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87 ナガノの情報

 初冬から春にかけて、砂漠は一番過ごしやすい季節になる。寒くもなく、暑すぎもしないから、移動しやすく、キャラバンにとっては稼ぎ時なのだ。

 サララがジェットのことを聞いたのは、キャラバンの帰りに宮廷に寄った時だった。


 サララがジェットが転落したことを知ったらどんなに驚き、悲しむことだろうとリクイはサララに会うのがこわかった。

 なぜか姫と一緒で、手をつないで飛び降りたと知ったらどんなに憤慨することだろうと恐れていた。

 けれど、サララの反応は想像したそのどれでもなかった。


「ジェットらしいな」

 とサララが振り切ったように言った。


「ジェットは頼まれたら断れない性格だから。きっとその姫はこわがっていたと思うから、手をつないであげたのは、よかった。ジェット、えらかった」

 でも、その夜はナガノの部屋には泊らずに、忙しいからとすぐ帰っていった。


 その後、サララは休みなく仕事を引き受け、バザールからバザールへと移動し続けていた。忙しくしていれば、ジェットがいなくなった悲しみを忘れることができるからだということは、ニニンドにはわかっていた。


 倉庫の中身がほぼ空っぽだとわかってから、ニニンドも学校に行く時間がないほど、忙しくなった。ハヤッタの執務室に籠り、各駐在所からの報告書を読むのに打ち込んでいた。リクイはニニンドが来られなくなった教室で、以前のように勉強を続けていた。


リクイは休みの日があると、ハニカ先生のところへ行って、手伝いをしていた。学校が終わったら、病人の苦しみを減らしたり、命を助けたりする仕事につきたいと思っていたし、今は、何かに懸命になっていたかった。


 自分でも、医者になれるでしょうかとハニカ先生に尋ねてみた。

「特別な人間しか、医者にはなれない。なってはならない」

 とハニカは意外にことを言った。


「ぼくには無理でしょうか」

「医者なるためには、天とある約束をしなければならないのだ」

「それは、どんな約束でしょうか」

「医者は他の職業とは違うのだ。一度たりとも、間違いを犯すことができない。人間だから、間違いはある。しかし、医者は人間の生命を扱っているのだから、間違いをしてはだめなのだ。どんなに疲れた時でも、少し休んでからやろうとか、明日やろうとか、そういうことは許されない。それが無理だと思ったら、医者を志すな。きみは頭がよいのだから、何かを研究する学者になればいい。弁護士や会計士になればいい。休みを取りながら、家族を大切にしながら、生きればよい。そのほうが幸せな生き方だ」

 リクイは何も言えなかった。

「しかし、どんな時でも、限界までやると約束できるなら、リクイくんなら、医者になれるだろう。その時は協力を惜しまないが、さて、どうする?」

 

 リクイは帰り道で思った、ぼくは医者にはなれないだろう。

 将来結婚して、子供ができたら、休みの日には、奥さんや子供と、いろんなことを一緒にして、いろんな所に出かけて、楽しみたい。だから、天との約束は無理だ。

 

 医者になって、たとえばナッツアレルギーで死にかかっている患者がいると言われたら、それが子供の誕生日の真っ最中でも、抜け出して駆け付けなければならないのだろう。

 ぼくは宮廷に残り、ニニンドを支えていくのが進むべき道なのだろうか。ぼくは政治には向いてはいない。村に帰って、学校で教え、野菜を育てたり、鶏を飼ったりしながら生きるほうが向いているだろうと思う。もしかして、兄さんが戻ってくることがあるかもしれないし。



 ジェッタとサディナーレ姫が谷に飛び降りてからすでに半年が過ぎ、捜索は打ち切られた。マグナカリ王弟のほうは体調がなかなか回復しないので、その仕事をニニンドとハヤッタに委譲した。

 

 そんなある日、ハヤッタは資金を投入すべき町村の様子を見に出かけた。ニニンドはリクイに手伝ってもらいながら、自分の執務室で新しく届いた報告書に目を通していた。 

 気候は穏やかで、外からは鳥の声以外の物音は聞こえず、世の中は平和そのものである。 しかし、現実には、戦争は続いており、貧困や病気の人も絶えることがなく、また人の誰もが悲しみ、悩み、不安を抱えて暮らしているのだ。

 そのことを考えると、ニニンドは責任という雪崩に押しつぶされて思考が止まってしまうのだが、とりあえず、目の前のことをがんばろう、それしかないと思う。兵士の生活を向上させ、略奪された財宝を取り戻し、経済を回さなければならないのだ。

 

 そんな午後、ナガノがひょっこり執務室を訪れた。

「どうしたんだい」

 ナガノはニニンドの宮殿に部屋をもらい住んでいるのだが、最近は膝が痛くて彼の部屋までも出かけられずにいた。しかし、情報集めに関しては怠りがなく、今日は秘密の報告があって、時間をかけて、執務室まで、杖をつきながら歩いて、ひとりでやって来たのだった。

 

「足が痛いのだろう。連絡をよこしたら、こちらから出向いて行くのに」

「とんでもないことです。王太子になられたのですから、若さまがお忙しいのはよく知っておりますよ。よきお働きのこと、聞いております」

「さあ、こっちに来て座って」

 ニニンドはそう言って、ナガノを座らせてその膝をさすった。

「もったいないことです、若さま」

 

 ところで用事というのはあれですよという表情をして、ナガノが、小声でささやいた。

「マグナカリ殿下は、かなり前から、夜旭町あさひまちへお通いになっておられるそうです」

 

 ナガノは肝心な紙を懐から引っぱりだそうとして、指が震えて、落としてしまった。ナガノは大事な時になると興奮して、かえってもたもたしてしまう癖がある。

 リクイが近づいてその紙を拾い、ナガノに渡した。それは地図で、夜旭町あさひまちというところに赤い印がついていた。


夜旭町あさひまちというのは」

「若さま、それは花街でございますよ」

 ナガノの声が小さくなった。

「ああ」

 ニニンドはすぐにわかったが、リクイはきょとんとしていた。


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