伯爵令嬢の過ち 〜一夜の過ちが人生の過ち?〜
お世話になった“魔法のiらんど”に贈りたく、一気に書き上げました。
2000文字以内の短編なので、気軽にお読みください。
テーマは『一夜の過ち』です。
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ああ。なんてこと。
私としたことが、とんだ過ちを!
それは昨夜のこと――――
伯爵家の一人娘である私が、精神の療養のため訪れたこの秘境にある温泉で、一人の男に出会い、そして結ばれた。
その男は商人らしく、荒々しい気性の男だった。
何故か私はその男に惹かれて、裸で居合わせた偶然もあり、つい身を任せてしまったの。
ああ。
お父さまとお母さまにバレたら大変だわ。
なぜなら私には婚約者がいるから。
両親が決めた正式な婚約者。
この伯爵家の跡取りとなる公爵家のご令息、エイベル様が――――。
娘が結婚前にキズモノになってしまったと知れば、お父さまが何をするか分からない。
あの商人は殺されてしまうかも。
そう思うと、体が震えてきてしまう。
――――でも。
あの男も私も、双方が黙っていれば、決してバレることはない秘密。
あの秘境の温泉は、滅多に人の来ない場所にある秘湯。
先にあそこにいたあの男の存在に、私の護衛は気づいていなかったはず。
だからこそ私はあの温泉に入ったのだから。
気持ちを落ち着かせるため、私はベッドに座ったまま、何とか自分にそう言い聞かせる。
もう二度と会わなければいい。
全て夢だったと思えば――――。
数日後、屋敷に帰り、何事もなかったかのようにお父さまに挨拶する。
「ロアンナ。帰ったか。気分はどうだ?」
「はい。お父様。随分良くなりました」
「うむ。お前も疲れが溜まっていたんだろう。時々療養して来るといい」
お父さまは優しく笑いかけてくれる。
一人娘の私は、両親に大切に大切に育てられた。
お父さまは男の子を望んでいたそうだけれど、私には一言もそんなことは言わなかった。
でも分かっていたの。
私が家の役に立てるのは、有力な家との結婚だけだと。
だから、お稽古事も、お作法も、容姿を磨くことも、全て結婚のために入念に準備した。
昔は好奇心が旺盛で、よく屋敷を抜け出して町に出かけていたけれど、そんなことはもうやめた。
自らの人生を、家のために捧げると決めてから、私は変わったの。
だから、あの一夜の過ちは、永久に記憶から葬り去らねばならない。
「そうだロアンナ。ちょうどお前のために用意したものがあるのだ。あれを」
お父さまは突然、召使いに指示を出す。召使いは頷いて扉を出て行った。やがて一人の男を連れて戻ってきたのを見て、私は心臓が止まりそうになった。
「――――っ!?」
唐突に思い出すのは、お湯の熱さと、荒い吐息。
あの秘湯の中、体を重ねたあの男が今、私の目の前にいる――――!?
「お初にお目にかかります。お嬢様。カシムと申します」
ニヤリと笑って、浅黒い肌をした男は、鷹のような鋭い目を細める。
「カシム殿は世界中を飛び回る有能な商人でな。異国の珍しい品を多数取り揃えておるようだから、一つお前のために何か購入しようと思ってな。どれでも好きなものを選ぶといい」
「は……い。ありがとう、ございます」
しどろもどろに、私はお父さまと男から目を逸らす。
「伯爵様。別室に商品を揃えておりますので、お嬢様をご案内してもよろしいでしょうか?」
「おお、そうしてくれ。ロアンナ。ゆっくり選ぶといい」
男のペースに飲まれて、私はそのまま別室へと連れて行かれてしまった。
あの時の記憶が鮮明に思い出されて、二人きりになった部屋で、私はなす術なく男の腕に抱かれた。
「お嬢様。探しましたよ。伯爵家のご令嬢だったとは」
「な、何が目的なの? お金? それなら商品の代金で我慢なさい。それ以上は出せないわ」
私の言葉を聞いたのか、それとも聞こえなかったのか、カシムと名乗る男は、あろうことか私の肩と膝裏を掴み、ひょいと抱き上げた。
「ちょ!? な、何を」
「俺の目的はあんた」
男はそのまま窓を開け、私を抱えたまま窓枠に足をかける。
「えっ!? ちょっ、こ、ここは二階……って、きゃあああああっ」
無事、ダンと着地し、そのまま颯爽と駆ける男。女一人抱えて走っているとは思えない速さ。
「何をしてるの!? 戻りなさい!」
「あんたを連れて、どこまでも行く。結婚が嫌なんだろ?」
「っ!!」
男は私の反応を見て、またもやニヤリと笑う。
「俺の方がいい男だもんな」
まるでエイベル様を知っているかのように、男は言う。
近くで馬を借り、しばらく走って船着き場に着く。
「俺は誘拐犯だ。全ての罪は俺にある」
何故か堂々とそう言ってのける男の熱い手を取って、私は自らの足で船に乗った。