?」


 その言葉を聞いて、息を呑みそうになった。

 なぜ、そんなことを知っているのか。レオニーが答えずにいると、ルシアンはニコリと微笑む。


「あっちでいちゃついてたのって、君の婚約者だよね? あれと婚約を続ける気? 表ではいつも君にべったりだったけれど、裏ではああだ」

「そ、それは……」

「あのクズとの婚約は破棄し、僕と婚約することになりました。それで良くない? さ、屋敷まで送ろうか。あの男と一緒に帰る必要はないだろう」

「そんな、エヴェリーナ殿下に嘘はつけません。冗談はやめてください。失礼します」


 レオニーはルシアンの手を振り切って、その場を後にした。






 あんな人だったとは。


 毒を持つような不敵な笑いが得意で、冷酷な性格だと言われているが、女性にめっぽうモテる男だ。なんと言っても顔がいい。身分も高い。何にも執着しなさそうな、さっぱりしたところがあり、王相手でもおもねるような真似をしない。

 エヴェリーナの前でもあれなのだから、その噂は本当だったようだ。

 だが、エヴェリーナとは婚約間近という噂は嘘だったらしい。


「だからって、王女を嫌がって婚約なんて、浮気された人に提案する?」


 言って、自分で傷ついて、馬車の窓に頭を擦り付けるように脱力した。


「はあ、両親になんて説明しよう」


 一人で帰ればすぐに気付かれるか。フィリップはレオニーを屋敷に送るとき、両親に必ず挨拶して帰るからだ。

 案の定、一人で屋敷に帰れば、両親が吹っ飛んでくるように迎えてくれた。


「レオニー、一人で帰ってくるなんて、どうしたの!?」

「体調でも悪いのかい??」

「お母様、お父様、実は、あの男、浮気していたんです!」

「なんですって!?」

「なんだって!?」


 両親の驚きに、レオニーは先ほど起きたことを伝えた。ルシアンは除外して。


「あれだけ融資させておきながら、浮気だと!?」


 父親が、机を壊しそうなほどの力で拳を叩きつけた。

 バラチエ侯爵家は土地持ちで、事業を多数行っている。その事業の一つにフィリップのサンダール伯爵家が参入していた。その縁で婚約となったわけだが、サンダール伯爵はフィリップに別の事業を任せたいと言って、融資を欲しがった。

 父親は、フィリップが従順で真面目な男だと考えて、援助したのである。

 だからこそ、父の怒りは相当なものだった。

 明日すぐに婚約破棄と、融資の撤回を行うそうだ。


「はああ、今日は散々すぎるわ」


 ベッドに突っ伏して、レオニーは顔を埋めた。

 なんと言っても、あんな男に、少しでも気持ちを持ったことが悔しい。

 決して、悲しいわけではない。ただ、悔しいだけ。

 だから、次にあの男に会ったとき、レオニーは冷ややかに対応すればいいのだ。


 目尻から雫がこぼれ落ちると、シーツを濡らした。

 





「どうして昨日は先に帰ってしまったんだ? ずっと探していたんだよ?」


 だったら、なんで昨夜のうちに、うちに来なかったのか?

 朝になって、いやもう昼になる頃、フィリップがやってきた。


 笑えるなあ。こんなあからさまだったのに、今まで気付かなかったとは。

 フィリップは太い眉毛を精一杯下げて見せた。悲しそうな顔。胸ぐらを自分でつかみ、これ以上ないほど苦しそうに体をねじる。


 何をくねくねしているのか。気持ち悪い。

 もう、気持ち悪いという感情しかなかった。

 偽りの姿。その演技が滑稽だ。


「婚約破棄の書類は朝イチに送ってある。気付かずに我が屋敷に訪れたのか? 昨夜はどこへいたやらだ。金も返すよう伝えてある。さっさと屋敷に帰れ」

「ど、どういうことですか? いったい、何の話をしていらっしゃるのか!」


 その明らかな動揺を見て、父親が目をすがめ、母親の口元がぴくりと動いた。


「契約違反に慰謝料も上乗せしてある。伯爵と借金返済についてもよく話し合うんだな」

「俺が何をしたと言うのですか!」

「まだ言うか! お前のような男を侯爵家に入れるつもりはない! この地を踏むことも許さん! さっさと出ていけ!!」

「誤解です! どうして、そんなことを言われるのですか。ああ、レオニー、父君に言ってくれ。何か誤解があるんだ」

「何の誤解かしら。言ってもらわないとわからないわ」

「レオニー、俺がどれだけ君に尽くし、愛しているか、わからないはずないだろう?」


 そんな話はしていないが? お前がどれだけクズだったかを話せと言ったつもりだったのだが、フィリップにはわからないようだ。

 フィリップはどさくさに紛れて、レオニーを抱きしめようとする。

 その仕草に、ゾッと寒気がした。


「触らないで!」

「婚約破棄は終わった?」


 横から伸びてきた手が、フィリップの手首を掴んだ。


「これは、ダルシアーク公爵子息? なぜ、あなたがここに」


「もちろん、婚約をするためだけど?」


 ルシアンの言葉に、フィリップが演技を忘れて困惑の顔を見せた。フィリップだけではない、両親もポカンと口を開けて、突然現れたルシアンに目を瞬かせる。


 本当に来た!!


 エヴェリーナとの婚約を避けるため、レオニーを偽装婚約者に仕立てるために、本気で屋敷までやってきた!

 レオニーが黙っていると、ルシアンは口端を上げて、持っていた花束をレオニーに押しつけた。あまりに大きな花束で、レオニーの視界が遮られたほどだ。


「ダルシアーク公爵子息、レオニーは俺の婚約者です。なぜ花束など渡すのですか!?」

「浮気現場を見たレオニーがあんたと婚約破棄すると聞いて、すぐに婚約者に立候補しただけだけど?」


 その言葉に、一斉にレオニーに視線が集まる。


「僕との婚約を受けてほしい。花束はただの土産だよ」

「そんな、俺たちはまだ婚約者同士で」

「聞いていなかった? 婚約破棄の書類と慰謝料の件で連絡がいってるって。さっさと家に帰ったらどう? 個人的に借金もあるんだって? 浮気相手の男爵令嬢に貢いでいるとか。あの令嬢、宝石を手にして友人たちに自慢しているらしいよ。いい金蔓がいるって」

「そんな、嘘だ! 彼女は俺との結婚を望んでいたが、俺のためを思って身を引いてくれたんだ」

「へえ、そんな女と庭でいちゃついていたのか。素晴らしい貞操観念だね」

「それは、」


 フィリップはそこまで言って、すぐに口を閉じた。レオニーの隣で父親が体を震わせている。


「さっさと、出ていけ!!」


 真っ青になったフィリップが、父親の怒鳴り声で飛び上がった。執事に剣を持ってこいと叫んだ父親に怯えて、あっという間に逃げていく。

 のんびりした男のように思えたが、逃げ足は早かったようだ。


「ダルシアーク卿、恥ずかしいところをお見せしました。その、娘とは」

「婚約破棄後に婚約する約束をしていたんだ」

「お父様、これにはダルシアーク卿の、もごもご」


 ルシアンが当たり前のように引き寄せて、レオニーの口を塞ぐ。花束で見えないからと、したい放題だ。


 事実じゃないです。お父様、気付いてー!


「僕がどうしてもレオニーと結婚したくて、無理を言ったのだけれど、レオニーは受け入れてくれたんだよ。レオニーが悪く言われないように、僕からアプローチしたことを周知するつもりだ」


 嘘ですよ。嘘です。お父様、騙されないで!


「もごもご、もごも」

「そのように考えていただけるなんて。ダルシアーク卿、ありがとうございます!」


 お父様ー、お母様まで、騙されないでえええ!!!






