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第4話 断罪のシャンパングラス

カジノ都市ドラド。

砂漠の夜を焦がすほどのネオンと魔導灯の光。天を突く摩天楼からは絶え間なく歓声と音楽が降り注ぎ、街全体が巨大な宝石箱のように輝いている。そこは欲望の掃き溜めであり、同時に成功者だけが許される楽園だった。


その楽園の門前に、異臭を放つ四つの影が立っていた。

かつて世界を救うと期待されたS級勇者パーティ『天雷の剣』の成れの果てだ。

勇者アレクは、泥と乾いた血にまみれた髪をかきむしりながら、目の前の煌びやかなゲートを睨みつけていた。


「おい、通せと言っているだろう! 俺は勇者アレクだ! この国の王から直々に聖剣を授かった男だぞ!」


アレクが門番に詰め寄るが、その声には覇気がない。喉は乾ききり、目は落ち窪んでいる。自慢の白銀の鎧は魔族の毒液で腐食し、ただの鉄屑のように歪んでいた。

門番の屈強な男は、鼻をつまんであからさまに顔をしかめた。


「勇者様ねぇ。最近多いんだよ、そういう詐欺師が。そのボロ雑巾みたいな格好で勇者? 笑わせるな。ここは金持ちと勝者だけが入れる場所だ。乞食は裏の路地へ行きな」

「貴様……! 無礼だぞ!」


アレクが剣に手をかけようとするが、聖剣はすでに輝きを失い、鞘から抜く体力さえ残っていない。

後ろに控える仲間たちの状況はさらに悲惨だった。

重戦士ガントは担架代わりの板に乗せられ、意識がない。壊死した足からは腐敗臭が漂い始めている。聖女エリスは呪いのせいで言葉を発せず、ただ虚ろな目で涙を流し続けている。魔法使いミリアに至っては、ブツブツと何事かを呟きながら自分の髪を引き抜いていた。


「お願いします……通してください……オーナー様に会わせてください……」


アレクはプライドをかなぐり捨て、門番の足元に縋り付いた。

こんな姿、誰にも見られたくない。だが、背に腹は代えられない。この街の支配者である「カジノ王」に会えなければ、ガントは死に、自分たちも野垂れ死ぬ。


門番が警棒を振り上げ、アレクを殴りつけようとしたその時だった。


「待ちなさい」


凛とした鈴のような声が響いた。

門の向こうから現れたのは、夜空を織り込んだようなダークブルーのドレスを纏った銀髪の美女だった。その首元や指先には、一国の国家予算にも匹敵するような魔石のアクセサリーが輝いている。

門番たちが慌てて直立不動の姿勢をとる。


「ル、ルナ様! お疲れ様です!」

「その方たちを通しなさい。オーナーがお待ちです」


ルナと呼ばれた美女は、冷ややかな瞳でアレクたちを見下ろした。かつてゴズに虐げられていた怯えた少女の面影は微塵もない。今の彼女は、カジノ王の側近としての威厳と、圧倒的な美貌を誇っていた。


「オ、オーナーが? 俺たちを知っているのか?」


アレクが顔を上げると、ルナは無表情のまま頷いた。


「ええ、よくご存知ですよ。最上階の『ロイヤル・スイート』へご案内します。……汚さないように気をつけてくださいね」


彼女が背を向けて歩き出すと、門が重々しい音を立てて開いた。

アレクたちは夢遊病者のようにその後を追った。

カジノホテル『黄金の天蓋』の内部は、外観以上に豪華絢爛だった。床には最高級の赤絨毯、壁には名画、天井からはクリスタルのシャンデリア。すれ違う客たちは皆、仕立ての良い服を着て、自信に満ちた顔をしている。

