第一話:再起する傭兵
目が覚めた。
無機質な白色灯が薄暗い天井を照らす中、レイヴン・クロウは静かに目を開けた。気圧のわずかな変化、空調の音、どこかで聞いたことのある電子音。焼け焦げた鉄の臭いはしない──そこに戦場はなかった。
彼がいたのは簡素な医療ブロックだった。処置済みの傷口、点滴の名残、そして不自然なほど整った寝台。生命維持に必要な処置はされているが、感情的な気遣いはどこにもない空間。
傍らには、一人の男がいた。白髪交じりの無精髭、着古されたジャケット。だが、その目は鋭く、観察者のそれだった。
「目覚めたか。大丈夫そうだな」
レイヴンは無言で男を睨む。
「名はヴァルド。君を拾った者だ。……そして、君に興味がある者でもある」
男は軽く笑うと、傍らの端末を操作した。表示されたのは、戦闘中の神経反応波形。そのグラフは、明らかに常人の域を超えていた。
「これが君の神経層反応。軍の一部では“Ghost-Eye”と呼ばれていた現象だ」
レイヴンの視線が端末に落ちた。
「あの時──避けたんじゃない。見えていたんだろう?」
レイヴンは答えない。だが、否定もしなかった。
「君のような反応を示す者は、数十年前に存在していた。だが、その技術も人材も、もう失われたはずだった。君は……例外だ」
ヴァルドはゆっくりと端末を閉じる。
「だから、君を拾った。いや──君に賭けた。ゴーストアイについて、もっと知りたくはないか?」
その問いに、レイヴンは僅かに眉を動かした。
言葉では答えず、起き上がる動作で意志を示す。
「いいだろう。ついてきてくれ。ここが、君の活動拠点になる」
ヴァルドの案内で、医療ブロックからエレベーターを経て地下層へ。
鉄骨のむき出しになった通路、剥き出しの配線、簡易化された照明──かつては軍用の整備施設だったのだろう。廃棄された施設を再利用した形跡が随所に見える。
格納エリアには、修理ドローン、パーツ保管コンテナ、エネルギーチャージャー、旧型だが高性能なメンテナンスベッドが備えられていた。
「住居スペースは簡素だ。だが最低限の生活環境と物資は揃っている。機体の整備や再起動にも十分対応できる」
「……住むのか、ここに」
レイヴンが低く呟く。
「そうなる。都市では目立つ。追跡を避けるにはこのくらいの辺鄙さがちょうどいい」
「私物は?」
「ない。コックピットで寝ていた」
ヴァルドは肩をすくめた。
「なら、ちょうどいいな」
そして彼は、整備端末に向かって短く命じた。
「アイリス、環境制御を起動」
『了解。拠点内温度、標準値に調整。生活機能を段階的に起動します』
無機質だが、どこか人間味のある女性の声が格納庫内に響いた。
レイヴンはその声に、わずかに目を見開いた。
「あの声……」
「ああ、AIだ。君の旧機体にも搭載されていた支援型戦術AI。コアデータは救出時に抽出してある」
再び耳にしたその声は、戦場で繰り返し自分の名を呼んでいた。
──助けようとしていた。
それが、電子音声であろうと、記憶の中では確かに“声”だった。
「次は、機体の話だ」
ヴァルドが壁面の端末を操作すると、ホログラムに新たな機体の構造図が映し出された。
「バランス型の中量級。右腕にライフル、左腕に内蔵式ブレード。肩部にはミサイルとレーダー、両方を搭載可能な設計だ」
「レーダーは……要らない」
レイヴンが呟くように言った。
「視えるからか?」
ヴァルドが問い返すと、レイヴンは目を伏せ、言葉を返さなかった。
『補足します。頭部チップにより基本的な索敵とロックオン機能は確保されています。レイヴンの神経反応は、従来センサーより反応が早いという記録も残されています』
淡々としたアイリスの声が、状況を補足する。
だが、その内容は──戦場での異能を裏付けるものだった。
亡霊の目。
それが、自分に何をもたらすのかはまだわからない。
だが、わずかな実感があった。
あれは、偶然ではなかった。
この拠点で何が始まるのか。
その先に、あの黒い怪物──《デウス・ヴェール》がいるなら。
再び、戦場に立つ意味はある。
レイヴン・クロウは、何も言わず、端末に映る新たな機体を見据えていた。