「なんてこと、私に生け贄になれというのだわ」

「不満そうだね」


 レオニーの前で、ルシアンは優雅にお茶を口にしている。

 その姿よ。外から見る分には完璧で、隙がなく、画家に絵を描かせたいくらいだ。だが、これは見るだけが良いのであって、近くに寄ってはいけないのである。


「不満がないとお思いですか。王女に睨まれるのが怖すぎます。パーティとか参加しないようにしないと!」

「まあ、いいじゃない。大したことじゃないよ」

「大したことありありですよお! 私に死ねとおっしゃる!?」

「大袈裟だなあ」


 大袈裟などではないのに。ルシアンは軽く笑って、カップを置いた。

 大体、なぜこの人はここにいるのか。

 レオニーの部屋で、当たり前のようにお茶を飲んでいるのである。


 ルシアンはあれから、毎日毎日毎日毎に……、レオニーに会いに来ていた。

 ガードの軽くなった両親よ。フィリップの時は部屋に入れるなと言っていたのに、普通にこの人ここにいるんだけれど、どういうことだ?


「失恋の痛手は消えた?」

「え?」


 不意に問われて、レオニーは言葉が出てこなかった。

 そういえば、ルシアンが毎日来ていたので、フィリップのことはすっかり忘れていた。

 父親が手紙や訪問をすべて断ってはいたが、フィリップについて恨み言を考えることもなかった。

 レオニーの中で、フィリップはとっくに過去の人で、頭の中からすっぽりと抜け落ちているくらい、格が下げられていたのだ。


 ルシアンのおかげだろうか。もしかして、わざとだったのだったとか?

 チラリと横目で見やると、ルシアンはクスリと笑う。


「僕のこと、考えるようになった?」


 その言葉で、今の考えは遠くへ飛ばした。

 違うに決まっている。


「ダルシアーク卿、」

「ルシアンって呼びなよ」

「……ルシアン様、王女様の何が嫌なんですか?」

「マスコットになる気はないからだよ。あの女は自分に付属品を着けて、歩いて見せびらかすのが好きなんだ。綺麗なドレスや宝石と同じ。それで自分の価値が上がると思っているんだよ」


 エヴェリーナは美しいものが好きだ。ドレスや宝石。絵画や彫刻。王女だからこそ、流行を発信するために新しいものを早く手に入れる必要がある。特にエヴェリーナは第二王女。自分の価値を高めるために、良いものは何でも自分のものにしたがるきらいがあった。

 それで、自分の相手にルシアンを選ぶというのも、わかる気がする。


 レオニーも二人はお似合いだと思っていた。美しい女性が美しい男性を隣に置く。

 だがそれを、ルシアンはマスコットだと言う。

 社交界では当たり前のような気もするけれど、ルシアンは王女のオマケになる気はないのだろう。


「あの王女がどれだけわがままか知ってる? 昔はか弱かったからって、王も甘やかしすぎなんだよ。第一王女が早くに嫁いだから、拍車かけちゃって。頭は悪いし、稚拙だし」


 ルシアンは辛辣だ。とにかく子供で頭が悪いと断言する。


「あんなわがまま王女のために、自分の価値を使われたくないじゃない?」

「価値、ですか」

「そうだよ。僕の価値を、あんな、わがままで済まないような性格破綻者に、どうして使われなきゃならないの?」


 そう言われると、自分の価値ってなんだろう。とつい考えてしまう。

 価値で思い出した。今日は行かなければならない場所があるのだった。


「そうだ。すみませんが、今日は学院に行かなければならないので、お帰りください」


 レオニーは通っていた学院の教授と研究を行っており、今日はその会合の日だった。


「そういうところ」

「何がですか?」

「皆がお茶を飲んでいる間に、教授と石の研究を行っているんだって?」


 それはお茶会に誘われても石のために出席しないと、笑い物になっているということだろうか。


 バラチエ侯爵家の土地には、炎を灯す石が埋まっている山がある。

 はたで聞けば、儲かっているんだろう? と聞きたくなるほど広大な鉱山だが、実のところその石は小さな炎を灯すだけで、役に立たないし価値もない。

 つまりクズ石。

 まるで、なんの取り柄もない、レオニーのよう。


 掘っても採算が合わないため、放置されていたところ、レオニーが教授と研究することになった。

 学院で変人として有名な教授は、珍しいものは大歓迎だと共同の研究を受けてくれた。

 侯爵家から研究費も出るので、受け入れやすかったのかもしれない。

 それはともかく、枯れた土地で農作業のできない村人が、別の仕事として得られればと思い、研究を進めていた。

 ただ、三年以上続けて、未だ結果は出ていないのだが。


「滞り気味なんですけどね」

「研究なんて一朝一夕じゃないでしょ。すごいと思うよ」

「そうでしょうか」

「そうだよ。一つのことに夢中になるって、なかなか動力がいるでしょ。簡単に真似できないよ」


 そんなふうに言われると、これまで結果が出ていないことなのに、やる気が出てくる気がする。


「うまくいくよ。大丈夫」


 その一言で、今まで頑張ってきた自分を偉いと褒めて、結果を出すぞ。と意気込むことができる気がした。

 現金と言わないでほしい。






 そんなこんなで、平穏にルシアンと教授に会う日々を過ごしていたところ、進展があった。

 暗い部屋で教授と二人、小さな石が何度か瞬くのを見て、お互いに顔を見合わせる。


「これ、使えるのではないでしょうか!?」

「使えるね。思ったより明るいよ」

「どれくらい保つか試さないと! 炎が燃える程度の長さだと、あまり意味がないんですけれど」

「しばらく放置してみようかね」


 教授は長い顎髭をなでながら、カーテンを開けた。

 鉱石は燃やせば炎が出る。その燃焼時間がロウソクより短いため、時間を伸ばすことばかり躍起になっていたが、その考えを改めて新しい研究を進めていたのである。


「すごい発明になるかもしれないねえ。炎を必要としない。新しい光だよ。これだけ魔力を安定して蓄積できるならば、他の用途も可能かもしれない」

「伝導率があるっていうのもいいですよね。同じ魔力を与えれば、連動して同じ反応が起きますもん」


 レオニーは小さな小石を並べて、魔力を灯した。すると一番端にあった石が光り、それに続くように隣の石も光る。勝手に灯されていく光は、連なって、一層まばゆい光が辺りを照らした。


「少しの魔力で光るのがいいね。そこまで力がいらないから、魔力の少ない平民でも使えるだろう。これが実用化できれば、ロウソクで火事になることもなくなるよ。ロウソクの売り上げは下がるだろうけれど、燃やすわけではないから、棲み分けはできるかな」

「暗い場所での作業に使えそうですよね。鉱山とかで役立つわ」

「この石を掘るために使うのかい? 根っからの研究者みたいなことを言うね。令嬢ならば、パーティで使えるとか、いろいろあるだろう」


 教授に指摘されて、レオニーは苦笑いをする。そんな華々しいところで使えるだろうか。

 だが、鉱石には色があった。採れる場所によっては青白かったり、ピンクがかったりする。実用化できれば、貴族たちにも売れるだろう。


「しかも、温かさがあるのがいいね。炎を無駄に使わずに済むかもしれない。街の街灯もこれに変更できれば、燃焼の魔石を使わなくて済むことになる」


 この国は一年のほとんどが冬なのではと思うくらい、長い冬の時期が続く。燃料問題は常に上がる話で、平民は特に死活問題だった。燃焼の魔石は長く火が灯るが、高価なので、新しいこの石が流通すればコストも抑えられる。