アレクたちは、まるで汚点が移動しているかのように目立ち、周囲から奇異の目で見られた。

惨めだ。悔しい。

だが、その屈辱すら飲み込まなければ、明日の命はない。


黄金のエレベーターに乗り込み、最上階へ。

扉が開くと、そこには一つの巨大な空間が広がっていた。

壁一面がガラス張りになっており、ドラドの夜景を一望できる。部屋の中央には、巨大な革張りのソファと、ガラス細工のテーブル。

そのソファに、一人の男が足を組んで座っていた。

逆光で顔は見えないが、その手には赤い液体が満たされたグラスが揺れている。仕立ての良い黒いスーツが、鍛えられた体にフィットしている。


「よく来たね。歓迎するよ」


聞き覚えのある声。

だが、記憶の中の声よりも遥かに低く、自信と威圧感に満ちた声。

アレクは息を呑んだ。


「ま、まさか……」


男が指を鳴らすと、部屋の照明がゆっくりと明るくなった。

照らし出されたその顔。

黒髪に、理知的な黒い瞳。口元には皮肉な笑みを浮かべている。


「ジ、ジン……!?」


アレクの声が裏返った。

そこにいたのは、数週間前に自分たちが荒野へ追放したはずの元軍師、ジンだった。

かつての地味で目立たない装備ではなく、王族すら霞むような最高級の衣装を纏い、圧倒的な支配者のオーラを放っている。


「久しぶりだな、アレク。それにエリス、ミリア、ガントも。……随分と見てくれが変わったじゃないか。それが今の流行りか?」


ジンはグラスを傾けながら、楽しげに笑った。

アレクは混乱した。怒りと驚き、そして理解不能な現実が頭の中で渦巻く。


「な、なんでお前がここにいるんだ! カジノ王ってのは……お前だったのか!?」

「ああ、そうだ。お前たちに追い出された後、俺の『目』を活かしてちょっとしたビジネスを始めたんだ。おかげさまで、この街の経済は今や俺の手のひらの上だ」


ジンは立ち上がり、ゆっくりと窓際へ歩いた。眼下に広がる光の海を見下ろす。


「ここから見る景色は最高だぞ。誰にも指図されず、誰の命も背負わず、ただ自分の欲望のためだけに生きる。お前たちが教えてくれたんだ。『自分たちだけで生きろ』とな。感謝してるよ」

「ふ、ふざけるな!」


アレクが叫んだ。その顔には、安堵と同時に、再び身勝手な怒りが湧き上がっていた。相手がジンだと分かった途端、かつての「自分の方が上だ」というヒエラルキーが復活したのだ。


「お前、こんなに金を持ってるなら、なんで俺たちを探しに来なかった! 俺たちがどれだけ苦労したと思ってるんだ!」

「探す? なぜ俺が?」


ジンが振り返る。その目は氷のように冷たかった。


「俺を追放したのはお前たちだ。装備を奪い、食料も与えずに魔界へ放り出した。俺が死んでも構わないと思っていたんだろう? なのに、自分が困った時だけ『仲間』面をするのか?」

「だ、だって俺たちは幼馴染だろう! 多少の喧嘩はあっても、見捨てるなんて酷いじゃないか! 見ろよ、ガントの足を! エリスのこの姿を! お前の予言通りになったんだぞ! 満足かよ!」


アレクは泣き落としと逆切れを混ぜたような論法で捲し立てた。

ジンは呆れたように肩をすくめた。


「満足か、と聞かれれば……そうだな、最高の気分だと言っておこう。俺の忠告を無視し、自分たちの無能さを棚に上げて俺を罵倒した結果がそれだ。自業自得という言葉を、これほど体現した連中も珍しい」

「ジン!」

「黙れ」


ジンの声には、有無を言わせぬ圧力があった。魔力ではない。絶対的な強者の余裕からくる圧だ。アレクは思わず口を噤んだ。

ジンはゆっくりと歩み寄り、ソファでぐったりとしているガントを見下ろした。


「右足の壊死、進行レベル4。あと二十四時間以内に切断しなければ、敗血症で死ぬな。エリスの呪いは『魔言封じ』の上位種。高位の聖水と解呪魔法が必要だ。ミリアは……精神汚染か。エリクサーが必要だな」


一瞬で状況を見抜くその眼力。かつての軍師としての才覚は健在だった。いや、さらに研ぎ澄まされている。


「な、なら分かるだろう! 早くなんとかしてくれ! 金ならあるんだろう!? エリクサーも持ってるって噂だ!」

「あるよ。最高級のエリクサーが十本、倉庫に眠っている。この街の教会には優秀な司教も抱え込んでいるから、呪いも解ける」


アレクの顔に希望の色が差す。


「本当か! さすがジンだ、やっぱりお前は頼りになる! 分かった、今までのことは水に流してやる。俺たちも反省してるんだ。またパーティに戻してやってもいいぞ。お前の資金力があれば、魔王討伐なんて余裕だ!」


どこまでも図々しい。

ジンは堪えきれずに吹き出した。


「くっ、くくく……はははは! 傑作だ、アレク。お前は本当に変わらないな。この期に及んで『戻してやる』か。まだ自分が選ぶ立場にいると思っているのか?」


ジンは合図を送った。

ルナが進み出て、一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。


「これは……?」

「請求書だ」


ジンは冷酷に告げた。

アレクが恐る恐る羊皮紙を覗き込む。そこに書かれた数字を見て、彼は絶句した。


「い、一億……五千万ゴールド……!?」

「ガントの手術と再生治療、エリスの解呪、ミリアの精神治療。そしてお前の毒の治療と装備の弁償。さらに、俺の『コンサルティング料』を含めた適正価格だ。これでも、昔のよしみで二割ほどまけてあるぞ」


