4.アドルフ・アードラースヘルム第二王子とアドリアーナ・アッヘンバッハ公爵令嬢
生徒指導室は今やすっかり重苦しい空気に包まれていた。パラリ、と最後のレポート用紙を手に取る音だけが響く中、アドルフはどうしてこうなった、とひたすら自分に問いかける。
おかしい。自分たちは身分を超えた強い絆で結ばれた仲で、婚約者達は醜い嫉妬にかられ身分を盾にロッテを貶める敵で。自分たちはロッテを守るために立ち上がった、いわばこれは正義の闘いだった筈なのに。
ヴィルは呆然としたまま固まり、イザークは机を見つめて小声でブツブツとつぶやき、ロッテは小刻みに震えながらうつむき、そして自分は
「で、アードラースヘルムくん」
「っ」
「色々言いたい事はあるけど、とりあえず。カフェテリアは婚約破棄をする所じゃありません」
なぜこうも残念な子を見る目で見られなくてはいけないのだ。
「カフェテリアは食事をするところです。いいですか、ご飯を食べるところなんです」
「……っ」
「そして12時から13時はお昼休みです。お昼休みはお昼ご飯を美味しくいただく時間です。決してバターチキンカレーを堪能している婚約者を取り囲んで、婚約破棄を叫ぶ時間ではありません」
「〜〜〜っっっ」
わかりますか? と幼児に問いかけるように言われ、羞恥で顔が熱くなる。
「本当にね。婚約破棄宣言する寸前にアッヘンバッハさんが口の中にチーズナンをつっこんでくれたおかげで、最悪の事態はギリギリ避けられたけど」
熱々のナンをねじ込まれた自分の口は最悪どころじゃなかったのだが。
「もし人前で宣言しちゃったらそれこそ取り返しつかないし。アッヘンバッハさん達は皆前々から準備してくれてたおかげで対処も早くて助かったけど」
こっちは事前に決めてた段取りがすべてぶち壊されたのだけど。
「アッヘンバッハさんだけじゃなくて、カフェテリアにいた他の生徒達もいい迷惑だったと思うよ。いきなり王子に『皆の者、聞くが良いっ』なんて叫ばれたせいで、全員ご飯中に一時停止するハメになるし。意味不明な『自分が身分を超えた友情から、真実の愛に目覚めた経緯』とか自分語りが始まるから、そのまま食べるに食べられなくなっちゃって。アッヘンバッハさんが時間稼ぎしている間にイェーリスさんとヴァレンシュタインさんが教師陣呼んでくれたおかげでこうして別室に君らを連れてこれたけど。アッヘンバッハさんが『皆様お騒がせしました、どうぞお食事を続けてくださいましっ。お詫びにデザートをサービスさせていただきますので、厨房の皆様、請求は後程王城へお願いしますっ』ってフォローしてくれなかったら、絶対に今以上に生徒たちの反感買ってたからね」
「…………」
一つ一つ、丁寧に言い聞かせられ、アドルフは呼吸が苦しくなった。というか、王城へ請求したのか、アドリアーナ。脳内でお前のために身銭を切る気はねえ、と吐き捨てる婚約者の姿が浮かんだ。想像だが多分合っていると思えるくらい、あのねじ込まれたチーズナンには力がこもっていた。
「……で、改めて聞くけど何であんな所で婚約破棄しようとしたの」
「……僕らは前々からロッテに対する態度について注意していた。なのにちっとも反省の様子がないから、皆の前で彼女が僕の婚約者としてふさわしくない、と知らしめるために……」
「いや、そんなの聞かされる方にしてみれば『え、それ俺らに言われても』って感じでしょうが」
「え」
せめて、自分たちは決して軽い思いで行動したのではない、と痛む胸をこらえて言った言葉は、またしてもあっさりと返された。思わず顔を上げると、何とも味わい深い眼差しで自分を見つめるランベルトと目が合う。
「いいかい、アードラースヘルム君。今から先生は教師としてではなく、人生の先達として君に忠告します」
「え、」
「大勢の前で注目を集めての断罪、からの真実の愛宣言。人は誰しもそういうのがカッコ良いとか思う頃がある、かもしれない。けど、それらのほとんどが実際には全くカッコ良くない。繰り返す、本当にカッコ良くない」
「何で二回言ったっ」
「君にとっての『真実の愛』は、他人にとっては『真実の愛(笑)』だから」
「『真実の愛(笑)』っっ!!?」
何だか今日一番心臓に突き刺さる事を言われた気がして、アドルフは胸を押さえた。
「信じたくないかもしれないけど、若者の『最高にカッコ良い俺』ムーブってのは大体そういうもんなんだよ。そのうち夜中に思い出して恥ずかしさでのたうち回るハメになるんだよ。こら、何遠い目してんの。オッサンの小言と冷酒は後から効いてくるもんだからちゃんとお聞きなさい」
「未成年相手に酒の例えを出すなっ。何で急にグイグイ来るんだっ。い、いやそうじゃなくて、僕はそんな浅はかな理由で宣言しようとしたわけじゃないっ。王族の結婚は国に関係するし、ましてや貴族なら派閥の動きに直接関与するのだから、ちゃんと知っておいた方が良いと思っただけだっ」
「だからだよ。王族の結婚なんて、それこそ国が決める事なのに、未成年の学生に勝手に宣言されてもどうすりゃいいのってなもんでしょ。どう考えても正式発表じゃないし、かと言って王子の発言じゃ無視もできないし。最後まで聞いちゃったら、知らなかったとも言えないし」
「……」