「売れますかね」

「売れるだろう。魔導ランプってところかな? この伝導率も、他のことに使えそうだし」

「教授、これからの研究、楽しくなりそうです!」

「ほほ、君は本当に研究が好きだね」

「えへへ。あ、そういえば、教授って、ルシアン・ダルシアーク公爵子息とお知り合いなんですか?」

「在学中はよくここに来ていたよ。君とは年代が被っていなかった? 彼がどうかした?」

「ちょっと、お話しする機会がありまして」


 実は婚約したのです。などとは言えない。どうせ偽りに決まっているのだから、誰にも知られたくなかった。

 そう、婚約はつつがなく進んでしまったのである。

 フィリップとの婚約はすぐに破棄された。サンダール伯爵はバラチエ侯爵家を敵に回す気はないと、フィリップを後継者の座から下ろし、弟を後継者に据え変えたほどだ。

 そのせいとは言わないが、こちらの婚約も早かった。父親が乗り気になってしまったことと、ルシアンの準備が良すぎたせいだ。


 研究のために学院に来るたび、レオニーは戦々恐々とした。

 この学院は王立学院。隣には王宮の建物が建っている。学院でエヴェリーナと会うことはないが、精神的に不安で仕方ない。

 どうにか婚約は無かったことにしたい。なんとかならないものだろうか。






「今度のパーティ、一緒に行こうよ」


 早速、暗礁に乗り上げる。

 ルシアンの一言に、レオニーは静止した。


「え?」

「その顔、そろそろ傷付くんだけど」


 そんなひどい顔をしただろうか。両手で頬を上げてみる。

 だがしかし、パーティだと? そんなものに参加などしたくはない。

 だって、エヴェリーナに目を付けられているのだから、これ以上逆撫でたくないし、絶対周りから何か言われるし。


 レオニーはルシアンには不似合いだ。

 まずこれを言われるに違いない。


 そもそも、レオニーの容姿は並である。なんなら並以下。

 栗色の髪の毛。剛毛なのでさらさらと背中に流すことなどできない。しっかり結び、髪飾りで押さえるのが常。

 そして頬のそばかす。メイドが一生懸命、化粧で消してくれる。

 学院の時は頑張ってくれていたが、今はもう肌が荒れるのでやめてもらった。

 目はぱっちり二重だが、剛毛とそばかすで、台無しだ。


 一方、ルシアンであるが、もう語ることはない。黙っていれば天使。黙っていれば氷の神をかたどった彫刻のよう。黙っていれば……。黙っていなくてもファンは多い。

 その二人が一緒にパーティに参加だと? 世の女性たちが打ちひしがられて泣く。いや、その現状を直視できないだろう。きっと幻だと思われてしまう。主にレオニーが。


「そんなことないでしょ?」

「口に出てました?」

「出てたよ。独り言、丸ごと出てた」

「現実を語っただけですよ。とにかく、第二王女から抹殺されたらどうするんですか。私はまだ死ぬような年じゃないんです。もう少し長生きさせてください」

「そんなことさせないよ」


 ルシアンは紅茶のカップを置くと、組んでいた足を戻して、その高い身長を見せるようにレオニーの前に立ちはだかった。

 あ、失礼言いすぎた? 気安く話しているが、相手は公爵子息である。のんびり構えて適当な話をしてくるので、つい気が緩んでしまった。

 しかし、ルシアンは床に片膝を突けると、そっとレオニーの手を取った。腫れ物に触るような、優しく丁寧な触れ方に、レオニーの心臓がドクリと鳴った。


「誓うよ。命をかけて、君を守る」


 そう言って、手の甲にキスをしたのである。


 嘘を言わないでください!


 そんな言葉、頭から抜け出てしまった。

 嘘だと思っても信じてしまいそうな、ルシアンの威力よ。レオニーはそのまま屍になりそうだった。






「パーティ参加したら、本当に屍になるかもだけどね……」

「何か言った?」

「視線がとっても痛くて」

「気にすることないよ。あれはジャガイモか、ニンジンだから」


 そう思えたら、どんなに良いか。ジャガイモやニンジンは話しかけてこないのである。

 パーティ会場に足を踏み入れて、レオニーはやはり後悔した。視線が痛い。痛いし、うるさい。


 耳に届く、

『どういうこと?』

『なぜルシアン・ダルシアーク公爵子息が、あんな女と一緒に?』

 そんな言葉。


 想定していたが、想定していたより、はっきり聞こえる。

 これが普通の人々の反応である。これでエヴェリーナに会ったらどうなるのだろう。

 ルシアンを横目で見上げれば、むしろ機嫌が良さそうだった。


 レオニーのイメージでは、ルシアンはあまり笑わない人。だった。男女構わず冷酷で、歯に衣着せぬ物言いをし、近寄ってきた者たちを凍らせてしまう。

 だが、こうやって近くで話すようになり、それが噂だけであると気付いた。


 結構、笑ってるんだよね。話してみたら気安いし。

 気安すぎて、レオニーが接し方を間違えてしまうほどだが、それで怒ったりしない。レオニーの反応に笑って、笑いすぎてお腹を抱えることだってあった。

 レオニーをからかってくることはあるが、そこに嫌味はない。レオニーと話すことが楽しそうな、嬉しそうな……。

 気のせいかな?


 ルシアンは近付いて話しかけてくる者たちに、婚約者です。とレオニーを紹介する。

 もうやめてくれ。私の体力はゼロだ。


「それは存じませんでした。侯爵令嬢と婚約だとは」

「ええ、僕が一目惚れをして婚約してもらったんです」


 その嘘やめて。


 動じるのは相手で、ルシアンはその反応を見てなのか、とても楽しそうだった。ちなみに私はもう屍である。

 続々と集まってくる者たちに囲まれて、レオニーは魂の抜けた人形のようになった。疲労困憊だ。


「私、ちょっと、お手洗いに」

「一緒に行くよ」

「いえ、ここは私一人で!」


 激しくはっきり断って、レオニーはやっと一人になった。お手洗いでしばらくぼうっとして、ため息をつき、だらだらと動き出す。


 うう、戻りたくない。針のむしろだ。思った以上にむしろだった。


 忘れそうになるが、相手は公爵子息。彼の相手を望む女性は、エヴェリーナだけではない。むしろ、エヴェリーナでなくて良いのならば、自分たちにチャンスがあったのでは? という獣を狩る目で見られるのだ。レオニーは餌食になる子羊である。生きた心地がしない。


「はあ、やっぱり今からでも、断って……」

「あの、バラチエ侯爵令嬢、今よろしいでしょうか?」


 ふと、声をかけられて、レオニーはため息混じりで振り向いた。ルシアンと離れたので、直接事の真相を聞きに来たのだろう。本当に婚約したのか、そんなことを問いたいに違いない。

 しかし、目の前にいた女性に、レオニーは言葉を口の中に閉じ込めた。


「初めまして。私、ダニエラ・オーベリソンと言います。お話したいことがあって」


 ダニエラ・オーベリソン男爵令嬢。すっかり忘れていた、フィリップの浮気相手である。

 ブロンドの髪をまとめた、少し垂れ目の、唇のふっくらした愛らしい女の子。おどおどとした態度をして、怯えるように話しかけてくる。

 よく話しかけてこられたな。そう思う理由が、彼女にあった。


「サンダール伯爵家ご子息と婚約破棄をされたと聞いて、その、私、誤解を解きたくて。令嬢は誤解されているのです。サンダール卿と私のことを。私とはなんにもないんです。婚約を破棄されることなど、何もなくて」


 ダニエラは涙を浮かべて、フィリップとの関係について、誤解だと大声を出す。

 その声に、周りにいた人たちが注目しはじめた。ダニエラはそれに気付いていないのか、嗚咽を漏らして涙を流す。


「サンダール卿を許してあげてください。誤解で婚約破棄だなんて、私、申し訳なくて。私のせいで、誤解されて、婚約破棄なんて!」


 レオニーは何度も瞬きをしてしまった。

 つまり、ダニエラはフィリップとは浮気ではないので、婚約破棄をやめてやり直してくれと言っているのだ。

 なぜそんな感想が出てくるのだろう?