国家予算並みの金額だ。今の無一文のアレクたちに払えるはずがない。


「は、払えるわけないだろう! 俺たちは全財産を失ったんだぞ!」

「知っているよ。お前たちがマジックバッグを谷底に落とした未来も、俺には見えていたからな」


ジンはテーブルの上のグラスを手に取り、ゆっくりと揺らした。


「金がないなら、治療はできない。このまま帰れ。ガントは死に、エリスは一生喋れず、ミリアは廃人。お前も勇者の資格を失い、路頭に迷うだけだ」

「そ、そんな……見殺しにするのか!? 仲間だったのに!」

「『お前の悪い予感は縁起が悪い』。そう言って俺を切り捨てたのは誰だったかな? 縁起の悪い俺に関わると不幸になるぞ?」


ジンは背を向けた。

交渉決裂。

アレクの中で何かが折れる音がした。

プライドも、虚勢も、勇者としての誇りも、死の恐怖と絶望の前にはあまりにも脆かった。


ドサッ。

鈍い音がして、ジンが足を止める。

振り返ると、アレクが床に額を擦り付けていた。土下座だ。あの傲慢で自信家だった勇者が、かつての部下に見下ろされて這いつくばっている。


「頼む……! 頼む、ジン! 助けてくれ! 俺が悪かった! 調子に乗ってた! お前のおかげで勝ててたんだ! 俺たちは無能だ! だから……ガントたちを助けてやってくれ!」


涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、アレクは懇願した。

エリスも、音の出ない喉で必死に嗚咽を漏らしながら、涙を流して手を合わせている。


ジンはその様を、まるで珍しい昆虫でも観察するかのように冷めた目で見つめていた。

胸に去来するのは、熱い復讐心ではない。ただ、淡々とした事実の確認だけだ。

こいつらは、力に屈しただけだ。反省などしていない。ただ、今の状況から逃れたいだけ。

だが、それでいい。

これこそが、俺が見たかった「敗北の図」だ。


「……いいだろう」


ジンの言葉に、アレクが弾かれたように顔を上げる。


「ほ、本当か!?」

「ただし、条件がある。金がないなら、体で払ってもらうしかない」


ジンはルナからもう一枚の羊皮紙を受け取り、アレクの前に放り投げた。


「『隷属契約書』だ。期間は一生。返済が終わるまで、お前たちの所有権は全て俺のものになる」

「れ、隷属……!? 奴隷になれって言うのか!?」

「言葉が悪いな。『従業員』と呼んでやるよ。ただし、拒否権はない。俺の命令は絶対だ」


ジンはニヤリと笑った。その笑顔は、かつて軍師として策を巡らせていた時よりも、遥かに悪魔的で魅力的だった。


「アレク、お前はその顔と知名度を活かして、カジノの客引きをやれ。かつての勇者が『いらっしゃいませ』と頭を下げる姿は、客たちの優越感をくすぐるだろう」

「なっ……俺に、ピエロになれと……」

「エリス、お前はバニーガールの格好でウェイトレスだ。喋れないのが逆にミステリアスで受けるかもしれん。ガントは完治したら用心棒兼、地下闘技場のサンドバッグだな。ミリアは……まあ、皿洗いから始めさせるか」


それは、死ぬことよりも屈辱的な提案だった。

英雄として崇められてきた彼らが、見世物として、かつての仲間の下で一生を搾取され続ける。

冒険者としての尊厳を完全に破壊する契約。


「嫌ならいい。このまま出て行け。出口はあっちだ」


ジンが出口を指差す。

アレクは震える手で契約書を握りしめた。

拒否すれば死。受け入れれば地獄。

だが、彼に選択肢などなかった。彼の『死線視』には見えないが、ジンには見えている。アレクがサインをする未来が。


「……書く。書くよ……」


アレクはペンを取り、震える手でサインをした。

契約書が淡く光り、魔力の鎖がアレクの心臓に絡みつく感覚が走った。

完了だ。

これで、S級勇者パーティ『天雷の剣』は消滅し、カジノ王ジンの所有物へと成り下がった。


「契約成立だ。ルナ、彼らを地下の治療室へ連れて行け。治療が終わり次第、新人研修を始めるぞ。あそこにあるトイレ掃除からだ」

「かしこまりました、マスター」


ルナが冷たくアレクたちを促す。

アレクは虚ろな目で立ち上がり、よろよろと部屋を出て行った。その背中は、かつての輝きを完全に失い、ただの抜け殻のように小さく見えた。


部屋に静寂が戻る。

ジンは再び窓際に立ち、夜景を見下ろした。

復讐は終わった。いや、これからが始まりだ。彼らは死ぬまで、俺の王国を支える礎として働き続ける。

理不尽な追放、裏切り。それら全てを、圧倒的な力と金でねじ伏せた。

この上ないカタルシスが、シャンパンの泡のように胸の中で弾ける。


「さて……」


ジンはグラスに残ったワインを一気に飲み干した。


「明日はどんな『悪い予感』が見えるかな?」


俺の目には、この街の更なる繁栄と、足元で蠢く元勇者たちの惨めな未来が、はっきりと見えていた。

『死線視』が示すのは、俺の絶対的な勝利だけだ。


俺は空になったグラスをテーブルに置き、不敵な笑みを浮かべた。

夜はまだ長い。俺の支配する『黄金の天蓋』の宴は、これからが本番だ。

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