「正直、チーズナンどころかハバネロ突っ込まれても文句言えないよ」
「そんな……」
「て言うか、結局不貞なのか。じゃあアッヘンバッハさん達が注意してたのやっぱり正しかったんだ。身分を超えた友情どこいった」
「な、違うっ。我らは本当に友情で結ばれていたんだっ。だが、度重なる嫌がらせにもめげず、彼女たちをかばうその優しさに、私は真実の愛を見たっ」
「あーはいはい、シンジツノアイね」
「その独特な発音をやめろっ」
平たい声で復唱され、泣きたくなった。というか、ちょっと目が潤んだ。自分の一世一代の恋のはずが、話せば話すほど薄っぺらさを突きつけられた気がして、胸の中がぐちゃぐちゃになる。
「……僕は、本気でロッテと結婚したくて」
「うん」
「でも周囲は身分の事ばかりで理解がなくて」
「ふうん」
「だから、ここで自分の気持ちをはっきり伝えれば皆も認めてくれるって」
だって自分とロッテの気持ちは純粋な愛だから、きちんと話せば皆きっと心を打たれて味方になってくれる筈で。さっきから真っ青な顔で小さく震える彼女の手を握って何とか言葉を振り絞る。握り返してくれないのは気になるが、正直自分も言葉を発するので精一杯だ。
「皆に認めさせたいのなら、君のお父さんにまず認められなよ。そうすりゃ国中に認めてもらえるようなもんなんだから」
「……父上はアッヘンバッハ家とは懇意だ。国一番の貴族では正当な意見でも潰されてしまうだろうから、自分で動こうと」
「え、自分なら潰されないとでも思ってんの? 学生風情が本職相手に」
なぜならこのダルそうな教師が口を開く度に、自分たちの気持ちや行動の意味がまるで変わってしまうからだ。
「っていうか、潰すも何も君らの『身分を超えた友情』が始まった頃から公爵家はしっかり調査してるから」
「は?」
「言ったでしょ、前々から準備してたみたいだって」
「じゅ、準備って。それはロッテを排除するためでは。婚約者の地位が脅かされたからそれで、」
「『王子達の公開婚約破棄を阻止したら、褒美として婚約破棄させて欲しい』って全員正式に書類提出済だよ」
「…………え、」
教師の言葉が耳に届いて、それからじわじわと頭に響いた。
「アドリアーナ、が。僕との婚約破棄を望んでいた……と?」
「死ぬほど据わった目で『もういいではありませんか。婚約者を教育しろと言われても教育は親と教育者の仕事ではないですか。学業も公務も公の成績が取り繕える位にフォローするのに私の自由時間がほぼ奪われていると言うのに何故脳内花畑の駆除まで私がしなくてはならないのですか。どうしても私にアドルフ様の履歴書の全てを整える役割をしろと仰るなら『チャームポイントは人権のない所』って書きますけどよろしくて?』って抑揚のないトーンで言われて王城が凍りついてたらしいよ」
「………………………………………………………………」
「……言っただろ。婚約破棄はカフェテリアでするもんじゃないって」
本気で破棄したいなら、裏付けをとって正式に書類を提出するはずだ、と。
そう遠回しに伝えられ、胸に強く感じた衝撃は怒りか羞恥か。あるいはもっと別のものか。
「…………っっ」
本当に、どうしてこうなった。
今日、自分は愛しい人を守る英雄になる筈だったのに。行動は力技で阻止され、裏付けは薄っぺらさに呆れられ、そして。
(……アドリアーナ)
断罪して排除しようとした婚約者は、自分などよりずっと真剣に婚約破棄を望んでいた。その事が意外な程心を締め付けて、目の前の景色がゆらゆらと揺れた。
「踏ん張れよ」
浅くなり始めた呼吸に胸を押さえたのと同時に、ポツリとランベルトが言った。呟きとも言えるほど小さな声なのに、不思議とそれはひどく重たく響いた。こめかみに汗が流れるのを感じながら顔を上げると、困ったようにランベルトが笑いかけてくる。
「さっきも言ったけどさ、若い頃は突っ走んのがカッコ良く思える頃がある。で、それから自分が自分に期待してる程、実際の自分はカッコ良くないって心底思い知って、失敗して散々カッコ悪いとこ見せて無様にあがいて」
ぱん、と手元の最後の紙を裏返した。
「君らがもし本当にカッコ良い男になれるとしたら、そっからだ」
だから、それまであがけよ、と。
そう言って、ゆっくりと手をあげるとアドルフの頭にぽん、と置いた。
「知ってるか? 人生なんてオッサンになってからの方がずっと長いんだよ。折れたままオッサンになると老後がきっついぞー」
そう言ってぐしゃぐしゃと整えられた金の髪をかきまぜられ、アドルフはぐっと口元に力を入れた。自分は髪の毛一本に至るまで至上の宝として扱われてきた。こんな雑な触れ方なんて、親にだってされたことがない。なのに、不思議と腹も立たない。
「自分が、」
「え?」
最初から最後までこのふざけた教師は、自分たちを生徒としてだけ扱ってきた。
「自分がものを知らない、と気づいたら、どうしたら良いんですか」
言葉はさして力を入れず。緩めた口の流れるままに、そう言っていた。
そう問うた生徒に、ランベルトは今日一番楽しそうに笑って、答えた。
「それを教えるのが、教師ってもんだよ」
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