 同じことを何度も言ってくるので、とにかくそれだけを言いたいのだ。


 周りがさすがに意味を理解して、こそこそと噂をしはじめる。


 勘弁してほしい。あれだけ濃厚なキスをしておいて、なんでもないと言う神経に呆れてしまった。

 ルシアンが言っていたことを思い出す。いい金蔓だと思われている。

 フィリップは個人の借金があるうえ、後継者からも外されたため、困窮しているだろう。そんな男と結婚しても、良いことなどない。

 フィリップはパーティ会場で見なかった。一緒に来ていないのだ。その程度の男として扱っているのがありありと見えた。


 ダニエラは大声で誤解で婚約破棄をしたのだと何度も言って、レオニーが悪いと印象付けているようだった。

 こんな女性を、フィリップは選んだのだ。

 レオニーは拳を握りしめた。

 こんな恥知らずに婚約者を奪われたかと思うと、無性に悔しく、恥ずかしかった。こんな女性に負けたことも、こんな女性を選ぶフィリップと婚約していたことも。


「どうして無視されるんですか。誤解だって、何度も言っているのに。ひどいわ。こんなに謝っているのですよ?」


 もう我慢できない。いっそ罵ってやろうと口に出しそうになったとき、背後から体を引かれた。


「僕の婚約者に、何か用?」

「ダルシアーク卿!? まさか、婚約破棄して間もないのに、別の方と婚約されたのですか? まあ、なんてこと。やはり、浮気をしていたのは、あなたの方でしたのね!」


 ダニエラはひときわ大きな声を出した。

 フィリップはともかく、ルシアンにまで迷惑をかけるその大声に、レオニーはカッと頭に血が昇りそうになった。


「なんて失礼を、」

「ああ、浮気相手さん。お金欲しさに男に貢いでもらっていたけれど、金蔓がなくなって、レオニーに直接金をせしめに来たの?」


 ルシアンの言葉に、周囲がざわついた。ダニエラが慌てて首を振る。


「な、わ、私は、婚約破棄を私のせいになさらないでほしいと、お願いに来たのです。サンダール卿は、バラチエ侯爵令嬢に浮気をされたと悩んでいたのですわ。その相談をされていたのに、私を浮気相手とするなんて。ダルシアーク卿もバラチエ侯爵令嬢に騙されているのです。婚約だなんて、その方は浮気がご趣味なんですわ」


 周囲もどちらを信じるのか、いや、レオニーなどと婚約したルシアンに同情したのだろう。レオニーを見る目が鋭くなって、レオニーは唇を噛み締めた。

 レオニーはお茶会になどほとんど出ないし、女性たちからも変わり者とされている。そのレオニーがルシアンと婚約と聞けば、みんな不審に思うはずだ。

 これでは、レオニーと婚約したルシアンの立場が悪くなってしまうかもしれない。


「私は、」

「浮気が趣味なのは、あんたのことでしょ」


 ずばりの言葉に、ダニエラは頬を赤らめた。けれどすぐに気を取り直して、涙を流す。


「そんな、誤解ですわ。私、私、そんなふうに言われるだなんて、悲しくて。どうか、信じてくださいませ」


 ダニエラが涙を流しながら、ルシアンの腕に触れてすがろうとした。


「気安く触んないでくれない?」

「え?」

「まずは貴族の礼儀を覚えてからにしなよ。男爵令嬢が勝手に触れるとか、どういう神経してるの?」

「わ、私は」

「私、私、うるさいんだよね。あんたのことなんてどうでもいいよ」


「ダルシアーク卿、誤解されているんです。その方は浮気ばかりですし、そんな人と婚約なんて。そもそも、ダルシアーク卿はエヴェリーナ殿下と婚約されるのではなかったのですか?」

「僕が選んだのは彼女だし、エヴェリーナ殿下は関係ないよね」

「そんな、だって、エヴェリーナ殿下と婚約されるから、私だって。その方のどこが良いのですか? 侯爵家が土地持ちでお金があるから? サンダール卿も同じことをおっしゃっていました。お金があるから、言うことをきかせるのが趣味だと。そのような女性と婚約しても、ダルシアーク卿が不幸になるだけで」

「だから、あんたを選べって?」

「私はそのような意味で言ったのでは。ですが、その、言いにくいのですが、ダルシアーク卿には、もう少し、容姿が美しい方の方が、お似合い」

「はっ。自分は美人だって言いたいの? そんなにぶっさいくなのに?」

「なっ!?」

「気持ち悪いから、僕に二度と話しかけないでくんない? 行こう、レオニー。あんなのと話したら、ぶさいくがうつるよ」

「ぶ、ぶさいく!?」


 ダニエラが顔を真っ赤にさせた。周囲からの嘲笑にもっと顔を赤くさせると、逆方向に逃げるように走っていった。

 レオニーがあれを言われたら、立ち直れないかもしれない。

 けれど、心の中はすっきりとした。ルシアンが代わりに言いたいことを全部言ってくれたからだ。


「あの、ありがとうございます。庇っていただいて。ルシアン様にも、失礼なことに」

「気にしなくていいよ。僕、ああいう女、本当に嫌いなんだよね。気持ち悪くて」


 ルシアンは眉間に皺を集め、心底嫌そうな顔をする。

 どうやら本当に嫌いなようだ。


「いかにも女を武器にするのはいいけど、あれはただの娼婦でしょ。浮気相手もレオニーの元婚約者だけじゃないと思うよ。あんな女に引っかかるなんて、婚約破棄正解だから」


 ダニエラは、ルシアンの相手がエヴェリーナでないと知っていれば、ルシアンにも近付いていたのだろう。けれど、ダニエラのような女性に興味がないと知って、安堵する。


 ん、安堵?


「ほら、踊ろう」

「私、あまりダンスは得意では」

「いいから。リードしてあげる」


 ルシアンはレオニーの手を引いて、ダンスのリードを始める。腰に回される手も、握られた手も、嫌な気分ではなかった。ルシアンが少しだけ頬を染めて、くったくなく笑うからだ。


 前に踊ったのはフィリップだった。

 フィリップは得意だといいながら、レオニーをリードするほどうまくなかった。

 ルシアンは本当にうまいのだろう。まるで自分が上手になったように、体が軽い。


 あ、楽しい。


 ルシアンの薄水色の、氷のような瞳と目が合った。

 冷えた色なのに、どこか、熱を持つように、レオニーの焦茶色の目を見つめてくる。


 なんだか、ドキドキした。


 ダンスが楽しかったからなのか、それとも、ルシアンがいたからだろうか。

 





 契約婚約みたいなものなのに、夢心地に浸ってしまった。


 その代償か。


 真っ赤に燃える髪色の、エヴェリーナを前にして、レオニーは蛇に睨まれた蛙のように縮こまっていた。

 急にエヴェリーナに呼ばれて、今ここである。怖すぎる。


「偽装婚約だということはわかっているのよ」


 のっけからの一言に、つい頷きそうになる。

 心を引き締めなければ。ルシアンはレオニーのためにダニエラにはっきり言ってくれたのだ。今度はレオニーがルシアンを助ける番である。

 ここで頷いたら、エヴェリーナの思う壺だ。


「なんのことでしょうか。婚約に至ったのは、お互いに気が合ったからです」

「ばかばかしい!」


 ごもっともです。ご理解いただけなくて当然かと思います。説得力がなさすぎる。


 ルシアンは、誰かに聞かれたら、僕が一目惚れしたって言えばいいよ。と言っていたが、それでなぜ納得してもらえると思ったのか。誰も納得しない。レオニーだって納得できない。


