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モンシロ

作者: 凡人

僕も甘くて淡い初恋をしてみたかったなあなどと思いながら、心に残ってしまったあの人を思い浮かべていました。

 裾に黒い斑点のある白いワンピースを着た色白の小さな女の子。

 同じく色白の女の子と木陰にうずくまってクローバーを摘んでいた君に、小学生だった僕は初めて一目惚れをしたんだ。

 

 塾の帰り道。太陽が眩しく照っている夏休み。額から垂れてくる汗を腕で拭って公園へと入る。

 ベンチに座って蝉の鳴き声を聞きながら漫画本を読む。母親のいない空間、それが思春期の僕にとって一番の心の拠り所だったのだなあと今更ながら思う。

 クマゼミがジイジイと泣いているのを横目に漫画本のページをひたすらにめくっていた僕の視界に、白いワンピースの裾が一瞬映って、そして消えていく。そしてもうひとつ、ネイビーブルーの影が僕の横を通り過ぎる。

 それが彼女たちの存在を僕に知らせる影だった。毎日、毎日、授業がなかったとしても、僕は塾に通いつめた。一日でもルーティンを欠かすともう二度と会えなくなってしまうような気がして。

 シロツメクサの周りをひらひらと歩いて、数分が経ったころ、地面に座ってクローバーを探す。四つ葉ではなく、大きな三つ葉のクローバーを。

 

「三つ葉さんも変わらないのにねぇ。四つ葉さんと葉っぱひとつ分しか変わらないのにねぇ」

 

 声変わりのしていない、甘く柔らかい声を聞いていた。

 

「どこに住んでるの」

 ネイビーブルーさんが来なかった日、一人で木陰にうずくまっていた彼女にそう聞いた。ぼんやりとした頭で聞き取った自分の声は、情けないほどうわずっていた。

 きょとん、と不思議そうな表情をした後、彼女が呟いた。口角は少し上がっていた。

「お花畑だよ」

「お花畑…?」

 地名だろうか。いや、地名に「お」なんてつけないはずだ。

 小学生の小さな脳みそではどうしても疑問符が浮かんでしまってしまった僕に、彼女はやはり不思議そうな顔を向けていた。

 モンシロチョウが彼女の背後をひらと舞う。白いワンピースに重なった白い蝶々は少し朧げに見えた。

「違うんだ。その、お手紙を出したいなって思って」

 舌がうまく回らなくなる。

「だから、ちゃんとした家の場所を教えて」

 少しの沈黙が降りる。

「お手紙なら、明日ちょうだい」

「え?」

「あたしに直接、お手紙書いて渡して」

 彼女は、面と向かって手渡す勇気が僕にないことは知らないようで、屈託のない笑顔で僕に言った。

「明日もここにいるから。ルリちゃんは、明日も来れないみたいだから」

 ルリちゃんとは恐らく、あのネイビーブルーさんのことだろう。

 早まる鼓動を感じながら、できる限りの平静を装って僕は頷いた。

「わかった。待っててね」

 

 

 

 家を出る。随分とくたびれてしまった恋文を握りしめて、僕は白いワンピースの女の子のもとへと向かった。思えば、名前を訊くこともしなかったので、恋文の初めの宛名にはいつも迷ってしまう。

「モンシロチョウさんへ」

 十余り四つ前の春、僕が決めた彼女の名前だ。ベージュの封筒に書かれたそれは、白い光を帯びているように思えた。

 

 

 

 彼女と初めて話をした翌日、僕は久しぶりに気持ちが昂っていた。初めて書いた恋文を握りしめて、初めて抱いた不思議な感情に身を任せるまま、家を飛び出した。塾に行くこともせず、一刻も早く彼女に会うために。

 

 夏盛り、白い太陽の下。公園でベージュ色の封筒を持つ。優しい色の木のベンチに座って、ペットボトルの水を飲む。冷たいそれは、昂った感情と火照った身体をよく冷やしてくれた。

 

 一時間が過ぎた。

 太陽の光が激しく身体を刺す。普段長い間外にいることのない僕の身体は間もなく汗が滲んできたが、それにすら意識は向かなかった。

 

 二時間が過ぎた。

 太陽が真上から熱を浴びせる。童話に出てくるような金髪の少年に、ただ憧れているだけの僕の真黒な髪は、むせるほどの熱を吸収していた。

 

 三時間が過ぎた。

 このまま日向にいるのは流石に危ないと思ったので、木陰に移動した。モンシロチョウさんとネイビーブルーさんがいつも三つ葉を摘んでいる木の下。陰の中で急速に冷やされていく身体と裏腹に、彼女を待つ心は未だ高鳴りを止めようとしない。


 四時間が過ぎた。

 

 五時間が過ぎた。

 

 

 陽が傾いてきた。携帯に親から連絡が来ている。無視することもできない僕は、家へと脚を向けた。僕が座っていた、こんもりとしたクローバーの山は、押しつぶされてしぼんでいた。

 傾いた陽に伸びる濃い影は、公園の土に鮮明に映っていた。心臓の部分に穴が空いていないのが不思議だった。

 

 おぼつかない羽でモンシロチョウがひらと飛んでいた。

 

 

 

 君に僕の気持ちがわかるだろうか。

 封筒を開く。

 十四年前の僕の拙い文字が現れる。

 

 

 

 何年間も同じように咲き続けているクローバーの上に手紙をそっと乗せた。そうすれば君に届くと思って。

 君はやっぱり蝶々だったのだろうか。あのとき、僕に会いに来てくれていたのだろうか。

 君は、モンシロチョウだったのかな。

 なんてね、言ってみたかっただけさ。


 幼い僕がなんとも浅ましい恋をしたその人は、昔も今も変わっていない。そう、まるで、モンシロチョウみたいな。

彼はモンシロチョウさんには会えなかったのでしょうか。

もう二度とモンシロチョウさんには会えないのでしょうか。

「想像にお任せします」なんて言ってみたいものですが、解って欲しいのでお伝えします。


十四年前去る彼の前にひらと飛んだモンシロチョウ。

きっと彼女は手紙を持ってきてくれた初恋の相手にむかってはにかんでいたことでしょう。

それが彼に伝わっていれば、ハッピーエンドだったのかもしれません。


凡人の僕にとって、完璧なハッピーエンドは手の届かないものなのです。

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