49話 2年後の秋(1)
あれからもう、あの夢を見ることは1度もなかった。あの子に会うこともなかった。でも、毎日のルーティーンは変わらなかった。
「おはよ」
「おやすみ」
朝と夜、ベッドの中で言い続けた。
いくつも朝が来て、夜が来た。いくつも月が変わって、季節が変わった。
祖父は、ついこの間旅立った。自分の家の、居間の座椅子で。眠りながら、眠りについた。
祖父は結局最期まで家にいられたけれど、最後の方はほんとうに他人に会える状態じゃなかった。ほんとうに祖父に1番良いようにしてあげられたかはわからない。でも、祖父が意思のしっかりしてる時から言ってたように、家から次の旅に出発できたのは、よかったと思う。
だけどそれ以外はほんとうに、わからなかった。もっとできたんじゃないか……ちがう。もっとやりようがあったんじゃないか。
祖父と接した1つ1つの刹那について、そう思えちゃう。祖父本人を含めて、私たち家族はがんばった。でも、後悔しないなんて、難しすぎた。けれどそんなこと、そうなってみないとわからない。--それは、わかった。
(生きるって、むずかしい)
思ってたより頻回に祖父のふとした瞬間が思い出されて、そのたびそこへ行きついてる。でもそれを感じることに、マイナスな感情はあまりない。……それでいい。
私の部屋からあの子のピアスがなくなった次の週末、あなたが大きなニュースになった。衝撃だった。“ついこの間会っていたのに”というのと、“あなたの出自”と。
名前も顔写真も、家族関係も大きく報道されてたわ。民放のテレビじゃ、元総理の秘書が元総理に代わってコメントしてた。----山に入って、帰ってこなかったのよね、あなた。捜索も大人数で、何日も続いた。
あなた、実は有名なお家の人だったのね。お祖父さんやお父さん以外にも、私も知ってる有名な人がご親族には多かった。
あなたが行方不明になって何日かしたら、誰でも編集できるインターネット上の辞書にあなたの項目ができた。ニュースで言われたことはもちろん、最近までニューヨーク大学に留学していたとか、ニュースで言われてないことまで詳しく載ってた。ちょうど私があの子と会っていた頃は、パリにも留学してたとか。ニューヨークの大学に在籍したままパリの大学に行っていたのね。
私に初めて会いに来てくれた時のあなたの様子は、お家や留学を感じさせない、むしろそういうのとは真逆の感じだった。あなたが留学している間、ほんとうはどこで何をしてたかなんて、私は知らない。でも、私にあの子のピアスを返しに来てくれた時のあなたは、大事なものを見据えた瞳をもっていた。
あなたは、今日見つかった。行方不明になったその山で。
2年も見つからなかった。詳しくは言われなかったけど、「2年」だったら、たいへんな状態で見つかったと思う。良い言い方ではないけれど、見つかったのが、奇跡だと思う。
あなたみたいな有名な、四六時中警備がいそうな家の人でも、そんなことになってしまう。家とどういう距離を取っていたのかはわからないけど、元総理の孫で元外務大臣の息子でも。----あの頃、川のほとりで見つかった女の子の身元が1か月で分かったのなんて、実はよかった方なのかもしれない。
あなたが見つかった時、一緒に見つかったショルダーバッグから手紙が出てきたってニュースで聞いた。汚れがひどくて読めない部分も多いけど、それが2年前に川のほとりで遺体で見つかった女の子からの手紙だったと。
“警察は今後、この男性と2年前遺体で見つかった女性の関連を捜査していくとしています”
テレビもネットも新聞も、この一文で、ニュースは締めくくられていた。