 エヴェリーナの目は、嫉妬でギラギラ燃えている。

 嫉妬を超えた、レオニーへの悪意。

 当然かと思われる。なぜルシアンがレオニーを選ぶと考えるだろうか。ならば、偽装婚約だとすぐに気付くだろう。

 そんなことでもレオニーを選んだことが許せないのか、エヴェリーナは憎しみを込めてレオニーを睨み付けた。


 この怒りに屈してはならない。


「私は婚約者に裏切られ、辛い思いをしていたところを、ルシアン様に助けられました。ルシアン様は前々から私をご存知で、学院で研究に勤しむ姿を見て、気になり、婚約者の浮気を知って、私に声をかけてくださったのです!」


 エヴェリーナの片眉が大きく吊り上がる。

 気になり、はともかく、他は嘘を言っていない。


「ルシアン様は私のために、元婚約者の浮気相手を撃退してくださいました。あの方ほど優しい方はございません」


 断言して、照れそうになる。本人に聞かれたら、だよね。とか言って笑ってきそうだ。

 だが実際、優しい人だと思っている。ルシアンに聞かれたくないが、嘘ではない。


 エヴェリーナは顔を歪めた。怒り爆発直前かもしれないが、ここをはっきり言わなければならない。


「ですから、私たちは思い合っているのです!」


 レオニーは大きく出た。


 嘘は言ってない。お互い、面倒な異性を退けるために、思い合ってる。思い合っているという表現は微妙に違うかもしれないが、お互いのために手を組んでいるのだ。


 言い終えて、レオニーはエヴェリーナの反応を待った。

 沈黙に冷や汗が流れてくる。


 返答ないなら、帰っていいですか!?


「わかったわ」


 エヴェリーナの言葉に、レオニーはポカンと口を開けてしまった。


 今、納得したのか?


 しかし、エヴェリーナは鋭い視線をレオニーに向けてくる。どう見ても納得しているような顔には見えない。


「ルシアンは、あなたの研究に興味を持っているだけなのでしょう」

「……は?」

「わかっているのよ。だから、その研究は、私が買うわ。バラチエ侯爵家の鉱山を購入します。国に必要な事業だし、丁度良いわ」


 何を言っているのか、レオニーには理解できなかった。

 ルシアンは関係ないし、研究はレオニーと教授のものだ。それに、鉱山の所有者は父親であって、レオニーではない。鉱山がある場所は、バラチエ侯爵家の領地であって、レオニーが自由にできるものではない。

 それくらい、言われなくてもわかることだろう。簡単に渡せるようなものではないのに。


 それに、どうして研究の話が出るのかもわからなかった。

 国に必要だというのも、どんな話を誰から聞いて、そんな話になったのだろう。

 大体、なぜレオニーと教授の研究を知っているのだ?


「ルシアンは、あなたの研究に興味を持って近付いた。あなたは、それでルシアンを引き留めているだけなのでしょう。金目当ての事業ばかりしているバラチエ侯爵家だもの、金に汚いのね」

「失礼ではありませんか!?」

「汚いから、ルシアンが婚約者なんて立場になったのでしょう? ダルシアーク公爵の領地は、この都よりずっと北部で、とても寒い場所なのよ。夜は長いし、灯りが別の材料になったら領地民は喜ぶわ。そんなことで彼を引き止めようとするなんて」

「そんなこと。この国は、どこでもそうじゃないですか」

「だからこそ、彼を縛っているのでしょう」

「変なことを言わないでください。それに、その研究は私と教授のもので、まだ研究途中です。誰かに売るなど考えたことはありません!」

「だから、何? 研究者なんてどこにでもいるでしょ。あなたじゃなくったって問題ないじゃない」


 話が通じない。ルシアンが言っていたように、我がままで済ませるようなレベルではない。


 エヴェリーナは見目に比べてまだ幼かった。レオニーより年下である。迫力があるため忘れていたが、まだ十七歳だ。

 けれど、レオニーが十七歳だったとき、ここまで無知で傲慢ではなかった。王は甘やかしすぎである。


 いつかはどこかに嫁ぐだろうが、それがルシアンならば問題ないと思っていたのだろうか。


 そう思って、なぜか心が痛くなった。


 ルシアンとエヴェリーナの婚約は、誰しも本当だと思っていた。それは王がルシアンを我が子のように扱っていたからである。そのルシアンの隣には、いつもエヴェリーナがいた。

 二人が婚約するというのは、昔から言われていたことなのだ。


「ちょっと、聞いているの!? 契約書でも作ってあげるわ。研究はわたくしに一任するとね」

「お断りします」

「なんですって!」

「我が領地を、私が単独で売ることはできませんし、できたとしても、領地をたやすく売るような真似は致しません。殿下は領地をそのような単純な物だとお考えでしょうか?」

「私に楯突く気!?」

「お話がそれだけでしたら、私はここで失礼させていただきます」

「あなた、後悔するわよ!」

「失礼致します」


 レオニーは部屋を飛び出した。

 あまりにも非常識すぎる。

 両親にこのことは伝えなければならない。

 エヴェリーナが、研究を狙っているということも。


「どうして、私たちの研究を知っているの?」


 そんなことに一切興味なさそうなエヴェリーナが、やけに詳しく知っている。

 灯りに使えそうだとわかったのは、つい最近。それを知っているのはレオニーと教授、手伝ってくれる教授の助手くらい。


「ルシアン様が言うはずないわよね……?」


 そもそも、ルシアンに研究内容は伝えていないのだから。

 けれど、もしも、研究が目当てでレオニーに近付いたとしたら。


 レオニーは大きく首を振る。


「そんなはずないわ。あの研究に価値があるのかさえ、今はまだわかっていないのだから」






 エヴェリーナに呼ばれて数日。レオニーは研究が忙しいからと、ルシアンの誘いを断り続けていた。避けたって仕方がないのに、会う勇気がなくて、その日を遠回しにしている。


「最初から偽装の婚約なのに」

「何か言ったかい?」

「いえ、教授、商人は私の方で決めてしまってよろしいのですか? 父は好きにしろと言っていますし、教授のご意見も聞きたかったのですが」

「私は研究を手伝っただけで、鉱石は君の領地の物だし、熱意を持って研究を続けたのは君だからね。よく学生の頃から頑張ったものだよ」

「それは、教授の協力をいただいていたからで」

「父君から支援金はいただいているから、気にしなくていいよ。それより、次の研究を引き続き行いたいんだけれど」

「そちらは、教授が予想されていた通り、伝導率が高いので、離れた場所でも反応し合うんです」

「ふむ。なら、次は離れた場所でも点灯させる方法かねえ」

「はい! 実はもう実験も行っていて……」


 なんてやっていたら、今日も一日が過ぎてしまった。


「はあ、こうやって日々過ぎていってしまうのだわ」


 ルシアンの誘いを断ってはいるが、実際に忙しい。

 いや、忙しくても会おうと思えば会えるのだ。ただ、会う時間を作らないだけで。

 このまま忙しくしていれば、ルシアンと会うこともなくなるだろうか。

 そう考えると、なぜか胸が痛くなってくる。


「ただの契約婚約なのに」

「レオニー・バラチエ侯爵令嬢でいらっしゃいますね」

「はい?」

「ルシアン様の使いで参りました」

「ルシアン様の使い?」


 学院の外に出れば、男が馬車の前で待っていた。

 ずっと誘いを断っていたので、レオニーが学院にいることを知って、馬車で迎えに来てくれたのか。

 申し訳なさと、恥ずかしさが込み上げてくる。こちらはずっと避けていたというのに。

 レオニーも馬車で来ていたが、ルシアンの呼んだ馬車に乗ることにした。バラチエ侯爵家の馬車には先に帰るように伝えて。


 ずっと避けていても仕方がない。エヴェリーナに呼ばれて、研究のことを言われたと正直に打ち明けて聞いてみよう。

 ルシアンが言ったとは思っていないが、はっきりさせたい。


 馬車は暗闇の中走り続ける。この時間、街は真っ暗だ。まだ夕食の時間でもないのに、この国は日が暮れるのが早いのである。

 もっと早く帰るつもりだったのに。

 少しは日が長くなったのだが、それでも暗くなるのは早い。


「あら、どうして森の中を走っているの?」


 暗くてもわかる。街並みを走っていれば灯りが見えるのだが、今走っている場所は葉の茂った、舗装のされていない道だ。時折石にぶつかって馬車が傾くように揺れる。枝が馬車にぶつかって、バサバサ音を立てた。


