9話 2回目の木曜日
この日あの子はいつものところに立っていた。私は、駆け込むくらいの勢いで電車に乗った。
「おはよ」
私が言うと、あの子はほほ笑みながら頷いてくれた。
「昨日言いたかったんだけど、土曜行けるの」
まず何を置いてもこの日言いたいと思っていたことは言えた。あの子の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「返事遅くなってごめんね」
私が言うと、あの子は瞼を伏せて首を横に振った。そのあとぱっと明るい笑顔に変わって
「うれしい!」
と、小さく清んだ声を弾ませた。
この間みたいに、あの子はスマートホンでいろんなものを見せてくれた。だけどしばらくして、スマートホンをなめらかに滑っていた指がぴたりと止まった。
「もしかして、だめだったかなって思ってた」
スマートホンに置かれた指は、また画面の上で動いてた。今度は、すごく小さく、せわしなく。目は、画面にまっすぐ落ちていた。
正直、両親が出掛けて良いと言ってくれるのはわかっていた。でもすぐに尋ねることができなくて、あの子への返事も遅れてしまった。
これは、私の弱さ、わがまま。優しさなんかじゃ絶対にない。
昨日、やっと母に出掛けたいと切り出せた。母はほっとしたように笑って、
「行ってらっしゃい」
と言ってくれた。
「ごめんね」
スマートホンの待ち受け画面の上でせわしなく指を動かすあの子に、私は言った。
(私の弱さが、さらちゃんを不安にさせた)
それは心の中で私に言った。
あの子は顔を上げ、私の目を長い間見つめていたけど、
「いいの」
と優しく笑った。
「昨日も会えたし」
あの子は続けてそう言った。
(昨日…… 。さらちゃんは最初から乗っていたの?)
それが気にならないと言ったらうそだった。でも、うまく尋ねるきっかけが見つからなかった。
「さらちゃん」
あの子はじっと私の方を見たままで、次の言葉を待っていた。その静かな瞳を見て、私は次の言葉を見つけられた。私があの子に、言いたいこと。
「連絡先、教えて」
何にかはよくわからなかったけれど、この時すごくほっとしたのは覚えてる。あの子もなぜか、そんな顔をしてる気がした。
「いいけど明日ね。もう駅だから」
小さく噴き出しながら、あの子は手を振ってくれた。私が扉の方に目を向けると、ほんとうに、私の降りる駅の景色がそこに見えた。
「ほんと。ありがと、降りなきゃ」
私が慌てて降りたあとあの子はまだ笑ってて、扉越しに手を振り続けてくれていた。