109 帰宅
夕方、大気が冷え始めた頃、旋風が蒸気のような大量の白い息を吐きながら、戻って来た。
ニニンドが旋風から降りた時、厩舎の陰からリクイが突如現れたので、ニニンドは手綱をつかんだまま、その場に立ち尽くした。
「どこへ行っていたんだい」
リクイが近づいて、きつい調子で言った。
ニニンドは手綱を引いて、彼の前を無言で通りすぎた。
「今がどんな危機的状況にあるのか、知っているだろう。それなのに、無防備に出かけたりして、考えられない」
リクイはニニンドの後ろをついて行った。
ニニンドは何か言って旋風を世話係に渡したが、リクイには何も語ろうとしないし、目を合わそうとしない。
ニニンドは早足で自分の宮殿に向かい、自分の寝室にはいろうとしたところで、リクイがその腕をしっかと掴まえた。
「どうして無視するんだ。ぼく達、親友ではなかったのかい」
ニニンドがようやく足を止めて、振り向いた。
リクイの顔は子供が泣き出す時のように歪んで、鼻が赤くなっていて、瞳が濡れていた。
「親友だから、言えないんだ」
ニニンドが「ごめん」とリクイの両肩に手を回して抱いた。
リクイがその手を、強引に振り解いた。
「言い訳の言葉が、見つからないんだよ」
とニニンドが辛そうな表情をした。
「どうして」
「きみを傷つけてしまうからだよ」
「どこに行って来たの?」
「サララのところ」
やっぱりだ。
「サララのところへ行くなら、言ってくれればいいのに」
「言おうとはしたんだ」
ニニンドが大きく息を吸った。
「でも、リクイに言ったら、かんかんに怒って、絶対に止めるだろ。きみには怒ってほしくなかったし、止められたくもなかったんだ」
「ニニンド、今がどんな時なのか、きみが一番わかっているはずなのに。きみは命を狙われているかもしれないというのに」
「知っているよ。だから、そんな時だからこそ、……」
「生命より、大事なことがあるのかい」
「あるよ。リクイはなぜそんなに怒っているの。きみらしくもない」
「らしくもないって、どういうことだよ。ぼくだって、怒ることはあるさ」
とリクイが床を蹴った。
「私はこうやってちゃんと帰って来たじゃないか。リクイ、もし、行き先がサララのところでなかったら、こんなに憤慨したかい」
「わからないよ、そんなこと。わかったのは、きみという人間は、こんな時にまでふらふらするということだ」
「こんな時だから、はっきりしておきたかったんだ。サララに申し込んだ」
「なにを」
「結婚だよ」
えっ。
リクイは思わず視線を外したが、すぐに戻して、ニニンドを睨みつけた。
「馬鹿にするなよな。サララを側室のひとりにでもするつもりかい?」
「正式な妻だよ」
「何を言っているんだい。サララが妃になれないことくらい、わかっているじゃないか」
「どうしてなれないと決めるの」
とニニンドがリクイの肩を押した。「きみは頭がいいけど、そこが限界のようだな。私はできると信じる。私が王になったら、サララは王妃だ。そして私の王妃は生涯ただひとり」
「何とでも言葉では言えるから。本当なら、その証拠を見せてくれ」
「何を見せればいいんだい。それを教えてくれたら、何でも見せるから、言ってほしい」
本気なのか。リクイはまじろぎもせずにニニンドの瞳を覗き込んだ。
「行く前に、リクイの部屋の前までは行ったんだけど、伝えることができなかった」
「なぜ?」
奇妙な沈黙の時間が流れ、それぞれが、次の言葉を捜して迷っていた。
「きみがサララを好きなのを知っていたからだよ」
「ぼくの何を知っているんだい。サララは子供の時から知っている近所に住む姉さんだから、もちろん好きだけど、きみみたいな、そういう好きとは違う。だから、心配しなくてもよかったのに」
「そうなのかい」
そうだ、そうに決まっているだろ、とリクイが頷いた。
「探していたんだよ、昨日から、ずっと」
「心配をかけて、すまない」
かろうじて瞳に溜まっていたリクイの涙が、頬を走った。
「リクイ、ごめん。本当にごめん」
ニニンドがリクイを引き寄せた。