「どこへ行く気……」


 もしかして、エヴェリーナに頼まれたのか?

 まさか、本当に研究のために、ルシアンはエヴェリーナと組んで、自分を騙していたのか?


「ううん。そんなはずないわ。そんなこと信じない。ルシアン様の優しさは本当だって、信じてるもの」


 ならば、これはエヴェリーナの罠かもしれない。

 馬車は森の中に止まり、御者がレオニーに降りるよう促した。


「では、私はこれで」

「え、ちょっと!?」


 馬車がレオニーを置いて、さっさと行ってしまう。

 森の中に下ろされて、星の光さえ届かない暗闇に残された。


「落ち着かなきゃ。そうだ、ポケットの中にクズ石が」


 小石のような鉱石を取り出して、レオニーは鉱石に魔力を入れようとした。だが、木陰からふらりと炎のランプが揺れて近付いてくるのが見えて、レオニーは後ずさった。

 ランプを持って歩いてくるのは、フィリップだ。


 嫌な予感しかしない。


 ランプの灯りが、歪んだフィリップの顔をうつす。

 前に会ったときに比べて、やけに貧相な顔をしていた。頬が痩けて、影を落としている。笑っているようだが、下卑た笑いに見えた。


「レオニー、久し振りだね」

「私に何か用?」

「君とやり直したくて」

「冗談でしょう?」


 寝言は寝てから言ってほしい。

 しかしフィリップは本気だと、レオニーの腕を掴んでくる。


「いたっ、触らないで!」

「レオニー。聞いたんだよ。研究の成果があったんだって? 暇さえあれば学院に行って、研究していたじゃないか。良かったよ。成功して」

「何を言っているの」

「隠すことはないよ。エヴェリーナ殿下から聞いたんだ。相当な金額が手に入るんだろう? やり直そう。俺が愛しているのは、君だけだよ」


 ゾッとした。頭がおかしいとしか思えない。痺れそうなほど強く腕を握られて、フィリップはレオニーを押し倒した。

 背中や頭が枯葉に埋もれて、頬をかする。

 ランプの炎がフィリップの顔を照らした。その顔は、舌を垂れ下げた獣のように見えた。


「離して!」


 手の中にはまだクズ石がある。レオニーはとっさに魔力を流し込んだ。

 途端、クズ石が目に刺すほどの光を放った。


「うわっ! レオニー!?」


 レオニーは走り出した。クズ石をその辺に放り投げて、走り続ける。


 誰か。

 ルシアン様。


「レオニー!」

「きゃっ!」


 フィリップが獣のように飛び込んできた。もんどり打って、フィリップと一緒に地面に滑り込む。


「ふざけやがって! 誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるんだ! エヴェリーナ殿下が、お前を襲えば借金を支払ってくださるとおっしゃった。そうしたら、お前の研究も俺のものだって! 村人のためとか、領地のためとか、毎日のようによくやったよ。まさかそこまで金が稼げるものだとは思わなかったけどな。もっと早く言ってくれよ。だったら、もう少しうまくダニエラと付き合ったのに」

「はっ、そのダニエラにも捨てられたくせに! あなたほど、何の価値もない男はいないわ!」

「レオニイイ!!」

「離して! 助けて、ルシアン様!!」


 叫んだ瞬間、のしかかられた体重が、一瞬で消え去った。


「ぎゃあああっ! 顔が、顔がああ!」


 炎がフィリップの顔を包んでいる。フィリップは地面に転がって、火を消すと、むせたように息継ぎをした。


「レオニー、大丈夫か!? 怪我は!?」

「ルシアン様?」


 魔法で飛ばされて動けなくなったフィリップを、別の誰かが押さえて、ルシアンはレオニーを起き上がらせると、抱き寄せた。

 抱きしめられて、震えているのがわかる。レオニーではない。ルシアンの方が震えていた。


「学院に向かっている途中、バラチエ侯爵家の馬車とすれ違って、聞けば、僕の名を語った馬車が君を乗せたと。急いで馬車を探させたんだ。……遅くなってすまない。間に合って良かった」


 安堵しながらも震える声に、レオニーも震えだした。

 ルシアンが来なければ、どうなっていたのか、考えたくもない。

 急に涙が溢れてきて、抱きしめられた腕にしがみつくようにルシアンを抱きしめた。


「エヴェリーナ第二王女にそそのかされて、私を襲ったんです。研究の成果でお金が稼げただろうと言って」


 レオニーはエヴェリーナに呼び出されたこと、研究について知っていたこと、フィリップが話したことをすべて伝えた。


「ルシアン様が、話したと疑っていました」

「僕じゃないよ」

「わかってます。でも、一瞬でも疑いました。ごめんなさい」

「いいよ。そりゃ、急に近付いたんだもの。嘘くさく見えて当然だっただろうし。レオニーが疑うのは当然だよ」


 ルシアンはレオニーの涙を拭うと、小さく息をつく。


「君が学院に通っている頃から、教授が協力して研究していることは知っていた。けれど、研究に興味を持ったわけじゃない。君に興味を持っていただけだ」


 レオニーは目を瞬かせた。

 ルシアンが、レオニーに興味を持っていた?


「な、慰めなら、大丈夫です」

「どうしてそうなるの! はあ、とにかく、馬車に乗ろう。怪我はない? 顔を見せて」


 ルシアンはレオニーの頬に触れると、顔を歪めた。ハンカチを出すと、そっと拭ってくれる。ピリリと痛みが走ったので、枯れ葉で頬が切れたのだろう。


「大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないよ。おいで。……そっちのは、さっさと連れて行け。あとでじっくり話を聞く」


 冷ややかな視線の先、フィリップが男に引きずられるように連れていかれる。

 ルシアンはレオニーを馬車へ促して、隣に座った。


「僕たちは一学年だけかぶっているんだよ。知っていた?」

「そう言えば、そうかもしれません」

「そういうところだよね。僕のこと全然知らなかった?」

「いえ、すごい人がいるって、聞いてましたよ」

「会ったことあるんだけど。覚えてないでしょう?」

「私が見たことなら、何度かありますけど」

「ぶつかったことがあるんだよ。僕のこと、まったく興味ないって感じで、謝って素通りされたけど」


 ルシアンは肩をすくめる。

 そんなことあったか? 誰かと間違えているのではなかろうか。


「間違えてないから。君だったよ。教授の部屋に入っていったからね」


 それは言い訳ができない。おそらく研究で忙しくしていたのだろう。顔を見ずに謝ったに違いない。

 けれど、ルシアンはそれをよく覚えていて、面白い、と思ったそうだ。


「僕、モテるんだよね」

「それは、よく存じており」

「だからさ、よく女の子がぶつかってくるんだよ。わざと。そうやって顔を覚えてもらおうとするんだ。だから君も、その手の類かなって思ったんだけれど、僕が側通ろうが、近くにいようが、まったく興味なくって、何度も素通りするの。僕、そこまで無視されたの初めてだったよ」

「そ、そんなことは」

「覚えてないんでしょう?」

「……覚えてません」

「ほら、そういうところ。面白いなあって。いつも本抱えて、教授のところ入り浸って。変な子がいるなって、ずっと見てた。君のことが気になって、卒業しても気になって、だから婚約者がいるか調べたら、もういると知って、がっかりしたよね。何でもっと早く動かなかったんだろう。諦めるしかないのかって」


 ルシアンは微かに自嘲する。なぜ、最初から声をかけなかったのだ、と。


「けれど、あの男の浮気を知って、僕にチャンスが回ってきたと思った。最低だよね。君にとって辛いことなのに。でも、僕はうれしかったんだ。君が好きだから」


 ルシアンが、その凍えた瞳をレオニーに向けた。

 冷えた薄い青。氷のような色なのに、熱を帯びて、レオニーを見つめる。


「好きだよ。好きだから、婚約したんだ。王女がどうとか、関係なくね。あれは口実。そんなこと、関係ないんだ。僕が、君を好きなの」


 気付いたら、涙が流れていた。

 ルシアンが隣で指で涙をすくうように拭ってくれる。


「無理に婚約したけど、僕の気持ちは嘘じゃないから。……泣くほど嫌?」

「ちが、違います」

「じゃあ、何で泣くの? その顔、期待していいわけ?」

「期待してください」

「ぷはっ! あはは。そっか、期待していいんだ」


 レオニーは頷く。ルシアンは嬉しそうに笑って、泣いてもいないのに目尻を拭った。ただ、少しだけ目が赤く見えた。


「いつまで泣いてるの。僕が悪いの?」

「悪くないです。いえ、悪いです。ううっ」

「悪かったよ。もっと早く、はっきり言えば良かったんだ。王女から逃げるみたいに、無理に婚約したから。だって、そうじゃないと断られると思って」


 ルシアンが口を尖らした。時折子供みたいな顔をして、けれど静かに優しく微笑む。レオニーを見つめて、愛おしそうに、笑った。


「私もです。私も、ルシアン様のことが好きです」

「それ、信じていいの?」

「信じてください。好きです」

「うん、わかった。わかったから、その手、どかして。そうやって涙ぬぐんないの。ほら、こっち向いて」


 ルシアンが両頬を両手で包んで、レオニーの涙を親指で拭った。そうして、まっすぐに見つめながら、そっと唇にルシアンのそれを重ねる。


「言っとくけど、僕、嫉妬深いから」

「そうなんですか?」

「そうだよ。だから、覚悟しといて」


 そう言って顔を寄せると、息ができないほど、熱く長い口付けをした。

 





 なんだか、夢見心地だ。

 前もあったような気がするが、今回は前回とは比べ物にならない、夢の中である。

 ふわふわして、床から浮かんで歩いているような気分になる。


 あの後、ルシアンはレオニーを屋敷に送り、今回の件についてよく捜査させると言って帰っていった。

 フィリップは、エヴェリーナについて話していた。それが事実なのか、調べる必要があるのだと。

 エヴェリーナがフィリップをそそのかした。エヴェリーナはそこまでしてルシアンを取られたくなかったのだろう。


「それくらい、思い詰めるほど好きなのかな」


 急に地面に足が付いたように、レオニーはとぼとぼと歩きはじめた。


「お嬢様、どうかされましたか?」

「ううん。何でもないわ。あ、あそこが教授のお部屋よ」


 声をかけてきたのは、バラチエ侯爵家の騎士だ。学院に行くだけだから騎士をつける必要はなかったのに、今回の事件で、両親から絶対に連れて行けと注意されたのである。

 まさか、フィリップを使って襲わせようなんて、普通考えたりしない。

 昨夜のことを思い出しただけで、背筋に寒気が走った。


 フィリップとは学院に在学中婚約して、卒業して一年で結婚する予定だった。フィリップとは同い年なので、学院卒業後、伯爵家のあれこれを学ぶ必要があったからだ。

 それが助かったと言うべきか。

 結局三年もの間、フィリップと婚約関係で、それなりに親しくはしていた。

 なのに、あんな真似をするような卑怯な男だったとは。


 ルシアンに出会えたのは、とても運の良かったことなのだろう。

 大切にしたい。彼とのこれからを。


「お嬢様、お待ちください」


 教授の部屋に行こうとすると、騎士が止めた。

 部屋の前に兵士がいる。こちらに気付いて、部屋の中の誰かを呼んだ。

 ばらばらと兵士が部屋から出てきて、こちらに向かってくる。


「お嬢様、お下がりください」


 騎士が警戒した。だが、兵士は王宮の兵士だ。


「レオニー・バラチエ侯爵令嬢だな。秘密技術盗難の疑いで逮捕する」

「何ですって!?」


 兵士たちがレオニーと騎士を囲むと、レオニーを拘束した。騎士が争おうとしたが、王宮の兵士と戦うわけにはいかない。


「お嬢様!」

「ちょっと、離してください!」


 一体、何が起こっているのか。

 兵士たちはレオニーを騎士から離すと、引きずるようにレオニーを連れて、牢に入れた。


「きゃっ! なんで、何かの間違いです! 出して!」

「うるさい! 黙れ!」


 兵士が鉄格子を蹴り、レオニーを鉄格子から離れさせると、唾を吐いてその場を離れていく。

 まさに、天国と地獄だ。浮きそうなほど夢見心地だったのに、無理やり地面に足をつかされたみたいだ。

 どうしてこんなことに。


「盗難って言った? 秘密技術、盗難? それって、私の研究のことじゃないの?」


 ならば、これはエヴェリーナの仕業か?

 王族の一人が、こんな真似をするのか。

 フィリップをそそのかしただけでなく、他人の研究まで奪おうとするなんて。


 今までエヴェリーナは、王族で、立ち向かうには恐ろしいという、その程度の考えしかなかった。立場的にどうにもならない、できるだけ関わりたくない人。

 だが、今では、なんと卑怯な人間なのか、怒りしか込み上げない。


「あんな最低な人間に、ルシアン様は渡さないわ」


 けれど、これからどうすればいいのか。どうやって、この牢屋から出ればいいのかわからない。

 ここで叫んでも、兵士たちが助けてくれるわけでもない。

 いつ、ここから出られるかもわからなかった。


「寒いわ」


 牢屋は底冷えして、足元から凍えてしまいそうだった。寒さだけで急に心細くなってくる。


「ルシアン様……」






 どれくらい経っただろうか。寒さに凍えて、座り込んで丸くなっていれば、大声と物音がした。


「レオニー!」

「ルシアン様!?」

「怪我は? 体調は!?」

「だ、大丈夫です」

「大丈夫じゃないよ! こんな冷えた場所で。怖かっただろう。こんな真似をするなんて!」


 ルシアンがすぐに鍵を開けて、抱きしめてくれる。

 その温かさに、急に泣きたくなった。

 ルシアンの性格を知ってから、変な人だな、という感想しかなかったのに、いつの間にか惹かれていた。

 今だって、ルシアンが側にいるだけで、心が温かくなるのがわかる。


「もう少し我慢できる? 行く場所があるんだ。あの女に責任を取らせないと」


 ルシアンは厳しい顔をしたまま、レオニーを連れて歩き出す。

 どこにいくのか。王宮の奥まった場所へどんどん進んだ。誰もルシアンを止める者はいない。衛兵が守る大きな扉の前まで来て、足を止めた。中で誰かが話しているのが聞こえる。


「ご覧になってください。このように、光は連動し、次々に光が灯るのです。この技術はこの国に大きな影響を与えるでしょう」

「ふむ、他に何ができるのだ?」

「今は、炎を使わずに光を灯すだけですけれども、きっと他の使い方もできるでしょう」

「例えば?」

「例えば、そうですわね。王宮で使われる火の番をしなくて済みますわ」

「ふむ、それで?」

「そ、それで、ですか。とても画期的な発明だと思うのですけれど。火事を心配することもなくなります。貴族たちはこぞってこの鉱石を購入するでしょう!」


 話しているのはエヴェリーナだ。話し方からするに、相手は王に違いない。

 エヴェリーナはまるで自分の研究のように、王に説明をしていた。いや、自分の研究であると説明しているのだろう。ルシアンの顔が一層厳しくなって、衛兵に扉を開けさせた。


「ルシアン様? なぜ、その娘を!」


 レオニーに気付いたエヴェリーナが、レオニーを憎しみを込めて睨み付けた。


「王、ここで申し上げたいのですが、あの娘、レオニー・バラチエ侯爵令嬢は、この研究を独占し、王に仇をなす気だったのです!」


 突然、エヴェリーナがレオニーを逆賊のように言い出した。

 王がぴくりと眉を傾げて、レオニーに視線を向ける。


「違います。私は、」

「お黙り! 誰が話すことを許したの!」


 エヴェリーナが間髪入れず怒鳴り散らす。

 王の前で不敬だと言われて、レオニーも唇を噛みしめた。失礼があれば、レオニーだけでなく、両親にも影響が出る。

 なんて卑劣な真似をするのだろう。悔しくて、レオニーは涙が出そうになった。

 しかし、左手が強く握られる。ルシアンと繋げていた手に、力が入った。ルシアンは王とエヴェリーナを直視したまま。目を逸らさない。


「何か言いたいことがあるようだな。ルシアン」

「ございます。その研究は、レオニー・バラチエ侯爵令嬢が中心となり行なったものです。すでにバラチエ侯爵家は、その商品の販路を商人と契約しております。こちらが契約書です」


 いつの間にかやってきた男性が、王に契約書を見せる。王はそれを無表情で確認して、軽く頷いた。


「エヴェリーナ殿下はどういう理由で王に虚言を伝えているのか。レオニーを陥れて、研究を我が物にする気だったのでは?」

「ち、違いますわ! わたくしは、国のためを思い、」

「それで、レオニーを殺そうと? あの男をここに」


 ルシアンが合図すると、フィリップが連れてこられた。火傷を負ってげっそりとしたフィリップは、エヴェリーナを見るなり目を見開いて、口をパクパク開け閉めする。

 エヴェリーナはそれを睨み付けて、すぐに目を逸らした。しかし、無視しながらも、握っていた手が震えているのがわかった。


「この男は、エヴェリーナ殿下の命令で、我が婚約者を脅そうとしました。金をもらい、彼女を傷付けようとしたのです」

「ルシアン様、なぜその女の肩を持つのですか!」

「黙れ、エヴェリーナ!」


 話を聞いていた王が大声を上げて立ち上がる。


「研究の件は教授から聞いている。販路も決まり、バラチエ侯爵令嬢と研究内容を発表する予定で、製作方法の提示も行うつもりだと。これで我が国の燃料問題に終止符が打てるだろう。結果を出した令嬢に対し、国家を揺るがす真似をするなどと、良く言えたものだな!」

「そんな……」

「今まで自由を許していたが、甘やかしすぎたようだ。ここまで愚かだったとは。王女を連れて行け!」

「お父様!?」


 エヴェリーナの声が遠のいていく。扉が閉められて、王は大きなため息をついて、力なく椅子に腰を下ろした。


「バラチエ侯爵令嬢。そなたを危険をさらしたこと、申し訳なく思う。また、研究を無料提示する件、礼を言う。他の研究もあると聞いている。そちらは無料とせず、そなたの利益にするといい。ルシアンから、自分の利益を顧みない、研究に勤しむ女性と聞いているが、素晴らしい発見を利益にすることも必要だ」


 王に頭を下げられてレオニーは恐縮する。まさか王にそんな礼をされるとは思いもしなかった。

 ルシアンが誇らしげに微笑んで、レオニーを見つめる。その優しい眼差しに、胸が熱くなるのを感じた。


「頑なにエヴェリーナとの婚約を拒んできただけあるか。素晴らしい女性を見つけたようだな」

「僕の最愛の人です」


 はっきりとした物言いに、レオニーは頬を染めた。

 





「さん、にい、いち、点灯!」


 一斉に灯された光に、人々から歓声が上がった。

 今日は鉱石の完成披露だ。

 内々の研究だったのに、王の計らいで、街で点灯式が行われることになったのだ。

 城内だけでなく、庭園や街灯までバラチエ侯爵家の鉱石が使われて、その購入費用は国が持ったのである。商人との契約も終わっているので、実質、売り上げはバラチエ侯爵家に入ることになった。


「すごい、綺麗」


 城から見る景色は、あまりにもまばゆくて、まるで宝石を並べているように美しかった。


「本当だ。とても、美しいね」


 ルシアンがレオニーを見つめながら言う。まるで、レオニーに言っているみたいに聞こえた。

 そうであると言わんばかりに、ルシアンは微笑む。


「ルシアン様が言っていた、価値って言葉、私、ずっと考えていたんです。私に価値ってあるのかなって」


 研究結果が出なくて浮気までされて、どん底に落ちそうだった。


「でも、言ってくれたじゃないですか。研究続けてるのすごいねって。あそこでやめないで良かった。自分で価値を作れました。ルシアン様のおかげです!」


 ルシアンは目を細めると、緩やかに微笑んだ。


「君が証明したんだよ。誰にも奪われない、自分の価値を」


 ルシアンは褒めるのがうまいのだと思う。そんなことを言われたら、顔が真っ赤になってしまうだろう。きっと赤くなっているに違いない。


「これから、次の研究をするんでしょう?」

「教授も早く研究したいみたいです」

「あのじいさん、牢屋にいたのに、まったく元気だね」

「静かだったから、計算が進んだって言っていました」

「どんななの……」


 レオニーが兵士に捕らえられていたように、教授も牢屋に閉じ込められていた。その間、レオニーが震えている頃、牢屋の床や壁を使って研究をしていたというのだから、レオニーも呆れてしまう。

 だが、教授のおかげでここまで行えたのだ。


「感謝しなくちゃ」

「研究はいいけれど、ちゃんと僕の相手もしてよ。教授に嫉妬するからね」

「ルシアン様ったら」

「本当だよ。嫉妬深いって言ったでしょ」


 ルシアンがレオニーの両手をとって、子供に注意するように睨んでくる。

 研究ばかりじゃ、めっ、よ。なんて言いそうだ。


「時々、子供っぽいですよね」

「僕が? そうかもね。好きな人には、駄々をこねたくなるんだ。だから、レオニーも言っていいよ。僕を束縛してよ」

「くっ。なんですか、それ。私の理性を試してるんですか!?」

「それって、僕のセリフじゃない?」

「私のセリフですよ」


 レオニーは両手をはねのけて、ルシアンの両頬を引き寄せると、その唇に口付けた。

 ルシアンが目を丸くするが、フッと微笑む。


「それだけでいいの?」


 この男、人の理性を試しすぎである。


「足りないです」


 もう一度引き寄せて、口付けて、笑って、そうして、深くため息が出るほどの長い口付けを交わした。

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